2. 忙しない毎日
「――妖精王の代替わり!?」
ティアラローズは、思わず声を荒らげてしまった。慌てて口を押えたけれど、横でキースがくつくつ笑っている。
いったいどんな話題が出るのだろうと戦々恐々と向かったのだから、予想外すぎる内容にティアラローズが驚いてしまったのも無理はない。
そんなティアラローズに、パールが照れながらも説明をしてくれる。
「その……わらわとクレイルは、のんびりすることにしたのじゃ。妖精王は、次代に任せるのじゃ」
「後進に譲ったら、パールと新婚旅行に行こうと思ってね」
「クレイル!恥ずかしいことを言うでない!」
「これだけで照れるパールも可愛いよ」
「うぐぅ……」
二人の掛け合いを見て、ティアラローズはただただ目を瞬かせた。
――つまりは結婚するから、妖精王を引退する……ということよね?
代替わりは衝撃だったけれど、とてもおめでたいニュースだとティアラローズは頬を緩める。
「ったく、いきなり茶会っつーから何事かと思えば……。もう新しい妖精王は決まってるのか?」
どうやらキースも知らなかったようだ。やれやれとため息をつく彼に、クレイルは首を振る。
「いや、まだだよ。空の妖精と海の妖精、それぞれ優秀な者に任せようと思っている」
「選定中じゃ」
妖精王の代替わりといってもすぐのことではないようだ。
確かに新たな妖精王を選ぶとすると、そう簡単に決められることではない。時間がかかるのは当然だろう。
クレイルとパールが結婚すること自体は嬉しい。けれど、今すぐ二人が妖精王の座から退いてしまってはさすがに寂しいとティアラローズも思っていた。
しかし同時に不安もある。
今まで妖精王としてこの国を支えてきた二人が、一度にその座から降りるというのだ。優秀な者を後進に選ぶとしても、新米の妖精王が二人誕生することに変わりはない。
――わたくしも、お菓子の妖精王になった当初はとても苦労したもの。
きっと新しい空と海の妖精王も大変なことがたくさんあるだろう。
その時は自分が力になろうとティアラローズは思う。そんなことを考えていると、キースが「どうしたんだ?難しい顔してるぜ」と声をかけてきた。
「わたくしも妖精王の先輩になるのですから、新しく王になる方の力になれたらと思ったのです」
「まだ妖精王になって数年だってのに、もう先輩か。……でも、そうだな。確かにあの二人の仲はこの十年で一気に進んだ」
ティアラローズがマリンフォレストに来た当初、クレイルとパールはすれ違っていた。
はたから見れば互いが想いあっていることがわかるのに、当の本人たちがそれに気づけなかったのだ。
あのときは、「お二人実は両想いです!」と何度伝えたかったことか。
「……これも、お前の影響の一つかもしれないな」
「え……?」
キースの言葉に、ティアラローズはドキリとする。
自分が悪役令嬢としてこの世界に転生し、婚約破棄をされ、バッドエンド――。そうなるはずだったけれど、アクアスティードに求婚されてマリンフォレスト王国へ来た。
この道筋は本来のゲームとは違うもので、ティアラローズが意図して起こしたものではない。
けれど、ティアラローズにとってはとても幸せなハッピーエンドだ。
「わたくしの存在で、パール様とクレイル様が結ばれたというのであれば、とても嬉しいです」
ティアラローズが心から祝福の言葉を述べると、顔を赤くしたパールがふんとそっぽを向いてしまった。恥ずかしくて仕方がないようだ。
そんなパールをクレイルが愛おしそうに見つめているが、それがまた恥ずかしさに拍車をかけたようで、「見るでない!」とパールが声をあげる。
キースはといえば、はあ、と大きなため息をついて、やれやれと肩をすくめた。
そして後日、各妖精王が選出された。
***
エリオットがやっとの思いで婚約の申し込みの書類を処理し終わった頃、ティアラローズが一人自室でくつろいでいるときにそれはやってきた。
「ティアラローズ様、遊びに来ちゃいました~! ほら、ハルカ。ご挨拶して」
「…………」
なんの予告もなしに息子を連れてやってきたのはアカリで、その後ろには息子のハルカも一緒だ。
いつもいつも連絡をせずやってきては、ティアラローズをはじめハルトナイツも困らせている。
――でも、今回は馬車でやってきただけまだマシなのかしら。
突然現れたアカリを前に、ティアラローズはそんなことを考えてしまう。早く会いたいがために馬に乗って駆けてくる。それがアカリだからだ。
今は息子のハルカがいるため、そこまでの無茶をすることはないだろうけれど。
乙女ゲーム『ラピスラズリの指輪』のヒロイン、アカリ・ラピスラズリ・ラクトムート。
腰まである美しい黒髪に、ぱっちりした黒い瞳。
ある日突然日本から転移し、この世界にやってきてヒロインになってしまった少女――。
今はメイン攻略対象者だったハルトナイツと結婚し、ハルカという息子にも恵まれ、ラピスラズリ王国の王城で生活している。
彼女の後ろに隠れているのは、息子のハルカ・ラピスラズリ・ラクトムート。
アカリ譲りの黒の髪はゆるやかなウェーブがかかっており、ぱっちりした瞳はハルトナイツ譲りの青色だ。
どこか人見知りの性格なのか、アカリの後ろに隠れながらもじもじしている様子は可愛らしい。母親とは随分対照的だろうか。
「アカリ様、来るときは連絡をしてくださいと何度も言ってるではありませんか」
ティアラローズがやれやれと溜め息をつきたくなりながら告げるも、アカリはあっけらかんとしている。
「まあまあ、いいじゃないですか。さ、ハルカ。ご挨拶は?」
アカリがそう告げると、ハルカが後ろからおずおずと一歩前に出て、ちょこんと頭を下げた。
「ハルカ・ラピスラズリ・ラクトムートです。どうぞよろしくお願いします」
「とても上手に挨拶できましたね。ティアラローズ・ラピス・マリンフォレストです。よろしくね、ハルカ君」
「……はい!」
ティアラローズが笑顔で返事をすると、ハルカも嬉しそうに笑顔をみせてくれた。
「……とりあえず、アカリ様たちの部屋を用意しなければいけませんね」
テーブルの上のベルを手に取り慣らすと、すぐにフィリーネがやってきた。
「お呼びでしょうか、ティアラローズ様――アカリ様!?」
「……また突然いらしたのよ」
驚くフィリーネに、ティアラローズは苦笑するしかできない。
そもそも、アカリもよく案内もなくティアラローズの自室までやってこれたものだと思う。きっと王城の者たちがアカリをよく知っていることもあり、何も言われなかったのだろう。
なにせ、アカリはティアラローズの親友だから。
ティアラローズの侍女、フィリーネ・コーラルシア。
アクアスティードの側近エリオットと結婚し、今は三児の母でもある。
昔からティアラローズの侍女をしてくれていて、一番信頼のおける女性といっても過言ではではない。
「フィリーネ、来賓室の準備をお願いしてもいいかしら?」
「もちろんでございます」
フィリーネは一礼すると、すぐ準備に向かってくれた。
「そういえば、アカリ様はハルトナイツ殿下にここへ来ることはきちんと伝えているのですか?」
ティアラローズが不安要素を問いかけると、アカリは「もちろんですよ!」と笑う。
それがもちろんだと分かっていたら、こちらも苦労はしないのだけれど。ティアラローズは「よかったです」とほっと息をつく。
「それにしても、今回もいきなりですけれど……何かありましたか?」
ティアラローズがここへ来た理由を問うと、アカリはあっけらかんと笑って「そろそろかな~と思って!」と思わせぶりなことを言う。
――そろそろ?
にまにま笑っているアカリは、自分の考えていることが嬉しくて仕方ないといったところだろうか。
一体何を考えているのか。その笑顔からティアラローズはあまりいい予感がしない。
なぞなぞのようなことを言われてしまった。
かと言って、今は両国に何か重要な案件があるわけでもないし、記念日のようなものがあるわけでもない。
全く思い当たる節がないぞ、とティアラローズは頭を悩ませる。
すると、アカリが待ち切れずに正解を口にした。
「そろそろハルカとルチアちゃんの婚約をしてもいいかなと思って、ハルカを連れてきたんです!」
「……!」
全く予想していなかったアカリの言葉に、ティアラローズは驚くとともにがくりとうなだれる。
まさか婚約の申し込みに本人を連れて突然現れるとは誰も思わない。
本来ならばまずは書面で婚約の申し込みをしてくるはずなのだけれど、そういった常識はアカリに通じないようだ。
というか。
「アカリ様。以前も婚約しましょうと言っていましたけれど、それはお断りしたではありませんか。ルチアももう十歳ではありますが、まだまだ婚約者をつけるには早いと思っていますし、ルチアの気持ちを大事にしたいと思っていますから。それは、ハルカ君だって同じでしょう?」
ティアラローズが厳しく返すと、アカリは痛いところを突かれたという顔をした。
「それに、ハルトナイツ殿下は理由をご存知なんですか?」
すると、さらにアカリは痛いところを突かれた顔をした。
どうやらマリンフォレストに来ることは伝えましたが、ルチアローズとハルカの婚約に関する話をするというのは伝えていなさそうだ。
「いくらアカリ様でも、ハルトナイツ殿下に許可なく婚約を進めるのはよくないと思いますよ?」
ティアラローズ嗜めると、アカリの眉毛がへにょへにょへにょと下がってしまう。
「うー、すごくいい案だと思うんですけど! だってだって、ヒロインと悪役令嬢の子どもが婚約、そして結婚! こんな夢のあることってないですよね? ほかにあります!?」
「まずは子どもの意思が一番ですよ。二人が仲良くなって、互いに恋をして想い合うというのであれば、わたくしだって反対はいたしませんけれど……今はまだそういった時期ではないでしょう?」
「それはまあ、そうですけど。でもでも、幼なじなじみポジションになるには、ちょっと距離が遠すぎるんですよね」
マリンフォレストとラピスラズリは馬車で何日もかけて移動しなければならない。そのため、アカリやハルカが気楽に来れるわけではないのだ。
「ルチアは騎士団の鍛錬に混ざっていますから、まずはその様子を見るところから始めてみたらどうですか?」
「それいい! よーし、ハルカ、ルチアちゃんに会いにいくよ~!」
そしてアカリはハルカを連れてあっという間に去っていった――。




