13. キースの祝福
グリモワールからごうっと炎が燃え上がり、森の書庫に叫び声がこだまする。そんな中だというのに、静かに紡がれたキースの声はよく通った。
ティアラローズは大きく目を開いて、キースを見る。アクアスティードも同じように驚いてキースを見ているが、キースはそれを全く気にしていないらしい。
涼しい顔でアクアスティードに抱き上げられているルチアローズの下まで行き、その額に人差し指で触れた。
すると、ルチアローズが淡い黄緑色に光り、キラキラと光が舞った。その光はルチアローズからあふれ出て、火を吐き続けるグリモワールを包み込む。すると、グリモワールの表紙部分の花の色の濃さが増し、蔦が伸びてルチアローズの腕にしゅるりと巻き付いた。
「……これで魔力の調整もできるはずだ」
キースはそう言うと、「大丈夫だから落ち着け」とルチアローズの頭をぽんぽんと撫でた。そしてグリモワールを見て喝を入れる。
「ルチアの魔力は確かに大きいが、制御できないものじゃない。俺が祝福を与えたことにより、制御もしやすくなっているはずだ。森の書庫の意志ある本として、できないとは言わせないぞ」
〈私はマリンフォレストのすべてを記した歴史書ぞ! 姫の魔力ごときで暴走しはしないっ!!〉
グリモワールがくわっと吠えると、黄緑色の光が弾けて飛んだ。
いったいなんの変化があったのかと目を凝らせば、グリモワールから出ている蔦がルチアローズの魔力と繋がっているではないか。
「ど、どういうこと!? キース!」
「俺の祝福で、ルチアをグリモワールの主人にした。グリモワールの蔦はルチアの魔力と繋がったから、今後は魔法も失敗しないで使うことができるだろうよ」
「え、ええぇぇ!?」
この一瞬でとんでもないことがされたと知り、ティアラローズはどうしていいかわからず再びその場にへたり込んだ。
つまりルチアローズは、自身でも魔法が使え、グリモワールの魔法も兼ね揃えているということになる。騎士になったら最強では? と、ティアラローズは息を呑む。
――でも、キースが助けてくれたのよね。
そのことに関しては、感謝しかない。
ルチアローズが生まれたとき、キースだけが祝福を与えなかった。一番に与えられなかったから拗ねてしまっただけなのだけれど……淑女になったら贈ると言っていた。
まだ淑女にはほど遠い子どもだけれど、こうしてルチアローズの危機に助けになる祝福を贈ってくれたことを嬉しく思う。
――代わりといったらあれだけれど、わたくしのお菓子の妖精王の祝福をルチアが淑女になったときに贈ろう。
それならば、キースとの約束も少しは守れそうな気がする。
ティアラローズはキースに起こしてもらって、アクアスティードとルチアローズの下へいく。すぐにルチアローズを抱きしめると、「お母さま~」と抱きついてきた。
「ごめんなさい、わたし……グリモと一緒に魔法を使ってみよって話して……それで……もっと強くなって、役に立てるな……って」
それで火を欲していたレヴィのためにグリモワールと一緒に火の魔法を使ったのだとルチアローズが一生懸命説明をしてくれた。
優しい気遣いだということはわかるけれど、さすがに心臓に悪すぎた。
ティアラローズはルチアローズの背中を優しく撫でながら、「頑張ったのね」と微笑む。しかしそれと同時に注意することも忘れない。
「魔法は一つ間違えたらとても危険なものだから、使う前にお父様に相談してちょうだい」
相談相手はティアラローズでもいいけれど、魔法の扱いに長けているのはアクアスティードだ。最終的な判断を下すのは、アクアスティードの方が適任だ。
ティアラローズの話を聞いたルチアローズは、しっかり頷く。
「……うん」
「きちんとわかってくれたのね。偉いわ、ルチア」
「相談するのは魔法のこと以外でもいい。ルチアが何か思うことがあれば、いつでも私に話してごらん」
食事のときでも、休みのときでも、なんなら仕事中に時間を作ることだってできる。アクアスティードの言葉に、ルチアローズはほっとしたように微笑んだ。
「それから……祝福をして助けてくれたキースにお礼をしないとね」
「うん」
ルチアローズは一人で立つと、自分の隣を見た。そこには蔦で繋がれたグリモワールが宙に浮いている。
〈姫……申し訳ない。私の力不足だ……どんな騎士かなど、偉そうなことを言ったのに……〉
「うぅん。グリモワール……グリモのせいじゃないよ! わたし、グリモと騎士のお話できて楽しかったもん」
先ほどと違って、ルチアローズに笑顔が戻っている。にこっとしながら、「一緒に行こう」とキースの下へ歩き出した。
グリモワールも〈んむ〉と返事をして、ルチアローズの後ろへ着いていく。二人を繋ぐ蔦は、まるで手を繋いでいるみたいだ。
「ありがとう、キース。でも、祝福……よかったの?」
「子どもがそんなこと気にすんな。ルチアが助かるなら、祝福なんて安いもんだ」
「……っ、うん」
ルチアローズはキースにぎゅっと抱きつくと、涙を流して何度も「ありがとう」と口にする。本当に怖かったのだ。
普段はあまり気にすることなく魔法の力を使えるけれど、今回はグリモワールと一緒という、いつもとは違う状況だった。そのため上手くいかず、動揺してしまった。
キースがよしよしとルチアローズのことをあやすと、グリモワールがキースの横に行く。そして項垂れるように、本の上の部分が前に倒れた。
〈不甲斐ない私を助けてくれたこと、感謝する〉
「……ったく。これにこりたら、ちゃんと練習するようにしろよ」
〈そうしよう〉
キースとグリモワールも問題なさそうに話しているが、ティアラローズは心の中でちょっと待って!? とツッコミを入れていた。
――ちゃんと練習するって何!? ルチアと!?
なんだか危険で嫌な予感がしたけれど、確かに今後のことを考えるとグリモワールにはきちんと魔法を使えるようになってもらっていた方が安心だ。
心配と練習した方がいいという気持ちがぐるぐるする。すると、アクアスティードが「大丈夫」とティアラローズの肩を抱いた。
「ルチアは私たちの娘だから、すぐに覚えるよ。……それに、何かあったときのために魔力の扱いには慣れていた方が安心だ」
「そう……ですね。わたくし、親として全力でルチアを見守ります!」
ルチアローズ自身はもちろんそうだが、シュティルカとシュティリオにも魔力問題が起こる可能性はある。だから備えておくに越したことはないのだ。
ティアラローズとアクアスティードもキースのところへ行き、泣いてしまったルチアローズのことを撫でて「一緒に頑張りましょうね」と可愛いおでこに優しくキスをした。
***
それから数か月。
王城にある騎士の鍛錬場の片隅で、可愛らしく、しかし力強い声が響く。
「グリモ、行くよ! 空に虹をかけられる水しぶきのページ!」
声を発したのはルチアローズだ。
その横にいるグリモワールのページがぱらぱらめくられて行き、目的のページでぴたりと止まる。そのページの文字は、淡い水色に光っていた。
「我が願いを叶えよ、ウォーター!」
ルチアローズの声とともに、グリモワールの魔法が発動し、しぶきが舞い上がる。太陽の光に反射して、空に虹がかかった。
〈上手くいったな、姫!〉
「すごいすごい!」
見事な虹がかかったのを見て、ルチアローズはぴょんぴょん跳ねてグリモワールと一緒に喜ぶ。
そんな様子を、ベンチに座ってティアラローズとアクアスティードが眺めていた。
「すごいわ、ルチアの魔法の腕がめきめき上がっていくわ……」
「パール様の祝福で、水の魔力が強化されているからね」
「そうですね」
ティアラローズは驚きつつも、内心ではほっと安堵する。
――わたくしは魔力が上手く使えなくて、苦労したもの。
特にルチアローズの魔力は大きいので、失敗したり上手くいかなかったりすると危険も伴ってくるだろう。
上手く魔法を成功させたルチアローズは、グリモワールと一緒にこっちへ走ってくる。大きく手を振って、笑顔満開だ。
「お父さま、お母さま、わたし……魔法騎士になる!」
「魔法騎士!?」
ルチアローズの言葉に、ティアラローズは驚きつつも格好いい! と、ちょっとだけテンションが上がる。
――アクアの娘だもの、絶対に剣も魔法も一流に違いないわ!
ちょっと親ばかが入っているかもしれないが、ルチアローズの新しい夢を応援したいとティアラローズは思う。
本来ならばルチアローズは王女なので、自由に騎士になるのは難しいかもしれないが……アクアスティードと話をして、好きなことをやらせてあげたいねと話をしたのだ。
ルチアローズの魔法騎士になるための鍛錬が終わったあと、ティアラローズはアクアスティードの執務室にやってきた。
ティアラローズがソファに座ると、メイドが紅茶を用意して退室する。今はアクアスティードとエリオットしかいない。
「今日の午後の会議で承認が下りる予定だから、先にティアラに話しておこうと思ってね」
「会議で、ですか」
どうやら重要な話のようだと、ティアラローズはごくりと唾を飲む。
――グリモワールのことかしら? それとも、お菓子の妖精関連?
もしかしたら何か苦情でもきたのではないだろうかと思ってしまったが、アクアスティードの表情や口ぶりは柔らかい。
むしろ、何かいいことがあった……そんな様子だ。
「ティアラも喜ぶと思うよ」
アクアスティードから資料を渡されて、ティアラローズは目を通す。今日の会議に通すだけあり、綺麗にまとめてありわかりやすく――
「……オリヴィア様が伯爵になるのですか!?」
その内容に、ティアラローズは目を見開いた。
資料には、オリヴィアがマリンフォレストの歴史書へ大きく貢献したことや、王城の地下通路などの情報を提供したことなどが主な理由としてあがっている。
そのほかにも、オリヴィアはマリンフォレストの地層を調べて本にしたり、いろいろな活動をしていたのでそれも評価に入っている。
――爵位を持つ女性がいないわけではないけれど、叙爵されるのはすごいことだわ!
「オリヴィア嬢には何度も助けられているからね。……それに、結婚前だ。あれだけの情報を持っているオリヴィア嬢が他国に嫁いでしまうのは国としてあまりよしとはできないからね」
そのため爵位を与える、というのも理由の一つにあるようだ。
マリンフォレストで爵位を与えれば、国に不利益になることはしないだろうという安心材料がほかの貴族へ向けて必要なのだろう。
「……オリヴィア様は、この世界を隅々まで愛していますからね」
ティアラローズはくすりと笑って、資料をテーブルに置く。
「わたくしはとてもよいと思います。オリヴィア様の知識はきちんと評価されるべきですから。ただ、オリヴィア様がどう思われるかは……わかりませんけれど」
以前、オリヴィアは結婚するなら伯爵家の次男あたりがいいと言っていた。忙しすぎると聖地巡礼をしたり、この世界を堪能する時間がないからだ。
もしかしたら、女伯爵なんてとんでもない!! ――と、辞退しようとするのでは? とすら思えてしまう。
そこまで考えると、ティアラローズはとたんに不安になる。
「オリヴィア様は伯爵になってくれるでしょうか? 自由時間が減ってしまうから嫌だと言いそうで仕方がないのですが」
ティアラローズの主張に、アクアスティードと後ろに控えるエリオットが苦笑する。それは二人とも思ったことのようだ。
「その問題は大丈夫だ」
「そうですか? ならよかったですけど……」
オリヴィア本人にすでに確認しているのかな? と、ティアラローズは考えたが――実際は、レヴィがオリヴィアの叙爵の機会を見逃すわけがない……というものだ。
レヴィはオリヴィアに心酔している。
オリヴィアのことを守り、その望みは必ず叶える――というのがレヴィの望みだ。けれどたった一つだけ、オリヴィアに求めていることがある。
それは、いつまでもオリヴィアに気高いままでいてほしい……というものだ。
オリヴィアから聞いた話によると、追放エンドを目指したら家督を継いで公爵になってほしいとレヴィに言われたそうだ。
そんなことを少し思い出したティアラローズは、なんだか波乱の予感がするのだった……。




