6. たった一人の直系
「あぁ〜アクア様に会いたい!」
「ティアラローズ様、その姿で寝台へ寝転がらないでくださいませ」
「あ……そうね。ごめんなさい、フィリーネ」
宴を終えて部屋へ戻ってきたティアラローズが寝台へダイブしたところで、フィリーネから注意の声が飛んできた。せっかくの砂漠のドレスが、洗濯するとはいえ皺になってしまう。
ティアラローズは寝台に座って、ふうと息をつく。
「お会いしたいのはわかりますけど、きっとアクアスティード陛下もこちらへ向かっているはずです」
「そうよね。……アクア様ったら、行程を短縮するために馬車じゃなくて馬で行くなんていうから、驚いたわ」
もちろんそんな無茶はしてほしくないので、必死に止めたけれど。
「愛されている証拠ですよ、ティアラローズ様。着替えますか?」
「……せっかくだから、もう少しこのままでいようかしら。露出度は高いけれど、砂漠のドレスは初めてだから新鮮で」
「アクアスティード陛下にもお見せしたいですね」
「……それはちょっと恥ずかしいかもしれないわ」
フィリーネの言葉に、ティアラローズは照れたように苦笑する。
あの金色の瞳にまじまじと見られたら、どうなってしまうだろう。間違いなく羞恥心で真っ赤になってしまうと、ティアラローズは頬を膨らませる。
宴など公の場で着用するのであればなんの問題もないが、好きな人の前だと、どうしてもそんな風に思ってしまう。
そんなティアラローズを見たフィリーネは、見れなかったアクアスティードのためにぜひ機会を作ってあげなければと考える。もちろんそのことはティアラローズには内緒だ。
「わたくしは湯船の様子を確認してまいりますね」
「ええ、お願いね」
フィリーネが退室したのを見送って、ティアラローズはバルコニーへと出る。
用意された部屋は三階にあり、今は満点の星空ということもあって景色がとてもいい。サンドローズの宮殿の庭や街並みを一望することが出来るのだ。
夜の空気は少し肌寒いけれど、上着を取りに戻るほどではない。
そしてふと、先程サラヴィアが告げた言葉を思い出す。
――サラマンダーは存在する、か。
あんなにすんなり教えてくれるとは思わなかったので、思わずティアラローズから笑みが溢れる。
「会いたいけど、わたくしが関わるのは駄目だものね。我慢しないと」
そう言いながらのんびり夜景を楽しんでいると、視界の片隅に金髪が映った。どうやら、サラヴィアが庭園にいるらしい。
こんな時間にいったい何をしているのかと、ティアラローズは首を傾げる。
サラヴィアを視線で追っていると、水辺へ足を踏み入れた。そしてそのまま、中央に設置されている女神像の下まで歩いて行く。
女神像は少し褐色の色がまざっているので、おそらく砂漠の鉱石から作られたものだろう。美しい肢体に布を纏い、大地に向けて祈りを捧げている。
「……何をしているのかしら?」
もしかして酔っ払い? そうティアラローズがとらえてしまっても、仕方がないだろう。確か彼は、かなりの量のワインを飲んでいたはずだ。
「誰かに伝えた方がいいかしら……。でも、フィリーネは外しているし」
うぅ〜んと悩んでいると、サラヴィアの手が女神像に触れた。
すると、淡い赤色で女神像が輝く。闇世の中で光るそれはとても神秘的で、まるで女神がもたらす奇跡のよう。
「え?」
ティアラローズは目を瞬かせて、まじまじとサラヴィアと女神像を見る。酔っ払っていると思っていたのは、とんだ勘違いだったらしい。
あれは、そう――儀式なのではないだろうか。
「サラマンダー様を目覚めさせ……いえ、再び眠らせるためのもの?」
無理やり目覚めさせる必要はないだろうと、ティアラローズは自分の考えに首を振って否定した。今回の祭典の趣旨を考えると、サラマンダーのために何かしているのだろうと思った。
――でも、祭典まではまだ日数があるのに。
「…………ん?」
ティアラローズがじっとサラヴィアの様子を伺っていると、その体がふらりと揺れた。
「サラヴィア陛下……っ!?」
そしてそのまま、ばしゃんと飛沫をあげてサラヴィアが倒れた。
かろうじて意識はあるようで、起き上がろうとしたが……そのまま水の中に座り込んでぐったりしてしまった。いつ気を失ってしまってもおかしくない状況に見える。
「……っ! いけない、すぐにいかないとっ」
ティアラローズが慌てて部屋を飛び出すと、扉の前で護衛をしていたタルモがぎょっとする。
多少の無茶をするが、普段からお淑やかな主人が慌てているなんていったい何事か。タルモはひとまず事情を聞くために口を開こうとしたが、すぐに「急いでるの!」と声を荒らげるティアラローズの気迫にたじろぐ。
しかし、だからといって理由も聞かず主人を行動させるわけにはいけない。マリンフォレストであればいいが、ここは他国なのだ。
「ですが、ティアラローズ様――」
「いい、俺がつくからお前はここで待機していろ」
「……っ!?」
タルモが進言しようとして、しかしすぐに後ろから肩を掴まれた。
「っ、キース様!?」
「まったく、うちのお姫様は大人しくしてるってことを知らないのかね」
慌てて廊下を走って行くティアラローズの後ろ姿を見ながら、キースはくつくつ笑う。そしてゆっくり、彼女の後を追いかけた。
***
宮殿からもれる光と、月明かり。
その二つしかないはずなのに、やけに明るく感じるのはなぜだろう。水でぐっしょり濡れてしまった衣服のせいで、氷のように肌が冷たい。
サラヴィアは座っているのも億劫になってしまって、そのまま水辺へ寝転んだ。浅い作りになっているのが幸いし、溺れることはない。
「……へいか、サラヴィア陛下!」
「ああ……ローズか」
遠くから聞こえた声に気付き、どうりで明るく感じるはずだなと思う。彼女がいる場所は、どこも暖かく、光に満ち溢れている。
「サラヴィア陛下、大丈夫ですか!?」
「格好悪いところを見られちゃったなぁ……」
「何を言っているんですか! すぐ、部屋に行きますよ!」
ふざけたことを言うんじゃないと、ティアラローズはサラヴィアを一喝する。
冷たくなった肌に触れて、このままでは凍傷にでもなってしまうかもしれない。すぐにお湯の用意が必要だと思い、周囲にいるであろう側近か使用人に声をかけようとして――
「……って、どうして宮殿なのに誰もいないんですか」
「俺が人払いしたから? それから、こんな姿を見られるわけにはいかないから、人は呼ばないでほしいかな」
「え? でも、この状況じゃ……」
サラヴィアが歩けるようには見えないので、誰かに運んでもらわなければならない。しかし人を呼ばないとなると、移動することもままならない。
――どうしよう。
サラヴィアが人払いしてまで行っていたことだから、かなり重要なことをしていたのだろう。それを倒れて具合が悪そうだからと、ティアラローズの一存で人を呼ぶ事は出来ない。
彼がしていたことを、すべて無駄にしてしまうかもしれないからだ。
「俺が運んでやるから、さっさと移動するぞ」
「キース!」
やれやれとため息をつきながら、キースが倒れていたサラヴィアを担ぎ上げる。
「お前はあれだけ無茶しないっつったことを、もう忘れたのか?」
「これは無茶じゃなくて当然でしょう!? だって、目の前で人が倒れたら助けにいかないと」
「はいはい」
ティアラローズが当たり前だと告げると、キースはさっさと歩き出してしまう。サラヴィアが苦しそうに呻いているが、そんなことはお構いなしだ。
「もう、キースってば……。でも、ありがとう」
口では助けなければよかったようなことを言われてしまったが、キースはこうして追いかけてきてくれて、サラヴィアの面倒もみてくれた。
お礼の言葉を聞き、キースは「おう」と一言だけ返事をして手をあげる。
「さっさと行くぞ。確か湯浴みの準備がされてるみたいだから、そこに放り込めばいいだろ」
「えぇっ!? さすがに皇帝陛下にそれは乱暴なんじゃ……」
「俺は妖精王だぞ?」
「あっ、はい……」
ティアラローズが慌ててキースを制止しようとするが、妖精王だと反論されてしまっては叶わない。一国の王より妖精王の方が一般的に上だとされているのだ。
庭園から宮殿の中に入り、ティアラローズのためにフィリーネが準備していた浴場までやってきてしまった。
お湯が張られているため、浴室にいるだけでもほわりと体が温まる。サラヴィアも、小さく息をついた。
しかしそれよりも何よりも、浴室にいたフィリーネが驚いて悲鳴に近い声にならない声をあげた。
「――っ!? いったい、何が……っ! サラヴィア陛下!? す、すぐに医師を……っ!!」
「待って、フィリーネ。ひとまずこの事は内密にしてほしいの」
「えっ!?」
フィリーネがティアラローズの下へ行き慌てて提案するのと同時に、どぼんという音と盛大な飛沫があがった。キースが本当にサラヴィアを湯船に投げ入れたようだ。
「ゲホッ、ごほ……はぁっ」
「ったく軟弱だな。魔力が少ないくせに、あんな無茶するからだろ」
「はっ、はぁ……お見通し、でしたか」
キースの言葉に、湯船に座りこんだサラヴィアが自嘲めいた笑みで答える。
どうやら、キースはサラヴィアが何をしていたかわかっているようだ。ティアラローズにはわからないが、ひとまずフィリーネを下がらせる。
サラヴィアがサンドローズの面々にも告げずに行っていたのだから、不用意にマリンフォレストの人間が内容を知るわけにはいかない。
――というか、わたくしも退室した方がいいんじゃないかしら?
冷え切ったサラヴィアはこのまま風呂に入ってしまえばいいと、ティアラローズは考える。
なのでこっそり退室しようかなと思ったけれど、そこはやはりというかなんというか、サラヴィアから待ったの声がかかる。
「ちょっと子猫ちゃん、放置して行くなんて酷いんじゃない?」
「……だって、サラヴィア陛下びしょ濡れじゃないですか。ひとまずお休みになられた方がいいかなと」
「でも、礼くらいは言わせてくれたっていいだろう?」
サラヴィアはまだ疲れているようだが、先程よりは少し顔色もいい。
確かに何も告げずに退室するのは失礼だったと、ティアラローズは苦笑しながら頷いた。
「まずは礼を。ありがとう、助かったよ。さすがにあのままじゃ、凍死してたかもしれないしね。キース様も、駆けつけていただきありがとうございます」
「本当に、ご無事でよかったです」
「俺は護衛代わりにティアラについてただけだ」
ひとまず落ち着いたことにほっとして、ティアラローズは聞いていいものかと思いつつもサラヴィアへ問いかける。
「それで、いったい何をしていたんですか?」
「…………」
しかし、サラヴィアは笑みを浮かべるだけで返事をしない。
――わたくしに聞かれたくないこと?
こてんと首を傾げ、ちらりと理由を知っていそうなキースを見てみる。……と、割とどうでもよさそうに欠伸をしていた。
まったくキースは……と思いつつ、しかし先程の魔力を使いすぎと言っていたことが引っかかる。
――もしかして、サラマンダー様に魔力を与えていたのでは?
単純かもしれないけれど、ティアラローズはそう考えた。他者に魔力を与えるという行為は、ゲームでは鉄板のお決まり展開なのだ。
それに、タイミングもちょうどいい。
キースはサラヴィアのことを、『魔力が少ない』と言った。
「もしかして……サラマンダー様に与えるための魔力が足りない?」
「――! なんだ、子猫ちゃんにはなんでもお見通しか」
「え、ただの予想だったのですが……当たりだったんですか!?」
「って、予想とか。じゃあ、俺はまんまと墓穴を掘ったってわけか」
サンドローズの皇帝だというのに、まさかティアラローズのもらした呟きに正直に答えてしまうなんて。やはり魔力を消費しすぎて疲れていると、サラヴィアはうなだれる。
しかしサラヴィア以上に、今度はティアラローズが動揺する。
――え、魔力が足りてないって大丈夫なの?
かなり一大事なのではないだろうかと、ティアラローズの中で不安が大きくなっていく。クレイルたちの話によると、過去は問題なくサンドローズの王族が対処していたと言っていたのに。
――あ、そうか。
サラヴィアの魔力が少ないせいで、サラマンダーに与えなければいけない魔力量を確保出来ないのだ。それであれば、サラヴィアが今しがた倒れた原因も……魔力を使いすぎたせいだと説明することが出来るし、キースの言っていた通りだ。
「その、差し出がましいことを言うようですが……サラヴィア陛下以外に、サラマンダー様に魔力を与えてくれる方はいらっしゃらないのですか?」
「……残念ながら、いないんだ。魔力を与えることが出来るのは、波長が合う人間だけだ。サンドローズだと、直系の王族だけだな」
「そんな……」
どうしようもないという空気に、ティアラローズは眉を寄せる。
そして思い出すのは、サンドローズの歴史。
この国は建国当時から一夫多妻制であり、今では恋愛大国と呼ばれていた。ティアラローズは、そのことに対して、自分は一人占めしたいから複数も奥さんがいる人は嫌だ……と、軽く考えていた。
――でも、今のサラヴィア陛下を見たらその理由がよくわかる。
一夫多妻制にしたのは、直系の王族を一定数確保しておくためではないだろうか。
それは、サラマンダーが目覚めたときに魔力を与えるための人間が必要だからだ。おそらく歴史の中で目覚めたサラマンダーは、複数の王族から魔力を与えられて再び眠りについたのだろう。
けれど今は?
魔力を与えることの出来る王族は、サラヴィアしかいないではないか。
彼の両親はすでに他界しており、兄弟もいない。今の直系の王族は、サラヴィアたった一人だ。
チャラいと言ってしまったけれど……本当はそんな理由があったのだとしたら? 自分は、サラヴィアの王族としての責務を否定してしまった。
ティアラローズはぐっと拳を握りしめて、安易に考えてしまった自分のことを恥じる。
どうにかして、力になれないだろうか。
そう思ったとき、ふと――サラヴィアに告げられた言葉が脳裏に蘇る。
『妖精に愛された姫は、精霊にも愛されるんだな』
瞬間、悟ったような気がした。
ティアラローズは小さく深呼吸を行なって、サラヴィアを見つめる。
「でしたら、わたくしの魔力をサラマンダー様に捧げさせてください。きっと、わたくしの魔力はサラマンダー様と波長が合うはずです。……違いますか?」
「……いいや、違わない。本当に、子猫ちゃんには参るな。なんでもお見通しなんて、ずるいだろ」
そう言って、サラヴィアが笑う。
「感謝するよ。子猫ちゃん……いや、ティアラローズ」
「はい」
本当に、サラヴィア一人の力ではどうにもならなかったのだろう。すっと頭を下げて、ティアラローズの申し出に礼を告げた。
「贈ったその宝石は、サラマンダーの涙から生まれていると言われている」
「これですか?」
「そう」
ティアラローズは自分の胸元に光る宝石を見て、まさかそこまで価値のあるものだったとは……と、持っていたことに青ざめる。
「前より、色が鮮やかで美しくなってるだろ? それは、子猫ちゃんの魔力波長がサラマンダーと合って、その宝石に少しずつ魔力を溜めていってるからだ」
「この宝石には、そんな意味があったんですね……」
――ん?
つまり最初から、ティアラローズの魔力波長がサラマンダーに合うのかどうか確かめられていたということだ。
――もしかして、このためにマリンフォレストへ来たのかしら?
普段チャラくしているサラヴィアの真意は、とてもわかりにくいな――と、ティアラローズは改めて思うのだった。




