気遣い
「安心して。全部が爆破されたわけじゃない。校舎のまだほんの一部で済んでるわ」
月影先生は早絵の震える手を優しく包み込むように握って続けた。
「怖がらなくて大丈夫よ」
早絵の手がゆっくりと温もっていく。
先生の手から伝わってくる優しい温もりに、早絵の心も少し和む。
恐怖が、不安が徐々に和らいでいく。
早絵はようやく落ち着くことができた。
思い切って先生に聞いてみることにした。
「先生、それで何でいきなり爆破されたんですか?」
「それが、まだ何もわかってないの」
「……え?」
先生は早絵の言葉に悲しそうな顔をして俯いた。
その表情からはやりきれない無念さが感じ取れた。
「私たちが学校管理を怠ってしまった。だからこんな事故が起こってしまったのよ……」
先生は早絵の手を握っている手と反対の手を力強く握りしめる。
彼女の拳が震えていた。だがそれは恐怖によるものではない。
怒りや苦しみによるものだ。
「先生……」
早絵は悔しそうに俯く先生を見つめて、先生の拳に手を重ねた。
「先生のせいじゃないです! だって、悪いのは学校を爆破させた人で……」
「それがね、陰陽寺かもしれないの」
「陰陽寺くん、ですか?」
「……ええ」
早絵は大雅の名前を聞いた瞬間にあの日のことを思い出した。
あの鋭い三日月が空に浮かんでいた夜に、早絵は刺されたのだ。
それを思い出した瞬間、あの時の鈍い痛みが早絵のお腹を襲った。
(痛い……!)
早絵は急いでお腹をさする。
だが先生に気づかれると迷惑をかけてしまうと思った早絵は、一瞬だけお腹に手を当ててあとは痛みが治まるのを待つことにした。
だが痛みは容赦なく続き、とても我慢し続けることなど不可能に思えた。
(何で? もう傷は痛まないって先生言ってたのに……)
なおも続く痛みに思わず顔が歪んでしまう。
月影先生はそれを見逃さなかった。
「どうしたの? 古橋。どこか痛い?」
「あ、大丈夫です。もうなくなりました。気のせいだったみたいです」
その言葉は嘘ではなかった。
実際痛みを感じてから数秒で嘘のように痛くなくなった。
(気のせい……だったのかな)
早絵は自分のお腹を見つめた。
「古橋?」
先生が心配そうに見つめてくる。
「あ、すみません! 気のせいだったのかなってちょっと考えてて」
「そう。何かあったらすぐに言うのよ」
「はい。ありがとうございます」
「いいのよ。気にしないで」
そう言って月影先生はふんわりと笑った。
先生は普段あまり笑う方ではない。
口調こそ穏やかだが、基本真面目でクールビューティーな感じの出で立ちだ。
(先生が笑うの、初めて見たかも……)
早絵は先生の「初めて」を見られた気がして何だか嬉しかった。
だが直後にハッと気づく。
(違う違う! 今は学校のこと聞かなきゃ!)
「あの、先生」
「ん?」
先生が優しい笑顔をこっちに向ける。
早絵は続けて質問をした。
「何で陰陽寺くんが疑われてるんですか? ……あ、えっと、別に陰陽寺くんじゃないって思ってるわけじゃなくてただ純粋に気になっただけなんですけど」
「今、生徒のみんなには公民館で待機してもらってるの。点呼も終わってる。でもね、陰陽寺だけがあの場にいなかったの」
「……え? 何で」
早絵は不思議だった。
なぜ学校が爆破されたのに大雅は集合場所と指定された公民館にいなかったのだろう。
やはり先生の言うように、大雅が爆破事件の犯人なのか……?
でも仮にそうだとして大雅が学校を爆破する動機は一体何なのか。
早絵が刺されて入院する前に急に学校に来なくなったことと関係しているのだろうか。
もしかしたら休校の期間を使って学校を爆破する計画を立てていたのかもしれない。
不意に月影先生が言葉を発した。
「今、先生たちで話し合って学校にもう一回行くかどうか検討してる」
「……ありがとうございます。先生、もう行ってください。みんな心配してますよ」
「大丈夫よ。病院に行ってこいっていうのは校長命令だから」
「そうなんですか?」
先生は笑顔で頷いた。
「実はね……」
先生はその時の出来事を早絵に話した。
※※※※※※※※※
実は月影先生が命令を下されたのは、爆発直後に先生が校長室に駆け込んだ時だった。
「今各担任の先生に見回りお願いしてるから月影先生も早く」
校長先生はいつになく真剣な表情だ。
「はい! わかりました」
先生は校長先生の言葉に力強く頷き、急いで校長室を出ようとした。
「月影先生」
「……はい」
急に呼び止められ、前のめりに倒れそうになっている先生を見ながら、校長先生は頬を緩めて言った。
「それが終わったら古橋のお見舞いに行ってあげなさい。そして辛いとは思うが、このことを伝えるんだ。でも決して古橋は公民館に行かせてはならないぞ。あの子は病院で安静にすべきだ」
「校長先生………」
「それも含めてよろしく頼む」
「はい!」
この切羽詰まった状況でも校長先生は早絵のことを忘れていなかった。
それどころか、この現場を離れてお見舞いに行くことさえ許可を出したのだ。
校長先生の気遣いに感動し、胸がいっぱいになる月影先生を見て、校長先生は言葉を加えた。
「おいおい、何で泣いてるんだ。涙はこの惨状が静まってみんなが生き残った時にとっておきなさい」
そう言われた先生は慌てて目尻を拭う。
「すみません」
だが彼女の鼻すすりだけは止まらなかった。
校長先生は呆れたように見せながら笑った。
「さぁ、生徒たちをよろしく頼むよ」
「校長はどうなさるんですか?」
「私は先に公民館に行って着いた生徒たちのことを見ておく。集合してもそこに教師がいなかったら生徒たちも不安だろう」
「ありがとうございます!」
先生は深々とお辞儀をした。
そしてその足で、生徒たちの見回りに向かったのだった。
※※※※※※※※※
「そんなことがあったんですね……」
そう言う早絵の目にも涙が浮かんでいる。
早絵には校長先生の気遣いが嬉しかった。
学校が爆破されてみんなが混乱している中で自分のことを忘れずに月影先生にお見舞いに行ってくるよう頼んでくれた。
感謝してもしきれない。
世界中の感謝を並べても足りるはずもない。
それくらい感謝の気持ちでいっぱいだった。
その感謝の気持ちとともに涙もたくさん溢れてくる。
身体は心よりも正直だ。心の状態はすぐに身体に現れる。
泣きたい気持ちを堪えて無理に笑っている時も後から徐々に涙が溢れてくる。
何か悲しいことがあってもそれを吹き飛ばすくらいの嬉しいことが起こったらたちまち笑顔とともに心が晴れる。
早絵の身体も同じだった。
先生の前で泣きたくはないと力を入れていたが、そんな努力もむなしく、涙は流れてしまった。
でも先生は笑いながら早絵の目尻を拭ってくれた。
殺風景な病室で、二人の笑顔が弾けていた。
それはこれから起こることを予測して、それでも笑顔でいようという決意の表れでもあったのだ。
だが月影先生はその笑顔の裏である決意を固めていた。
(学校が爆破されたという事実だけでも古橋には荷が重い。本当は泣きたいはずだったのに私の前だからきっと我慢している。そんな古橋に、早乙女もいないなんて伝えたらどうなる……? ショックで倒れてしまうかもしれない……。まだこのことは伏せておこう)
※※※※※※※※※※
「どこに行く気だ」
大雅の後を歩きながら、悠希は大雅に尋ねる。
ついてこいと言われたからついて行っているものの、これからどこにたどり着くのか全く見当がつかない。
ただひたすら後を追っているだけだ。
ふと大雅が足を止めて立ち止まった。
背中にぶつかりそうになるのを何とか堪えて悠希は大雅に言った。
「おい、何で急に止まるんだよ、危ないだろ」
大雅は振り返らなかった。だが涼しい声色で告げる。
「着いたよ」
悠希は驚いて前を見る。
そこには広い入口があった。見慣れた体育館の入口だった。
「体育館……?」
「そうだよ、僕が行きたかったのは体育館だ」
そこで大雅は初めて振り返った。
目と目が合う。
大雅は悠希を見つめた後、意味ありげに微笑んだ。
「僕たちが最初に出会った、本当の場所さ」




