涙の謝罪
(和泉さん、何であんなに冷たい目で凛のこと見てたんだろう……)
凛の自室へと向かっている途中で、未央は密かに先程の和泉の視線に疑問を抱いていた。
和泉という男は基本無表情で無口だが、冷たい印象は抱かなかった。ただ大人しい男性という印象が未央の中にはあった。
だからこそ見てしまった和泉の冷たい視線に疑問が生まれてしまったのだ。
「未央ちゃん、大丈夫?」
その声に未央がハッと顔を上げると、黒川が心配そうに未央を見下ろしていた。
「あっ、大丈夫です。ありがとうございます」
急いで取り繕い、お礼を述べる。
「良かった。未央ちゃんまで暗くなったのかと思ったよ」
黒川も微笑んだ。
「二人ともごめんなさい。あたしのせいでせっかくの予行演習も台無しになっちゃって……」
凛が二人に頭を下げた。
「あたしが森さんの会話聞かなかったらこんなことにもならなかったのに」
自責の念に駆られて歯を食いしばる凛の肩に優しく手を置いて、黒川が励ます。
「大丈夫。それに過去を悔やんだって仕方ないんだ。今は、何としてでも危機的状況を回避することを一番に考えよう」
「黒川さん……」
凛は一瞬目を潤ませたが、すぐに目尻を拭って笑顔で頷いた。
そして凛の部屋に到着した三人は、中に入った。
「はぁ、怖かった」
間近で弾丸が吹き抜ける風を受けた凛はへたり込んで体全身からと言ってもおかしくないほど大きく吐息。あの時は当然ながら恐怖心が何よりも勝っていたが、改めて思い出してみると自分が命を狙われている「かもしれない」と思っていた気持ちがなくなり、確実に命を狙われていると確信を持たざるを得なかった。
「やっぱり未央の言う通り、口封じに殺されるのかな……」
銃撃を目の当たりにした直後に放った言葉と同じ言葉が不意に口をついで出る。未央の忠告をあまり気にしないでいた自分が愚かに思えた。
「だ、大丈夫。凛は絶対私たちが守るから」
未央はそんな凛を元気付けるように力強く言った。
「うん、ありがと、未央」
凛は力なく微笑むことしかできなかった。
実際、自分のせいで二人の時間を削らせてしまったという事実が重くのしかかっていて罪悪感で胸が潰されそうだった。
凛があの時廊下で森が話しているのを聞いたとさえ告白しなければ、今頃三人で仲良く小型スマホの性能に感嘆しているところだっただろう。
森が組織のメンバー全員にわざわざ端末を手渡したということは、近いうちに地下組織全体で連絡を取り合いながら活動しなければならない時が来ることを意味しているに違いない。それは凛自身も分かっていた。
そのための大事ないわば訓練時間でもあった今日という日をめちゃくちゃにしてしまったことが何より申し訳なかった。
二人は笑顔で許してくれるが、本当に良いわけがない。
「ねぇ、二人とも」
不意に口を開いた凛を黒川と未央が見下ろした。
「やっぱり二人だけでも予行演習してきて」
「え? 何で?」
尋ねる未央に微笑みかけて、
「だって申し訳ないもん。あたしのせいで二人が予行演習っていう大事な機会を無駄にしちゃうなんて」
「それは凛ちゃんも同じじゃないか」
凛は黒川の言葉に首を振る。
「お願い。行ってきて。後であたしにコレの使い方教えてほしいな。あたし待ってるから」
精一杯の笑顔で二人に伝える。今の凛にはこれくらいしか二人への罪滅ぼしが思いつかなかった。
凛のせいで無駄にしてしまった数分間を埋め合わせるためにも二人には予行演習に行ってきてもらいたい。それが凛の願いだった。
「……お願いします」
凛は座ったままゆっくりと頭を下げる。
もしこのまま何もせずに時間だけが過ぎて予行演習自体が終了してしまったら二人に申し訳が立たない。凛の軽はずみな行動が原因で、今後の活動中に未央や黒川の身に何かあったら取り返しがつかないことになってしまう。それだけは嫌だった。避けたかった。
「嫌だ」
否定の気持ちを口にしたのは未央だった。
凛はパッと顔を上げて「何で……?」と呟く。何故行ってくれないのか。時間が惜しくないのか。凛のせいで時間が無駄になってもいいのか。何故嫌なのか。そんな疑問が次から次へと溢れてきた。
未央は唇を噛み締めて凛の目前にしゃがみ込んだ。今まで凛が見上げていた未央の顔が目の前に来る。
「凛を放っていけないから」
静かに、凛の目を真っ直ぐ捉えて未央は言った。
「でも申し訳ないよ!」
凛は思わず声を荒げた。吐き出した言葉とともに涙まで溢れてしまった。水滴が一粒、二粒と空中を舞う。
「あたしのせいで二人は貴重な時間を無駄にして、いざ動くってなった時に今回の予行演習をしてなかったせいで怪我した、とか任務失敗した、とか……。命、無くした……とか……」
最後の言葉は小さく脆いものになった。言いたくない。今は、口にしたくない言葉。だが可能性は大きかった。そんな可能性も充分に考えられる。
「もしそうなっちゃったら、あたし償えないよ。命が何個あっても足りない」
しゃくり上げ、大粒の涙を溢す凛を未央がそっと抱きしめた。
「大丈夫。そんなに気に負わなくても、大丈夫だから」
優しい声だった。だが凛の涙は止まらない。それどころか未央の優しい声を合図にもっともっと溢れ出てくる。
「私はまだこの組織のことよく分かんないけど、メンバーの方々だっていっぱいいるんだし、皆で協力したら簡単には死なないよ」
「未央……」
凛は未央の腕の中で子供のように泣きじゃくった。恐怖が、不安が、一気に膨れ上がった。
「こうなったらどうしよう」
「ああなったらどうしよう」
色々な未来を想像してしまって目の前が真っ暗になる。
「大丈夫」
未央はそう言って凛の頭を優しく撫でた。
たった三文字の言葉を繰り返しながら凛を労ってくれる未央。
彼女がただ愛おしい。凛をこうして抱きしめ、励ましてくれる未央がたまらなく愛おしかった。
「未央……」
泣きながら凛はまた未央の名前を口にした。
未央はそれに応じるように何度も何度も頷いた。
黒川も抱き合う二人の姿に目尻を熱くしていた。
「あのー」
不意に声がして、三人、特に抱き合っていた未央と凛は飛び上がって驚いた。
「お取り込み中失礼します」
突如、凛の部屋のドアがガチャリと開いて小学生くらいの小さな少女がひょこっと顔を出した。
「ど、どうしたの?」
どもりながら未央が尋ねると少女は一言、
「巡回です」
と言った。無表情な顔とは裏腹に高いトーンの可愛らしい声を持つ少女だった。
「そっか。お疲れ様」
未央はそう言って少女を労った。
「いえ、これが私の仕事なのでお構いなく」
そう言って少女はドアを閉めようとした。すると涙と鼻水まみれの凛が声をかけた。
「あっ、ねぇ!」
「はい。何でしょう」
ドアを閉める手を止めて少女が尋ねる。相変わらず表情一つ変えずに自分に声をかけたツインテールの少女を見つめている。
「あなた、名前何て言うの?」
「名前、ですか?」
「うん!」
明るく頷く凛に未央は思わずツッコミを入れてしまう。
「え、名前知らなかったの!?」
「うん。だってこの子いっつも『巡回です』って言ったらあたしが声かけようとする前にさっさとどこかに行っちゃうんだもん」
「巡回です」と言う時だけ表情を無にして少女の真似をする凛。
「名前、あなたさえ良ければ教えてほしいな」
座ったまま身を乗り出す凛に少し戸惑いつつ、少女は少し目を伏せた後ポツリと言った。
「泉です」




