赤錆色の決意(2)
過去回想はこの話で終了、次の話から時間軸は元に戻ります。
セレナこと、セレニア・ドゥヴァリス・トレッシア。
セレニアはイグナシオの妹で、セレニアとリリアンナは同い年で義姉妹になる前から仲が良かった。
初めての出会いは、デビュタントのためにセレニアが領地から王都にきたとき。二人は生き別れの双子だったのかと周囲が思うくらい、すぐに仲良くなった。デビュタントの白いドレスも一緒に作りにいき、大人の世界に入ることを二人で楽しみにしていた。
デビュタントを迎えると、貴族の子女は本格的に婚約者探しをはじめる。しかし、婚約者探しはリリアンナの目的にはなかった。デビュタントの四年ほど前から、リリアンナとイグナシオとは恋人の関係にあったからだ。
恋人の関係になるまでの二人の間には、甘い雰囲気などなかった。顔を合わせれば口喧嘩に発展するような二人だった。しかし、その実態は互いに相手に素直になれないという両片思いの天邪鬼な二人だった。
リリアンナより四歳上のイグナシオは、先にデビュタントを迎え、大人の社交界入りをした。
イグナシオが数多の貴族令嬢に求愛されていることを知ったリリアンナは「こうしてはいられない」と焦り、同時にイグナシオも自分の置かれた状況に四年後のリリアンナを重ね合わせて「こうしてはいられない」と焦り、イグナシオからの告白で二人は両片思い期間に終止符を打って恋人同士になったのだった。
恋人になった途端、リリアンナが戸惑ってイグナシオの正気を疑うくらい、イグナシオはリリアンナに対する態度をがらりと変えた。それまでは”淡々と正論で口撃してくる嫌味な男”だというのがリリアンナの中のイグナシオのイメージだから、実はイグナシオはかなりの激情型で、ようやく手に入れたリリアンナをあそこまで溺愛するタイプとは思っていなかった。
全方位どこから見てもイグナシオはリリアンナだけを溺愛していたから、誰もがリリアンナをイグナシオの恋人だと知っていけれど、でも”デビュタント”だ。
デビュタントを迎えなければ婚約できないのだから、まだイグナシオとは婚約していないなら「ワンチャンあるかも」と思って多くの貴族子息がリリアンナに求愛し、リリアンナをダンスに誘った。
それを”たかがダンス”などと、リリアンナを盲愛していたイグナシオが許すはずはなかった。
他の男と踊らせないどころか、イグナシオは婚約者か夫にしか許されない三回目のダンスをリリアンナと堂々と踊り、リリアンナはすでに”ほぼ婚約者である”とその場にいる全員にアピールした。
但し、ほぼ婚約者。
この時点でリリアンナの父リアンは、イグナシオとリリアンナに婚約の許可を出していなかった。婚約の発表はデビュタント以後なのだが、婚約の許しはそれより前に取ることができる。だから、イグナシオの行動は完全にフライングだった。
しかし、これについてはリアンも悪かった。
娘を溺愛していたリアンはイグナシオの天邪鬼な態度が”実は好き”だとすぐに気づき、保護者という立場でイグナシオの恋路を邪魔し続けていた。「リリアンナと恋人同士になった」とイグナシオが言っても、「お前の気のせいだ」と言ってリアンは聞く耳持たなかった。
デビュタント前も、リリアンナがデビューしたら即婚約するつもりでイグナシオは婚約の許しをとろうとしていた。しかしリアンは居留守を使い、時には海外にまで逃げ、イグナシオはまともに話すらできない状態だった。
三回目を踊り切ったあと、ダンスホールに来て抗議したリアンにイグナシオは「どうだ」と言わんばかりに胸を張っていた。娘のデビューを見るため、普段はほぼ出席しない夜会に珍しく出席していたリアンは「このクソガキ」と歯をギリギリ鳴らしていた。
リリアンナはイグナシオとの婚約に頬を染め、その隣でセレニアは「お兄様の力技ね」と笑っていた。セレニアは兄の結婚よりも、リリアンナが義姉にあることを喜んでくれた。
そのセレニアは、デビューから一年後にドミトリオス・トレッシアと婚約し、今は結婚してシフォンにあるトレッシア領主館に住んでいた。
目と鼻の先とはいえないかもしれないが、ドゥヴァリス街道を走っているいま、一番現実的な避難先ではあった。
(でも、これをトレッシア侯爵家が知らないなどあり得ない)
いくつもの交易地を治めるトレッシア侯爵家にとってドゥヴァリス街道は最も重要な交易路で、この道の治安には特に気を使っている。そこを数人の騎士が護衛している馬車が通れば、それをトレッシアが探らないわけがない。
そして、それが分からないイグナシオではない。
それでもこの道を走っているということは、トレッシアには話は通してあるということだった。”誰に”話を通したのかはリリアンナには分からないが、妹セレニアの可能性もなくはないとリリアンナは考えた。
(トレッシアも敵だとしたら、やっぱり外国に逃げるしかないかしら)
リアンのおかげでリリアンナは語学が堪能、周辺各国の言葉なら問題なく話せた。
外国に逃げる理由は、ドゥヴァリスとトレッシアという二つの大貴族から逃れられる場所はこの国にはないからだが、リリアンナの容姿も関係していた。
北の民族の血を継ぐ母親の影響で、リリアンナはこの国では珍しい白に近い銀髪をしている。珍しいは捜索の大きな手掛かりになってしまう。
どうやって逃げるか、どこに逃げるかとリリアンナが考えている間に、馬車の速度が落ちてきた。
(宿場町に入ったのね……日ももうすぐ沈む。チャンスだわ……風魔法も、うん、使える)
空気を緩やかに流して周りの音を探った。
作戦行動中に無駄口を叩く騎士はいないが、宿場町についたとなれば”今後”について話をする。
『先に四名』
『新たな馬、水、食料を確保』
『閣下に報告は?』
『必要ない。往路の報告は不要となっている』
(往路の報告……自分の子どもを殺させというのに、その報告を受けることさえもあの人は拒否なさるのね)
『奥様は?』
『気になるのは分かるが、目的地に着くまで中は確認するなと言われている』
『奥様のあの魔力……閣下よりも多いんじゃないか?』
『奥様に抵抗されたら、俺たちでは勝ち目がないか』
『大丈夫だ。全て終わるまで眠ったままだと聞いている』
(全て終わるまで、ね…………ちょっと待って。おかしいわ。それなら何でこんなに早く目覚めたの? 体も、三日近く横になったままだというのに、特に異常がない)
馬車に設置された魔導具には、回復や浄化の機能がある。おかげで移動中に空腹や不快感を感ることは少ない。ただ、それでもずっと揺れている状態だと体は痛む。体の痛みに回復魔法は効かない。
(いえ、いまは幸運だと思うことにしましょう。それを考えるのは、あとでいいわ)
リリアンナは音をたてないように静かに椅子から降りて、座面を上げた。リリアンナの予想通り、そこには非常事態に備えた食料と水をはじめとする旅の道具が入っていた。
非常時の着替えなので、大柄な男性に合わせたシンプルな服だが文句は言えない。手早く着替えて、少し悩んで宝石、ボタン、レースなどドレスの装飾品をちぎり取って非常バッグに詰めた。いい行商人に会えたら売って路銀に変えるためだった。
入っていたナイフで髪を短く切る。女性の一人旅は危険なため、入っていた護身用のナイフで髪を短く切った。リリアンナの体格では少年にしか見えないが、女性でいるより遥かに安全だった。
毛布を丸め、ドレスをかけて、切った銀色の髪でそこにいるかのように偽装を施す。
そして町に着き、息をひそめて風魔法で隙を探り、チャンスが来たリリアンナはこっそり馬車から抜け出して傍にあった建物の影に隠れた。
そして、馬車が出発するのを確認して来た道を戻った。
計画性のない稚拙な工作だったため、リリアンナは直ぐにバレると覚悟していたが、運がリリアンナを味方した。出発した馬車は、それから三時間後に土砂崩れに巻き込まれた。
往路の報告はいらないと言ったイグナシオだったが、事故となれば無視はできなかったのだろう。事故発生から一日、脅威の速度で災害現場に到着したイグナシオは行方不明者捜索の陣頭指揮をとった。
トレッシアからも人が派遣され、被害者はどんどん発見されていったが、それでも十数人が見つからなかった。
事前に逃げ出したことを誰も知らなかったから、行方不明者のリストにはリリアンナの名前も載った。
やがて捜索範囲は現場の下を流れる川の下流にも広げられ、そこでリリアンナが乗ってきた馬車が発見された。しかし馬車は大破しており、中にリリアンナがいなかったため、捜索はさらに続いた。
事故から一ヶ月たち、リリアンナを含む三名は見つからないままだったが、本格的な冬が始まったこともあって捜索は終了となった。それでもただ一人、イグナシオだけはリリアンナの捜索を続け、その姿は新聞に報じられて読む人の涙を誘った。
それを白けた気分で読んでいた数少ない読者の一人がリリアンナだ。
◇
馬車から逃げたリリアンナはそのまま街を出て、野営しながら来た道を戻り、ドゥヴァリス街道を東に進んだ。野営の知識はあったし、風魔法を使えば早く移動することもできた。
見つけた小さな町に数日滞在した。
北国出身の少年の振りをして滞在しながら準備を進め、ヴェルナの町が見えたところで服を着替えて髪色を変えた。
ヴェルナで北に向かう船に乗る予定だったが、アンに出会えたことでリリアンナは『治癒師アンナ』になり、そのままヴェルナに残った。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ブクマや下の☆を押しての評価をいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。




