葡萄黒の魔王(2)
『待ってください!』
唖然としていたリリアンナの耳にハフニアの慌てた声が聞こえた。泣いていたのではないかと、リリアンナは首を傾げる。
『私には、公爵夫人がイグナシオ様に相応しいとは思えません。歴史あるドゥヴァリス公爵家から虹の子を誕生させたかもしれない、そんな無責任な方なのですよ』
リリアンナとしてはハフニアにそれを指摘される筋合いはないと思えるが、ハフニアの言ったことは事実だった。そして、事実だからこそ、リリアンナの頭に疑問が浮かんだ。
『それは、誰の入れ知恵だ?』
『……え?』
ハフニアの戸惑う声。イグナシオの反応はハフニアの期待したものと違ったようだった。
『ニアマン子爵夫人か、それともニアマン子爵か…………まあ、どうでもいいか』
イグナシオの声にリリアンナはビクッと震えた。ここまで本気で「どうでもいい」と思ってそう発言する人の声をリリアンナは初めて聞いた。
イグナシオの口にした「どうでもいい」は、まるで――。
「全員消せば、真犯人が誰か分からずとも真犯人も消せる」
「それ、完全に魔王の思考だよな」
セレニアの言葉に応えるドミトリオスの言葉。”魔王の思考”にリリアンナは同意するように頷いた。
『なにかにつけては虹の子、虹の子と煩い。気に障る。そろそろ口を減らそうと思っていたんだが……まずはここでいいか。リリアンナももうニアマン子爵に興味はないようだったし。生産性のない貴族は別に減っても実害ないし。まあ、実際に害があったとしても誰かがどうにかするだろう』
まるで天気の話でもするように、淡々と殺人予告をするイグナシオには怖さしかない。直面しているハフニアはそれを一番強く感じているのだろう。「ひい」とか細い声を漏らした。
リリアンナは唖然としている。
こんなイグナシオを知らなかった。
一方で――。
「あれ、本気で言ってますものね。我が兄ながらヤバイ人だわ」
「究極な面倒臭がりなんだよな、あいつ」
「面倒、臭がり?」
リリアンナにとってイグナシオはマメな人だった。恋人になる前も、悪い意味でネチネチと細かいことを指摘してきた。恋人になったあとは、それはもう気遣いがマメだった。そのマメさは、リリアンナが鬱陶しいと感じるほどだった。
(毎朝庭の花を寝室に届けてくれて、私を思い出したからといって毎日のように花やお菓子のお土産があって……夜は、私の気分や体調を完璧に読んでくれて負担と感じたことはなかったし……)
「お兄様が関心や気遣いを見せるのって、リアだけだよ」
「俺が思うに、イグの人間としての“善い部分”はリリアンナ夫人に全振りしているんですよ」
そうそう、とドミトリオスの言葉にセレニアは笑う。
「茶会や夜会のとき、お兄様ってリアから絶対に離れないでしょ? だから、茶会や夜会で見るお兄様って気遣いの素晴らしい“善い人”なのよ。そんなお兄様を見て、皆さまは盛大な勘違いをなさるの。こんな方が私に微笑んでくれたらって夢みちゃうのよね」
「盛大な勘違いだよな。イグの視界に夫人がいなければ、アイツの口角は石化したように動かない」
「妹の私が相手でも、お兄様の口角は五ミリ動くかどうかだものね」
(そんなの知らない……)
リリアンナは混乱した。そして、混乱した頭は――違うことが気になった。
「セレニア様、どうしてブラコンなんですか?」
「え、そっち?」
驚いたものの、聞かれたのでセレニアは勘がながら答えた。
「顔がいいし、無表情で優しくないけど冷たいわけではないし、あとは……顔がいい、し?」
「兄妹でも顔なんですか?」
リリアンナの言葉にセレニアは首を傾げた。
「顔は大事よ、優しさは期待できないのだから」
「……なるほ、ど?」
首を傾げていたリリアンナの耳に、ハフニアの声が届いた。
『一体どうなさったのです? 護国の英雄と呼ばれるイグナシオ様のお言葉とは思えません』
魔王復活を阻止するヒロインのような台詞だ。
『俺は、国のために戦ったことなど一度もない』
「え、そうなの?」
「そうでしょ」
「当たり前ですね」
リリアンナの驚いた声に、セレニアとドミトリオスは当たり前というように応える。この数分で、リリアンナは自分の常識がガラガラと崩れていく気がした。
『リリアンナを危ない目に遭わせたくなかっただけだ。彼女は、すぐにリアン殿にくっついて危ない国に行ってしまうから……』
『そんなはず、ありません』
「勇者だな、彼女……」
「お兄様って葡萄黒色の竜が似合うと思うんですよね」
「一生目覚めないでほしいタイプの魔王だな」
『夫人が亡くなったあとだって、イグナシオ様はずっとみんなを守って、私のことだって……』
『愛してる女の眠る場所をよそ者に踏み荒らされたくなかっただけだ』
(……え?)
「まずいっ!」
「きゃああああっ」
『きゃああああっ』
ドミトリオスが焦った声を出して走り出した瞬間――風魔法だけではなく、遠くからハフニアの悲鳴が聞こえた。
『こんなに話せることを持っていたとはな。誰の入れ知恵だ、言え。誰に何を言われて、お前は王都にいたんだ?』
『ぐ……ぅ……』
苦しげなうめき声。
ドミトリオスの水魔法の詠唱が微かに聞こえ、魔法の起動に詠唱が必要なほどの事態だとリリアンナは気づく。魔力を探れば、イグナシオの体の周辺を暴走する魔素がぐるぐると回っていることがリリアンナには分かった。
『ドミト……』
『イグッ、冷ませ!』
詠唱によって力を増した水魔法が発動したのか、ドミトリオスの登場にイグナシオの声が訝しげな声にザパンッと水球の弾ける音が被さった。
『騒ぎを大きくしてどうする』
『今さら。この女がいる時点で騒ぎになっている』
『お前がここでマイセン嬢を殺したら、痴情のもつれとか言われてリリアンナ夫人が迷惑被るんだぞ』
『助かった』
『お前さ……リリアンナ夫人が関わったときだけ素直になるのやめろよな』
『セレナは?』
『聞いてねえし……ニアマン子爵夫人が“英雄の恋人”を招待してリリアンナ夫人と対面させたと聞いてさ、怒って帰っちまった』
『よし、それなら遠慮しなくてすむ』
『よし、じゃない。さらっと殺戮宣言するのやめろ。魔王か』
二人の会話を聞いていると、リリアンナの袖がセレニアに引かれた。『ここを去ろう』と身振りで言われて頷き、セレニアとこっそり抜け出した。
◇
「ここならいいか、人もいないし」
そう言ったセレニアにハンカチを差し出され、リリアンナは自分が泣いていることに気づいた。
「セレニア様……」
「土砂崩れに巻き込まれて行方不明になったあなたを、お兄様は死に物狂いで探したわ。あなたは死んだ、諦めろといった親族を九人ほど診療所送りにして、誰も兄を止めなくなった」
「私が……なぜあの夜、あの場所にいたのかは?」
「当時は知らなかった。それは、本当よ。でも、今は知っている。だからリアの質問にもそれなりに応えられると思うけれど……それであなたは納得できる?」
リリアンナは少し考え、首を横に振った。
「申し訳ありません」
「気にしないでと言ったらウソになるけど、あなたがそういう人だということは分かっているつもり。だから提案があるの」
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次回は2月16日(月)20時に更新します。




