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英雄の心がわり  作者: 酔夫人(旧:綴)


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葡萄黒の魔王(1)

「……なんで、私まで」


リリアンナを引っ張るセレニアの手に掴まれた自分の手を、リリアンナはジッと見て不満を漏らす。


「リアも四阿に行くのよ」

「だから、どうして……」

「リア、本当に気にならないの? お兄様とマイセン嬢のこと」


本当に、と確認されてリリアンナは改めて考えた。


正直なところ、気にはなる。でも、それが何でかとは深掘りしない。なぜなら、気になったところでどうにもならないとリリアンナは思っている。


イグナシオがハフニア・マイセンを愛していればそれまで、リリアンナはそう思っていた。


(あら……?)


リリアンナは自分の中の矛盾に気づいた。


エアハルトがイグナシオのことを知ろうとしたとき、例えエアハルトが傷つくことになろうと、リリアンナは“知らないほうが怖い”と思ってエアハルトを止めなかった。


どうにもならない、で知ろうとしないリリアンナ。“知らないほうが怖い”なら、どうにもならなくても知っておいたほうが良いと考えるべきで………。


(……どうして? それってまるで、知るのが怖……)


「リア……」


セレニアに名前を呼ばれて、リリアンナの思考は途切れた。無理やり神経を遮断したような衝撃に、ハッと息を吐いてリリアンナは荒い呼吸を繰り返した。


「……リア?」


「申しわけありません。少し、考えごとをしていて……四阿、ですね」


いつの間にか着いていたらしい、とリリアンナは少し離れたところで明るく照らされた四阿を見た。そして、その前に二人の男女が立っているのが見えた。


「あれが、ハフニア・マイセン?」

「……多分?」

「何を話しているのか聞こえないわね」

「……この距離ですからね」


セレニアに名前を呼ばれ、リリアンナは彼女の顔を見てため息を吐いた。


「お願い、盗聴して」


リリアンナは風魔法を展開し、それと同時に自分たちの周囲に魔力を展開して気配を散らした。どう見ても盗聴慣れしているリリアンナに、ドミトリオスは恐怖しつつも感心していた。


  

『私の気持ちをご存じではありませんか!』


ハフニアが感情的な声で愛を訴えているのがリリアンナには聞こえた。


『知っているから何だ? それに俺が応える義務も義理もないだろう』


(閣下の声、どう聴いても面倒臭そうだわ)



「私の気持ちうんぬんって、このやりとり……もしかして、お兄様とマイセン嬢って恋人でも何でもないの?」

「俺としては、どうしてセレナがそんな疑問を持ったのかが不思議で仕方がないよ」


セレニアとドミトリオスの話を聞く余裕がリリアンナにはなかった。


『そんな……ひどい……』

『何がひどい? バカバカしい。迷惑だと何度も言っただろう』


イグナシオとハフニアの話を聞く余裕もない。


魔力や気配をイグナシオに感知されないようにリリアンナは神経を集中していた。


戦地で培った勘とでもいうのだろうか、イグナシオは周囲を警戒しており、それがこちらに向くたびにリリアンナは魔力を適当に飛ばしてそっちにイグナシオの気を向けていた。


『……イグナシオ様?』


ハフニアの不思議そうな声に、イグナシオの苛立たし気な舌打ちが応える。それがあまりにも乱暴で、リリアンナは驚いた。


『王都に来ただけでなく、こんなところまで来ておいて何が“ひどい”なんだ? さっさと故郷に帰れ。さもなければ殺されるぞ』


『大丈夫です。だって、またイグナシオ様が助けて……』

『俺を当てにして馬鹿なことをするから迷惑だと言っている。貴様、理解できないのか?』


イグナシオが呆れたように溜め息を吐く。風魔法越しだというのに、その温度の冷たさにリリアンナはギクッとした。


『危ないから去れと警告してやっただけ親切だと思え。言っても聞かない、それなら俺はもう知らない。そもそも警告だってお前のためではない』

『……え?』


『当たり前だろう。リリアンナのためでなければ、誰がするか』


(……え?)


『ど、うして、公爵夫人のために……?」

『お前は馬鹿か』


「うわ、イグの奴、容赦ないな」

「お兄様、相当頭にきてますわね」


『虚言であろうと“英雄の恋人”だと吹聴して回っている女が死ねば、社交界であることないこと言われるのはリリアンナだろうが』


怒っているわけではない。

ただ感情を灯さないだけの、淡々とした平坦な声。


聞いているだけで腹も冷えるような温度のないイグナシオの声は、あの日ですらリリアンナが聞くことがなかった、リリアンナが初めて聞く種類のイグナシオの声だった。


恐怖か、悲しみか。イグナシオの言葉にハルニアは泣き出したが、イグナシオはまたため息を吐いただけだった。砂利を踏む音がした。その音ですら、リリアンナには「もう用なし」と言っているように聞こえた。

 

「驚きましたか、夫人?」

「侯爵令息……?」

「基本的にイグってああいう奴ですよ」


(……知らない)


「夫人の前では可愛い大型犬ですがね。きっと今頃、マイセン嬢よりも足元にあるこの石のほうが投げる武器として役立つのになと思っていると思ってますよ」


(え……)


「路傍の石扱いって、そっち……何でもない存在、ではなく?」

「イグの場合、使えるか使えないかの判断ですから、群がってくる貴族女性よりも路傍の石のほうが価値が高いですよ」


信じられない思いだったが、セレニアはドミトリオスの隣で同意するように頷いていた。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

ブクマや下の☆を押しての評価をいただけると嬉しいです。


次回は2月9日(月)20時に更新します。

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