山吹色の児戯(2)
「待って、待って! お願い、待って!」
リリアンナの目に入ったのは黒い影だけど、聞こえてきたのは知った声。
「……トレッシア侯爵令息?」
「そうです!」
確かめるようなリリアンナの声に、ドミトリオスは全力で応えて、その慌てように少し立ち位置が変わったことで庭の照明がドミトリオスの顔を照らした。
顔色は悪く、冷や汗もかいていることが分かった。
(侯爵令息がここにいる、唇の端には口紅、乱れた襟元と少し皺の寄ったシャツ……と、いうことは?)
「セレニア様もいらっしゃるのですね」
茂みのほうからクスクス笑う声が聞こえて、声をかければセレニアが姿を現した。
「笑いごとじゃないぞ。俺の首が切られたらどうするんだ」
「大丈夫だと思ったわ。だって出会い頭のときは『間違えてごめんね』ですむ程度にしていると聞いたことがあった……気がしたから」
「そんな曖昧な記憶でっ! 僕の首が切れたら……いや、それだけのことをしたか」
ドミトリオスの後半の声は小さすぎて、セレニアのためにハンカチを探していたリリアンナには聞こえなかった。
自分に向かってリリアンナが差し出したハンカチにセレニアは首を傾げる。
「よそのお宅で情熱を交わすのはどうかと思いますよ」
「……そうね。リアたちを見習って、自宅開催の夜会で夫を押し倒すべきだったわね」
セレニアの言葉にリリアンナは記憶を辿り、思い当たる節で止まって「ああ」と頷いた。
「あら……お兄様がリアに何かをしたの?」
セレニアの言葉にリリアンナは首を傾げた。
「今までのリアなら、押し倒されたほうだって主張したじゃない。そんな、どうでもいいことみたいに”ああ”って……お兄様が何かしたのかなって思うのが自然のことだわ」
「閣下ではありませんから」
セレニアがリリアンナの顔をジッと見た。
「なるほど、ハフニア・マイセンのことか」
「ご存知なのですか?」
「本人は知らないわよ。でも、お兄様の浮気相手ですって堂々と名乗る女のことを知らないわけないでしょう。リア、ハフニアのことでお兄様と喧嘩したの?」
その期待に満ちたセレニアの顔にリリアンナは苦笑した。
「子爵夫妻にご挨拶しましたか?」
「まだよ」
「そうでしょうね」
リリアンナは手を伸ばして、セレニアの少し乱れた髪を整えてあげた。
「ありがとう。子爵夫妻に話を聞けば、あなたがお兄様を放置して先に帰ろうとしている理由が分かるの?」
「多分……?」
リリアンナの言葉にセレニアは笑った。
「多分ならあなたに聞くわ。それのほうが確かだもの。さあ、教えて頂戴」
こうなったセレニアは梃でも引かない。それを知っているリリアンナは子爵邸に来てここに戻ってくるまでの経緯を簡単に話した。
「頭、沸いているわ。普通、招待する? 普通、招待されたからって、来る?」
「そうですよね」
(よかった、二人に異常性を感じるのは私だけではなかったのね)
「それで、お兄様はまだ会場なの?」
「多分……? 先に帰ると言ったら、”ああ”と仰ったので、置いてきました」
このあとはハフニアとの密会かもしれないという言葉は、リリアンナは口にしなかった。リリアンナには兄弟がいないが、いつだったから兄の恋愛話(特に下半身絡み)は聞きたくないとセレニアが言っていたことを思い出したからだ。
「リアったら……それで、ここに?」
「ええ。うちの馬車がどこにあるのか分からないから、使用人を探して聞こうと思っていたところでした」
「丁度良かったわ。それで、お兄様はどこにいるの?」
「どこにって、会場のどこかに……?」
「どこにいるか探して。パーティー会場にいるなら、大人しく私はドミトリオスと会場に行くから」
なんだそれは、とリリアンナは思ったが、これがセレニアである。
「閣下がマイセン嬢と一緒だったらどうするんです?」
「お兄様がそんな馬鹿女を好きになるわけがないって分かっているけど、万が一そうなら引っ叩いて目を覚まさせてやる」
セレニアらしい理由に、リリアンナの口元が緩んだ。
「セレニア様は昔からブラコンですものね」
「重度のファザコンのリアに言われたくないわ、それ」
(懐かしいやり取りだわ、これ)
「お兄様がどこにいるのか探して。なんかそれっぽい魔法が使えるのでしょう? シフォンにいる間、うちの屋敷の隅々まで何かして、エアハルトの位置を何度も確認していたじゃない」
よく気づいたなと思いながら、リリアンナは探索魔法を展開した。風魔法で位置を探ることもできるが、人の多い中でイグナシオだけを探すなら、イグナシオの魔力を感知するほうが楽だった。
(いた……)
「東の庭の四阿にいらっしゃいますね」
(そして……)
「閣下の傍に小さな魔力を感じるので、もう一人誰かが一緒です……おそらく、マイセン嬢でしょう」
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次回は2月2日(月)20時に更新します。




