灰桜色の葛藤(2)
(私とは気づかなかった……ということなのかしら)
イグナシオが『リリアンナ』だと思う可能性は、確かに低い。
イグナシオの知る『リリアンナ』なら、まずヴェルナにいないからだ。イグナシオならリリアンナは異国に逃げたと考える。実際にリリアンナはそうしようとした。アンに出会わなければ、そうしていただろう。
イグナシオはリリアンナの語学力に一目おいていたし、リリアンナの容姿から北の国を中心に周辺の国を探しただろう。
―― リリ……。
(あれも聞き間違いだったかもしれない)
イグナシオの登場に動揺していたのだから、聞き間違えたのだとリリアンナは考えた。
(だって、あんな……)
あんな顔を、あんな目をイグナシオが『リリアンナ』に向けるとはリリアンナには到底思えなかった。別の『誰か』と考えるほうが自然だった。
でも、リリアンナの体から力が抜けなかった。
仮にイグナシオが『森にいた女』を探せば『治癒師のアンナ』は見つかる。逃げたのではなく通報だと思わせるため、リリアンナは西の門番に自分では治療できない重傷者がいたことを報告してある。
「こんなことなら、証明しなければよかった」
『治癒師アンナ』は治癒魔法と風魔法の使い手と公的に記録されている。かつてリリアンナが使えたのは火魔法と風魔法。
二年前なら、この記録が『リリアンナ』と『治癒師アンナ』を別人だと証明してくれただろう。
「仕方がない、やってしまったのだから。うん、お父様が提唱していた『魔法の種』を証明できたことを良かったと思おう」
リリアンナの父リアンは人が好きで、色々な人と話をしては必要なら知恵を貸していた。
「情けは人のためならず」は彼の口ぐせでもある。代わりに美味しい料理の店を知ったり、ちょっとした家事のテクニックを仕入れては「やったぞ」とよくリリアンナに自慢していた。
そんなリアンが探していたのが『魔法の種』だった。
種といっても土にまくあのような種ではない。種のようなものだから種と表現したそれは「魔法は才能で、発現する魔法は遺伝する」という常識を覆す説で、「魔法は想いが形になったものなのではないか」とリアンは考えていた。
この世界では、文字が生まれるより前から人は魔法を使ってきた。
『最初の魔法使い』については記録がないため、『最初の魔法使い』は神や精霊など人知を超えた存在から授けられたとされている。しかし、リアンは『最初の魔法使い』は魔法が使いたいと思ったのではないかと考えていた。
リアンの仮説は御伽噺のようで、リリアンナはリアンをそう揶揄ったことがある。でも、リアンは真剣だった。
実際に親と違う魔法を発現させる子どもがいること、そういう子どもは不義の子とされて差別されていること、だから『魔法の種』を証明して解決したいのだとリアンはリリアンナに語った。
リアンは人徳があり、そんなリアンのもとには多くの支持者が集まった。支持者の多くは不義の子とされた人たちだった。
リアンの『魔法の種』は、魔法が使えるようになるきっかけは「こんな魔法が使いたい」という純粋な思いではないかという考えの形だった。
ただ魔法が発現するのは大体が子どもの頃で、その子どもがどんな思いを抱いたかの証明が難しく、『魔法の種』はどうしたって御伽噺の域を出ることはなかった。
しかし、それをリリアンナが大人で体験した。
『魔法の種』が芽吹くきっかけは「こんな魔法を使いたい」は純粋な想いであり、思惑のない純粋な想いは変わることはないから使える魔法は変わらない。でも、リリアンナの魔法は変わった。
(おそらく、火魔法はイグナシオ・ドゥヴァリスの象徴だから)
これが憎しみか、嫌悪なのかは分からないが、リリアンナは「火魔法を使いたくない」と思い、あの日、馬車の中で目覚めたときから火魔法は使えなくなっていた。
魔法が変わることがあることが認められれば、リアンの『魔法の種』の説が一気に優勢になると考えたリリアンナは、都市伝説とか魔境とかのネタを扱う王都の新聞社に匿名で手紙を送った、笑い話になるように「夫の浮気が原因で使える魔法が変わったんだけど!」という内容にした。
表立つことができないリリアンナができるのはここまでだが、これで十分なことは分かっていた。何か秘密を抱えている人は常に捌け口を探しているから、一人でも「私も」と声をあげる人がいれば、それが引き金となって一気に共感を引き起こす。
経験者が増えれば研究者たちは魔法の種の仮説を無視できなくなる。「そんな馬鹿な話があるわけがない」と研究者が”あり得ない”の証明に動けば、リリアンナの勝ちだ。実際にリリアンナは体験しているのだ。つまり、彼らは様々な力を使って”馬鹿な話”を証明することになる。
そして、リリアンナの思惑通り、優秀な研究者たちは”馬鹿な話”を見事に証明した。
そして二年ほど前に魔法の常識は「発現する魔法は必ずしも遺伝とは言えない」という形に変わった。
「王族のご落胤とでも思ってくれないかしら」
治癒魔法は王族が得意とする魔法。
治癒師という職業がある以上、王族しか使えないわけではないが、リリアンナのようにあれだけ重症だったイグナシオを動けるまでの強力な治癒魔法となると、王族との血縁を疑われる。
「だめか、お父様はもと公爵家だものね」
公爵家といえば王族の親戚である。リアンはその公爵家出身で、その娘だからリリアンナが強力な治癒魔法を使えても不思議ではなかった。
(考えても仕方がない……)
リリアンナは溜め息を吐くと、自分の右手をジッと見た。
「私はいまも彼を殺したいほど憎んでいた……」
火魔法を使えなくなったことは、リリアンナにとって自分の中のイグナシオへの想いが変わったことの証だった。
まだ魔法を使えるようになる前、リリアンナはイグナシオの魔法を見て憧れた。それがリリアンナの「火魔法を使いたい」と思ったキッカケ、あの瞬間に火の魔法の種が芽吹いた。
愛しているの反対は無関心。
そんな歌劇の台詞を聞くたびに、あの日、自分に無表情を向けていたイグナシオをリリアンナは思い出していた。そして、ヴェルナで過ごすうちにイグナシオとの時間を思い出すことが減り、新聞でイグナシオの名前を見ても特に何も感じることはなくなり、イグナシオの名前を見ても何も感じなくなった。
やっとのことで無関心。
もう大丈夫、とリリアンナは思っていた。
(ショックだわ……まだ憎んでいたなんて……)
エアハルトを守るためなんて、嘘だとリリアンナは自分で分かっていた。本当にエアハルトを守るためなら、あの場から逃げるのが正しいからだ。
最終的にリリアンナはその判断をしたが、ナイフを翳して殺そうとした事実は消えない。
リリアンナはイグナシオを殺したかった――まだ、憎んでいるのだ。
大きく息をついたリリアンナは視線をエアハルトに視線を戻す。
小さな寝息にリリアンナの口元は自然と緩み、手を伸ばして柔らかな黒髪をすく。眠る前に魔法を解いたので、エアハルトの髪は本来の黒髪に戻っている。
黒い髪に、夜が始まる空のような濃い紫色の瞳。
―― リアの中にスフィアがいるから、お父様は寂しくないんだ。
リアンはリリアンナがイグナシオと結婚して直ぐに事故で亡くなったが、リアンは最後までリリアンナの母スフィアを愛していた。
「私の中に、お母様がいるから……」
エアハルトの中にも、イグナシオがいる。
リアンのようにリリアンナがそれに恋慕を向けてるわけではないが、エアハルトはリリアンナにとって愛する息子であるため、どうしたってマイナスの感情を向けられず、リリアンナの心は妥協案のように『イグナシオとの思い出』を再生していく。
男として唯一愛した人との思い出。女として愛された記憶を引きづりながら、自分は生きていたのだと、リリアンナは思い知った。
「エアハルトは、火魔法を使いたいと思った」
リリアンナはエアハルトにイグナシオのこともドゥヴァリスのことも教えていない。それなのにエアハルトは火魔法を使いたいと思った。
そのキッカケは何だったのだろうか、とリリアンナは常に思う。
エアハルトに聞いても「便利」とか「格好いい」という答えばかりで分からない。確かに子どもの憧れなんてそんなものかもしれない。
(でも――)
―― お母さん、見て。
―― どうだ、リリ。
自慢げに魔法で火を操るエアハルトは、リリアンナが哀しくなるくらいイグナシオによく似ている。
ここまで読んでいただきありがとうございます。ブクマや下の☆を押しての評価をいただけると嬉しいです。




