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英雄の心がわり  作者: 酔夫人(旧:綴)


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灰桜色の葛藤(1)

時間軸、戻ります。

「……っ!」


我に返ったリリアンナは、慌てて振りかぶったナイフを宙で止めた。


イグナシオを殺そうとしたのは無意識で、何も考えずにナイフを振り上げていた。そして我に返ったいまも、リリアンナはナイフをしまうことはできなかった。


(ここにいるのは、偶然?)


イグナシオはリリアンナの工作に気づいていたから、ここにいるのではないかとリリアンナは疑った。


あの土砂崩れのあと、イグナシオは半年間も捜索していた。その間にリリアンナが逃げた痕跡を見つけていても不思議ではなく、その不安はリリアンナの中にずっとあった。


でも気にしないようにしていた。気になっていても『治癒師のアンナ』は平民で、イグナシオの動向は新聞で知るしかなかった。


(何かキッカケを与えてしまった……?)


リリアンナはイグナシオたちに見つからないように気をつけて暮らしていたが、別に隠れていたわけではない。人里離れた山の中など、あえて人目のつかな場所にいる人ほど「何かある」「疑わしい」と人に思わせるのだと、リリアンナは父リアンから教えてもらっていた。


だからヴェルナの町で、愛想は悪いと言われつつも住民と過不足なく付き合っていた。目立ったことをした覚えはリリアンナにはなかったし、誰かに不信を抱かせた覚えもリリアンナにはなかった。


(それでも、この人はここにいる)


エアハルトを始末するためにここにいる可能性はゼロではない。待ち伏せされたとも考えらえる。


『治癒師のアンナ』が休みの日、子どもと一緒にこの西の森にくることを知っている人はそれなりにいる。西の門番の騎士たちとは顔馴染みになっている。診療所の休みは役所で確認できる。


(彼女の急なお願いは、もしかしたら……)


イグナシオがここにいる日に休みを交代してほしいと言ってきた近所の女性治癒師をリリアンナは疑った。


(偶然が過ぎる。この人が関係していたと考えたほうが自然だわ。そうなると、彼女はイグナシオの協力者となるけれど……)


疑問と不安がリリアンナの頭の中でぐるぐる回った。


(やはり、いまなら……)


イグナシオは意識がない。この出血量なら、仮にイグナシオの意識が戻ったとしても、勝てるかもしれないとリリアンナは思った。


(……いえ、”かもしれない”ではダメだわ)


以前のイグナシオなら『リリアンナ』は殺せないと手を抜いたかもしれないが、『治癒師アンナ』に対して手を抜く理由はない。もし負けたら、リリアンナは死に、エアハルトも殺される。


(だめ、冷静にならないと)


仮にここでイグナシオを殺せても、欲しいものは得られないとリリアンナには分かっていた。


リリアンナが欲しいもの、それはエアハルトとの安寧な生活。


公爵であり英雄でもあるイグナシオが不審な死を遂げれば、国はその威信をかけて犯人を探す。


リリアンナが捕まれば、連座でエアハルトも断頭台に行くことになる。リリアンナが捕まらなかったら、国は違う罪で捕まっている囚人と交渉し、英雄殺害の犯人として断頭台に送るだろう。


(……駄目だわ)


リリアンナがナイフを手放したとき――。


「う……」


イグナシオが呻いた。


リリアンナは咄嗟にイグナシオを見て、イグナシオの紫色の目とリリアンナの目が合った。


(目が……)


イグナシオの目が開いていた。朦朧としているようだが宝石のような紫色はかつてと変わらない。そこにリリアンナの姿だけが映っていることも、昔と変わらなかった。


「リリ……」


イグナシオが浮かべたのは、触れたらぽろぽろと崩れてしまいそうなほど儚げな、泣いているような笑顔だった。


(え……)


イグナシオの表情に気を取られ、その腕が自分を捕まえるかのように動いたことにリリアンナは気づいていなかった。



「お母さん!」


エアハルトの声と同時に、リリアンナの脇を火の玉が飛んだ。その火の玉がイグナシオの手を弾いて、リリアンナは荷物を急いでまとめるとエアハルトに駆け寄った。


「……お母さん?」


必死な形相のリリアンナに抱き上げられて、エアハルトは不思議そうな声をあげた。でもリリアンナはそれに応えず、リリアンナは自分の体に風を纏うと急いできた道を戻った。


リリアンナの心臓はバクバク鳴っていた。


(火魔法で攻撃してしまった)


まだ三歳の子どもが放った魔法だから、あの火の玉に殺傷力はない。騎士のイグナシオにとっては、熱いものに触れたという感覚くらいしかない。


(でも、あの人なら気づく……エアハルトも、見られたかもしれない)


火魔法を使える平民は多いが、火魔法は魔力の消費量が多いため「火の玉を飛ばすこと」は魔力量の少ない平民にはできない。それが子どもなら尚更で、火の玉を飛ばせる子どもなら貴族の子どもであり、誰もがまずドゥヴァリスの子どもだと考える。


イグナシオは五歳になるころには火魔法が使えたとリリアンナは聞いている。


イグナシオがどこまで認識できたかは、リリアンナに分からない。でもあのとき『リリアンナ』を認識したなら、リリアンナと共にいた子どもが何かは直ぐに分かる。


―― 子どもは堕ろす。


イグナシオの冷たい声がまた頭に響き、リリアンナはゾッとした。


(いますぐにヴェルナから逃げるべき……)


そう思ったリリアンナの頬を冷たい風が撫でた。


(でも冬が始まったばかり。まだ三歳のエアを連れて冬の船旅は、そちらのほうが危険……いいえ……でも……)


 ◇


森から戻ったエアハルトの機嫌が悪かった。


森にお気に入りの虫取り網と、食べるのを楽しみにしていたサンドイッチの入ったバスケットを置いてきてしまったからだった。


余っていた材料で改めて作ったサンドイッチを食べ、新しい虫取り網を買う約束をして、ようやく機嫌がよくなったエアハルトはうとうとし始めた。今朝は早起きだったからだ。


リリアンナはエアハルトを部屋に連れていき、気持ちよさそうに昼寝をするエアハルトを見ながら街の様子を風魔法で探った。


西の森まで風を飛ばしてみたが、距離があり、間にある音が全てノイズになって聞き分けることはできなかった。


(町中に、特に気になる音はないわ)


思わず大丈夫じゃないかとリリアンナが楽観視してしまうくらい、ヴェルナの町はいつも通りだった。

タイトルの「灰桜色はいざくらいろ」は、淡くくすんだ桜色に灰色をひとさじ混ぜたような、儚く静かな色です。


ここまで読んでいただきありがとうございます。ブクマや下の☆を押しての評価をいただけると嬉しいです。

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