夢の狭間は優しくて
そこからは、ふわふわとした夢の中にいるような感じがした。
羽毛の中にどこまでも沈んで行くような感覚が、とても心地よくて怖い。
そして悲しい。
私の存在はもう無いような気がして。
ずっと同じ場所で生きて来たのに、砕かれて、よくわからない魔法に使われて。なにもかもバラバラになってしまった。
「何もない。なんにも残ってないよ……」
その感情が、お祖母ちゃんを失った頃のことを呼び起こす。
一人きりになってしまった。
もう側にいてくれる人は誰もいない。こんな自分を見離さずに寄り添ってくれるのは、お祖母ちゃんしかいなかった。
たった一人きりでは生きていくのが怖い。寂しい。
泣きたくなる私に、誰かがささやく。
「大丈夫。お前は精霊ではない。それは樹の記憶だ」
樹……でも私は。
私はなんだった? ものすごく樹だった気がする。でも人の祖母がいた記憶が混ざる。
「道しるべの樹。芳ることで道を知らせる枝を与える。それは魔術にも使われる。別々のものを、間違いなく一つのものとするために」
道しるべ。
この香りは人がよく好む。私にそれを教えた誰かは、ため息交じりに言った。
「そうか、完全に精霊と混ざっていたんだなお前は。精霊の魔力だけではなかったか……」
「まざる……人の記憶が、心の中に……?」
「ユラ、飲まれるな。それはお前じゃない。お前は祖母がいた人間の娘だ」
誰かの声が言う。
「目は開けるか? できないのか。魔力を取り出し過ぎたか……」
そう言った誰かは、私の額に手を当てた。
冷たくも特別温かくもない。でも生きているとわかる大きな手。
「少し魔力を戻す」
そう言ったとたん、額に触れた手が熱くなる。お湯みたいに。
あったかくてそれも心地良かったけれど、相手はそれだけではダメだと判断したみたいだ。
「あまり魔力が移らないな。精霊にする方法ではダメか。しかし人相手となると……」
少し考えるような間があった後で、ささやかれる。
「今からすることは忘れてくれ」
悩むように告げられた言葉に、迷惑をかけたのかと不安になる。
「迷惑ではない。ただ、お前が傷つくことが怖いだけだ。そうして私を嫌うかもしれないから」
誰かわからないあなた。
でも私に優しいから、手が心地いいから、きっと怖いことはしないって信じてる。
「その信用が痛いな。いつか恨まれるようなことをするかもしれないのに」
そう言った後で、額の手が離れた。
寂しさが強烈に心からあふれそうになる。だけど、続けて額の中心に触れた感触と、息吹を吹き込むように広がった、体が軽くなる感覚に、ほっとした。
無意識に口元が笑みの形になる。
心配してくれる気持ちが伝わって、寂しくなくなったからだ。
まるで子供みたいで、こんなんじゃいけないとは思う。けど安心する。
「大丈夫、私もだ。お前が精霊を消したくないと言ってくれて安心して、寂しくなくなった」
あなたも寂しかったんだ。
もっと凛とした、誰にも心揺らされない人かと。
……あれ? 私、あなたが誰か知ってる?
「今は思い出さなくていい。後で思い出しても、忘れろ」
困ったように言われて、悲しかった。やっぱり私は一人きりになるんだ。
でもおばあちゃんと約束したから。
頑張って生きていくって。
そうだお祖母ちゃん。私の名前は……。
「大丈夫だ。せっかく助けた命だ。それに私もお前に救われている恩がある。お前が忘れても必ず守る。いつか守ってくれる誰かを選ぶまでは……」
誰かを選ぶ。
その言葉が悲しかった。
「ひょあっ!」
水の中から浮かび上がるような感じで、目を覚ました。
「あ、あれ……」
確か精霊を閉じ込めた後で、精霊に属する魔力を取り出すとか言われて……お任せしたとたんに眠ってしまったような。
だけど椅子に座っていない。
部屋の寝台に寝かされた状態で目を覚ましたので、ものすごくびっくりした。
「無事に起きたか。例の物はきちんと量を揃えることができたぞ」
「え、あ……」
団長様が、眠りこけた精霊を置いた机の前で、椅子に座っていた。
あああああ、私、団長様を放置して眠ってたんだ!
「すみません眠ってしまって」
慌てて起きる私に、団長様は気にするなと手を振る。
「こちらも加減を間違えた。精霊のように扱ったせいで、眠らせることになってしまって済まない。そして問題のものは、これだ」
「あれ、結晶じゃなくなってますね」
団長様が、机の上に置いたものを指で示す。
そこにあったのは、20センチくらいの三本の白く輝く枝だった。ものすごく百合のような深い花の香りがする。
「導きの樹という、やや特殊な木の枝だ。魔術にもよく使われるものでな。精霊融合の実験の時に、お前にも使われて……枝に精霊が宿っていたんだろう。おかげで魔力を取り出すと、枝の形に復元されてしまった」
「ふぉおおおお」
私は感嘆するしかない。すごいや魔術と精霊。あとこんなことができる、なんであれこれできるんですか団長様?
「二本をお前に渡す。そもそもは、お前の中にあった魔力だからな。あと香りの強い代物だから、教会には一つで十分だろう」
「ありがとうございます」
確かにこの強い香りなら、カケラでも十分に周囲に香りが広がるだろう。
「お前のおかげで森へ精霊を捕えに行ったり、精霊を殺す必要がなくなった。礼を言う」
そう言った団長様は、ふっと肩の力が抜けたようにやわらかな表情をしているように見えた。
だから団長様は、精霊を殺したくなかったのだとわかった。きっと団長様も、できるけれどやりたくなかったんだろう。
表には出さないだけで。
「では、そろそろ失礼する」
もう話し合うことはない。そう判断した団長様が立ち上がり、部屋を出て行こうとした。
「あ……」
団長様が立ち去る時、なぜかものすごく寂しくなった。
無意識に声をかけて留めようと、手を伸ばしてしまって、そんな自分に困惑する。
団長様もなぜか立ち止まって、けれど何も言わずに私の手を握ってくれた。
「おやすみ、ユラ」
「はい、おやすみなさい」
でもそんな風に挨拶してもらえて、おかしなくらい安心したのだった。
だけどそれで終わらなかったのは、翌朝のこと。
紅茶の効果が切れたのだろう。目覚めた混乱の精霊が、何かをしきりに言っているっぽいので、画面を開いて見たら。
《混乱の精霊:ひたい、ひたいになかまの魔力ある》
その一言で、私は忘れていたことを思い出してしまったのだった。




