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第二十話 「新しい日常」

「口に合えばいいのだがな」

「俺はそんな舌の肥えた人間じゃないからな。問題ないさ」

「それは暗に不味いと言っている様なものじゃないか」

「普通に美味いぞ。ひねた受け取り方をワザワザしなくてもいいだろうに」


 それは期末を1週間後に控えたお昼の事。


 私と成次君は差し向かいでお弁当をつついている。

 なお、彼が今食べているのは私が作ってきたお弁当である。


 どうしてこんな事をしたんだか。


 私自身の変に義理堅いというかお節介と言うか、自身でも何をしたいのかはよくわかっていないこの現状。原因も理由もちゃんとあるんだけれど、なにか腑に落ちない気分のまま、こうして共に食事を摂っている。


 事の起こりはそんなに難しい話ではない。


 先だって行われた体育祭、冬桜大学付属高等学校競闘会において、実行委員含め、生徒会イベント等を手伝ってくれた有志学生達の労を労う為に、生徒会主宰で打ち上げを企画したのだ。


 このイベント自体は体育祭の生徒会参加が決まったと同時に企画したので、手配についても事前に進めていたのと、料理研究部による助力あってスムーズに事を運ぶ事ができた。費用だって前年の生徒会活動費を見直した中で出た余剰分から捻出する事で十分事足りた。

 更に参加者は出された料理についてアンケートに答える事になっているので、料理研究部にとっては日頃の活動成果を披露する場と、その評価を得る事ができる格好の部活動アピールの場を得る事になる。

 生徒会側はご機嫌取りと言えば言葉は悪いが、こうして必ず労に報いるというアピールをする事で、より一層の生徒会のイメージアップ効果と、各部活間の協調性を高めようというのが本来の狙いだ。

 無論、先生方も忘れては居ない。先生用は別で料理をちゃんと作って。お弁当としてお配りしているので問題無しだ。生徒の自主性、自治力は学校と言うくくりがあるからこそ存在できる訳であり、有体に言ってしまえば“ゴマすり”という奴だ。

 まぁ火を使うので生徒会顧問の先生には少々骨を折ってもらったが、今回の主役はあくまで生徒。ということで生徒のみでの開催と相成った訳である。


 そうして開催日当日。結構な人数にはなったが盛況な会となった。

 立食パーティーによく見る様な工夫を凝らした様々な料理が並ぶ中、各所から和気藹々とした雰囲気が溢れかえっており、それを見て、自然と顔が綻んだ。


 だが、この場に成次君の姿は無い。


 体育祭にて行った演舞に参加してくれたメンバーには当然声をかけたのだが、成次君だけが夏の大会に向けて時間が無いと言う事で、彼は部活優先で参加を見合わせる事になったのだ。


 本来なら「仕方ない」とそこで終わらせておけばよかったのだ。


 が、先日の無礼というか、彼有って気が付かされた事に対してのお礼も何かしなければいけないという私の義理堅さとでも言うのか、ともかく一方的に何か借りを作った気がしてならなかった為に彼に聞いたのだ。何か見えない勢いに流されてしまったような気もするが、思わず言ってしまったのだ。


 先日の事も有るし参加できないのであれば、何か違う事で労いたいのだが要望はあるか、と。


 で、返ってきた言葉は、


「じゃあ、1回でいいんで弁当作ってきてくれ。恥ずかしい話だが学食だけでは腹が減っていかん。それに購買や食堂は3年目となると少々味気なくてな」


 だったのである。


 成次君は弁当派ではなく、学食派らしい。

 ちゃんと食費は貰ってはいるものの、運動部で日々体を使えばその分腹も空く訳で、しかも学生であるからお小遣いも限られている。


 と言うことで日々の昼食が少々物足りなかったのだそうだ。


 変な要望を出されたら流石に突っぱねるつもりで居たが、相変わらず体が大きい割りに望みが小さいというか、肩透かしと言うか、酷く無難な要望だったのである。


 多分それが彼の人となりなのだろう。


 でまぁ、彼1人分であるなら、毎日弁当を作っている私にとって量が増える事に然程労を感じる事は無いので、私が作ってこようと言う事になった訳だ。

 別に気合を入れる必要は無かったが、まぁ見栄と言うものだろうか。無駄に彩り良くしようと手間をかけてしまった。だけど3色そぼろに桜でんぶを使う事には何故か激しい抵抗を覚え、挽肉と卵とほうれん草にしておいた。


 というか、彼の好みを聞いておけば良かったとか、美味しいと言ってくれるだろうか、口に合わなかったらどうしようかとか、弁当1つにあれこれ頭を悩ませてしまった私は、本当にどうかしている。


 まったく、お弁当を作るときにこんなに悶々としたのは本当に初めてで、何だか非常に負けた気がしてならない気分だった。


 そして、現在席を共にして居る。


「どうせなら一緒に食わないか?」


 作ってきてくれと言われた時に、そう誘われて断りきれなかったのだ。


 いやだって、断る理由も特には無かったし、クラスでも中の良い男女グループで一緒にお弁当を食べている所だって良く見かけてたから問題ないかなぁって。

 何であれ繋がりを持つ事は大切だと思ったし、勇が所属する部の部長なのだ。懇意にしておくに越した事は無いだろう?

 それに、あとで空の弁当箱を返しに来られても、それが何か有らぬ事を生みそうな気がしたし。


 後はまぁ、個人的に聞いておきたい事もあったのだ。


 ただ、これは敢えて突かなくてもいいかもしれない事だ。藪を突いて蛇を出す必要はないけれど、ハッキリさせないままでは良くないと感じていたのも事実だった。だから話せればいいかな程度の考えだった。


 と言うことで、部活で忙しい彼をいちいち呼び出すのも悪いし、まとめて要件を片付けてしまおうとした私に何処に非があるだろうか。


 無い、筈なんだけどねぇ。


 私自身が申し出たし断らなかったのだから、この現象は起きて然るべき事だ。


 ただ、本当に、どうして私は男子と差し向かいでご飯を食べているんだか。

 この成次君と私と2人で差し向かいでお弁当突いてるという状況が、何故か居住まりが悪いというか妙と言うか、ともかく言葉では表し難い感覚を生んでいた。







 人が本当に変わったという瞬間を見た事がありますか?


 私も未だありません。


 でも始めてそれに遭遇した、そう思えた瞬間がつい最近起こりました。



「おはよう、成次君」



 あの時の挨拶が非常に衝撃的でした早苗です。


 何をそんなに衝撃を受けているかって?

 それは姉さん自身は気が付いてそうしているのか、それとも素なのかは判らないけれど、気の置けない人だと判断した場合で、それが歳近い人であるなら、姉さんは相手の事を名前で呼ぶ様になるんです。


 つまり、姉さんが大切だと思う人間関係のラインに、新しい人が入ってきたという事になるのです。

 

 確かに最近の姉さんは変わってきたと感じてはいました。

 日々の印象や、化粧や衣類に拘るようになった事。

 だけど人当たりに関しては、酷くドライな所はあまり変わっていませんでした。

 それが今までの経験から来る物だという事も知ってはいましたし、私自身も多少その気があるように思っていました。


 だからそれを悪いとは思っては居なかっし、歓迎するべき事だと思っていたのです。


 それに最近、佳奈美や美和といった友人ができた事や、4月の経験や先日の外出時に、自分で壁を作って諦めたりするのはちょっと違うのかな、と思ってた矢先の事だっただけに衝撃が大きかったんです。



 また先に行かれた、と。



 あ、といってもそれを不快に思っている訳じゃないんです。

 先に行かれたというのも何となく、そう思っただけなんです。


 ただ、姉さんは相変わらず流石だなぁって。


 目をちょっと離しただけで、私の想像の上を2歩も3歩も先を行ってしまったように感じた姉さんに、改めて感嘆を隠せなかっただけなんです。


 とまぁ、思わず口調の変わったモノローグ的なものを思い浮かべてしまう位に、それほどに衝撃だったというだけなんですが。



「どう見る? 先日のアレ」

「やはり何かあったと思うべきでしょう。しかもかなり重大な事が」

「顔赤くしてたしさ。なんか目も真剣だったし」

「あまり深く探るような事はしてはいけないのでしょうけど、やっぱり気になりますよね……」


 今は昼休み。


 何時ものように3人で机を引っ付けてお昼の真っ最中だ。

 で、先日の休み明けの一幕が話題に上がっている。

 その話を聞いて思わずモノローグ的な事をやっちゃった訳ですが、私的には盛大に驚いた後の事なので、2人の話を聞いて出た言葉はあっけらかんとした物だった。


「姉さんに友達が出来た位で騒ぎ過ぎよ、2人とも」

「……え~、でもさ。あの後の生方。凄く落ち込んでたじゃん?」

「……言葉をかけるが躊躇われる位、なんだか考え込んでましたよね」


 やや声を小さくして2人がそれに反論する。


 あー、それはまぁ確かにそうだ。


 けど、それは姉さんの名前の呼び方の意味合いを知っている私と勇一郎だからだ。

 特に勇一郎は姉さんが好きだからこそ気になったんだと思う。

 実際、その夜私に聞いてきた位だし。

 でも、さっきも言った通り、姉さんに友人が出来たという結論に落ち着き、勇一郎も落ち着いた。

 確かに余り友人を作らないほうの姉さんが、しかも異性の友人を作ったというのは驚きではあったけれど、普通に考えてみれば別に騒ぐほどの事でもない。私だってこのクラスには割と良く話す男子だって居るのだし。


 ふと視線を勇一郎の方へ向けてみれば、何時ものようにクラスメイト達と楽しそうにして居るのが目に入る。

 勇一郎もあの日は確かに動揺していたけれど、今では元通りだ。というか、何時にも増して気合が入っているように見受けられるし、それは行動にも表れている。

 部活での練習では鬼気迫るというか、何時もと迫力が違うのだ。

 え、なんで知ってるかって?

 それは、まぁ、乙女の勘って事で……ってか、行ったからよ。見に!


 あの日の後、もっと好きだと言うために、私だって色々行動しているのだ。

 断じてストーカーじゃないもん! と、表には出さず、敢えてゆっくりと応える。


「勇一郎だって気にしてないよ。こう言っては語弊を招くかもだけど、姉さんはあんまり友人を作らないほうだから」


 結局の所、私達の環境に1人加わったと言うだけ。


 しかし、私のその言葉は的外れだったのか、美和が体を乗り出して小声で話しかけてきた。


「……実はですね。昨日聞いた話なのですが、日曜日に商店街で金剛寺先輩と東条先輩が手を繋いで歩いている所を見たっていう話があるんですよ」

「えっ!?」

「……そうそう。しかも千鶴子先輩泣いてたって。なんかもう雰囲気が……」


 佳奈美の声が段々と遠くの物のようになっていく。


 日曜日に? 商店街で手を繋いで? 金剛寺先輩が?

 日曜日といえば勇一郎と一緒に出かけた日の事だ。

 確かにあの夜、姉さんは泣いたように目を赤くして帰ってきた。


「……それ、本当なの?」


 佳奈美が何か話していたけれど、それを割るようにさっきまでとは打って変わった、トーンの下がった低い声で2人に問い質した。


「え、ええ。噂の域は出ないのですが……そんな話が上がってきた事と先日の事、無関係ではないかと思いまして……」


 私の声のトーンに美和がたじろいだ様に返事を返す。この話題だって多分私を慮ってくれての事で気遣わないといけないのに、今の私の頭中はひとつ事で一杯になっていた。


「さ、早苗?」

「早苗さん?」


 こちらを訝るような佳奈美と美和の声も遠くのものにしか聞こえない。


 今頭の中にあるのは、只1つ。



 金剛地先輩が姉さんを泣かせた!!



 無理をしているように見えなかったから聞かなかったけれど、やはり無理をしてでも理由を問い質すべきだった。

 あの後の姉さんの態度から、きっと自己嫌悪とか、あの話に至る過程で何かしら自分を省みるところがあった、そういう事で姉さんが自分を悔いる様に泣いたのだと思ったから、まだ我慢ができた。


 確かにあの晩、姉さんは私達の前で一度だけ涙を見せた。

 それも姉さん自身が感じ入る事があって出た涙なのだ。


 けれどだ。


 姉さんが泣くなんて、本当によっぽどの事なのだ。


 その“よっぽどの事”に金剛寺先輩が関わっている!

 それが姉さん自身ではなく、人の手に寄ってかもしれないだなんて!

 姉さんが、人前憚る事無く涙を見せるなんて!


 私の姉さんが!!


 脳裏に蘇る、あの幽鬼のように消えて無くなりそうなほど小さく肩を落とした姿と嗚咽。

 頭に血が昇るのはあっという間で、もはや金剛寺先輩が泣かせたかはどうかの真偽の程はどこかに飛び抜け、体は勝手に動き出していた。


「勇一郎! 来て!」


 そう声をかけるや否や、食べかけのお弁当等ほったらかして教室を駆け出した。







「ご馳走様だ。美味かったぞ」

「お粗末様。まぁ、ともあれ満足してくれた様で何よりだ」


 お弁当をあっという間に平らげてしまった成次君は、パンと両手を合わせて感謝の意を表していた。

 男子用のお弁当箱なんて無いので、御節用の重箱2段を使ってみっしりと詰め込んできたのだが、成長期の男子はこの程度の量など当たり前なんだろう。私のお弁当箱の数倍はあろうかという量を米粒1つ残さず、あっという間に食べつくしてしまった。


 あれこれ考えながら作ったお弁当は、美味かったの感想一言を得た。そんな一言が、作るに当たって心に溜まっていた悶々とした感情をあっさり霧散させていた。


 彼が平らげて綺麗に空っぽになった重箱を見ながら、ポットに入れてきたお茶を差し出す。

 

「よくもまぁこれだけの量が体に入る物だ。もしかして胃が4つでもあるんじゃないのか? 成次君は」


 薙刀をやっていた頃は『千鶴子は良く食べるねぇ』とお祖母ちゃんに言われたものだが、これに比べれば可愛いものだ。思わず蘇った懐しい記憶に、思わずクスリと笑いながらからかいの言葉が出た。


「俺は牛か。家だと丼でご飯食べるからな。母親からはよく『あんたの所為で食費が倍かかる』なんて言われるよ」

「成次君のお母様には同情する他無いな」

「酷いな。育ち盛りなんだから、これくらい勘弁して欲しいものだ」


 そんな私のからかいの言葉もくすぐったくも感じないのか、同じく笑いながらそう言葉を返す成次君。それを見て私も笑いながら言葉を続けた。


 それが気の緩みを生んでしまったのか、思わず自分で地雷を踏んでしまった。


「私の1日分に相当する量を平らげておいて、これくらいだなんて。これでは成次君の将来を共にする人は苦労させられるだろうな」

「……まぁ、東条位の料理上手な嫁さんが居てくれたら、俺としては最高だがな」



 ……あ。



 何やってん、私ぃぃぃ!!

 敢えて突かなくてもいいかもって思ってたのに、態々自分で突っ込むなんて!

 しかも妙な事言われたぁぁぁ!

 嫁!? 嫁って何だ!?


 脳内で激しくのた打ち回るも、言葉にしてしまっては仕方が無い。

 それに成次君も、先ほどと違って少しばかり神妙な表情を浮かべこちらを見てていた。

 あ、でもなんか顔赤くしてる。

 ってか、自分で言っておいて恥ずかしくなるな! こっちまで何か恥ずかしいじゃないか!


(あぁ、もうっ! 仕方ない!)


 彼の目線を受け、そう腹を括ると姿勢を伸ばし、改めて成次君を見つめて言葉を慎重に選びながら静かに切り出した。

 

「こんな事を聞いて困るとは思うが、正直に答えてほしい」


 その言葉に無言で肯き返す成次君。彼の目はつい先日見たときと同じ真剣なもので、私の視線にぶつけてきた。


 それを見て、私は覚悟を決めて言葉を放った。


「私は恋愛感情を持った事が無いので、成次君の期待には応えられないし、そもそも自覚が持てない。だからあの時の返答は、やはり今も変わらない。ただ、成次君を友人として持てるなら、それに勝る物は無い人だと思う」


 私の言葉に成次君に動きは無く、ただ彼は静かに耳を傾けていた。


「酷い事を言ったと自覚している。……だから、すまない」


 そうして、私は頭を下げた。


「だが何故、今でもそう思っていられる? そもそも何故、私を好きになった? 只の見てくれだけの女かもしれなかったんだぞ?」


 成次君は私のその言葉に一瞬思案するように瞑目するも、すぐさま目を見開いて言葉を返してきた。


「前にも言っただろうが、君は冷たいように見えるが、心根の優しい人だと“感じた”。心は態度に表れる。今まで見てきた東条からはそんなものは一切感じなかった。後はなんとでも色々と理由はつけられるが、強いて言えば理由など無いのかもしれんな」

「理由が、無い……?」


 思わぬ回答に肩透かしを食らったかのように気が抜けかける。だけど、腕組みをし、空へと視線を移す彼を私はじっと見つめ、言葉の続きを待った。


「東条の事を色々知って、気が付いたら東条の事ばかり考えて、何時の間にか視線で追っているようになった。俺から告白した後、何度も話した事はあったが、東条と話している時は楽しかったし、心地良かった」


 聞いている方が赤面してしまいそうな事を、成次君は臆面も無く言葉にして続ける。


「学校で東条の顔が目に入れば嬉しくなった。先日だってそうだ。東条は今何をして居るだろうかと思っていたら、あの人の多い商店街で東条だけが目に飛び込んできた。そして東条が泣いていると気が付いたら、体が勝手に動いていた」


 空を仰ぎ見ていた視線を戻し、成次君は改めて私を見据え、私を射抜くような言葉を言い放った。



「まぁ先日の事はさて置いて、今までの事を色々鑑みてだ。俺はお前に惚れている、そう思ったんだ。それに俺は過程が無ければ、簡単に物事を諦めれない性質でな」



 また心の奥底を、彼の大きな手で鷲掴みされたような苦しくなる感覚に囚われる。

 言葉を聞けば聞くほど鼓動が早くなり、顔に血が昇るのが嫌でも判る。

 でも、話を聞いていて、それはただの彼の思い込みではないのか、という疑問が心に浮かび、それをそのまま口にした。


「……心が態度に表れると言っても、中身は想像しているものと全く違うかも知れないのに、か?」


 この疑問は私が抱えている秘密に直結する。

 私は、元男としての記憶があるのだ。

 自身で納得はして居るが、私と言う存在は厳密に言えば女性という括りに入るのか疑問符が付くのだ。

 千鶴子だという確固たる意思はあるけれど、その事実は決して消えることは無い。

 もし、彼がこの事を知ったらどうなるだろうか。


 気持ち悪いと、距離を取られるだろうか。


 その考えが思い浮かんだ途端、何故だか急に息苦しくなって、思わず自分の胸元をぎゅっと握り締めた。


「だから互いを知る為にも付き合って欲しいと言ったんだ」

「それじゃあ、ただ相手を試してるだけじゃないか?」


 何だか禅問答の様相を呈してきた私達の会話。

 いつも由梨絵としている会話ともまた違った、だけれど、なぜかその妙な言葉のキャッチボールが心地よく感じてしまえた。

 そして新たに浮かんだ疑問に対しても、彼は淀みなく答えてくれた。


「そう言うものだろ。お互いを知って、許容できることを許容しあい、妥協できるなら妥協し、ぶつかるなら納得するまで話し合えばいい。東条とはそれが出来ると俺は思った。それに、そういうのは別に好いたとか嫌いになったとかは関係なく、普通の人付き合いの中で行う事と同じだと思うんだがな」


 そう言われてみれば納得してしまった。

 由梨絵ともああ見えて、最初は色々と言い争った事が有るのだ。

 結果としてそれはお互いの事をよく知る事になって、いまの交友関係を築く礎になったのだから。


 だが、その納得がいってスッキリしかけた気分で一瞬生まれた心の隙を付いて投げかけられた彼の言葉に、一瞬で場を支配された。



「だから、だ。敢えてもう一度言うぞ」



 この言葉に何故か心臓が跳ねた。


 無論、何を言おうとしているか、簡単に想像できたからだ。私は明確に応えられないと言ったのに、それでも彼は踏み込んでくる。以前の私ならそんなのは許さない筈なのに、今はそれを止められる自信がなかった。

 頭の中は何故か冷静に状況を把握しているのに、私の体は糸の切れた凧の様に風に吹かれるがまま、彼の言葉に流されそうになっていた。


「東条」

「は、はい!」

「今直ぐ俺の事を好きになって欲しいとか、そんな性急な事は言わん。だが、最初から決め付けるより、結果を経て俺は納得したい。自分勝手な言い草は承知の上で言わせて貰う」


 そうして一呼吸置いて、いざ彼が言葉を発そうとしたその時、予想外の乱入者によって場がひっくり返った。




「だからな、東条…「金剛寺先輩!! ちぃ姉ぇに何してるんですかっ!!」」









「千鶴子? 何か約束があるからとか言って、お昼になったらお弁当箱抱えて出て行ったわよ」


 私が駆け出して真っ先に向かった教室は姉さんのクラスだ。

 3年の教室と言う事さえ忘れて無遠慮に駆け込んだけれど、そこに姉さんの姿は無かった。

 いつもなら瀬尾野先輩とお昼ご飯を食べている筈だからと先輩の姿を探してみれば、普通に自分の席で既に食事を摂り終え何か本を読んでいた。


 「瀬尾野先輩!」と声を上げて姉さんの事を聞いてみれば、何故かソワソワしながらお昼になると教室を出て行ってしまったとの事だった。

 しかも何故か2つ包みを持って。


「一体どうしたの? 千鶴子が……」

「外なんですね! 判りました!」

「ちょっと待ち……」


 瀬尾野先輩の引止めの言葉も耳にも入らず、入ってきた入り口から取って返してグラウンドへ出る。正面玄関で靴を履き替えることさえ忘れてグラウンド全体を見渡せる位置へとやってきて、目を凝らしてグラウンドの隅から隅まで姉さんの姿を探った。


(グラウンドには居ない? となると中庭? ううん、約束があるとか言ってたから、話をするなら余り目の付かない所。部室棟とかあの辺りはお昼は余り人が居ない筈……)


「おい、早苗! 待てよ! 一体どうしたんだ!」


 私が足を止めていた事でようやく追いついてきたのか、後ろから複数の足音が聞こえてきた。


「早苗ー! 待ってってばー!」

「早苗さぁーん!」


 息を切らしながら美和、佳奈美も慌てて後を追ってきたようだった。けれど今の私にはそれを気にする余裕なんて無かった。


「勇一郎はグラウンド周りを一応探して! 私は部室棟に行くから!」

「ちょっと待て! 何を探すんだよっ!」

「姉さんよ! 金剛寺先輩と一緒かもしれない! 見つけたらちぃ姉ぇを引きずってでも金剛寺先輩から引き離しておいて! 頼んだからね!」


 それだけ言うと、私は部室棟目掛けて走り出した。


 単に友達が出来たと思っていたけれど、それは勘違いだった。

 後々になって冷静に考えてみれば顔から火が出る思い込みであるけれど、今の私の頭には姉さんの事で一杯だった。


(ちぃ姉ぇ! ちぃ姉ぇ!)


 そして散々走り回ったところで、部室等の少し陰になった休憩スペースで、姉さんを見つけた。しかも金剛寺先輩が目の前に居ることが、更に頭へ血を昇らせた。


 なにやら怖い顔をして姉さんを見ている先輩。

 姉さんは姉さんでオドオドしているように見える。


 瞬間、頭に浮かんだのは『姉さんが襲われる!』だった。


 いや、襲われるなんて直截な表現、どうにかしてると思うんだけれど、2人して座って、その状況を見て、そう思ってしまったのだった。単に食事をしている光景でしかない筈なのに。


 そうして、私の短距離走記録を軽く更新する勢いでその場に突入し、バレリーナのように脚を垂直に上げて投げる、どこぞの野球漫画のような投球フォームから言葉というボールを投げつけた。



「金剛寺先輩!! ちぃ姉ぇに何してるんですかっ!!」



 私と言う来訪者に驚いたのか、それとも私の声に驚いたのか、2人とも吃驚した表情でこちらを見つめていた。


「さ、さなちゃん!?」


 驚き見つめる2人を無視して姉さんのそばへ来ると、有無を言わさず腕を取って金剛寺先輩から距離を取った。怯えた小動物みたいに顔を赤くして、そんな私にされるがままになっている姉さんを背に、仁王立ちで睨みつけるかの様に金剛地先輩を見下ろした。


「もう一度聞きます。金・剛・寺・先・輩! ちぃ姉ぇに何しようとしてたんですかっ!?」

「いや、何をしようとか、何をしてたかと言われてもだな。弁当を作ってもらって、一緒に食べて話をして居ただけなんだが……」


 姉さんに弁当を作らせた? その事実が更に私に混乱を呼んだ。しかも然もそれがどうしたと言わんばかりの表情を浮かべている金剛地先輩の姿に、隠しきれない程の苛立ちが湧き上がった。


(泣かせた挙句、姉さんにお弁当作らせた? 何よそれ! つけ込んだって事!?)


 何となく最初に思っていた事から乖離し始めている事は判っているのだけれど、目の前で展開されている事実が、心を一向に平常を取り戻させてくれなかった。


「嘘だっ!! 今もこうして姉さんを追い詰めて何やってたんですか!!」

「落ち着け、東条……ってこれじゃどっちかわからんな。ともかく落ち着け、妹さん」


 牽制し合うように先輩と対峙する。イメージ的には虎に牙剥いて吼えかかる子犬のような物だろうけれど、引く気は一歩も無かった。もうなんか、泣かせたとかそういった諸々は頭の中から吹き飛んでいて、姉さんを守らないといけないという思いだけが心を支配していたのだ。


 そうしていると、こちらに駆けて来る足音が聞こえてきた。金剛地先輩から目を離せないので振り返る余裕は無かったけれど、かけられた言葉で直ぐに誰か判った。


「何やってんだよ、早苗! って、主将に千鶴子さん?」


 グランドを探し終えたのかどうかは判らないけれど、どうやら勇一郎が私の後を追ってきたようだった。


「早苗。な、何がどうなってんだ?」


 勇一郎も今の目の前の状況に驚いているのか、私のそばまでやってくると先輩と私達の方に視線を行ったり来たりさせていた。その言葉を受けて、ビシィっと金剛寺先輩を指差して私の中の事実を口にする。


「そこの金剛寺先輩がちぃ姉ぇを泣かせて、あろうことかそれにつけ込んでお弁当まで作らせて、襲いかかろうとしてたのよ!」


 その言葉を聞いた途端、目に見えて判るほど動揺した金剛寺先輩が抗弁してきた。


「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺はそんなことしてないぞ!」

「嘘! 泣いてるちぃ姉ぇを引っ張りまわしてたって話も聞いたんですから!」

「あ、いや。あれはだな。ってか、そこからどうしてこう言う話になる!?」

「はぁ!? 千鶴子さんを…えっ? え?」


 私の話に勇一郎も少々剣呑な空気を纏って金剛寺先輩を見つめ出す。

 正に一触即発とでも言うのだろうか、ピリピリとした空気が場を包み込む。


 だけれどそんな空気は、パチンと簡単に弾け飛んでしまった。

 

「こら、さなちゃん。お祖母ちゃんも言っていただろう。人を指差さないって」


 コツンと私の頭を小突いた姉さんの言葉が、あっという間に張り詰めた空気を霧散させた。振り返ってみてみれば、苦笑いの表情を浮かべた姉さんが私を見つめていた。


「どこでどういう話を聞いたかは知らないが、成次君の言っている事は本当だ。お弁当は私が作ってきた。2人で食べているのも、私が誘いを受けたからだ。少し前にあった体育祭の打ち上げで成次君だけが出れなかったから、その穴埋めのような物だ」


 淡々とだけど、優しい声音で述べられていく事実が、頭に上った血を下げていく。


「後は……泣かされたとかそういう話も、単に眼にゴミが入って往生してた私を成次君がたまたま通りかかって助けてくれただけだ。眼は痛いし、開けられないし、眼を擦る訳にもいかなくてお店の入り口で難渋して居たんだ。そこを成次君が助けてくれただけだ」


 姉さんから話される言葉に、頭の血が下がるどころか血の気が引いてきた。


「と、説明した通りだが、間違いないはずだな? 成次君」

「あ、ああ。東条が説明した通りだ、妹さん」



 姉さんの顔に嘘を言っているような感じは見受けられない。無論、金剛寺先輩からの言葉も嘘を言っているようには見えなかった。


 ということは、私は姉さんを助けてくれた恩義ある金剛寺先輩に噛み付いた事になるのだ。そう2人から見つめられて頭に昇った血が下がってしまえば、私の口から出る言葉は一つしかなかった。



「す、すみませんでした!!」







「いやはや、実に充実したお昼時間だったな」

「あれを充実したと言う成次君の感性を少し疑うな。修羅場とかそういうのに近い状態だったように思うのだがな」

「前にも言っただろう。東条含めて、妹さんの意外な一面も見れたんだ。新しい事を得る事は満たされていくという事だ。それを充実すると言わずして何と言う」


 相変わらず恥ずかしい事を平気で言う成次君。

 まったく、彼には羞恥心と言うのが無いのだろうか。

 そんな事を考えながら、先ほどの事を思い返す。


 あの場にいきなり表れたさなちゃん。

 話を総合すると、先日私が商店街で成次君に連れられたのを目撃された事と、そのとき泣いていた事が成次君の所為だと勘違いしたらしい。しかも、いきなりお弁当を持って彼と私が人気の無い所で話していたものだから、更に勘繰ってしまったらしいのだ。


 その後に表れた佳奈美ちゃん、美和ちゃん共々なんか散々頭を下げられてしまった。結局気にしてないからと、その場はお開きにはなったのだけれど、徒労感のような物は一切感じなかったし、最初に感じていた漠然とした居心地の悪さも、何時の間にか消え失せていた。


 理由は一目瞭然。単に緊張していただけの事だし、さなちゃんの新しい面が見えたからだ。


「何時もは大人しいさなちゃんが、あんな行動を取るとは……」


 啖呵を切るように大声で私と成次君の前に歩み出て、私を守るかのように成次君の前に立ちはだかったさなちゃん。

 私が知るさなちゃんは、どちらかというと大人しめで、あまり表に立つような事をしない子だ。

 だけれど、それは先の体育祭の時に見たように変わってきている。

 さなちゃんも成長しているのだ。


「本当に時間が立つのが早い。うかうかしているとあっと言う間に追い越されそうだ」

「妹さんの行動が、そんなに意外だったのか?」


 私の言葉に隣を歩く成次君が尋ねてくる。


「いや、意外ではない。嬉しかっただけだ」


 そう応える顔に笑みが浮かぶ。


 そう、嬉しかったのだ。


 私を心配してくれた上での行動だと判ったから。

 そして何よりも、私の前にさなちゃん自ら歩み出たのだから。


 私自身の独り善がりかもしれないけれど、“私の前に出たという事実”は、とても重要な意味を持つ事のように思えたのだ。過去の経験から少しだけ周りに距離を置くというか、遠慮し勝ちなさなちゃんが、とても前向きになっている。


 成長している。とても大きく。


 それを喜ばずして何が姉だろうか。


 それにあの時、私の事を“ちぃ姉ぇ”と呼んでいた。その後の謝罪では“姉さん”に戻っていたけれど、昔に戻った気分と、新しく進んでいる事が判ったから、とても嬉しかったのだ。


 色々な事が積み重なって関わって、変わらない事もあれば、変わっていく事もある。


 思い出せば思い出すほどに笑みが溢れた。


「いい顔してるな、東条」

「そうか?」


 私を見る成次君の顔にも笑みが溢れていた。

 それを見て、なんとなく気分を共有している事が嬉しかった。


「まぁ姉として、妹が成長した一面が見れたのだ。誇らしい気分にもなるさ」

「そうか。しかし、本丸の前に立ちはだかる城門は思いの外高いようだ。こりゃあ俺も相当気合を入れて掛からないと駄目だな」


 そう言うと、彼はふと足を止めた。


「東条」

「ん?」


 彼の問いに振り返る。


「この1年だ。この1年、高校を卒業する迄、俺はお前に勝負を挑み続ける事にしたぞ」

「はい?」


 勝負を挑み続ける? なんだそりゃ?

 彼の言葉の真意が掴めず少々ぽかんとしていると、少し顔を赤くしながら彼は言葉を続けた。


「要するにだ。お前に好かれるよう攻め続けるって事だ」

「……は? …え? え、えええええっ!!」


 な、なんだって!? 攻め続ける?

 これから卒業までアタックされ続けるの?

 なに、え? 何をどうするつもりなんだ?


 彼の言葉に、一瞬で顔が真っ赤になる。


「言ったろ。俺は過程が無ければ、簡単に物事を諦めれない性質だと。あぁでも、人の道を外れるような、そんな事は絶対にしないし、周りに迷惑が掛からんように極力努力はする」


 彼の言葉に混乱を隠しきれず、ただ黙って彼の言葉を聞くしかない状況のまま、彼は高らかに宣言した。



「東条、覚悟しておけよ。俺は必ずお前を振り向かせてやるからな!」

早苗さん空回るの巻

さなちゃん空回りは本当はもうちょっと早めにやっとく話なんですよねぇ……

さて、引っ掻き回し宣言が出たところで、次回から夏休み編に突入します。

その前に勇一郎回かな。

あと割烹でもご報告したのですが、なんとイラストを頂きました。

1話に掲載しておりますので、宜しければ是非ご覧になって下さい。

さぁ次も頑張ります!!


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2013/10/20 誤字脱字など修正

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