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第十六話 「延長戦前半」

 腕を組んでみて、顔には出さないものの胸中ドキドキしっぱなしで正直胃に悪い。


 いや、ドキドキしてません。


 どっちだって?


 しないと言うのは、所謂こう、男女的に甘酸っぱい胸いっぱいな、ドキがムネムネなんたらというものの事だ。


 今、私が体感しているドキドキは、さなちゃんに対してである。


 さなちゃんにラブでキュンキュンなのは当たり前なんだが、今の状態はソレとは違う。


 最初から覚悟の上ではあった。けれど明らかに不機嫌というか、拗ねてるオーラがひしひしと感じられる様子から、私の行いが正しいかという事に疑問と緊張を隠せない。


 現在、目的地へ向けひた走る列車の中で、座席に座れず3人で立っている。同じ事を考えてか車内はそこそこ込み合った様相で、少し蒸し暑く感じられる程だ。

 電車で立ったままなら、普通各々がつり革を持つなり、壁に持たれかかるなりして揺れる車内で体勢維持に努力する。が、私達に限って言えば電車に乗り込む前と同じで、私は勇と腕を組んでいるままだ。

 本当は電車に乗った時点で腕組みを止めようと思っいた。だけど、意外と勇が頑張ってくれているお陰で、下手につり革なんかに掴まるより安定して立っていられるので腕を組んだままだ。でも、逆側の腕を同じ様にさなちゃんが掴んでいるので、勇としてはつり革につかまるという事が出来ず、電車が揺れる度に体勢を崩さないように踏ん張っている状態だ。

 言葉で説明すると何か辛そうだけど、顔はニコニコと余裕ある表情を崩していない。剣道も足腰を鍛えて何ぼのスポーツであるのだし、これ位何とも無いのだろう。

 そういう事で安心してすがっている訳なのだが、電車が揺れれば人が動き、押されて思わず握る腕に手が入る。


 そうなると、必然的に密着度合いが高まる訳なんだが……


「意外と人が多いんだな」

「映画の造形展、結構人気があるらしいです」


 ガタンゴトン。ふにゅんふにょん。


「折角だし見て周ってみようか、勇一郎」

「人気があるとは言え行列が出来るほどじゃないだろうし。時間に余裕があれば、ゆっくり見て周ろうな」


 ガタンゴトン。


「ところでさ、早苗」

「何?」

「その、掴まるのは良いんだけど、握り方を考えてくれないと結構痛い……」

「……黙って掴まれてなさい」

「いや、だから……」

「黙ってなさい」

「押忍……」


 列車に乗ってから数十分。

 見た目上は何も変わった様子は見られないんだけど、明らかに身にまとう雰囲気が段々と変わってきている。理由は言わずもがな。いくら同姓からとは言え、ガン見されれば嫌でも分かるわ。でも、こればっかりはどうしようもないのよ……許して、さなちゃん。


 ってか、まさかこの方面から機嫌悪くするとは思わなかった。確かにさなちゃんは身体的特徴差を少しばかり気にしているのは知っている。だけど今において気を悪くするとしたら、私が腕に組み付いたことだろうと思っていた。

 この体になって思うのだが、どうしてこの2つの塊の有る無しで女性の階位が決まってしまうのだろうか不思議でしょうがない。いや、確かにまあ子育てには良いと言ったりもされるが、事男女間においては然程重要では無いだろうに。と言っても、さて自分が男だったときはどうだったかと言えば、そこはまぁ……ではあるが。

 ともかく自身の認識不足を素直に認め、自分の中でのさなちゃん情報を修正しておく。さなちゃんも何時までも子供ではないのだから、定期的な認識の再確認は今後も継続するべき事柄だ。

 それに勇はこういった事には動じないようで、今のこの“当たってる”状態にも関わらず顔色1つ変えていない。改めて勇が外見や身体的特徴などで判断するような、軽い男ではないと再確認できたのもプラスと考えるべきだろう。


 っと、話が横道に逸れた。


 確かに腕を組んだのは私からで、それはちゃんと理由があっての事だ。

 私が取り戻すべきは、さなちゃんの手本である私。そして仮想ライバルとしてさなちゃんを奮起させる為、それを迷わず実行に移すことが出来る私。

 だから、『欲しいと思うものは、多少強引でも構わない。実行あるのみ! 私が手本を見せてやる!』と上腕にすがるように腕を組んでみせた。仮想ライバルとして『熱くなれよ!』と、さなちゃんの行動に対しての対応を取ると共に、こうした方がいいぞと手本を示す。

 結果は上々。

 おずおずとではあるけれど、さなちゃんも顔を赤くしながら下腕に抱きつくようにしてみせた。その可愛らしい表情と仕草が相変わらず犯罪的で、勇も何だか顔を赤くしていた。


 実に素晴らしい光景で思惑通りだ。

 だが、身体的なことで予想結果に差が出てしまったが、これもまた堪えねばならぬ事の1つ。


 今回重要なことはヤキモチを焼いてもらうことだ。さなちゃんに申し訳ないが、今回ばかりは色々と頑張ってもらうしかない。

 以前さなちゃんが体調を崩したことは、これも原因の1つであると私なりに分析している。これも競い合う内の1つだし、気性が優しいさなちゃんが嫉妬という感情を学習する良い機会でもあるだろう。以前はそれを目の当たりにしてどうしてよいか判らず、結果溜め込み爆発してしまったんだと思う。

 私自身がその嫉妬の対象になるというのは実に胃が痛い思いではあるが、これも全てはさなちゃんの為である。


 そして、溜め込みというのは私にも言える事だ。今回のこのイベントにおいて、私自身の心の在り方の再確認と、平静を取り戻す良い機会なのだ。

 昔の自分は人の顔色ばかり窺って積極性を欠き、結果孤立してしまうこととなった。今まの私がそれと同じだ。こうして勇やさなちゃんの顔色ばかり窺って、行動に迷いが出た結果、自分自身に不安を抱いてしまった。顔色を窺ってしまうのだって、由梨絵とかに言われるまで考えたことも無かったことを指摘されての事だ。


 そんな色んな事が溜まり溜まって“できる事はやって後悔する”という私の1つの芯がブレている。


 それが自分の行動に色々と見えない制限をかけてしまい、自分自身を見失ってしまっているのだと。

 だから私は改めて、自分の行動が引き起こすことを考えつつも行動を怠らず、それにより起きた結果を受け止め、改善し、自分の糧に出来る私に戻るのだ。それには、今日色々と情報を得なくてはいけないし、それによって自分自身を整理しなくてはいけない。




 待っててね、さなちゃん! お姉ちゃん頑張るからっ!!




 気合も気持ちも十分な今日の外出。なんとしても成功に導かねば。







 うらめしや あなうらめしや うらめしや。


 早苗、心の俳句。


 どうして個人差が出るんだろう。

 同じものを食べて、同じ環境で育ったというのに、こうまで差が出る理由は何なのだろうか。

 少し前に冗談半分で揉んでみたことがあるのだけど、非常に手触りも良くクセになる触り心地でした。でも、それと同時に“何故自分には無いのか”っていう理不尽さが胸中に渦巻いて、なんというか衝動に駆られて引き千切ってしまうところだった。


「引っ張ったら取れないかな?」


 思わずそう口走ったら、姉さんが涙目で胸を掻き抱いて後ずさった。ちょっとだけその姉さんを見て可愛いと思ったのはヒミツだ。って冗談よ、冗談……。


 しかし男の子って、どうしてみんな大きい方が嬉しいのかなぁ。勇一郎も姉さんに腕組まれた瞬間、口の端が一瞬だらしなく曲がってたし。その後は平静を装ってるけど、明らかに意識してそちらを見ないようにしているのが丸判り。おのれ勇一郎……。


 でも負けないと決めた。


 だから“私だって”と、手を繋いだ状態から更に腕を絡めてみた。でも、フニュとかそういう擬音が発生する事は無く心の中で涙したけどね。

 でも、顔から火が出そうなほどの恥ずかしさも、それを上回る嬉しさで諸々どうでも良くなった。たとえこれが見透かされて乗せられた結果であったとしても、初めて勇一郎と腕を組むことが出来たのだから。


 そうして気分が落ち着いてみれば、この行動が物量勝負の当て付けではなく、これも姉さんなりのアプローチと公平主義の結果なんだと気が付いた。だって姉さんは私が腕を組んだのを見て、そうでなくてはと言わんばかりに微笑んでいたのだから。


 相変わらず姉さんは先を行っている。不満を顕にしてしまった自分が子供だと気付かされて、2重の意味で恥ずかしくなって言葉が思わずぶっきら棒になってしまった。


 ともかく、そうして少々気恥ずかしい一時間の後、目的地に着いて、まず立ち寄ったのはスポーツ用品店だった。


「忘れない内に先に1つ用事済ませちゃっていいですか?」


 さもちょっとした事のように言ったけれど、スポーツ用品店なんかへ真っ先に寄ったのは別の理由からだと思う。道中にあの凶器から繰り出され続けた攻撃に平静を保つのがやっとで、乱れた調子を自分に馴染みある場所で取り戻そうというのだろう。

 ちなみに剣道用具は、こういったモールとかにあるスポーツ用品店には置いていない。大体は専門店があって、そこから購入するのが常だ。何かしら買うことがあるとすれば、テーピングとかサポーター、コールドスプレーくらい。何で知ってるかは中学の時、ちょくちょく買い物に着いていってたから。

 で、その予想は外れていなかったようで、お店に着いて品物を見るからと私達から開放された勇一郎は、姉さんに隠れてこっそり溜息をついて、それから姉さんが掴んでいた腕をなんかニコニコしながら見てた。


 緒戦は圧倒的に姉さんが優勢だ。今日は負けないとの心意気で臨んだにも拘らず、最初から姉さんのペースに嵌っている。


 今回のようなに出かける事は、実は私のほうが姉さんよりも回数が断然に多い。同学年同学校という事もあって、一緒に動く時間帯が同じという事から得た結果だ。けれども、それはデートなどと呼べるものではなく、友達が一緒に買い物をしているようなものだった。


 昔はそれでも良かった。でも今は違う。


 何かこう他で巻き返しが出来ないものか。でも、今のところ勝ち目は低い。そんなふうに3人でランニングシューズを見ながら考えていると、手に持ったバックから軽い振動が伝わってきた。


(メール?)


 携帯を取り出してみれば、メールの着信を示す封筒マークがディスプレイに表示されいた。3人で出かけている最中に内容を確認するかどうか迷ったが、目の前の2人は結構真剣にシューズに目を向けていた。今の内であれば失礼にならないだろうと、さっとメールに目を通してしまおうとし、書かれている本文を見て首をかしげた。


『From:五所川原佳奈美

 to:東条早苗

 sub:迷える早苗よ

 TEXT:私達は常に見守っているぞ~。何かあったら相談するのだー!』


(はい? ……見守ってるって?)


 と思っていたらもう1通届いた。


『From:西ヶ谷美和

 to:東条早苗

 sub:頑張って!

 TEXT:外出先を被らせないようにと思っていたのですが、どうやら一緒の場所に来てしまったようです。お邪魔しないように注意してますから、今の勢いで頑張って下さいね!』


(み、見られてたぁぁぁ!!)


 思わず周りを見渡すがそれらしき人は見当たらない。

 確かに色々と外出するに当たって二人には相談したけれど、今の光景を見られていたという事が妙に恥ずかしかった。文面から察するに、どう考えても腕組んでたところから見られてる。

 でも、なんだか2人が『がんばれ』と改めて背を押してくれているようで、先ほどまで気後れしていた気持ちは何処かに吹き飛んだ。


(そうよね。あれだけ相談に乗ってくれたんだし。私が頑張らないと!)


 メールから貰った勇気をもって、未だシューズ談義に花を咲かせている2人へ切り込んだ。







「ねぇねぇ、勇一郎。どうかな、これ」

「んー? 似合うんじゃないか」

「もうちょっと気の利いた台詞位言ってくれてもいいでしょ?」

「いや、女性モノの事を聞かれても、俺じゃ余り……まぁでも色とかも似合ってるんじゃないかと、思う?」

「なんで言葉尻が疑問系っぽいのよ……」


 ピンクの夏らしいチェック柄ホルターネックワンピースを手にとって体にあて、勇に感想を求めているさなちゃん。フリルがふんわりキュートで、バックで結ぶ大きめのリボンが可愛いさなちゃんに良く似合う。姉さん的に超グッドですが肝心の勇の反応がいまいちなので、さなちゃんはご立腹のようである。

 でもぷーっと頬を膨らませつつも、じゃあこれは? それともこっちは? と手にしてきた服を体に合わせて勇を質問漬けにしている。実に微笑ましい。


「うん、どれも似合うと思うよ」

「もう……あ、そうだ。折角だし勇が見立ててよ」

「だから俺に聞かれても……」

「いいから、ほらほら!」


 手を引かれてちょっと困った顔をしながらもさなちゃんに着いて行く勇。ここに来て急にアクティブになったさなちゃんにちょっと戸惑っているようだ。

 そのさなちゃんの積極さに私も驚いている。

 私が腕を組んだことが起爆剤となったのかそれは定かではないけれど、積極的に勇にアプローチしているさなちゃんの姿は今までにない物だった。


 その今までとは少し違う、今のさなちゃんの感じ。楽しそうに、嬉しそうに笑顔に緩むその顔はいつもよりキラキラと輝いている様に見え、私から見ても非常に魅力的に思えた。そうして、「アクセサリ市とか、夏のセールやってるからそっちに行ってみない?」とのさなちゃんの言葉に、こうしてセール売り場に来て思い思いに商品を手に取っている。


 どう見たって、デート中のカップルです。いやもう、このまま私の事を忘れてデートしてくれていいのよ? 姉さん邪魔をするほどそんな野暮じゃないわよ?

 サマーブラウスをなんとなく手に取りながらも、微笑ましい2人を観察する。


(どうやらさなちゃんに発破をかける事は成功したようだし、これ以上それについては問題無しか。となれば後は……)


 そう。後は私の問題だ。


 でもこの問題も多分大丈夫だろう。

 朝のやり取りでそれは既に実証済みだ。私の行いは確かに波風立てるものでは在ったが、それを私は実行できたし、得た結果が最良のモノであると冷静に判断できる。それを元に今後も進めていけば、ブレもなくなるだろう。


(私の杞憂が過ぎただけか…)


 思わず安堵で胸をなでおろす。


 私が揺らいでいる根本。それは由梨絵にも言われた『勇と付き合う覚悟があるのか』という事。


 それは、私が勇の事を好きなのか、そして勇が私の事を好きなのかという事だ。


 私が勇を単純な『好き』か『嫌い』かで言うなら、私は勇が『好き』であることは間違いない。彼ほど頼れる男はそうは居ないと思う。だが、それが恋愛感情的に『好き』かどうか、となると私自身良く判らない。先ほど腕を組んでみたのだって、恋人的な事をすることで私にどう変化がでるかというのを試した部分もある。

 結果、ドキドキすると言うよりも、安心するというかホッとする感じのほうが圧倒的に強い。だとするなら、きっと勇に対しての気持ちは家族と同義なのだと思う。


 つまりは、単に私が自意識過剰過ぎただけだ。

 考え過ぎが原因とは、あまりの稚拙さに苦笑が漏れる。過ぎたるは及ばざるが如しなんて由梨絵が良く言っていたし、私自身もそれが良くないと常々考えていたのに、何時の間にか考えから外れていたとは。


 って、あれ? 安心してホッとする?


 ふと、自分が思い考えた言葉が胸中で引っかかった。


 前にそんな話をしたような……ってそうだ、確か入学式の写真の話だ。

 あの時由梨絵が写真を見て、勇が私を意識している様が手に取るように判ると言った。それに対して私は、勇とさなちゃんの写真を見せ、勇が自然体で穏やかなのは一緒に居て安心できるからだと自分で言った。だから両思いなのだと。

 という事なら、私は勇と居る事が日常の一部で、一緒に居ると安心する、自然体でいられると言うことになる。


 そして、私もそれと同じって事は……ええっ?

 思い至ると同時に鼓動が急速に早まっていく。


(え、嘘、嘘! そんな違う、違うって!)


 そう考える程に激しく鼓動が高鳴っていく。


 お、落ち着け、私。

 そもそも落ち着くのは一緒に居る期間が長いから家族のようなものであって、断じて特別に思うからとかそういうのではなく、勇だと異性とかそういう理屈を考える必要がないからであって、自然体で過ごせる数少ない相手でそれは元男同士という気楽さがあるから安心できるだけで、違うったら違う!!


 そう考えて、はたと気が付いた。


 私は『女』になると決意した。なら女が男を好きになるのは当たり前の事だ。何も間違っていない。というより私の、男と付き合うなんて無理! という考えが間違っている。この身は紛れもなく女で、そして私自身が『女』になると、恋をすると決めた。



 だから、私が『恋』するのは当たり前。



 何を今更だ。自分で言った事の筈なのに、なんで今になって意識する? 私が男の事を好きになるのだって当たり前。でも、これは単に『女』にジョブチェンジする為の、言わば方便のような物で、決して本気になるという事ではなく……。


「千鶴子さん」

「はいっ!?」


 不意にかけられた耳慣れた声に鼓動がいっそう跳ね上がり、口から飛び出さんばかりにけたたましく胸の内で鳴り響く。


「ど、どうした?」


 必死に胸中を悟られまいと、落ち着いた風を装って問い返す。


「いや、早苗に強いられ……じゃない、服を見立ててくれって頼まれたんです。で、まぁその事は終わったのでいいんですが、折角だから……」

「折角だから、姉さんも勇一郎に見立ててもらったらって話してたの」


 少し顔を赤くしながら、こちらを窺う勇の背に、喜色をたたえた微笑を浮かべたさなちゃんが両手にいくつか服を抱えながら言葉を継いだ。

 勇に見立ててもらったその手に持つ服は、既にさなちゃんのお気に入りとなる事が確定しているのだろう。大切な物を持つかのように優しい手付きで両手に抱えられている。幸せそうな顔をしているさなちゃん。


(いまのさなちゃんみたいに、私が……なる…?)


 自分で考え至ったことが頭の中でグルグル回り始める。「なんか前と似たようなことをやっているわね。進歩が無いわ」という、妙に落ち着いて判断を下す私と、「ちょ、やばいって! 何がとは言え無いけど、このままじゃやばいっ! 駄目駄目!」と混乱の極致に居る私が心の中でマイムマイムを踊っている。


「俺の意見じゃあんまり参考にならないかもしれないんですが……千鶴子さんが好きな服のコーディネートとか教えてもらえれば、少しは役に立つかなぁと」

「勇一郎、女物の服は判らないって言ってたけど、意外と見る目あると思うよ」


 何も裏は無いのは判っている。

 前後のつながりから全く関係ないはずの言葉と言うのも判っている。


 なのに今の言葉にあった「千鶴子さんが好き」という言葉を聞いた途端、私の中の色々なものが弾け飛んでしまった。



「す…」

「?」



 そんな私に出来ることは只1つ。



「すまん! ちょっとお手洗い行ってくる!!」



 赤くなったであろう顔を悟らせない為、その場を脱兎の如く逃げ出す事だけだった。


 女になると決意した事、――それから視線を逸らしたまま。







「どうですか?」

「いや、私は余り短いスカートとか穿かないから……ちょっと落ち着かないというか…その……似合ってないんじゃないか?」

「そんなことないっスよっ!!」


 試着室から出てきた姉さんは、肩周りがシースルー素材の白のドビードットブラウスに、ウエストや裾部分にブルーのパイピングが施されたフラワー柄スカート。

 パンツスタイルが多く、家等で着ているワンピもマキシ丈の物とかが多いので、学校の制服以外でスカート姿の姉さんは非常にレアです。

 スカートから伸びるスラっとした姉さんの美脚がこれでもかという程眩しい。


 トイレに行くと言って姉さんが戻ってきたのは10分程。

 突飛な行動にしばし呆気に取られたが、まぁ前も素っ頓狂なことをしていた姉さんだけになんか段々耐性がついて来たと言うか、少々の事では動じなくなってきている自分が居る。それに姉さんが私達を放って何処かに行くなんて事はありえないのだし。

 戻ってきた姉さんは見た目上普通だった。

 勇一郎は「なんか俺悪い事した? した?」と不安がっていたが、戻ってきた姉さんを見た途端、尻尾を振っている様が幻視できそうなほど機嫌が元に戻っていた。


 で、さっきの続きが目の前で行われている。


 これは私からの“挑戦状”という訳ではないけれど、姉さんが対等を求めてくるなら私だって対等であるべきだと考え、そしてもう1つの打算から、私が服を選んでもらったのと同じ様に勇一郎に「姉さんのも選んであげたら?」と提案したのだ。


 ただ、予想以上に勇一郎が食い付いて来たのは少々驚いた。あんなに私の時には自信がなさそうだったのに、いざ姉さんの服を選び始めたら、剣道の試合で見せるような真剣な表情をして服を吟味し始めた。

 そうして悩み続ける勇一郎を眺めること10分弱。勇一郎がコレと選んだ服を片手に姉さんが試着室へ入っていった。


「買うつもりは無いぞ。着てみるだけだからな? だけだからな?」


 何故か妙な念押しをして試着室へ入っていく姉さん。

 真剣な表情のまま、それを見送る勇一郎。

 服を選ぶ真剣な表情にドキッとしたけれど、姉さんの事を考えてなんだと思ったら、敵に塩を送るような余裕など無い自分が何をやってるんだ、と自分に呆れてしまった。


 そして案の定、着替えて出てきた姉さんを見て、暗い笑みを零す事になってしまった。要らぬ知恵を働かせて人の好みを探ろう、なんてまどろっこしい事をしたが故に、自分自身の首を絞めた。策に溺れるとはこのことだ。


「ど、どうだろうか、さなちゃん」


 上気させた頬で上目遣いにそう聞いてくる姉さん。いや、聞く先間違えてるでしょう。でもいつもは落ち着いた色合いの服ばかりの姉さんが、こういった明るめな色合いの服装をしているのは非常に新鮮だ。少々落ち着きのなさそうにソワソワした態度に髪の色とも相まって、なんか男受けしそうな清楚な感じがする。勇一郎、こういう格好が好きっていうか、姉さんにこういうイメージ持ってるのね……。


「いいんじゃないかな。普段もスカートとか穿けばいいのに。ね、勇一郎」


 思わず口調がフラットになりかけたのを何とか補正しつつ感想を述べる。それに続くように勇一郎も感想を述べたけど、明らかに私の時とは熱の入り様が違っていた。


「……千鶴子さん、すごく似合ってます。大人っぽくて」

「! も、もういいだろう? じゃあ着替えるからな」


 熱の篭った視線で姉さんを凝視する勇一郎。そんな視線を受けて相当落ち着かなかったのか、それとも評価に照れたのか、それだけ言うとさっと試着室の戸を閉めてしまった。


「イイな、千鶴子さん……」


 自分で選んだ、自分の好みの服を想いを寄せる人が着てくれて、それが似合って見えればそういう感想しか出ないだろう。

 私の時は「似合ってる」だけだった。見え透いた嘘は言わない勇一郎だから、似合ってると言ってくれた事は多分本当で素直に嬉しい。でも私には『すごく』が無かった。

 またしても現実を見せ付けられて気分が盛り下がる。どうせ私は地毛が栗色でくせっ毛でチビで凹凸が無くて、姉さんみたいに世の男子の理想的清楚系女子じゃないですよだ、チクショウ。


 こうなったら色んなお店を梯子して、徹底的に今の勇一郎の好みを暴いてやる!


 まだまだ始まったばかりなんだからね、姉さん、勇一郎!







 我ながら10分で平静を取り戻せたことは賞賛するべきだろう。


 いや、何の賞賛かはさておいてだが。


 というか、勇の事が好きなさなちゃんと同じ態度を私が取ったからそうだなんて、あまりにも安直過ぎる。自意識過剰過ぎだと、自分でそう結論付けた先からこれだ。それに妹が好きと判っている相手を好きになるなんて駄目だろ、姉として色々。


 ともかくトイレの姿見で自身を見つめながら、

「私は女。男が好きで正解。でも勇は駄目。私はさなちゃんの姉……」

 と、自身に暗示をかけるように呟き続けて何とか自分を取り戻した。隣にきたお姉さんにドン引きされたがな。


 しかし、どうしてこうも簡単に揺らぐのか。


 というよりも、私が自身に対して甘いだけか。

 今朝も自分を分析した気になって、納得したつもりでこの有様だ。どうにも私の認識は甘いようで、私に関する問題は少し根が深いのかもしれない。こうなったらもう少し慎重に、そして丁寧に考えるべきだ。バッサリ斬られかねないけど、由梨絵にも相談してみるのも手だろう。

 棚上げするわけではないが、今日中に何とかできる問題ではなさそうだという事が判っただけでも良しとしておこう。


 ともかく今日は3人で遊びに来た。さなちゃんが楽しそうに過ごせるように全力を尽くす事としよう。


 と、気持ちを切り替えて戻ってきたのは良いのだが……。


「勇一郎、姉さん。次はアクセ見よう?」

「次はバックね!」

「あと靴も!」


 時間にして30分程だったが、セール会場にてなにやらさなちゃんのやる気に火が着いたようで、あっちこっちと忙しない。いや、楽しんでいるようだから良いんだけど、何だか勇まで一緒になっているのはどういう事だか。


「勇一郎、これとかどう?」

「千鶴子さん、これなんか似合うと思うんですが!」


 勇よ。何か相談事があるんじゃなかったのか? と言いたいが、水を指すのも躊躇われ、結局二時間半ほどウィンドウショッピングに付き合うこととなった。なんだか小学生の頃辺りまで戻ったような懐かしさもあって、私も後半は楽しんでいた。ちょっと悪乗りして下着コーナーへ足を向けたら、流石に勇が途中で気が付いて踵を返してしまった。流石に悪乗りし過ぎたかと思い、素直に詫びておいた。


 そうして幾つかのショッピング成果を携え、屋外フードコートで昼を兼ねた休憩を取っている。


「結構買ったな。お小遣い、大丈夫か?」

「セールのお陰でかなり安くなってたし、全然。姉さんも買ったら良かったのに」

「今日はこの位で十分だ。というより、こちらが主目的ではないからな」


 私達に席を任せ、食事を取ってくるといって列に並んでくれている勇を見やる。


「さなちゃんは何か聞いていないか?」

「ううん。本題てなんだろうね」

「ふむ……話題になるようなことと言ったら、6月の大会結果だろうか?」

「う~ん…大会は終わってから結構日が経ってるから別の事じゃないかな」


 そういえば話には上げていなかったが、6月の中頃に行われた全国高等学校剣道大会の地方予選において、個人戦では今一歩及ばなかったものの、団体戦において見事優勝を飾り、剣道部は全国大会進出を決めたのである。

 勇は1年にして見事団体戦メンバーに選ばれ、チームに貢献してその株を大きく上げた。そして部として初の全国大会進出と言う快挙に、剣道部は今、大いに盛り上がっているそうで、日々の練習にも一層熱が入っているのだと言う。


(まさか本当に良い成績を上げてくるなんて思いもよらなんだわー)


 大会は土日開催という事もあって、私とさなちゃん、それにさなちゃんのお友達2人と応援に出向いた。まぁ私達のお陰という事は無いのだろうけど、見に行った甲斐は十分にあった。

 で、見事優勝を決めた部長の金剛寺君は、思いっきり爽やかなドヤ顔を私に向けてきた。いや、単に笑いかけてくれただけなんだがね……。

 次の大会で良い成績を上げ名前を覚えてもらうぞ、なんて言うから、この優勝情報片手に再度告白してくるんじゃないかと、実は気が気ではなかった。だが、今のところそんな事は無く、学校でも普通に話したりしている。最近はそういった回数も増え、廊下で会った際などは良く話している……気がする。

 なんだろう、このジワジワと削られている感じは。やっぱり何処かでハッキリと断らないと……でも何だか苦手なんだよね、金剛寺君。悪い人じゃないし、気取らなくて話し易いんだけど。なんというか踏み込んだら逆手に取られそうな、というか何だか深みに嵌る気がしてならん……。


「だとすると、なんだろうな」

「午前中はつきあわせちゃったから、午後は勇一郎の希望通りにしてあげよ?」

「うん。そうだな」


 そんな会話をしていると、ようやく受け取れた料理をお盆に載せ勇が戻ってきた。


「すまないな、勇。並ばせるようなことをさせて」

「いえいえ、席取ってもらってましたし。それに日差し強いッスからね」



 そうして穏やかな昼食を迎え、休日の前半が終了した。

何だか詰め込みすぎた気がします。っていうか何も起きてない!!

次話はようやく勇一郎の本題に話が及びます。

そろそろ状態を大きく動かせるかなぁ……


――――――――――――

2013/6/12 誤字修正


閑話

「いやはや、まさか腕組んで歩いてるとは……」

「腕組んで歩いて……いいなぁ。私も憧れちゃいます」

「でもどう見てもあれ、生方が両脇固められて連行されてるようにしか見えないよ?」

「絵面としてはそうかもしれませんが、早苗さんが打って出たことを喜びましょうよ」

「そうだな~。色々アドバイスをしたこと、多少なりとて役に立ってよかったよ」

「殆ど嗾けるに等しいアドバイスもありましたけどね」

「う……でもあの朴念仁相手なんだから、それくらいしないと駄目だろ」

「確かに。どうして生方君は早苗さんのアプローチに気が付かないんでしょうか…」

「まぁ……近くに太陽があれば、そりゃ眩しくて他も目に入らなくなるでしょ」

「でもイメージで言うなら、太陽は早苗さんで、月が東条先輩ですよね」

「どうだろ。最近は角が取れたと噂の千鶴子先輩は色合いのイメージは月だろうけど、実態はシリウスとかだよ、きっと」

「太陽の約2倍近い白色矮星ですか……壁は大きいですね…」

『さなちゃん、このあたりにしようか』

『そうだね。天幕の下取れないかと思ってたけど、席空いてよかったね』

「「!!」」

「こ、この声はっ……ど、どうしましょう? 早苗さん暑いの苦手だから手っきり室内店舗でお食事取られるかと思ったのに!」

「ど、どうするって一時撤…? ハッ!? これは盗み聞きしろという神の意思!」

「佳奈美さん。私達の合言葉は“押し付けにならない、迷惑をかけない”ですよ」

「いや、これは事故だ。私達が座っているところに“偶然”2人が近付いてきたんだ。私達に非はないぜ?」

「もぅ……確かに今立つと気が付かれてしまうかもしれませんから、静かにするしかないとは言え……盗み聞きなんて…」

「と言いつつ、視線は釘付けな美和でした」

「か、佳奈美さんってば!」

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