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第十三話 「体育祭」

 眼前の光景に目を奪われていた。


 呼吸する事さえ忘れてしまったかのように、その光景を食い入るように見つめている。


 別に目の前の光景が現実離れしているとか、そういう訳ではない。


 只それだけなのに、目を離せないで居た。







 6月末の今日、冬桜高等学校において体育祭が開催されていた。


 一応正式名称があって『冬桜大学付属高等学校競闘会』と言うらしく、学園発足時からの伝統的な名前……らしいのだが、長過ぎて誰も正式名称で呼ばない。体育祭で意味は通じるのだから、そんなのは些細なことだろう。前にちょっとした空き時間にネットで調べたことがあるのだが、体育祭というのは学生の協力性・調和性・連帯感・団結力を養う為に行われるらしい。気候的に春か秋が多いのは、修学旅行などと重ならないようにするための配慮だそうだ。


 ちなみに千鶴子さんが言っていたのだが、6月の体育祭一番の目的は、入学間も無い新学年生、つまり俺達1年生のクラス内親睦を、行事練習を通じて深める事なのだそうだ。入学から2ヵ月半以上経過していればそれなりに親睦も深まってはいるけど、それでもクラス内で話した事の無い奴もまだ居たりする。だからこうして一緒に競技する事を切欠として更に親睦を深めてもらうのが狙いだとか。

 そうして今現在、皆なんだかんだと言いながらも競技が終わる度に笑っている奴のほうが多いのを見れば、その試みは成功しているのだろう。俺も騎馬戦でチームを組んだ奴らとは良く話すようになったし、その流れで他の奴とも良く話すようになった。


「もう6月末か。早いよな」


 梅雨の最中、珍しく雲ひとつ無く晴れ渡った空を仰ぎ見ながら、誰に言うでもなく独り言つ。本当に早いもので、気が付けば入学して3ヶ月目に入ろうとしていた。

 この3ヶ月間、順風満帆という訳ではなかった。入学して直ぐは調子よく思っていたが、やはり時間が立てば問題点は出てくるもので、一騒動を経験することとなった。でもそれは結果として経験しておいて良かったと言える内容だった。


「そうだな。来月にゃもう期末だぜ。つい最近中間が終わったばっかりだってーのに」

「お前、中間は俺より平均上だったじゃないか」

「別に勉強が嫌いって訳じゃなくて、中間とか期末っていう言葉が何か嫌なんだよ」

「気にするようなことじゃないだろ」


 俺の呟きが聞こえていたのか、隣に居たクラスメイトが俺の独り言を拾って、そばの皆と話を広げていく。

 そういえば俺のクラスでの話をしたことが無かったが、友人もそれなりに増えている。基本運動部系の奴らばかりではあるけれど、皆一様にそれぞれが所属するスポーツについて目指す所があるらしく、切磋琢磨し合う良い友人と呼べる奴らばかりだった。


『続いてのプログラムは、各軍女子による学年別対抗10人11脚競争です』

「お、来たぜ!」


 そんな風に考えに沈んでいた俺を、クラスメイトの声が現実に引き戻した。


 運動場に目をやると、アナウンスがあった学年軍対抗10人11脚競争が、今正にスタートしたところだった。ちなみにチーム分けの目印は体操服の上に重ね着している赤、黄、青に色分けされたビブスだ。その青のビブスを着たチームが目に入る。


 見間違えることなどありえない、何時もの黒髪を低めのポニーテールにまとめた千鶴子さんが居た。


 背の高い千鶴子さんは少し中腰で列の真ん中に居る。大きな声で「1、2!1、2!」と皆を引っ張っているような感じだ。瀬尾野先輩も居るようで、こちらはどちらかというと引っ張ってもらっている感じだけど、視線は確り前を向いている。運動が苦手と聞いた事があるけれど、しっかりと足を動かして遅れまいとする姿勢を見せている。

 そうして足並みが崩れる事無く、ゴールに敷かれたマットに青軍グループが一番で倒れ込んだ。足を結んでいたバンドを外して立ち上がり、皆一様に抱き合って喜んでいる。千鶴子さんも抱きつかれて少し困り顔だけど、嬉しそうにしている。距離としては50mだけど、それでも失敗せずに協力し合って事を達成できるのは良い事だ。


「やっぱりいいよな」


 スポーツに限らず、こうした達成感はいいものだ。目前の様に思わずそう漏らすと、クラスメイトが口々に同意の声を上げる。


「ああ、やっぱ会長はイイなぁ。そこらのアイドルなんて目じゃねぇって」

「俺は副会長だな。あれは一種の凶器だろ。グラビア出たら絶対買うわ」

「でる訳ねーだろ。まぁ出たら俺も買うけどな」

「お前ら全然わかってないわ。放送部の水城先輩一択だろ。さっきのアナウンスもいい声だったなぁ。それでいてあの容姿。まさに天使だ」

「放送部の水城先輩って三年で一番身長が低いことで有名な……ってお前、まさか……」


 全然違った。


 たまにこんな風に会話がスポーツと全く関係ない方向に向くことがある。まぁ、こういうのは年相応と言うべきだし、悪くないと思う。流石にずっとこの話題ばかりされても困るが、スポーツ一辺倒では、それはそれで日々の生活に張り合いがなくなってしまうというものだろう。

 それに俺自身としても、そりゃぁ興味が無い訳ではない。千鶴子さんは普段着が妙にゆったりと、こう襟首が開いた服装をしていて屈んだ拍子に……って何を考えてるんだ。落ち着け、俺。

 …まぁ、自分としては千鶴子さん一本なので、こうして他の人から千鶴子さんの話題が出て、凄いと褒められることは『さすが千鶴子さんだ』と改めて思え、それがとても嬉しい。


 ただ、異性として見られているという事が、少々落ち着かない気分にさせられる。


 確かに俺は千鶴子さんが好きで、この一年で剣道で全一になって告白する気で居た。ただ、周りの状況に押されてという訳ではないのだが、別に全一に拘る必要は無いのではないかと最近考えるようになった。それは最近になって千鶴子さんが告白ばかりされていることとは少しは関係があるかもしれない。


 その切欠となったのは4月末に俺、千鶴子さん、早苗で起こした一騒動。


 これが俺自身にも少なからず考えさせる物だった。


 少し自分に余裕が無かったと、今までの自分をそう振り返る。脇目もふらないといえば聞こえはいいが、単に子供の頃から変わっていない、自分本位だったように思うのだ。だから切羽詰った早苗を目の当たりにした事で、自分を振り返ることが出来た。


 その結果得た認識は、目標を立てるのはいいが、それは自分と正しく向き合った上での回答なのかという事だ。

 追いつき並びたいという想いから気が付いた自分の気持ち。

 千鶴子さんの事が好きだという気持ち。

 だが、今回自分の想いを伝える為に課したハードルは4月の騒動を経た結果、何か違うのではないかと言う気がしてきたのだ。思い出されるのはあの時の千鶴子さんの台詞。


『勇、本当にありがとう。勇が居てくれるおかげで、私もさなちゃんも頑張っていける。どうかこれからも宜しく頼む』


 思わず口を突いて出た「自分が情けない」という台詞に対して、千鶴子さんはそれを真正面から否定してくれた。そして、ただ居てくれるだけで十分頑張れるとまで言ってくれたのだ。


 結局の所、剣道などは全く関係なく、自分の心持ち次第、つまり自分がどうしたいかが重要ではないかと。


 正直な所、揺れてしまっている。


 それは達成できなかった時の、ただの言い訳ではないのかと。だけど千鶴子さんに俺は未だ『認められていない』と、心のどこかが声高に否定する。

 そもそも男として意識されているのかすら疑わしい。この間だって過って千鶴子さんの下着姿を見てしまったのに、引っ叩かれるかと思いきや、その後の俺への応対は全く変わらなかった。

 だから認められるには、過去千鶴子さんが見せた強さに比肩し得だろう、中学で逃してしまった剣道全一になる方法以外思い付かなかった。だから結局、今の悩みは心の隅に留め置き、日々の練習に打ち込んでいる。回答が見出せ無いからといって、立ち止まるより今進んでいる道を行く方がよっぽど有意義だ。もし仮に間違いだったとしても、努力したことは無駄とはならない筈だから。


「さて、気が早いけど次の競技準備に行くか」

「気合十分だな、生方」

「まぁな。でも次はお前が上なんだからが、お前が気張らないといけないんだぜ?」

「フフッ。性能の違いが戦力の決定的差ではないということを教えてやるぜ」

「それ、俺でも知ってる台詞だぞ」

「ロマンだろ? まぁ言ってみたかっただけだけどな」


 腰を上げる俺に皆軽口を叩きながらも続いて立ち上がる。

 俺に出来た友人達は相変わらずノリが軽い。でも、それを居心地悪く感じたことは無い。こうして俺が下手に考え込んでも、友人達が居るから明るく過ごせる。良い友人が出来たことを改めて嬉しく思いつつ、次の競技へ参加するべく待機場所へと足を向けた。









「あ、勇一郎」

「ほんとだ。お~い!」


 待機場所へ向かう途中、早苗たち何時もの3人組とバッタリ出会った。今日の体育祭は学年入り乱れてなので、クラスごとの集合場所は決められていない。常にココで待機しろという事も不要なので、開始と共に思い思いのグループに分かれていた。「うーっす、3人娘さん」とのクラスメイトの冗談めかした挨拶に、「あたしらどこのユニットだよ」と佳奈美ちゃんが笑って答えている。


 早苗、美和ちゃん、佳奈美ちゃんの3人は相変わらず仲がいい。何度か早苗の家に泊まりに着た事もあるらしく、庭で夜の鍛錬を行っていると楽しそうな笑い声が聞こえてきた事があった。特にこの体育祭に応援団として参加する事が決まってから、更に連帯感のような物でも生まれたのか、何時でも何処でも3人一緒で居る。


 早苗は入学してからどこか張り詰めたような雰囲気をまとっていた。そしてそれは4月末に膨れ上がって爆発した。だけど、それが一種のガス抜きになったのか、張り詰めたモノが嘘のように消え去り、最近早苗はすっきりとした顔で笑うようになった。大人で無い自分が大人びたなんて言うのはおかしいとは思うが、明らかに今までとは様子が違っている様は俺には大人びて見えた。


 起こした一騒動による変化、それが良い傾向だと俺は思っている。といっても変わったのは雰囲気で、平素の感じは大体何時もと同じ。


「さっきの棒倒し、お疲れ様」

「皆さん、よくあの揉み合いから抜け出せましたね! 見てて凄かったですよ!」

「防御の崩れた後の殺到する様は圧巻だったな! 血が騒ぐぜー!!」


 今の受け答えだって今までとは変らない、初めての人が聞けばちょっと素っ気無く感じる言葉遣い。だけど少々声の感じが高くなっているのは、明らかに興奮していた事がわかる。美和ちゃんも同じく興奮気味に、それに続くように佳奈美ちゃんも目をキラキラさせながら会話に加わってくる。特に佳奈美ちゃんはスポーツ好きの血が騒ぐのか、今朝からテンション右肩上がりだ。


「あれは生方が抜けてくれたから、俺らも後に続けただけ。棒倒しの敢闘賞は生方だ」

「確かに一瞬の間隙を突いた生方の突破が起点になって、そこから一気に相手側へ殺到出来てたからなー。赤軍勝利に貢献した生方はポイント高いぜ!」

「勇一郎は体格がいいし、昔から走り回る事だけは得意だから」

「走り回ることだけが得意って、そんな人を車か何かみたいに言うなよ」


 早苗を追い込んだ要因の1つは確実に俺だ。早苗自身が変に勘繰って考え込んでしまったというのもあるが、そもそも原因が無ければ考え込むようなことはしない訳だし、その原因は千鶴子さんの提案を受けた俺に在るという事に弁解の余地は無い。


 あんな状況に至って、また自分が周りを見ていないという事に気が付いた。


 だから行動する前にまず一旦置いて考え、周りを見る事を心がけるようになった。剣道の読み合いのような、相手の動きを予想して行動するという事に近いかもしれない。別に相手のリアクションを想定して動くとか、そういうイヤらしい意味ではなく、考える範囲を広げただけの事だ。


「これから騎馬戦ですよね。頑張って下さいね」

「ありがとう、美和ちゃん。俺は馬の方だし、上のコイツにかかってるんだけどね」

「騎馬も騎手も息揃ってこその騎馬戦なんだから、生方も気合入れないと駄目だぜ?」

「勇一郎たちの練習見たことあるけど、毎回終盤まで残ってたから大丈夫でしょ」

「あ~なんで女子も棒倒しとか騎馬戦やらないかなぁ。あたしガンガン鉢巻奪うのに」

「んじゃ五所川原さん、俺と変ってみる?」

「やるやる!」

「佳奈美ったら本当にやるから、あんまり乗せないであげて」

「むー、バレたか」


 皆から笑い声が上がる。


 本当に居心地が良いと思う。


 多分前の俺だったら、程ほどに済ましていたかもしれない。剣道一本で、今年中に全一になるという目標を掲げていたから、他にかまけてはいられないと。でもこうしている事が、逆に良い方に繋がる気がしている。俺も早苗も余裕が無かったからこそ、ああなってしまった。余裕が無ければ早苗を護ることだって出来はしないし、その時の千鶴子さんについてだって気が付けたかもしれない。

 終わりよければ全てよし、という訳ではないが、早苗が起こしてくれたことが自分の改善に繋がった。早苗の事は護らなきゃと思っていたのに、結果的にだけど逆に助けられたのだ。これは感謝しなければいけないし、本当に早苗には色々と迷惑ばかりかけている。


(――自分の事もだけど、本当に早苗の助けにもなってやらないと)


 改めてそう思いつつも、それじゃそろそろ行かないと、と3人と別れて待機場所へと向かおうとしたところで再度呼び止められた。


「そういえば、生方ー」

「ん?」


 猫のように目を細め、悪戯っぽい笑顔を浮かべた佳奈美ちゃんが、何故か期待を込めた目でこちらを見ている。


「昼からの応援合戦、期待してろよ!!」

「ちょ、佳奈美!?」

「まぁまぁ、早苗さん」


 そういえば3人とも応援団に入ってたっけか。


 体育祭プログラムでは、お昼休憩明け一発目に各軍による応援合戦が行われる事になっていた。周辺他校と体育祭で差がある点を挙げるとしたら、この各軍毎に応援団が結成されて応援合戦が行われることだ。応援団の人数は実行とサポート含め1軍5~60名程度。内容については、古風な学ランを着た応援団、チアリーディング、オリンピック開会式などでもよくあるマスゲーム風なものがあって、毎年各軍順繰りに行われているらしい。でも毎年同じ内容じゃ面白くないから、時間内であれば色々とアレンジもOKだそうだ。

 今年の4組が所属する赤軍はチアリーディングを行う。そして今回の応援合戦に目の前の早苗、美和ちゃん、佳奈美ちゃんの3名が4組から参加している。各クラス最低3名で、全クラス志願者から構成されるそれに、3人が3人とも立候補したのだ。


「結構頑張って練習したんだから、ちゃんと見るんだぜ!」

「佳奈美ってば! もう行くから!」

「早苗さんってば……じゃ、失礼しますね」

「あ、ちょっと待ってってば~」


 そっぽを向いて早苗はいきなり駆け出していく。ちょっと呆気に取られて残された2人も、慌てて早苗を追って行ってしまった。


「東条さん達、頑張ってるねぇ」

「そうだな」


 早苗は高校に入ってからの早朝予習を今も変らず続けている。勉強にしても、こうしたイベント参加にしても積極的になって、本当に変ったと思わせる。早苗はあまり表に立とうしない性格の筈なので、応援団に立候補したことが少なからず驚きだった。


 でも心の一部では「変った早苗ならば」と妙に納得している部分もある。


「顔赤くして相当緊張してたな。人前でやる事だしそうなるか。ともかく、ああ言われたからには練習成果をしっかり見てやらないと」

「……ほんと、東条さんは頑張り屋だよなー」

「そうだな。3人ともかなり頑張ってたからな」

「おま……イケメンリアジュウバクハツシロ」

「ん、何だ?」

「なんでもねぇよ」


 見送る背に思わず羨望の気持ちが沸く。身近な人間――しかも護ってやらないと、と思っていた人間――が変わって行く様は、なんだか自分が置いてけぼりにされた気がしてしまう。自身に変化があったかはそう思っているだけで、本当かどうかは判らず、有っても微々たる物ではないかと思っている。


 俺は進んでいるんだろうか?


 何故か言い知れない不安な気持ちが湧き上がりそうになるが、頭を振って今度こそ待機場所へと足を向けた。


 結果として気の迷いがそのまま反映され、俺達は騎馬2組を撃破するも鉢巻を取られてしまい、早々にリタイアとなってしまった。勝敗としては我らが剣道部部長、金剛寺先輩が旗手を務める騎馬がグラウンドを縦横無尽に駆け、見事青軍が勝利を勝ち取った。



 そうして少しだけモヤついた気持ちを心の隅に追いやったまま、昼一番の目玉と言われる『競闘会応援合戦』が開始された。







 見知った人の変わった様を見せられると、羨望の気持ちが湧くとは言った。


 だけど、それが自分の想像を上回っていた場合、羨望とか何だとかそんな物は一切心に浮かぶことは無いのだと今日初めて知った。


 競闘会応援合戦において、まず行われたのが生徒会主宰によるものだった。


 グラウンド中央には直径1m弱もの大太鼓。その脇に長胴太鼓が2つ配置されている。それを囲むように四方に立てられた日月旗にちげつきの様な物が、ただの学生による体育祭の中に、ある種異様な空間を演出していた。


 その四方中央に、黒羽織で顔を隠すようにして静かに佇む舞人まいびとが2人。


 紺の剣道胴着と武道袴を身に纏った太鼓演者達が鍛えられた上半身を晒し、長50cmもあるだろう、使い込まれて飴色に輝く太鼓撥ばちで一斉に太鼓を打ち鳴らし始める。地を揺らすかのように響く重低音が見る者を圧倒し、合いの手のように響く神楽鈴の音が先ほどまでの異様さを打ち払い、厳かな雰囲気と緊張感を漲らせていた。

 一定のリズムで打ち鳴らされていた太鼓のテンポが、朗々と長く唸るように響く声と共に段々と早くなる。そして張り詰めた緊張感が限界に達した瞬間、一瞬の静寂の後、勝ち鬨のような一声が緊張を引き裂くかのように響いた。


 そして蒼天の下、白刃が黒羽織を裂いて舞人が躍り出た。


 緋袴、白衣の上に若松、鶴紋様の舞衣を纏い、花簪はなかんざしを煌めかせ、飾り扇と金拵え(きんごしらえ)の平安太刀を携えた千鶴子さんと瀬尾野先輩だった。艶やかな黒髪と巫女装束のような白と緋色、そして唇に差した紅、身に着けた装飾品がこれ以上無いと感じる程に融和し、2人をまるで美人画のように、この世界に実在しない空想上の人物を思わせた。


 ここからは、俺の拙い語彙力で言い表す事は到底出来ないほど幻想的な情景だった。流れる音楽と、響く太鼓と鈴の音。鍔競合いの接戦を演じるかのように、音に合わせ刀と扇子を時に鋭く、時に緩やかに振り、舞い踊る。


 とても――綺麗だった。


 それだけが、ただそれだけが心に強く掘り込まれた。


 瞬間、脳裏に何時かの光景が蘇った。


 それは中学の時、俺が無様にただ殴られてばかりの時に現れた千鶴子さんの姿だ。ああなりたいと思い、そしてそうなれるよう追い続けた姿。あの時は、ただその迷いの無い在り方に憧れた。だが、今目の前で舞う千鶴子さんは、それとは別のものを感じさせた。


 届かない。


 何時もの見知った千鶴子さんが遠くに感じる。いや、実際に遠いのだ。高校に入って俺自身が成長することで千鶴子さんに追いつく。その証として全一になれば何時かの様に助けられるだけの男ではないと、並ぶ事を認めてもらえると思っていた。だけど、俺はどう考えても馬鹿としか言いようが無いことを見落としていた。


 本当に何を今更だ。千鶴子さんも成長しているのだという事を失念しているなんて。


 目の前で舞い踊る、こんなに綺麗で凛とした千鶴子さんは見たことが無い。それはそうだろう。高校生として2年過ごした千鶴子さんが学校で何をやっていたのか、俺は知らないし知ろうともしていなかったのだから。近くに居るという事で、俺は知っている気になっていただけだったのだ。


 ――そうか。


 今更ながらに早苗が起こした事の本質が判った気がした。早苗もただ悪戯に事を起こしたのではなく、千鶴子さんが成長している事に気が付いたからこそ、ああも慌てて自分を追い込んだ。


 ――子供だったのは俺だけか。


 何時の間にか太鼓の音が鳴り止み、拍手によって千鶴子さん達が見送られている。それが置いていかれるようで、胸が苦しくて仕方なかった。そして、その後に行われた赤軍によるチアリーディングで早苗が見せた、早苗が変わろうと努力した結果、一挙手一投足が更に俺の心を強く抉った。


 早苗も俺が思っていた以上に変わっていたのだ。


 さっき会った時は何時もとかわらず緊張している風だったのに、いざ始まれば、その動きと真剣な表情から、応援合戦に全力で取り組んだ様がありありと見て取れた。そして締めのポージングで見せた笑みは、やりきった達成感に裏打ちされた、目標をやり遂げた人が浮かべる自信に満ち溢れたものだった。


 自分だけが「全一になったら」なんて悠長なことをやっている間に、幼馴染の2人はどんどん変わって、いや、現在進行形で変わろうと努力し続けていた。

 一体俺は2人の何を見てきていたのだろうか。

 先だって千鶴子さんから言われた『互いをライバルとして切磋琢磨していく』という事を、俺は軽く見ていたのだ。その成果をまざまざと見せ付けらて狼狽する様は無様としか言いようが無い。


 何が「早苗の助けになってやら無いと」だ!

 何が「千鶴子さんと早苗を護れる男になる」だ!

 何が「必ず2人の力になります!」だ!!


 自覚した『自分が周りを見ていないという事』は、自分に都合の良いように考えた結果であって、2人とも俺なんかがアレコレ言うまでも無く、自分の道を進んでいる。『周りを見る事を心がけるようになった』とか一体どんな顔して俺は自身が成長したと思っていたのか。近視眼も甚だしい所の話ではない。最早呆れるを通り越して、滑稽としか言い様が無い自分の行いに目を覆いたくなった。


 千鶴子さんにしても態々俺の成長を待ちながら、自身を成長させるなんて馬鹿なことは有り得ない。


 早苗だって自分から早朝学習に応援団参加にと、自身を成長させることに必死になって頑張っている。


 このままでは確実に2人に置いていかれてしまう。


 このままでは千鶴子さんにお願いされた“見届け人”としての責務を果たせない。


 どうすれば良い? どうしたらいい? 真っ暗な夜の中に放り出されたかのように、心の隅に追いやっていたものが膨れ上がり、心の中をそれ一色に塗り潰した。


 いや、どうすればとか、どうしたらとかじゃない!!


 やるしかない、だ!!


 いっそもう告白するか? いや、今告白しても結果は目に見えている。それに千鶴子さんは受験生だ。俺の都合と勢いを行き成り押し付けて、今の千鶴子さんの生活をかき乱すなんて事は絶対に駄目だ!

 でも告白して波紋を立てないなんて事は無理だ。それに千鶴子さんが最近告白されているという話だってあるから時間も無い。過ぎてしまった3ヶ月が悔やまれるが、悔やんでいても仕方が無い。

 もう遮二無二しゃにむにに、例えカッコ悪くても攻め続けるしかない。俺の頭ではその程度しか思いつかないが、千鶴子さんに振り向いてもらえるようアプローチし続けるしか他は無い。言葉を選ばないなら、押し倒すくらいの勢いで。友人達にも聞いてみるべきだろうが、現状では情報が不足している。


 だから、まず1つ、情報収集の為の初手を心に決めた。


 今の千鶴子さんの事をもっともっと知らなければいけない。今の好み――食べ物、服装、趣味等、改めて知らなければ。知っておけば色々と考える幅も広がる。断られるかもしれないけれど、動かなければ駄目だ。




 そうして、その夜。




 俺の家で開かれた東条家との『体育祭お疲れ様でした夕食会』の終わりに、持てる勇気を最大限に振り絞り、心に決めた初手を千鶴子さんに打ち込んだ。




「今度の日曜日、俺と付き合ってください」

仕上げにならなかった……orz

結局、皆やることが同じとかもう。

でも一応プロット通りなんですよー。


ということで引っ掻き回し役が更に増えました。


【インフォメーション】

 生方勇一郎がLVアップしました。

 クラスが“剣道馬鹿”から“考える剣道馬鹿”に進化しました。

 性格が“受身”から“積極”に変化しました。



――――――――――――

2013/5/14 一部誤字と表記ミス修正(ご指摘感謝)

2013/5/19 誤字脱字修正


閑話

「美和~。アレをどう見る?」

「東条先輩と瀬尾野先輩の演舞を見ていた様は、正に心奪われたという状態でした……」

「やっぱだよねぇ。アマチュアの中に場違いなプロが混じってるようなもんだったしねぇ……」

「終わった後の一部女生徒からの黄色い声も凄かったです」

「早苗めっちゃ可愛かったんだけど、やっぱあれかな。男子的にはカッコいい方が良いのかなぁ?」

「この場合は生方君の好みなんでしょうけど、多分生方君的にはカッコいい方なんでしょうね……」

「でもメッチャ見てたよね、生方。絶対何かしら思う所があったと思うんだけどな」

「確かに早苗さんのチアダンスを喰い入る様に見てましたけど、でもなんだか……演技を見ているようで、そうでないように見えました」

「確かに、なんか試合に臨むような目付きだったしなぁ」

「言い辛いですが、客観的に今回の勝敗を敢えて挙げるとするなら……」

「むあー! 言わなくていいよ! 判ってるとは言え、一筋縄では行かないな、生方も千鶴子先輩も」

「挑むは攻めるに難い虎牢関。立ち塞がるは全盛の呂布様といった所でしょうか」

「千鶴子先輩、薙刀やってるから方天画戟というより青龍偃月刀……駄目だ、どっちも勝てる気がしない」

「でも、私達が意気消沈していては駄目ですよね」

「うん。期末を越えたら夏だ! まだまだ私達のターンは終わらないぜ!」

「ですね! 今度こそ頑張りましょう!」

「しかし、どっかに孔明落ちてないかなぁ……」

「佳奈美さん、それは落ちてるようなものじゃないですって…」

「在野にいたら即登用するのに」

「ゲームじゃないんですから……でも何となく気持ちは判ります…」

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