第九話 「本当の私は」
「…姉さん、危ないよ?」
「大丈夫、大丈夫」
「人通りもこの時間は少ないから大丈夫だとは思いますけど、千鶴子さんちょっと控えた方が…」
現在7時過ぎ。
いつもなら勇一郎と2人で登校している筈なのだけど、今日は姉さんも一緒だ。いや『今日は』ではなく、『これからは』が正しい。
私たちの数歩先を歩く姉さんの足取りは何時になく軽やかで、縁石の上をスキップのような歩調で歩いている。何時もは真っ直ぐ歩く姉さんがこう左右に揺れながら歩く様が非常に危なっかしく見えるのか、その後ろの方で手を上げたり下げたりと落ち着きなさ気な勇一郎と、更にその後を私が着いて登校している。
昨夜、私と姉さんの間で行われた会話は、正直な話として始終姉さんのペースに飲まれてしまっていたように今は思う。目の前で突如行われた恋のライバル宣言?に着いて行く事が出来ず、殆どそれが決まってしまったような状態のまま会話を進めてしまった。
だけどそれを後悔しても始まらないし、私は自分で決めたのだ。
◇
「どういうつもりなの、姉さん?」
混乱の中にありつつも少し抑揚の無い声で呼びかけた私に、少々高揚気味だった姉さんは慌てて腰を据えると、改めて私の目を見つめてこう語ったのだった。
「私は、さなちゃんにとって“本当の姉”になりたかったんだ」
静かに感じる空気の中での姉さんの一言は妙に響いたように聞こえた。確かに煩わしく感じたことはあっても、姉さんの事は本当に誇らしく思っている。なのにそんな姉さんが、いつも肩で風を切る様に歩く姉さんが、姉であることに不安を感じているなど信じられないことだった。
「先ほども言ったとおり、私はさなちゃんが大切だ。あくまでの例えで気を悪くするかもしれないが、もし私が死んでさなちゃんが助かるなら、私は一切の躊躇なく喜んで命を投げ出す。それほどに大切なんだ」
例えと前置きはしているが、それを語る姉さんの目からは迷いが見えない。無論姉さんはそれがどういう事なのかはちゃんと理解はしているのだと思うし、想いの程としての言葉なのだろうけど、多分それと同じ状況が発生したなら、きっと躊躇無く行うことは想像に易かった。
「だけれど、それは私の都合であって、さなちゃんの事を考えていない。護ることばかりに固執して、さなちゃんを籠の中の鳥のように扱ってしまっていた事に今更ながらに気が付いたんだ。それではさなちゃんに何の刺激もない、無味乾燥な生活を送らせてしまう。そんなつもりは無かった筈なのに、また近視眼になっていた」
言葉の内容と「姉として失格だな、まったく」と姉さんは自虐的な言葉を並べるけど、その表情はさっぱりとした物だった。
「今回の事も、結局私の我侭でいたずらに掻き乱してしまい、その結果が今日の有様だ。同じ事を起こさないようにするにしても、今ある状態を無かったことにするのは無理な部分が多い。だから私自身が変ることと、今ある状況を利用するしか無いと思っている」
本は私の早とちりが原因にも拘らず、自分が悪かったと言って聞かない姉さんは相当に頑固者だ。私に関係する事が起因しているから尚の事意固地になっているように見えるけど、多分私も姉さんの事になると多分同じになると思う。でもそれは自分がまだまだ子供だからであって、だから私は大人になりたかったのだ。そう考えると姉さんも一人大人になったように感じていたけれど、まだ想い悩む私と同じなのかもしれないと思え何故か安心を覚えた。
「だから私は…言葉で言うなら、そう。“素直”になる事にしたんだ」
そして姉さんはちょっと困り顔のまま笑みを浮かべてこう言ったのだ。
「ちゃんとした姉になりたいと思うことは今も変らない。だけど一人はやっぱり“寂しい”んだ。だから、一緒に私と歩いて欲しい。これからも、ずっと」
結局のところ根本は変ってはいない。『いつも3人で』が姉さんの中にある大切なものなのだろうけれど、ずっと3人一緒には居られない事も承知しているんだろう。だから困ったように笑みを浮かべているのだ。
姉さんの言わんとしていることは判っている。それは私自身がこの1年の間で見つけたいと思っていたことと殆ど変りはない。しかし、方法というか最終的な判断のラインに『勇一郎』を持ってきたことが、意地が悪いというか姉さんらしく思えた。最終的に越えなければならない点、一番重要な点をピンポイントで指定してきたのだ。
背後の事情を知らないからそうなのだろうけど、そもそも振り向かれるように努力しなくても、もともと振り向いていて相思相愛なのだから勝ち目は全く無いと言える。でも今日持ってしまった希望は、最終的に姉さんという壁に帰結する。となれば、渡りに船かもしれないし、チャンスかもしれない。
姉さんの行いを見つつ、私も自分を磨く。相乗効果と言う奴だっけか、それが狙えるかもしれない。
いわゆるライバルは互いを成長させるってよくあるパターンだけど、今はそれが確かな方法に思えた。無論、多分こう考えててしまっている事自体、状況に流されていた証になるのだけど、姉さんは並びつかなければならない私の一つの到達点だ。生半可な意気込みで到達できるものじゃ無い筈。
であるなら、これはチャンスと考えるべきじゃないかと思ってしまった。姉さんが私のライバルとなるなら、LV1で魔王城に乗り込む気分ではあるけれど、願ってもないことかもしれない。だってあれだ。ちょっと前に中学の友人がやっていたのを横で見たのだけど、LV1ではぐれ○タルとか倒したら凄く成長するじゃない?あれと同じ原理が適応できるのではなかろうかと。まぁ姉さんはどう見ても剣を両手に持った隠しボス的な何かだけど、ともかく他の人よりも長年一緒に居た人なら、ある程度相手の手の内は見える……はず。
そうして短い葛藤の後、私は姉さんが敷いたレールを受け入れた。
元々ダメだと思っていたのだ。「当たって砕けろ!負けるな、私!」と心の中で喝を入れ、改めて姉さんを真正面から見据えて宣言した。
「わかったわ、姉さん。私、姉さんに負けない!」
「ああ、私だって負けない」
ということで互いに笑顔を浮かべながら、東条家における『勇一郎に関する東条家内紳士協定』が結ばれた。
ひとつ。肉体的な直接的アピールは厳禁。
ふたつ。直接的な表現「好きだ」とは言わない。
みっつ。互いの邪魔はしない。あくまで個人アピールで。
よっつ。勇一郎に決を下してもらい、その裁定に文句は言わない。
そして、最後に。
私たちは何時までも家族であるという事。
まぁ、正直な所勢いだったかなと思わないでもない。でも、それでもこうして自分で自爆して回りに迷惑をかけるよりかは遥かにマシだと思ったのだ。
そうしていつもと同じように過ごし、いつもの様に床に入った。
昼間あれだけ寝たにも拘らず、姉さんと曲がりなりにも互いの胸の内の一部を晒して話した結果か、意外とすんなりと寝入ることが出来た。
でも、夢で見たのは、豪奢な玉座に座って首輪をつけた勇一郎を侍らせて高笑いする、際どい衣装を着た悪魔っぽい姉さんの姿だった。
…………
……
…
「おい、早苗も何とか千鶴子さんに何とか言ってやれって!」
強い口調の勇一郎の言葉にふと我に返る。昨夜の事を思い出して、どうやら自分の考えに沈んでいたようだった。目の前には何故か非常に焦った勇一郎が私に向かってしきりに何かを訴えている。「何をそんなに焦ってるの」と、それに促されるように顔を上げて目に飛び込んだ風景を見て、私も目を丸くした。
縁石の上を歩いていた姉さんは、いつのまにかポール状ガードレールの上を歩いていた。
なんか金色の草原を歩く感じの音楽が聞こえそうなポーズで、よっ、はっ!と掛け声を発して、合間にある支柱を飛び越えながら姉さんがいやに重心の安定した足取りで歩いている。普段からは想像もつかないお転婆な行動に私もしばし開いた口がふさがらなかったが、「危ないから降りてくださいってば!」と懇願する勇一郎の声に私も慌てて同調した。
「な、何やってるのよ、姉さん!危ないじゃない!」
私の大声に姉さんが歩みを止めて振り返る。その顔はまるで子供のように屈託が無く、朝の空気とも相まった非常に清々しい笑みを浮かべていた。普段の姉さんならこんな事はしない。っていうか普通なら「行儀が悪い」と叱り飛ばしそうな事を姉さん自身がやっている事に驚きを隠せなかった。
「さなちゃんもやってみるか? 視点が高くなって気持ち良いぞ?」
まるで悪い事をしたとも思っていない悪戯っ子の様な笑みを浮かべる姉さん。私たちのほうを見ながらも体が揺らぐことは無いのは流石だと思うけれど、危ないことこの上ない。なにより人通りが少ないから良いけど、生徒会長である姉さんがこんな姿を他の人に見られでもしたら何と言われるやら判ったものではない。
「姉さんは生徒会長なんでしょ?そんな姉さんが何やってるの!」
私の声にようやく姉さんがバツの悪いと思ったのか、ガードレールの上から降りる。よっ!と威勢の良い掛け声つきでガードレール上からジャンプし、学校指定の運動には不向きなローファーにも関わらず見事に着地を決める。人気の少ない朝の通学路を背景に、ふわりと広がる綺麗な黒髪と制服のスカートを従えて降り立つ姉さん。まるで漫画のヒロイン登場のワンシーンのようで、おもわず見とれてしまった。
「すまない、ちょっとはしゃぎ過ぎてしまった様だ。以後慎むよ」
いつか浮かべていたのと同じような喜色満面の笑みを浮かべる目の前の姉さんは、言葉とは裏腹に大変ご機嫌が良いようだった。何がそんなに姉さんを上機嫌にさせているのかは判らないし、朝家を出て勇一郎の家に迎えに行ったまでは普通だったはずなのに、学校に近づくにつれテンションが上がって抑え切れないようだった。
でも機嫌がいいことは良い事なのだけど、見過ごせない物もは見過ごせない。
だから私は強い意志をもって、勇一郎を問いたてた。
「……何色だった?」
「青……いや、俺は何も見てない!見てない!!」
勇一郎、アウトぉー!
某シリーズの効果音が頭の中で鳴り響き、私は勇一郎の持つ竹刀袋を奪うと容赦なく彼の臀部めがけスイングした。
目の前でお尻を抑えてうずくまる勇一郎と、私の行為を見て目を丸くしている姉さん。
私が悪いんじゃない!!
世間が悪いんやー!!
私の心の叫びは、朝の清々しい空気と晴れ渡った空に吸い込まれていった。
◇
「あはははは!それで朝、生方の動きがぎこちなかったのか!」
「笑っては可哀想なんでしょうけど……っ…っ」
放課後、級友が殆ど帰った後の教室で今朝あったことを二人に語っていた。あの後は姉さんに女性の恥じらいというものを嫌というほど語って聞かせた。だけれど暖簾に腕押し状態で、「別に減るものでは無いのだし…昔は一緒にお風呂に入った仲じゃないか」と言い出す始末。勇一郎は勇一郎でなんか顔を赤くして落ち着きを無くすしで、非常に混沌とした登校となってしまった。
ちなみに一応今回のようなことは、昨日の取り決め第一項に抵触するんだからと姉さんにはきつく言っておいた。言葉遣いもそうなのだが、時折姉さんは変な所で男らしいというか、豪快なのだ。でもあれで更に女らしさが加わるとなると更に手が負えなくなるかもしれないので、今が丁度良いのかもしれないけれど……。
そうしてちょっと疲れを覚えつつ、学校に着いて何時も通りに予習をしていると、美和と佳奈美がやって来た。
昨日の事があったので先ずは謝らないといけないと思っていたが、登校してくるや否や顔をじーっと見つめられ「合格ー!」と、何だか良くわからない佳奈美の掛け声に思わず噴出してしまった。
そうして一頻り笑った後、私から出た言葉は「ごめんなさい」ではなく「ありがとう」だった。その言葉を聞いた2人は微笑んだまま、昨日の事に何も言及せずいつも通りにこうして話してくれている。
多分話さなければ2人はずっと触れないでいてくれるだろう。聞いて欲しいと言う気持ちが無かった訳では無いし、言ったところで2人を困らせる事になるとも理解はしていたけど、『ちゃんと話さないといけない』と、放課後こうして人気が無くなる頃まで2人に残ってもらっていた。
「ねぇ、2人とも」
そうして勇一郎の話が一段楽したところで、私は静かに切り出した。
「…やっぱ話さないと収まりがつかない?」
なんとなくこうして帰らず話し続けていたことに察しが着いていたのか、腕組みをしてすこし硬い表情で私に問い返してくる佳奈美。美和も静かにこちらを見つめている。2人とも私が話そうとしている内容が判っているのだろう。改めて確認するように、そして私を気遣うようにこちらを窺っている。そんな2人だからこそ蚊帳の外にせず、ちゃんと話さなければならないと、私は改めてこくりと頷いた。
「うん。迷惑かもだけど聞いて欲しい」
私のその言葉に2人は互いを見やった後、1つ頷いて私に改めて向き直った。
「解りました。私は構いませんが、佳奈美さんもいいですよね?」
「用件を聞こうか……」
「佳奈美さん…」
「ご、ごめん。いや、ちょっと緊張を解そうかと思ってさ」
妙に低く渋そうな声を出して返事をする佳奈美に思わず肩の力が抜けると共に笑いが出る。そうして私は事のあらましを語った。時間は限られているから簡潔に話そうと思っていたけれど、話し出したら止まらなかった。そうして結局私が勇一郎の事が好きだって事も、昨日の夜の姉さんとの話も話してしまっていた。2人は話の腰を折ることなく、最後まで静かに呆れたりせず私の話を聞いてくれた。
そうして話し終えた私が様子を窺うと、2人とも笑顔を浮かべていた。まるで私の話す事、起きた事を予め知っていたかのように、美和も佳奈美も予め用意しておいた答えを口にするみたいにハッキリと答えてくれた。
「あたしは何時だって早苗の味方だぜ!」
「私もです!」
この答えを聞いた時の私の心は言葉では表すことは出来ない。なんだか心の内を見透かされているようだったけど、不快感なんて一切感じることは無い。未だ会って一ヶ月、それなのにこれほど私の事を慮ってくれる2人は万の援軍を得たに等しく、感極まって涙が出そうだった。
「…ま、結論は既に出てたしね~」
「そうですね」
そういいながら肩を組むように私に手を回してくる佳奈美。いつの間にか握り締めていた私の手を握ってくれる美和。
「一人の好士より三人の愚者…ってやつかな?って愚者はあたしだけか」
「志を同じくする者3人ですから『桃園結義』といったところでしょうか?」
静かになった教室に3人の声が響く中、なんと返事をしていいか判らず、結局私から出た言葉は朝と同じ「2人とも、ありがとう」の一言だった。
こうして、私は気持ちも新たに姉さんとぶつかる事を腹に決めた。
1人では心細くても、3人一緒ならどんな結末になっても笑っていられるだろう。
勇一郎の席を見つめながら、私はそう思うのだった。
◇
「えらくご機嫌ね」
「そうか?」
放課後、何時もより珍しく早く生徒会業務が終わって荷物を片付けていると、昨日と同じように由梨絵から声をかけられた。
「どうやらその様子だと、妹さんとの話しは上手く行ったようね」
私の様子に眉を下げ安心したように目を細めている由梨絵。やはり口では色々と言ってはいたけれど私の事を心配してくれていたようだ。そんな彼女の心遣いが嬉しくて、私は胸を張って昨夜の結論を口にした。
「ああ、流石は私のさなちゃんだ。不甲斐ない私であった事を素直に許してくれ、そして私とぶつかってくれることに賛同してくれるなんてな」
昨夜、私が自分の心の内を語り、いかに自分が不甲斐ない人間であったかを正直に話した。さなちゃんはそんな私を蔑む事は無く、それでも一緒に居たい、歩きたいと言う私の願いを叶えてくれた。
本当に私とは似ても似つかないほどに良い子だ。そんなさなちゃんに、私は未だ自分の本当の姿を隠したままで居るのは心苦しいが、今の私は『千鶴子』なのだ。それに私は自分を変えることを決意したのだから。道程でどのようになるかはわからないけれど、一先ずの“自分”と“私”に一応の決着をつける。そして心身共に改めてさなちゃんの手本となるのだ。
そしてこれからも、私たちの関係は変らない。
なんというか、やっとピースが揃ったような気がしているのだ。
なので機嫌が良くなるというのは無理からぬことだろう。っていうか今の状態で機嫌悪くなれなんて言う方が無理だ。その所為で思わず朝はちょっと奇行に及んでしまったので自重はしているつもりなのだが、今日はとにかく何時に無く気息充実した日だった。
「まぁ、昨日も言ったけど、それで生方君を困らせたらダメよ」
「ああ、判っている」
昨日した会話は私達だけの話であったし、勝手に決めてしまっている部分はあった。だから今日の昼休み、私は勇を呼び出してちゃんと事の経緯を話しておいた。一応前回の事があるので、呼び出しの手紙を通りすがりの1年生にお願いして勇に渡してもらった。
昼、職権乱用ではあるが生徒会室を利用して二人きりで話をした。勇にお願いしたいことがあると切り出した私に、彼は何時ものように折り目正しい態度で話を聞いてくれた。
「私とさなちゃんは、これからある事を目的に互いをライバルとして切磋琢磨していくこととなった」
「ライバル、ですか?」
好敵手という言葉に引っ掛かりを覚えたのか、訝しむ様に私に問い直す勇に私は「そうだ」と胸を張って答えた。
「私たちは家族だ。それは一生変らない。だけれど大人になるには、成長するには譲れない部分もある」
結果は見えているし、本来は譲るべきなんだけど、それでは折角の決意が無駄になる。それに自身が手本となると自分で私に科している以上、手を抜く事は出来ないし、なによりも私が変らなければならない時なのだ。前の自分では『自身が変る』なんて事は諦めていただけに、大切な人が出来るという事がどれだけ大きいことなのか、今改めて実感してた。
「今まで大切に思うにあまり、私は変ることを恐れていた。だけれどそれでは駄目なんだ。だから昨夜さなちゃんとお互い変れるよう成長しつつ、互いにそれを受け入れようという話しをしたんだ」
表情を変えず真剣に耳を傾けている勇に私は言葉を続ける。
「だから勇にはその見届け人、そして判定人となって欲しい」
「俺が…?」
いきなり判断を下す人になってほしいという私の言葉に、驚いたように自分で自分を指差して問い直してくる。確かに私達の自分勝手で彼の都合を考えていないのだからそうなる。だが、それでも彼にお願いしなくてはならないし、彼以外に答えを出すことは出来ない。だから私は彼との間合いを一歩詰め、自身の意気込みをぶつけるかのように力を込めて勇を見つめる。
「そうだ。私たちに一番近い勇だから、いや『勇』でなくては駄目な事なんだ」
「俺でなくては……駄目…俺にしか出来ない事?」
「ああ、そうだ」
勇が少々腑に落ちない表情になりながらも話を聞いている。先ほども言った通りだが、彼の与り知らぬ所で決められた事だ。勇にしてみれば腑に落ちない事だらけなのだろう。だがそこを曲げて受けて欲しかった。
「勝手だと承知している。だが、どうか私達2人の為に勇の力を貸してほしい。“勇だけ”が頼りなんだ」
最敬礼の角度で頭を下げ、そのまま勇の回答を待った。そうして秒針がきっかり一周した所で、勇から回答がもたらされた。それは十二分に私の望みを叶えてくれるものだった。
「俺なんかでよかったら、いえ、必ず2人の力になります!だから任せてください!」
顔を上げて視界に入ったのは、胸を叩く様な姿で笑顔を浮かべている勇。いつかの姿と重なり『やはり頼りになるな』と、さなちゃんを任せられるのは勇以外ありえないと改めて思った。
そうして彼の手を取り「ああ、どうかよろしく頼む」と笑みを浮かべて見せた。勇は気持ち良いほどに真っ直ぐに「はい」と力強く返事を返してくれたのだった。
「ま、生方君もそれで納得したなら良いんだけどね。でも彼、もしかして被虐趣味でもあるのかしらね?」
「どういうことだ?」
昼にした勇との会話を聞かせていると、不穏な事を由梨絵が言い出した。
「だってそうでしょう?明確な理由は明らかには出来ないけれど、争いに巻き込まれてくれ、そして最終判断を下してくれなんて、一片の利も自分に無いのにそれを受けるんだもの。私は面倒過ぎて御免こうむるわ」
「む、利はあるぞ?」
彼女の口癖である面倒が出たことに思わず反論する。どんな?と問い返す由梨絵に私は胸を張って答えた。
「だって将来を共にするさなちゃんが更に成長するんだぞ?『利』以外何があるというんだ」
その言葉を聞いた由梨絵は、先ほどとは打って変わって呆れるように頭を振った。
「ねえ、千鶴子。1つ突っ込んで良いかしら?」
「なんだ?」
由梨絵が真剣な表情をして聞いてくるので、私は彼女に体を向けてそれを受けた。
「そんなことないとか、ありえないとか、そういう前提は無しで、ちゃんと答えなさい」
「…わかった」
何時もより強い口調の彼女に、私は居住まいを正して彼女の問いを待った。
そうして彼女から放たれた言葉は、私の思考を真っ白にした。
「もし、生方君が千鶴子を選んだら、ちゃんと貴女は彼と付き合うんでしょうね?」
「え゛?」
「ま・さ・か、考えてないとか言わないわよね?」
由梨絵の厳しい視線が私を射抜く。いや、その……その『まさか』で考えてませんでした。だって勇はさなちゃんの事が好きなんだから、億に1つの可能性すらありえない。太陽が西から昇るくらいにあり得ない事なので、その点の思考はサッパリ私の中から抜け落ちていたのだ。
勇が私を選ぶ?……はっはっは。ありえん……でしょ?だが、なぜか嫌な汗が背を流れ落ちるのを感じる。由梨絵に忠告されたにもかかわらず出た言葉は、しどろもどろの情けない言葉だった。
「そ、そんなことは……ないと…思う。だって勇はさなちゃんが…」
「そんなことはない、は無しよ。どうなの、実際」
言葉に詰まる。
勇と一緒になる?……想像がまったくつかない。結婚して、あれやこれやして子供が産まれ家庭を築く?そんなイメージは一片たりとも頭に浮かばない。そのイメージの場合、勇の相手は必ずさなちゃんなのだ。私はそれを見ているだけ。それだけで十分なのだ。
だが、その考えを由梨絵は真っ向から一蹴した。
「これだけ人の心を弄ぶに近い事して、他が幸せなら私も幸せ、なんて腑抜けた事を考えているなら縁切るわよ?」
由梨絵の言葉に、浮き立っていた心が冷える。
確かに今回決めた事柄は人の心が大きなウエイトを占めている。だから“心を弄ぶ”という表現は間違いではない。そして、考えるまでも無いことのはずだけど、確かに考えなくてはならない。それがもし、仮に、本当に現実になってしまったら?私は受け入れなくてはいけない筈だ。そうでなければ、昨日今日とさなちゃんと勇とした会話を嘘にしてしまう。2人に対して非常に失礼どころの話ではない事になる。
なら、私も腹を括らねばならない。だけれど私にそれが出来るのかと不安だけが重くのしかかる。多分これが今回私が選択した行動の責任の重さなのだ。だからやはり、私は決めなければならない。
そうして私は腹の底から搾り出すように、何とか言葉を口にした。
「わ、判った。私も女だ!責任は必ず取る!」
「二言は認めないわよ?」
「ああ」
言ってしまった。元々後には引けないことではあったが、これで確実に後には引けない。躊躇とも困惑ともなんとも着かない表情を浮かべてしまった私を見て、由梨絵が意地の悪いような笑みを浮かべて宣言した。
「よろしい。裁定の役目なんて面倒かもだけど、私もこの件噛ませてもらうわよ。貴女がどういう決断を下すか、今からが楽しみだわ」
「…由梨絵、意外と意地悪?」
思わず涙目になりながら由梨絵を見つめてしまう。
「心外ね。私は貴女の友人として、公平に物事を進めれるようにしただけよ」
「確かにそうだが…」
そうして「さぁ帰りましょうか」と由梨絵が鞄を手に入り口へと向かう。私もそれに習い後を追った。だけど、そこに朝の足取りの軽さは無かった。
「ほら、行くわよ?」
「あ、ああ…」
なんだか自分で罠を仕掛けて、その中に入り込んだ気分になってきた。しかもご丁寧に自分で蓋までして、完全に後戻り不可能だ。でも、そう宣言したのだから、やらなくてはいけない。由梨絵の言は正しく、人に責任を負わせるなら私も負うのが筋と言うものなのだ。そう自身に言い聞かせ、気分を切り替えて帰路に着く。
(やるべき事ならやる、だろう?やって後悔すると決めたろう?ならそれを貫け、私)
そう心に強く思ったが、どうしても何かが引っかかった。
それが自分が『女』になると決意した事において、ひどく当たり前な男女間の事柄で、『女』になることの本質の一部なのだと気が付いたのは、しばらく経ってからの事だった。
勇一郎の好きなスポーツを決めたのはこれがやりたかったから。
割を食うのは男の役目とはいえ、可哀想かも。
だが、我が行いに一片の悔い無しぃぃ!!
――――――――――――
2013/4/7 誤字脱字微加筆、そして伏字間違いを修正( ̄▽ ̄;
閑話
「おはよう、生方~…?って、なんでそんな変な歩き方?」
「お、おはよう…佳奈美ちゃん。訳は聞かないでくれ…」
「足取りが覚束ないくらい朝練厳しいんですか?」
「いや、そういう訳じゃないんだ」
「…ふん」
「どったの?早苗」
「いいのよ、勇一郎の事は放っとけば」
「早苗さん?」
「…何机見つめてんの?生方、席座んないの?」
「座るけどさ…」
「勇一郎、ささ、どうぞ。椅子引いてあげたわよー?」
「鬼だろう、お前…」
「どうしたんでしょうね、早苗さん?」
「まぁ何時ものとはちょっと違う感じだけど…まぁ楽しそうに笑顔浮かべてんだし良いんじゃない?」
「確かに。でも楽しそうというか、どちらかというとちょっと意地悪な感じ?」
「ほーらー、座れっ!勇一郎!っていうか大人しく座んなさい!」
「ちょ、やめれ!肩押すな!まだ痛みが!」
「そーれっ!!」
「アッー!!」




