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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
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第13話:戦乱の足音

 そこかしこに冬がその足跡を記していた。多くの獣達は冬眠し鳥達は別の土地を求め飛び立つ中、そのどちらも出来ぬ人間達が寒さに耐え生活を営んでいる。


 ランリエル王都では行商人が衣服を重ね着して大通りに店を広げ、店先を行きかう人々も同じように着膨れしているが、一度足を止めると値段の交渉に熱くなり額に汗すら流している。


 その大通りを避け、20名ほどの男達が馬上諾足だくあしで街を進んでいた。やはり防寒に身を固め本来の身体の厚みより何割か増しの体格を誇っている。彼らはランリエル王国の軍人であり、ランリエル王都の軍部へと向かっているのだ。


 赴任地は遠く、何とランリエル国内ですらなく、隣国バルバールをも西に越えたコスティラ王国である。コスティラ王国駐留軍、第二連隊。それが彼らの所属する部隊名であり、同じくコスティラに赴任する同僚達と交代で定期的に王都に戻ると数日王都に留まりまた任地に戻る。


「隊長。王都は久しぶりですね。そう言えば隊長は、コスティラに赴任して初めてですか?」

 30歳ほどに見える騎士の1人が先頭を行く隊長と呼ばれる男に声を掛けた。長旅で着衣は埃に塗れているがその声と表情は明るい。久しぶりの帰還に疲れも忘れているのだ。


「そうだが。前もそうだろ? 皆が一巡するには、まだ早いはずだ」

 声には張りがあり若い。事実彼らの隊長はまだ20代であり、この集団で最年少だった。


 ランリエルからコスティラは遠くその統治は難しい。逐次報告する必要があると、ほぼ毎日誰かが王都に戻っている。王都に向かう者と任地に戻る者が途中すれ違い敬礼を交わす事も珍しくは無く、時には道中、二度、三度それが繰り返される事もあるのだ。とはいえコスティラに駐屯する軍勢は約1万。さすがにまだ2回も王都に戻る者は居ないはず。休暇も兼ねているので、皆今か今かと自分の番を待ちわびているのだから、そう簡単に代わって貰えるものではない。


「以前部隊の編成を行ったじゃないですか」

「ああ。そう言えばあったな。数名の士官が退任し、その代わりに他の者が昇進した為編成を行ったはずだが、それがどうかしたのか?」


「王都への報告は、部隊毎に割り当てられるじゃないですか。私はその配置換えを指示されたんですが、運良く前の部隊でも選ばれてて、今回も選ばれたんですよ」

 男は思わぬ幸運を素直に喜んでいる。もっとも隊長はその幸運に共感したりなどせず、

「そうか」

 と答えは短い。他の者が順番を待ちわびる中2回目ならば、自ら断り他の者を行かせるべきだ。


 隊長の薄い反応に、男は気付かれぬように微かに肩を竦めた。

 どうもこの若い隊長は頭が堅くて行けない。軍総指令サルヴァ殿下の肝いりで連隊長に抜擢されたらしいが、もう少し柔軟に物事を考えられないのか。確かに自分は2回目という幸運に恵まれたが、それについて責めを受ける者がいるとすれば、人選を行った担当士官だ。それこそ順番を待ちわびている将兵が2回目だからと断る訳が無い。


 それとも俺が冷たくあしらわれるのは、俺が尻を差し出さないからか?

 男は若い隊長についてのある噂を思い浮かべ心の中で吐き捨てた。それは根はともかく葉っぱは青々と生い茂る噂で、信憑性は疑問視されるが方々に枝葉を伸ばし広まっている。もっとも当の隊長が聞けば、根が無いのに葉っぱが生い茂る訳が無かろう! と、生真面目に反論したかもしれない。


「お前達は宿舎に入っていろ。ここからは私だけで良い。私の馬を頼む」

 軍部の厩舎へとたどり着くと、若い隊長はそう言いつつ舞うように馬上から地上に身を移した。地面を踏む足音すら微かなもので、彼が武芸に秀でているのは容易に察せられる。


「は。分かりました」

 先ほどの男が自分も馬から降り、上官の愛馬の手綱にも腕を伸ばす。そして既に歩きだしている隊長の背に向けて、愛しい人に告白にでも行くのかと、心の中で見送りの言葉を掛けた。


 部下達と分かれた隊長は、総指令の執務室を目指した。報告は定期的に行われるので、到着が遅れた時は別として、予定通りに到着したのなら取次無しに向かう規則なのだ。


 勝手知ったる軍部の廊下を迷いのない足取りで進んでいると、前から若い隊長よりもさらに若い男がやって来た。それは彼の『後任』だった。


「これはお久しぶりです。ルキノ殿。定期報告ですか?」

「ああ。そうだ。ウィルケス。お前はどうだ? 殿下の妨げになる事はしていないだろうな?」


 サルヴァ王子の現副官と前副官が言葉を交わした。以前サルヴァ王子の副官を勤めていたルキノが連隊長としてコスティラに赴任するのと入れ替わりに、このウィルケスがサルヴァ王子の副官に任命されたのだ。


「大丈夫です。問題ありません。私が殿下の副官となり、もう1年以上経ちますし」

「だと、良いのだがな」

 どうもこの男とは馬が合わない。と、ルキノの言葉は微かに冷たく響く。彼の見るところ、この後任の副官は真面目さが足りないような気がする。


 ルキノは、黒色の髪を肩にかからぬ程度に切り揃え、身長はサルヴァ王子より僅かに低いが、それでも長身と呼ぶに躊躇らう者がいない程ではある。それに比べウィルケスは、髪の色は薄く鳶色とびいろで身体の厚みすらも前任の副官より薄く、その為人柄すらも薄く感じる。もっとも人柄をそう感じさせるのは、髪色や体格より、彼の表情がその原因の大半を占めている。常に微かに皮肉な笑みを讃えているように見え、彼と話していると次第に馬鹿にされているような気分になるのだ。


 その才は認める。サルヴァ王子は、これはと見込んだ男を自らの副官として手元に置き、その後部隊長へと昇進させ実戦経験を積ませ将来自らの幕僚とする。ルキノが連隊長となったのもその一環であり、このウィルケスもサルヴァ王子が見込んだ男だ。サルヴァ王子を敬愛してやまぬルキノにそれに異を唱えるつもりは無い。だが才と人格は別である。


 副官として後任であり後輩たるウィルケスは先輩であるルキノの心中を知らず、親しげに彼の耳元に顔を近づけた。


「そう言えば、コスティラの女性はどうです? あっちの女性は皆肌が透けるように白く、妖精のように美しいというじゃありませんか。サルヴァ殿下の後宮にもコスティラの御令嬢がいますが、聞いた通りお美しかった。若くして連隊長となったルキノ殿を女の方がほってはおかないでしょう。あちらで良い人でも見つかりましたか?」

「コスティラには任務で行っているのだ。そのような事をしている暇はない」


 真面目さが足りないという印象を補完する後輩の言葉に、ルキノの返答は冷たい。だが、残念ながら後輩は、真面目さが足りない代わりに神経は太く補強され先輩の冷たい言葉にまったく怯まなかった。うんうん、となにやら納得した様子だ。


「なるほど。コスティラ女性は若い頃は美しいが、歳を取れば驚くほど太ると聞いていますし、やはりランリエル女が一番ですか。私の親類に縁があってコスティラ女を娶った者がいて初めのうちは喜んでいたんですが、今では騙されたと嘆いていますよ」

「人の話を聞け。コスティラは任務だ、と言っている。女になどにうつつを抜かしている暇など無いのだ」


 ルキノは苛立ち答えたが、やはり後輩の太い神経を切るには及ばなかった。

「そんな事を言っているから、変な噂が流れるんですよ」

 と、むしろルキノを非難するように眉をしかめる。


「黙れ! あのような悪意に満ちた噂。信じる者などいる者か! もしかして、お前が流しているのではなかろうな」

 ルキノは激し怒鳴ったが、やはり神経の太い後輩は動じない。

「そんな訳ないじゃないですか。あの噂には私だって迷惑しているんです。サルヴァ殿下もです」

 と、縮こまるどころかこっちこそ被害者だと言わんばかりだ。


 サルヴァ王子を敬愛してやまぬルキノは、事ある毎に「我が身命をかけて殿下にお仕えする」「殿下の為なら死をも厭わぬ」と周囲の者に話し、皆も始めのうちはそれほどサルヴァ殿下を敬愛しているのかと温かい目で見ていた。だがバルバール、そしてコスティラとの戦いの後、さらにそれが顕著となり、さすがに度が過ぎたのか次第に周囲の目が微妙なものに変化したのだ。


 しかも、そんな噂が流れ始めたころにルキノがコスティラへと赴任したのも噂の補強に一役買っていた。実際は、その遥か前からコスティラ行きの内示を受けており、噂が流れる頃には後任の副官であるウィルケスへの引き継ぎも始まっていたのだが、噂が流れてすぐ後に王都を離れた事にさらに噂が噂を呼んだのである。


「王子との関係が皆にばれた為、コスティラなどという遠いところに飛ばされたのだ」

「いや、王子は後宮を持つほどの女好き。男色に走るなど……。自分に惚れている副官に殿下が身の危険を感じ、遠くに左遷したに違いない」

「しかし、それにしてはルキノ殿もそうだが、後任のウィルケス殿もなかなか容姿が整った青年。サルヴァ殿下が乗り換え、古い恋人を邪魔と遠くに追いやった。とも考えられるのではないですかな」

 と好き放題である。


 サルヴァ王子もその噂を耳にし不快感に顔を歪ませたが、

「とはいえ。相手にすれば余計に噂を呼び込もう。捨て置け」

 そう言って放置した。さすがにいかに不愉快でも、噂話をしたというだけで罰するほど王子は暴君ではない。だがルキノがコスティラに赴任してから1年以上が経つ今も根強く噂は残っている。誰かが意図的に噂を流しているのではとルキノが疑うのも無理は無い。


 だが事実は、噂の発生はともかく未だに噂が廃れないのは後宮の寵姫達が原因だった。彼女達は美貌を保つ為食の楽しみすら制限し、娯楽は人の噂話しか無い。彼女達の一番の関心事はサルヴァ王子についての話題であり、根も葉もない噂を面白がって広げるのが常だった。


「以前はカスティオネ公爵家のセレーナ様をご寵愛なされていたのに……。まさか!? セレーナ様を失ったお心の痛みに女性を愛せなくなってしまったのでは!」

「それで男性に走ってしまったとでも言うの!?」

「なんと御いたわしい……」


 寵姫達は勝手に妄想し勝手に驚愕し勝手に同情したが、事実、サルヴァ王子は後宮の女達を順序良く回るばかりで誰か1人を特別に寵愛するでもなく、皆もどうしてなのかと首を捻っていたところだ。


「でも、それなら美貌を謳われる貴女がサルヴァ殿下にご寵愛頂けないのも仕方ありませんわ」

「いえいえ。貴女こそ殿下が女性を愛するお心を失わなければ、殿下のお心を射止められたに違いありませんのに」


 と、他者への同情にかこつけ、自分が王子に選ばれぬ現実から逃避する。自分が王子に選ばれないのは自分の美貌が足りないからではなく、王子が男色だから仕方がないのだと自身を慰める。そしてそれは実家への弁明でもあった。元々彼女達の多くは殿下のお子を産むのだと父から命じられて来たのだが、この噂が広まれば実家にも言い訳にもなると、防衛本能からも噂を広げているのだ。


 もっともルキノとて、こんな話をする為に遠くコスティラから王都へと来たのではない。

「もういい。それよりも、殿下にお伝えしたい事があるのだ」

 と、本来の任務を思い出し背を向け、改めて王子の執務室を目指した。もっともウィルケスとて、用事もなくふらふらと歩いていたのではない。彼は彼で、サルヴァ王子から命を受けある人物を呼びに行くところだったのだ。ウィルケスは肩を竦ませ先輩の見送ると、本来の役目を果たすべく足を進ませた。



 執務室の扉を叩き名を告げ、ルキノは王子の執務室に入った。


「久しぶりだな。ルキノ」

 と、笑顔で出迎えるサルヴァ王子に

「お久しぶりです。殿下」

 とルキノも応える。尊敬してやまぬ上官との久しぶりの対面に目に涙が込み上がるのを感じたが、万一王子にまで男色と思われてはたまらぬと、それは何とか耐え切った。


「どうだ。向こうで良い女性でも見つけたか?」

 挨拶の後の、開口一番の王子の言葉に、まさかサルヴァ王子ともあろう方が、あの副官の毒に染まったのか? とルキノは耳を疑った。


「いえ。私はそんな事をしにコスティラに赴任したのではありません。殿下から、コスティラは重要な地であり、信頼できる者に注意深く監視して欲しいとのお言葉を受け赴任したのです」


 ルキノの声は、久しぶりに会った敬愛する上官に対するものにしては冷たく響く。もっとも、サルヴァ王子は気にした様子もない。


「そうか。我がランリエルとコスティラは、今後混じり合い一つになって行かねばならん。ランリエルの士官とコスティラの女性が夫婦めおととなるのも悪くないと思ったが、男女の事。無理強いは出来まいな」

 と笑顔で応じる。


「は、いえ、確かに」

 王子はそこまで考えての発言だったのかと、己の浅はかに恥じ入りルキノは歯切れが悪い。居たたまれなくなり強引に本題に入った。


「それよりも、殿下の御耳に入れたい事があります。コスティラで不穏な動きがあるようです」

「不穏な動き?」

「はい。コスティラでもさらに西部の領主達が、何やら他国と通じているとか」

「ほう。他国とか……」

 呟き王子は顎に手をやり考え込んだ。


 ランリエルは西へ西へと勢力を伸ばしコスティラを支配下に置いた。つまりコスティラの東はすべてランリエルの支配下にある。コスティラが独立を考え他国に助力を頼むなら西側にある国々を当てにするしかなく、その意味では当然の選択と言える。


「それで、西部のどの領主が敵に通じている?」

「いえ。そこまでは分かりませんでした。もしかするとこの話も根も葉もない噂かも知れません。ですが、その真偽を確かめている間に手遅れになる可能性もあると、御報告に参りました」

「なるほど。賢明な判断だ」


 有能な元副官にサルヴァ王子は満足の笑みを浮かべた。彼は部下に有能は求めるが万能は求めない。出来もせぬ事をやろうとし時を無駄にしてはむしろ害となる。ルキノには軍事についての才、そして裏切る事のない絶対的な忠誠がありそれで充分だ。


 そこに扉を叩く音の後、総指令と前副官がいる部屋に現副官が姿を現した。そして無言でサルヴァ王子の後ろで直立不動となる。普段は軽薄そうに見える彼も王子の前ではさすがに表情を引き締めた。そして、もう1人部屋に入る。ウィルケスは彼を呼びに行ったのだ。


 それはある意味、ルキノと対極に居る男だった。カーサス伯爵。元はカルデイ帝国の貴族であり、今はランリエルに鞍替えした男。軍事についての才は無いが諜報活動に長け、祖国に対しての忠誠心など持ち合わせない。もっとも彼は、祖国に忠誠を誓わなくともサルヴァ王子には忠実に仕えていると主張するであろうが、それもあくまで利害関係が元となる。ランリエルについた以上、サルヴァ王子に倒れられては彼自身が困る。


「お呼びでしょうか殿下」

「ああ。もっとも用事が変わった。いや、増えたというべきか。弟を婿に送り出したベルヴァース王国の様子を探って欲しいと呼んだのだが、どうやらもう一つ調べて欲しいところが現れた」


「もう一つですか」

 カーサス伯爵はそう呟くと、まだ40歳にもなっていないにも関わらず銀色に光る物が多い頭を小さく頷かせた。彼はサルヴァ王子と『契約』した時、王子から切り捨てられないように

「精々働かせて貰いましょう」

 と宣言し、こき使われるのを覚悟した。


「ああ。そうだ。どうやらコスティラ西部の貴族達が密かに他国と通じなにやら企んでいるらしい。己の力だけで対抗出来ぬのであれば他国に援助を頼むのもやむを得ないが、こちらとて黙って見過ごす訳にはいかぬのでな」


「仰る通りですな。実は私の方でも、コスティラ西部の領主達に何やら不穏な動きがあると耳にしておりました。殿下には、もっと確実な情報を得てから御報告しようかと考えておりましたが」

「そうか。さすがに抜け目無いな」

 サルヴァ王子は笑み頷いた。


 ルキノが情報の正確性を確認する前に報告したのと相反するが、それはルキノとカーサス伯爵との役目の違いだ。サルヴァ王子の情報戦略を担うカーサス伯爵には正確な情報を集める義務がある。彼が、根も葉もない噂かも知れませんが、などと言いだせば王子は鼻白ばむ。もっとも、それも時と場合によるのだが。


「とにかく、ルキノ殿の御耳にまで話が伝わるなら信憑性も増しておりましょう。かしこまりました。急ぎ部下を派遣します」

「よろしく頼む」


 だがこの事が己を、また戦乱の渦中に身を投じる事に繋がるとは、この時サルヴァ王子も予測してはいなかった。

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