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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
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第6話:果てぬ迷路

 サルヴァ王子の後宮は、その名に相応しくランリエル王宮の奥にあった。歴代の王達が美女を愛でる場所として作られ、建造する石からして選び抜かれた物を使い、調度品はさじ一つにまで拘り抜いた贅を尽くしたものである。そしてサルヴァ王子は、ランリエル王室で初めて王子にも関わらず後宮を持つ者だった。


 もっとも、サルヴァ王子とはそれほど好色なのかと問われれば、彼は全力で否定する。この奇妙な環境が出来た背景には、サルヴァ王子以外の者達の思惑が混ぜ合わされた結果なのだ。


 後宮の存在意義とは、その持ち主の性的欲求を満たし、又、世継ぎを授かる為だ。だが現ランリエル国王は、王妃を愛する事歴代のランリエル王の中で比肩する者なしとまで言われ、王妃との間にはサルヴァ王子を含め3人の王子と2人の王女がいる。他の女に手を出す理由は、精神的にも、後継問題としてもないのだ。その為、後宮の門は数年前まで閉ざされたまま多くの贅を集めた調度品ともども埃に埋もれ無用の長物と化していた。


 それに貴族達が目を付けた。サルヴァ王子は次期国王となる。自分の娘をその妃とするのは難しいが、寵姫の1人としてなら十分可能だ。なに、子さえ出来ればしめたもの。そのまま王妃にと、そうなる可能性もあるし、たとえ庶子でも王族に連なる事に変わりは無いのだ。その祖父となる自分の権勢も増すのだ。


 その結果、戦好きと言われるサルヴァ王子が万一孫の顔を見せずに戦死してしまっては。と吹き込まれた国王夫妻が、王子に後宮を持つように勧めたのだった。


 そこには寵姫が住まう部屋が無数にあり、夜毎その部屋の主達がサルヴァ王子の来訪を待ちわびている。


 それぞれの部屋は、後宮の奥にあるほど王子の寵愛深いと言われる。少なくとも制度上はそうなっている。もし不測の事態があった時、後宮奥に居た方が安全だ。ならば一番足繁あしげく通う女性の部屋が一番奥にあるべきなのだ。


 もっとも自ら軍勢を率いるサルヴァ王子にしてみれば、不測の時こそ奥になどおらず、一番手前の部屋に居た方が対応がしやすいと思わないでもない。だが後宮の制度は歴代の慣例をこそ重きを置き、王子とてその制度を変えるのは難しく、また後宮の制度改革などに心血を注ぐ気にもなれない。まあ不測の事態などを起こさせぬ事こそに労力を尽くすべきと判断し、古来の慣例を放置している。


 妙齢の女性には概ね月の物がある。折角王子が部屋を訪れても偶然にもそれに当たると、事を成せず無駄足になろうと、王子が部屋を訪れる時は前もって役人を介して寵姫に伝え、万一それに当たる事になれば、

「大変恐れ多い事ですが、今宵は体調が優れぬゆえ」

 と奥ゆかしく、寵姫が遠回しに返答するのだ。


 それは後宮の慣習の中で、王子がもっとも煩わしく思う事の一つだった。どうして女の部屋に行くのに、わざわざ他人にそれを宣言せねばならぬのか。しかしその慣習を変える為、手間を掛けるのはやはり馬鹿馬鹿しい。一応、理由もある事だと王子はその慣習を守っている。あくまで表向きには、だった。


 今宵、サルヴァ王子は取次にも伝えず1人の寵姫の部屋に居た。後宮の一番手前の部屋。その部屋には、高価な寝台≪ベッド≫がある。王国の世継ぎを授かる神聖な行為をするに相応しい物だが、部屋の主と来訪者はその神聖な行為をなさず、男女の体温で温まるべき天蓋付きの絹の寝台はむなしく冷え切っている。


 葡萄酒を満たした瓶と2つの杯を置けば、それだけでいっぱいになる小さなテーブルを部屋の中央に置き、サルヴァ王子とアリシアは椅子に座り身体ではなく、言葉を交わらせていたのだ。


「もうすぐ、バルバールとの国境に街道が開通する。随分とかかったものだ」

「確か1年と……」

「1年と8ヶ月だ。バルバールは国境の険を頼みに国土を防衛してきた為、軍勢が通れる幅広い道はあえて作らなかったからな。森を切り開き、谷間を削り拡げるところからせねばならず思いのほか時間を要した」

「ご苦労様でした」


 そう言って自分の職業を忘れている寵姫は、労いの微笑みを見せた。


「まあ実際に苦労したのは、その森を切り開き谷を削った者達だがな。バルバール国内にも、防衛の要を捨てるのかと、反対の声も大きかったようだが、それはディアス殿が上手く意見を纏めてくれたらしい」

「ディアス様というと……。例のバルバール軍の総司令官という方ですか? 国を守る為には手段を選ばない方と聞いておりましたので、少し意外ですね」

「いや、ある意味奴らしいと言えるかもしれんな」


 サルヴァ王子は苦笑し、杯を傾けた。


 バルバール軍総指令フィン・ディアスは、王国とその民を守る為にはいかな手段も厭わない男だ。他国の民に手控えた挙句、自国の民に危険を及ぼすなど馬鹿らしい。そう断じ、他国の民を攻めるのも平然とやってのける。その自国の民を守るのを最優先にする男が今考えているのは、如何に被害なく負けるかなのだ。


 ランリエルとコスティラ。その両大国に東西を挟まれバルバール王国の命運は尽きた。だが王国は死んでも民は守る。それを望むディアスが取った手段。それは、バルバール王国を勝ち目のない状態に置く事。


 現在コスティラはランリエルの支配下にある。東西を同一勢力に挟まれたのだ。東西それぞれから、バルバールの倍以上の戦力が襲いかかる。戦うのも馬鹿らしく、戦わずして降伏する。そして民を戦火から守る。それがディアスの狙いだ。それを考えれば、街道を作り、より’負け易くする’のにディアスが協力するのも不思議はなく、そこまで徹底するのかとサルヴァ王子は苦笑した。


 勿論、敗戦国の民として戦勝国から搾取される可能性は否定できない。だが抵抗しても負けるなら、それを考えても無意味だ。


 なおもサルヴァ王子の話は続いた。現在ランリエルを含めたその勢力圏にある国々で行われている、また、将来行われるであろう様々な事業についてだ。それをアリシアは微笑みながら耳を傾けていた。王子の話の、半分以上は彼女には意味が分からない。彼女の知能が低い訳ではなく、王子の話が要領を得ない訳でもない。庶民の出であるアリシアは、政治、軍事についての教育など受けてはいないのだ。


 それでも、少年のように目を輝かせ語るサルヴァ王子を見ているのは楽しかった。常に毅然とする若き覇者の、この姿を知っている者がこの王国に何人居るだろうか。いや、もしかして自分1人だけなのかも知れない。過去においても。そう考えたアリシアの脳裏にある女性の顔が浮かび、微かな罪悪感が彼女の心をかすめ、チクリと痛みが走った。


 自分はサルヴァ王子を弟のように思っている。年齢は王子が上だ。地位にしても……比べるだけ馬鹿馬鹿しい。しかしバルバール王国との、フィン・ディアスとの戦いのおり、一時王都に戻ってきた王子と語り、彼の思いがけない優しさを見た。そして弱さも。それを弟を見守る姉のような気持で励ました。大国の王子に対し、恐れ多いだろうか。いや、サルヴァ王子は、自分が妹とも想っていたセレーナと愛し合っていた。そして2人は自分の目の前で夫婦となり、セレーナ・カスティオネは、セレーナ・アルディナとなった。妹の夫は、たとえ年上でも姉にとって義弟だ。間違いではない。その想いが今も続いている。そう自分に言い聞かせた。


 サルヴァ王子は、権力と金の力で自分を犯した男。許される事ではない。でも、それでも許そうと思っていた。きっと、何かの巡り合わせが悪かったのだ。お互い、何かを間違え、迷路に入り込み、あらぬ方向に進み、最悪の形で出会った。そういう事なのだ。


 アリシアは王子の話を聞き続けた。2人はそれぞれ手酌で葡萄酒を飲んでいるが、時にはアリシアの杯が空になっているのに気付いた王子がアリシアに注いでやる事もあった。その逆もあるが、子細そつない王子と、大束なところがあるアリシアとでは、やはり王子が注ぐ方が多い。とても一国の王子とその寵姫の関係には見えず、しかもこの2人だけの宴は大抵がさらに不謹慎な結末で終わるのが常だった。


 この様を見れば他の寵姫は卒倒し、彼女の身を案じる者ならば地面に這いつくばり、彼女の為命乞いをするだろうか。終始語り続ける王子と、それに耳を傾け続けるアリシア。自然、酒を飲むのに口を使う頻度を比べれば後者に傾く。


 サルヴァ王子は、やれやれといった表情で椅子から立ち上がるとアリシアに近づきその横に立った。そして少し屈み、彼女の膝の裏と脇に手を差し入れる。大国の第一王子を目の前に酔いつぶれた寵姫を軽々と持ち上げ、彼女を起こさぬようゆっくりと寝台に近づいた。


 王子は寝台の横で一瞬考える表情をし、おもむろに片足を上げるとその足で寝台の寝具を跳ね上げた。強靭な彼の身体はその無作法をしても微塵もよろめかず、彼女を寝台に横たわらせた後、跳ね上げた寝具を改めて上から掛けてやった。


 アリシアは、目を覚まさず静かに寝息を立てている。サルヴァ王子は、それを見下ろしている。静かな夜だ。ふくろうの鳴き声一つしない。


 王子の手が、ゆっくりともたげ、アリシアの頬へと伸びた。他の寵姫のような、金に糸目を付けない最高級の美容品を使う白い肌ではない。微かにシミすらある。だがその頬に、まるで神聖な物に触れようとするかのように、躊躇いを見せながら王子の指が進む。そしてまさに触れんとするその直前で、引き戻される。


 サルヴァ王子は、アリシア・バオリスに触れた事がない。かつて彼女を売女ばいたと罵りけがした。酔いつぶれた彼女を友人として寝台に運んだ。アリシアを真に女性として触れた事は、彼女がこの後宮に来て3年近くになる今も、一度もないのだ。


 アリシア・バオリス。いや、アリシア・オルカと呼ぶべきなのだ。彼女は、リヴァル・オルカの妻なのだから。そして、そのリヴァルを自分が殺したのだ。サルヴァ王子は、そう考えていた。


 リヴァルは武勇の騎士だった。ランリエル軍総指令の自分を、その作戦に従えば勝利は間違いなしと盲目的と言っていいほどに信奉していた。だが、カルデイ帝国との戦いでその作戦が敵に見破られ、ランリエル軍は大打撃を受けリヴァルは戦死した。


 自分の為、アリシアは愛する者を失った。彼女は戦いでの事、誰の所為でもないと言ったが、自分とて愛する者を失いその心に空いた穴は、今も虚空が満たしている。そう割り切れるものではない。


 しかもそのリヴァルの両親を養う為後宮に来たアリシアを、金で身体を開く女と思い込み売女と蔑んだ。時を遡れるとしたら、その時の自分を八つ裂きにしてでも止めるべき、決して犯してはならない過ちだった。そんな男を許すはずがない。


 にもかかわらず、アリシアは自分に微笑みかける。なぜか。アリシアは自分が愛したセレーナと親しかった。セレーナは彼女を姉のようだと言っていた。そのセレーナが愛した男。それゆえにセレーナの気持ちをくみ、大目に見てくれている。そうに決まっていた。


 自分の妻はこの後宮で命を落とした。嫉妬に狂った他の寵姫の凶刃にかかった。寵姫に留めず妃にしていれば。そう思うと今でも胸が焼け切り裂かれる。


 今、アリシアは後宮で一番安全な女性だった。


 国々を従えたサルヴァ王子の心を射止めんと、後宮には諸侯の令嬢どころか、他国からは王族に連なる者すら送られている。


 その中でアリシアは、王子の寵愛を受けてはいないが一番親しい友人。そのような立場だ。寵愛されていないなら、発覚すれば身の破滅という危険を冒してまでアリシアを害そうとする者はいない。だが、彼女から王子に何か伝わるかと考えれば、公爵令嬢すらアリシアには一目置かざるを得ない。


 今のまま……。それが彼女の為なのだ。後宮は奥の部屋にいる寵姫ほど寵愛深いという事になっている。そして、アリシアは一番手前の部屋だった。


 踵を返しテーブルの近くまで戻った王子は、酒が半分残った自分の杯を持つと一気に残りを飲みほした。その後、細心の注意を払いながら僅かな音も立てずに扉を開け、部屋から姿を消した。


 この後宮は女達が情報網を張り巡らせている。今、深夜廊下を自室へと歩いてる王子の姿すらどこかの部屋の扉が僅かに開かれ、その隙間から寵姫の侍女あるいは寵姫自身が窺っている。


 他の寵姫の部屋を訪問したなら、火急の報告がない限り王子はその寵姫の部屋で朝を迎えていた。頻繁にアリシアの部屋を訪問しても、彼女が王子に寵愛されているのではなく友人でしかないと皆が思うのは、王子が彼女の部屋で朝を迎えないからなのだ。


 朝まで、彼女の顔を見つめている訳にはいかなかった。

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