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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
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第5話:皇国の歪(2)

 人を苛立たせるだけの煩わしい王妃から解放され、アルベルドは宰相である次兄ナサリオの元へと足を向ける。この時間なら宰相府にいるはずだ。しかし、足を進ませていても、妻への苛立ちはなかなか収まらない。


 妻であるフレンシスに対する自分の態度が必要以上に冷たいのをアルベルドも自覚していた。だが、妻と居ると押さえきれない苛立ちを感じるのだ。なぜなのか。と何度も自問した。おそらくあの瞳だ。あの妻の薄い茶色瞳と目を合わせると、なぜか無性にいらつくのだ。


 廊下を進んでいると衛兵と顔を合わせた。念の為にと宰相が何処にいらっしゃるか、と声をかける。すると、今日は既に宰相府には居らず私室に戻っているという。


 やむを得ず、その者に先行させ来訪を伝えさせた。宰相府に行くならそこの入り口で取り次ぎを頼む積もりだったが、私室に向かうならまた話が変わる。


 次兄は快く面会を認めてくれた。アルベルドは皆の前では幼少の頃より猫をかぶっている。次兄にしても可愛い弟、断る理由などないのだ。


 次兄の私室に通されると、自分より僅かに背が高い男がにこやかに待ち構えていた。異母兄弟だけあって顔はアルベルドと似ているといえば似ている。髪の色も瞳の色も同じだ。だが次兄の方が若干エラが張り、顎も逞しい。端正な顔立ちの弟に比べると勇敢さを感じさせた。


 兄弟久しぶりの再会に肩を抱き合って喜び、お互いの近況などを報告する。特にアルベルドは、デル・レイ王国の者達がいかに自分に良くしてくれ、上手くいっていると強調した。自分はデル・レイ王で満足し、それ以上は露ほども望んでいない。そう演じた。


「そうだ。お前に言っておかなければならないと思っていた事がある」


 一通り良き兄弟としての演技が終りナサリオが次幕を開いた。演目が変わり兄から皇国宰相へとその役柄に相応しい表情となる。万事次兄任せの皇帝よりよほど有能だ。


 次兄は皇帝の座など望まず2位に甘んじ、あえて1位の背中を押しながら駆けている。だが3位の自分が1位を目指すなら、抜き去らなければならない相手に違いは無いのだ。長兄が消えた後、次兄が3位である自分の背を押してくれるなどあり得ないのだ。


 アルベルドは血を分けた2人の兄を復讐の相手としか見ていない。しかしそれを億尾にも出さず、その片割れの兄に親愛の顔を向けた。


「何ですか? 兄上」

 と言う表情には、笑みが浮かんでいる。


「リンブルクだ。侵略しその領土を奪ったと言うではないか」

「奪ったなどとは人聞きの悪い。それは違います。兄上。あの領土は元々我が王国の物。それを私以前の王が腑抜けにも手を出さなかっただけではありませんか。それにあれは侵略ではありません。あくまで領土問題です」


 そう言ってアルベルドはさらに笑みを深くした。攻められたリンブルクにしてみれば、侵略だろうと領土問題だろうと同じだが、政治的、外交的には大違いだ。少なくとも歴史的事実としては、戦争ではなく紛争である。


「しかしだ。皇祖エドゥアルドが定めたデル・レイ王国の領土に、それは含まれておらん。それは皇祖すら、その領土の所有権を認めてはいなかったという事だ」


 所詮この程度か。アルベルドは心中次兄を嘲笑した。有能ではある。だがその能力は新たな道を切り開くものではなく、現状を管理、維持する為のものだ。大国の宰相という役を演じるにうってつけの能力ではあるが、現状をひっくり返そうと考える前衛俳優のアルベルドには、狭い、と感じる。無論、兄を追い落とそうと目論む弟として公平な評価とは言いがたい。


「いえ。そうでは御座いますまい。皇祖は偉大な御方ですが、ゆえに些事には関心を払わないところもあった。認めて無かったのでなく、皇祖は気にも止めていなかったのでしょう。それを思えば、僅かな領土に拘った己の器の小ささに赤面の思いです」


 皇祖を持ちあげ、自分を卑下するアルベルドの言葉に次兄の矛先も鋭さを鈍くしたが、やはりまだこちらを向いている。


「うむ。だが、我が皇国の衛星国家のそれぞれの国力は、皇国の防衛の為計算され配置されているものだ。それを御主の国のみ突出すれば、歪みも出来よう。あまり派手な事は控えよ」

 と釘を刺す事は忘れない。


「分かりました。兄上。肝に銘じます」


 アルベルドも素直に応じたが、やはり内心では次兄を蔑んでいた。国を富ませ国力を増強させるのは、国の主として当然ではないか。それはこの皇国すらも含まれる。


 我が手中にあるデル・レイ王国の力が増すと言うなら、他の衛星国家、そして皇国も同じだけ国を富ませれば良いのだ。ならば歪みもおきまいに。


 次兄と分かれた後、宴の前に長兄たる皇帝に面会を申し入れた。血を分けた兄とはいえ親愛の情など微塵も持ち合わせてはいないが、野望の対象として子細観察する必要がある。折角直接顔を合わせられる数少ない機会なのだ。精々有効に使わなくてはならない。


 アルベルドは衛星国家の王でしかない。宰相とは違い皇帝ともなれば形式を重んじられ、謁見の間で跪いて拝謁する屈辱も覚悟していたが意外にも皇帝の私室に通された。皇帝の私室はデル・レイ王になる前に皇族として幾度となく訪れたが、今通された部屋は以前の記憶とはまるっきり姿を変えていた。


 内装を変えたという次元ではない。部屋自体が一回り、いや二回りは広くなっている。そして装飾は部屋の広さに比例するように煌びやかさを増していた。単に部屋が広くなった分、数が増えたというのではなく、むしろ品が無いと思えるほど金、あるいは銀色に部屋中が輝いている。


 皇祖エドゥアルドも私室の調度には凝り金に糸目は付けなかったが、その嗜好は質実に傾き同じ高価な物を求めるとしても木目美しい美木を愛した。それが部屋の主が代々変わるにつれ金銀が増えたのだが、ここに極まれりといったふうである。何せ内装を変えるどころか、改築し部屋そのものを作り変えたのだ。


 白亜の陶器に、金の聖獣、銀の幻獣。煌びやかな部屋の中央で、皇帝は皇弟を待ち構えていた。やはり弟達と同じく金髪碧眼だが、以前会った時よりも、良く言えば恰幅良く、悪く言えば弛んだ印象をその部屋の主から受けた。頬も幾分弛んでいる。


「皇帝陛下。御壮健何よりでございます」


 兄とはいえ今は皇帝だ。兄上と呼ぶのは憚られる。


「うむ。お前も何よりだ」


 型どおりの挨拶を行った後、早速探りを入れてみる。まずはこの品の無い内装に付いてだ。部屋の趣味というものは、その主の精神状態をそのまま表す事が多く馬鹿には出来ない。


「陛下。随分と部屋が見事になったではありませんか? 陛下の力をもってすれば集めるのも容易いでしょうが、私などでは到底手が出ない品々ばかりです」


 すると皇帝は、我が意を得たりというふうに両手を広げ、嬉々として語り出した。


「そうであろう。金銀で飾らせ遠方の国からも、その国の逸品を買い集めさせたのだ。特にあれ等は――」

 と、得意になって一々説明を始める。


「なるほど」


 アルベルドは心底納得し頷いた。それで品が無いと感じたのか。調度品などその国々の風土によって趣が違うもの。時に特色のある異国の物を一つ置く事でそれを際立たせる効果もあるが、このようにごちゃごちゃと置いてはただの成金趣味にしか見えない。それとも、やけに派手な骨董品屋の店先と言うべきか。


「しかし、急にどうしたのです? 以前はもう少し地味な部屋でしたが」


 品があったとは言わなかった。言えば長兄が不機嫌になるのは目に見えている。


「なに。皇帝たるものその力に見合った物が必要であろうが。歴代の皇帝に負けないくらいの物がな」


 ふむ。歴代の皇帝を超える実績が欲しいという事か。ありがちな話ではあるが、その方法が皇帝としての政策、軍事の業績ではなく私室の改装とは……。余りにも幼稚な。もっともそれも、次兄任せの皇帝ではやむを得ないか。しかし……これは思わぬ利運となるかも知れん。アルベルドは、内心ほくそ笑み鎌をかける。


「しかし部屋を改修するまでも無く陛下の業績は皆の知るところ。中にはそれはすべて宰相であるナサリオ兄上の手柄などと言う輩も居りますが、所詮それも皇帝の威光あっての事。もっとも……それが分からぬ者が多いのも事実。皇国の真の主は宰相、などどいう風聞を耳にするたびに私も不快には思ってはいるのですが」


 すると皇帝が憮然と吐き捨てた。


「そのような声がある事は予も耳にしておる。まったく物の道理を弁える奴らよ。宰相はあくまで皇帝の代理に過ぎぬというに」


 その荒げた声に、アルベルドは心中にやりと笑う。これは長兄と次兄を噛み合せる絶好の機会ではないのか。とにかく皇国の体制に亀裂を生じされれば、そこから水を染みこませ内部を腐らせる事も出来よう。それには、その亀裂に水を浴びせ続ける者がいる。他には任せられず自身で行う必要があり、それにはこの皇都に足繁く通っても不審と思われぬ十分な理由が必要。取り合えず一手打っておくか。


「しかし、ナサリオ兄上が皇国の為、労を惜しまず励んでいるのも事実。まさか不快な風聞があるからと、ナサリオ兄上を罰するなど道理が通りますまい」

「そんな事は分かっている。予もナサリオを罰しようなどとは思わん。だが予がないがしろにされているのも事実なのだ」


 念の為と次兄を取り成してみたアルベルドだったが、にも拘らず皇帝は矛を収めず表情には苦いものが浮かぶ。やはりこれは、皇帝の心に深く突き刺さる棘なのだ。ならば――。


「陛下。それでしたらナサリオ兄上を罰せずに、宰相が皇帝の代理に過ぎないというその真理を、群臣、民衆すべてに分からせる方法があります」

「ほう。そんな方法があるのか」


 その方法とは、皇帝の権威を高めるものではあるが、次兄との関係に傷を付けるものであると知らぬ長兄は、興味津々と耳を向けたのだった。




 次期皇帝となる幼児のお披露目の宴が始まった。庭ほどもある広大な会場に皇国の諸侯、衛星国家の王族達は勿論、遠国からも祝いの使者が集まっていた。


 それら来賓の客達を持て成す為、一流の酒と料理、各国の珍味が用意され、使われる食器はすべて銀製。これは単に贅を誇るだけではなく、銀は毒に反応し黒く色を変じる特色を持つ為だ。各国要人を招く宴では当然の配慮である。


 アルベルドは、それら来賓の客達を見渡した。傍らには王妃フレンシスも控えているが、視線すら合わせず、王妃に横顔を見つめられながら客の吟味に余念がない。


 近年、自分とリンブルクを分かったゴルシュタット王国の使者の姿も見える。ある意味共犯となった訳だが、派遣したコルネートの報告では宰相ベルトラムはかなりのやり手。敵に回すよりも味方とする方が賢明という話だった。まあ、また使者でも送っておくか。と、アルベルドは思案した。


 次にアルベルドの目に入ったのは、ランリエルからの使者だった。銀髪で温和そうな初老の男で、いかにも祝い事にちょうど良い無難な人選である。皇国に対し含むところも媚びる必要も無いというところだ。


 ランリエルか……。その名を思い浮かべ、アルベルドに複雑な感情が浮かんだ。自らこそ覇者たらんと望むアルベルドにとって、若き東方の覇者と呼ばれるランリエル王国第一王子サルヴァ・アルディナは、彼の競争心を掻き立てるに十分だった。ランリエルは急速に大きくなった。先んじられたという思いもある。だからこそ乗じる隙もある。とも思う。東方の覇者サルヴァ・アルディナとこのアルベルド・エルナデス。どちらが覇者の名に相応しいか――。


 思考に没頭していたアルベルドを皇帝の御来光を告げる文官の大声が耳を打ち現実に引き戻した。皇帝を世界を照らす太陽になぞらえているのだが、この時の声が小さいと皇帝に不敬だと、複数の専門の文官が用意され、その日一番喉の調子が良い者が選抜されるというから馬鹿馬鹿しい。


 いや、かつてこの時に台詞を’噛んだ’文官が断頭台に送られた事を考えれば、彼らにとってはこれも命がけの戦いなのだ。


 アルベルドの奥底に冷ややかな物を隠した視線の先で、皇帝が御言葉を発した。


「此度は、皇国の後を継ぐであろう我が息子の祝いに多くの者が集まり礼を言う。これからも我が皇国に忠誠を尽くし励んでもらいたい」


 宴には、皇国の諸侯と衛星国家以外の遠国からも使者が訪れている。それらを前に忠誠を尽くせとは、これほどの暴言もないのだが、事実、皇国にはそれをしても許されるだけの力があった。ランリエルの使者がこの宣戦布告ととってもおかしくない言葉にどんな顔をしているかと、アルベルドはちらりと視線を投げたが、銀髪の使者は礼儀正しく聞き流していた。


 皇帝は次に、皇国の繁栄を誇る。


「我が皇国は東西200ケイト(約1700キロ)に及び、従える王国を含めればその十倍にも達する」


 いや、さすがにそれほど広くは無かろうと、アルベルドは内心指摘した。他の諸侯、使者もアルベルドと同じ感想を抱いていたが、やはり礼儀正しく聞き流した。


「その広大な領土を治めるは、我が宰相の功績である」


 皆の視線が宰相であるナサリオに集まり、大いに面目を施した宰相は小さく一礼した。皇帝の御言葉は更に続く。


「宰相は、予が民を憂いると民に施し、国を案じると政策を実行してくれる。宰相はまさに我が心を写す鏡であり、予の代行者として宰相は比類なき者である」


 他の者達から、なるほど宰相の政策はすべて皇帝の御指示によるものなのか、と小さく聞こえてくる。これがアルベルドが皇帝に言い含めた言葉だった。宰相の業績をすべて皇帝の手柄として横取りするのだ。


 名声を欲する長兄はこの提案に飛びついた。次兄が何を行おうが、それは自分の指示によるものだ、と周囲に匂わせるだけで、美味しいところをすべて掠め取れるのだ。これほどお手軽な手は無い。


 だが……取られる方が黙っているかどうか。アルベルドとて、次兄が皇国運営に身を粉にし励んでいるのは知っている。にもかかわらず、皇帝は自分では何もしていないのを棚に上げ、次兄を妬み、多大な労力の報酬たる名声を容易く奪ったのだ。しかも皇帝を相手に、いや、それは私が考えた政策なのだとは立場上言う事が出来ず、ナサリオに反撃の手はない。


 皇帝からの言葉の後、すぐにアルベルドは次兄に視線を向けた。宰相はにこやかに皇帝に視線を送っているが、その表情が、一瞬不快げに歪んだのを見逃さなかった。


 アルベルドは皇帝から、これからも色々と相談に乗って欲しいと頼まれていた。皇帝の要請で呼ばれるのだから、頻繁に皇国に入っても不審に思われる心配は無い。これからも皇帝には助言をしてやろう。水銀を不老長寿の薬と信じ飲み続けた古の大帝のように、皇帝はそれを毒薬とも知らず良薬と信じて飲み続ける。それが少しずつ皇帝を、皇国を蝕むのだ。

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