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愚者達の戦記  作者: 六三
征西編
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第4話:王子の兜

 サルヴァ王子が執務室でその名称にふさわしく執務を取っていると、副官のルキノが来客を告げた。


「ほう。どのような用件だ?」


 ランリエル王国第一王子の仕事を中断させるほどの重要な来客ならば、誰が来たか? ではなく、どのような用件か? が重要なはずだった。たとえ公爵と言えども重要な用件でなければ執務の邪魔はさせない。ルキノにも取り次ぐなと言ってある。


 身分だけでそれが出きるのは父である現国王クレックス王だけだが、その場合はルキノも来客とは言わないだろう。だが王子の考えとは違い、ルキノの返答は芳しくなかった。


「それが……要件は聞いておりません」

「聞いていないだと? では、誰が来たというのか?」


 要領の得ない副官の言葉に、苛立ちを含んだ口調で重ねて問いただした。客に用件も聞かずに取り次ぐなど、有能な副官にしては常に無い不手際である。だが来客者の「身分」を聞くと、王子は連れてくるように言いつけた。ルキノは一度退室し、しばらくすると妙齢の女性を案内し戻ってきた。


 歳の頃は22・3といったところだろうか。身長は王子より頭半分近くは低いが、それは王子の背が高い為だ。女性としてはむしろ高い方と思われる。少し癖のある赤毛と茶色い瞳で絶世とはいかないまでも十分水準以上の美人だった。


 ルキノは女性を案内するとすぐに部屋を後にした。王子は女に席を勧める事もなく自身も立ち上がり、執務室に置かれた兜へと視線を移すと早速本題に入った。


「あの兜の持ち主の婚約者というのは本当か?」


 ルキノが用件も聞かずに取り次いだのは、この「身分」の為だった。王子が現在被っている兜が何か訳有りなのは周知の事実である。もし取り次がずに追い返し

「どうして取り次がなかったのだ!」と叱責されてはたまったものではない。だが問いかけられた女性はそれに答えず、目を細めて王子を見つめた。女は恐れ多くも一国の王子、しかも次期国王である第一王子サルヴァ・アルディナを睨みつけたのだ。


 王子は目を閉じ小さく息を吐くと、発しそうになった怒気を沈めた。今はこの無礼な女と争う気は無いのだ。


「何か問題でもあるのか?」

「私の名は聞かないのですか?」


 王子と女性の間で視線がぶつかり、数瞬の沈黙が訪れた。だがここでも王子は忍耐力を発揮し譲歩した。


「失礼した。名を聞かせて貰おう」

「アリシア・バオリスです」


 王子の問いかけに女はさらに目を細めながら名乗った。サルヴァ王子は女の無礼さに我慢をしていたが、彼女に言わせれば王子の態度こそがあまりにも尊大過ぎた。王子という身分を差し引いてもだ。


 実は王子は急いていた。兜に心が奪われていたのである。だが王子は自分を睨む女の視線に再度忍耐力を発揮した。


「それで、お前はあの兜の持ち主の婚約者なのか?」

「それよりもリヴァル・オルカという名をご存知ですか?」


 どうしてこの女は自分の質問に答えないのか? 焦れた王子だったが、女が口にした名には興味を引かれた。


「兜の持ち主の名か?」

「持ち主の名も知らずに持ち歩いているのですか?」


 質問に答え続けない女に、遂にサルヴァ王子の忍耐力も限界に近づき、

「なぜ、私の質問に答えない?」

 そういった言葉に、わずかながら苛立ちが見える。


 またもや視線がぶつかったが、今回はアリシアが折れた。ややなげやり気味に。


「私は兜の持ち主の婚約者であり、兜の持ち主の名はリヴァル・オルカです。これでよろしいですか? 王子様」


 この女はわざわざ喧嘩を売りに、いや死にに来たのか? 一国の次期国王にこれだけ無礼な態度をとれば死罪を免れない。王子が許しても他の者が「示しが付きませぬ!」と許さない。勿論他に目撃者が居ればであるが。どちらにとって幸いかは分からぬが、今執務室に居るのは2人きりだった。


 通常はいくら人払いをすると言っても、実際は別室に警護の者が控え不測の事態に備えている。だが「兜の持ち主の婚約者」という事で、あえてその警護の者達すら下がらせた。客人が女性という事もある。戦場の雄である王子が、まさか女性に遅れをとる事もないだろう。


「それで、今日は何の用件で来たのだ? まさか私が婚約者から兜を盗んだと思って、兜を返せと言いに来た訳でもあるまい?」

「それよりも先に聞きたい事があります。王子様はリヴァルから兜を譲り受けたのですか? 盗んだのですか?」


 殿下という敬称を使わず、王子様と言い続ける女にサルヴァ王子は眉をひそめた。


「先に私の質問に答えよ。「はい」か「いいえ」が言えぬ訳でもなかろう」

「王子様がリヴァルから兜を譲り受けたと言うなら「いいえ」です。盗んだと言うなら「はい」です。これでよろしいですか王子様?」


 相変わらず無礼な態度をとり続けるアリシアだったが、あえて構わず問いかけに答えた。今はこの女の無礼な物言いを一々気にしている時ではない。


「……どちらでもない」

「どちらでも?」


 王子の返答はアリシア予想の範疇を超えていたらしく、一瞬きょとんとした。その表情は意外にもあどけなかったが、すぐにまた目を細め睨みつける。


「譲り受けたのでもなく盗んだのでもないと言うならどうしたというのです。まさか天から降ってきたとでも言うのですか?」


「地に落ちていた。お前の婚約者はすでに死んでいたのだ。戦いの最中さなか兜を失った私は、すでに戦死していたお前の婚約者の兜を借りた。そういう事だ」


 実際には、もう少し複雑な事情があるのだが、今それを語ってやる積もりはない。


 予想外の言葉に立ち尽くす、兜の持ち主の婚約者と名乗る女に改めて問いかけた。


「他に何か用があるのか?」


 その冷たい口調は、もう用は済んだのだろう? 言外にその意味が込められているのを、相手に十分に分からせるものだった。


 勿論王子とて初めは、兜の持ち主の婚約者というなら出来るだけの便宜を計ってやろう。将来の生活も保障してやろうではないか。とも考えていた。だがアリシアの無礼な態度にその思いも吹き飛んでいたのである。


 アリシアはサルヴァ王子から問いかけられてもしばらく呆然としていたが、ぽつりと一言洩らした。


「兜を……」

「兜?」

「兜を返して下さい」


 見つめるアリシアの目に先ほどまでの鋭さは無く、儚げに揺れた。それが目に涙を浮かばせている為だと気付いたが、王子は首を振った。


「いや。あの兜はすでに私の物だ。返す積もりはない」


 返さないという言葉に、アリシアが激昂するのではと王子は予想したがその予想は外れた。アリシアはゆっくりと視線を兜へと移すと歩を進ませる。


 女が兜を奪って逃げる積もりではと王子も兜へと進むと、アリシアは立ち止まり、またゆっくりと王子へと視線を移した。


「……触るくらいいいじゃないですか」

「あ……ああ」


 アリシアに気圧されるものを感じた王子は立ち止まり、彼女はそれを確認すると、さらに歩を進ませ続け兜へと辿り着いた。そして大事そうに兜をその胸に抱いた。


 兜を胸に抱いたまま、その場に泣き崩れ嗚咽を洩らすアリシアを、サルヴァ王子は泣き止むまで待ち続けた。

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