第27話:総司令の結婚
ランリエル王国で起った反乱の結末に、バルバール軍司令部の重厚な机に添えられた椅子に座る部屋の主は深いため息を付いた。
先ず始めに反乱に介入しようと計画し、カルデイ帝国侵攻の準備を進めているとするりとかわされ、せめてある程度の損害をと見込んだにも拘らずその思惑すらも外れた。
ランリエル王国第一王子サルヴァ・アルディナ。予想以上の曲者らしい。ディアスはサルヴァ王子の戦歴を調べ上げていた。それによって推測したサルヴァ王子像は「戦闘を好み、後手に回らず先手を取って攻勢に出る者」というものだった。
だが今回の反乱において、かの王子は先手を取って攻勢に出る以前に戦闘自体を回避したのだ。王子は反乱を収め、さらに再発させない事を意図していた。その為内部分裂させようと画策しその通りの結果を得た。ディアスも賢明な判断だとは思う。だが反乱を収め再発させない為には他の手段もあった。それは反乱軍を完膚なきまでに叩き潰す事だ。
それによって、到底サルヴァ王子には勝ち得ぬ。そう思い知らせれば、次なる反乱を企む者も居なくなる。王子はこの手段を取るのではないか。かねてより調査していたサルヴァ王子の性格、戦歴からディアスは、そう読んでいたのだ。だがその読みは外れた。
「私も耄碌したのかな? それとも単に相手が一枚上手なのか?」
その独り言に近い総司令の呟きに、忠実な従者が律儀に返答を試みようと思案した。だがディアスが耄碌したからとも、サルヴァ王子の方が上手だからとも言いかねるケネスは結局返答に窮する。そしてその挙句口に出た言葉は、問いかけに対しての返答とは言えなかった。
「サルヴァ王子と言う人は、それ程凄い人なのですか?」
その問いかけにディアスは、顎に手をやり調べ上げた王子の経歴を思い起こしながら答えた。
「そうだな……。指揮官としても優れているんだが、それよりも戦略家、策謀家としての手腕にその才を発揮しているね。いや、指揮官としての才も他に抜きん出ているが、やはり実戦指揮には経験の積み重ねが必要だ。サルヴァ王子はまだ27歳。その経験が不足しているのは否めないね」
「じゃあ、指揮能力にはあまり優れていないという事ですか?」
「いや、そうじゃない。うーん。そうだな……。戦略家、策謀家としての能力が超一流とすれば、指揮能力は超一流未満というところかな。指揮能力も多くの者よりは優れている」
尤もディアスにしても今だ35歳であり老練とは言いがたい年齢である。だがサルヴァ王子が主に敵として戦っていたカルデイ帝国とは、近年まで膠着状態が続き大きな戦は無かった。それ故毎年のようにコスティラ王国に攻め込まれているバルバール王国の総司令官ディアスとは、経験においては格段の差がある。
「では、戦えばディアス将軍が勝つのですか?」
尊敬する総司令に全幅の信頼を寄せる従者にディアスは思わず吹き出しそうになった。王子の指揮能力が超一流未満なら、超一流のディアスが勝つに違いない。ケネスはそう言っているのだ。
「いや、そうと言っている訳じゃない。王子は戦闘開始前に勝つ算段を立てそれを実行に移す人だ。確かにその算段が崩れた時、王子は体勢を立て直すのに若干手間取る傾向がある。だが、それも今後経験を積めばやがては克服するだろう。それに、そもそもサルヴァ王子が立てた算段を崩すのが至難の業だからね。それを無視して、指揮能力だけを比べて勝ち負けを予想しても意味は無いよ。もっとも王子はカルデイ帝都での戦いで苦戦した。その時はまさに、帝国の敵将は王子のその算段を崩したらしい」
「ディアス将軍が凄いと認めるサルヴァ王子の策を見破るなんて、帝国の将軍も凄い人なんですね。でも、カルデイ帝国はランリエル王国に征服されたんですから、結局はサルヴァ王子が勝ったんですよね? 王子はその状態から軍勢を立て直せたんですか?」
「いや、王子がその時に軍勢を立て直せたのは、ランリエル、帝国両国と国境を接するベルヴァース王国の老将の手腕のお陰らしい」
「え? そうなんですか? じゃあ、そのベルヴァースの老将はサルヴァ王子より上ですか? 凄い人って沢山居るんですね」
ディアスの口から出る知将、名将の数々に、それを目指す少年は驚きの声をあげた。まったく世の中には無能な人間も多いが、それらの頂点に立つ者達はやはりみな有能なのだ。隣国と戦い続けている国の軍事の頂点に、無能者が立てる訳が無い。
ケネスの率直な言葉に苦笑で応じるディアスに、少年はさらに素朴な質問を浴びせた。
「ですが、コスティラには名将や知将は居ないのですか? ずっとうちが勝ち続けていますけど」
「いや、幸いな事にサルヴァ王子ほどの者はいないが、コスティラにだって優れた者が居ない訳じゃない。コスティラに攻勢をかけた時に戦ったアウロフ将軍はなかなか有能だったね。バルバールが勝ち続けているのは、結局国境、海峡の天険の利のお陰だよ」
だがケネスは、敵国の将軍を讃えるディアスの言葉に首をかしげた。聞いた話では、そのアウロフ将軍はディアスに手も無く敗れたはずだからだ。
「ディアス将軍のお言葉ですが、僕にはアウロフ将軍がそれ程有能とは思えません。それは……僕がアウロフ将軍に勝てるかと言えば、絶対にそんな事は無いんですけど……」
「あの時彼は、私達の突然の攻勢に狼狽するばかりのコスティラの諸将の中で軍勢を集結させ、そして分散している我が軍の本陣の位置を割り出し一気に突いて来た。並大抵の者じゃないよ。戦いは私が勝ったからそれ程評価されてはいないけどね。だが私に勝っていれば、彼は5千の軍勢で4万のバルバール軍に勝利した名将。そう呼ばれていただろうね」
その言葉に、ケネスは表面的な勝敗しか見れず、その過程に意義を見出せなかった未熟さを恥じ赤面した。だが最終的に勝てなければ意味が無いのではないか、とも思い食い下がった。
「ですが、4千の軍勢しか率いていなかったディアス将軍に5千で勝てなかったのは、やはり指揮能力に問題があったのではないのですか?」
「そうだな……。例えば私が彼の立場だったら戦わなかっただろね。なぜかと言えば……。私が戦ったとしても多分負けていた。軍勢とはそれぞれの兵科が揃ってこそ力を発揮する。彼は急いで軍勢を集めた為騎兵を用意出来なかった。時間的な余裕がなかったから仕方が無いんだけどね」
騎兵のみで編成された騎兵部隊や、長槍を持った兵士が整然と整列する密集隊形。それらが初めて戦場に現れた時、それぞれの兵科はそれだけで無敵と言える程他を圧倒した。だがそれも過去の話だ。今ではそのような偏った編成では勝利は望めない。
「極端に偏った編成でもその長所を生かせる戦場、相手なら勝てるが実際そう上手く行くものじゃない。多分彼も勝算は薄いと分かってはいたと思うよ。だが、ここで我々を止めなければコスティラ全土が蹂躙される。それも分かっていたんだ。だから一か八かの賭けに出たのさ」
もっともディアスには、一か八かの賭けに出る考えは無い。それは能力の差ではなく考え方の違いだった。或いは立場の違いと言ってもいい。それは一度の敗戦で国が滅ぶバルバールの将軍と、負けても後があるコスティラの将軍との違いだった。
いくらアウロフ将軍が有能でも、その後の国境での戦いで、コスティラ軍が3万5千もの死者を出す大敗を喫するなど予測できようも無いのだから。
「とにかく、幸いにも我々は先の戦いで、コスティラの名将と言ってもいい指揮官を討ち取る事が出来た。これでコスティラ方面はさらに安泰だ。しかし、人の死を喜ぶなんてろくでもない人間だよ、私は」
「いっいえ! ディアス将軍は、……えーと、そんな事はありません」
ディアスの言葉が、軍人になるのならお前もそう考えねばならない事になるのだよ。という自分に対しての遠まわしの訓戒と気付かない少年は、慌てて発言者を宥めた。その様子にディアスは肩をすくめた。
「さあ、家に帰るとするか。だが、ミュエルには今の会話は内緒だよ。自分の夫がこんなに酷い人間だと知られれば、妻に愛想を尽かれてしまう」
そして返答に困る少年に、また肩をすくめ苦笑した。
年も開け2月となった。
ランリエル王国の反乱は、予測通りに事は進まず軍勢の損害無し。との結果に終ったが、それでも当初予想の春に戦いになる、という想定が前倒しに成った訳ではない。
バルバール王国では予定通りバルバール軍総司令フィン・ディアスと、ハッシュ伯爵家令嬢ミュエルとの結婚式が行われる事となった。
ハッシュ家からはミュエルの両親もやって来た。そして母親は愛しい娘に、自分が結婚式で来た花嫁衣裳を採寸しなおし贈った。
大好きな母親と同じドレスを着られた事を愛娘は素直に喜んだ。
「お母様。ありがとう御座います!」
ディアス家で暮らす事となってから早5ヶ月。ハッシュ家を出た頃より幾分背も伸びた花嫁衣裳姿のミュエルは、髪も綺麗に結い上げ、まるで精巧な人形のような非の打ち所の無い造形と、人形では決して持つ事の無い生命の輝きを放っていた。
「ミュエル。お前はバルバール一の花嫁だよ」
新婦の控え室で、お父様はそう言って自慢の娘を抱き寄せ頬に口付けし、そして次にお母様が包容しお父様と同じところに唇を重ねた。
そこに花婿衣装に身を包んだ花婿が現れた。軍人としては良い体格とは言えないディアスだが、武門の名門にしてバルバール軍総司令としての地位。それらから得る財力によってあつらえた、純白に金糸、銀糸で精緻な刺繍を施した衣装は十分彼を際立たせていた。
戦場では、身を守る鎧すら地味な物を身につけている彼だが、今日だけは特別だった。折角美しく着飾る妻の横に立つのだ。夫として並ぶに相応しくあろうとするのは当然である。
「綺麗だよ。ミュエル」
衣装の効果で、なんとか人目を引く程度には垢抜けた新郎は、新婦の頭に手をやりかけたが、折角整えた頭髪を乱してはいけないとその寸前で手を止めた。その変わりに軽く肩に触れる。
「ディアス様も、とてもご立派です」
見上げ微笑む妻に夫も微笑み返す。そして夫は自分の義父、義母となる年下の伯爵夫妻に改めて顔を向けた。
「まず先にご挨拶をする所を失礼致しました。大切な御息女は私が必ず幸せにして見せます」
バルバール軍総司令官である義理の息子の言葉に、伯爵は恐縮して答える。
「ディアス殿は、バルバール一の婿。安心して娘をお任せ出来ます」
その伯爵の言葉に伯爵夫人も微笑を添える。ディアスはそれに応え右手を差し出した。伯爵もそれに対し右手をそえ、硬く握りあう。
そしてもう一度新婦の肩に軽く触れた。
「じゃあ、また後で」
「はい。ディアス様」
ディアス様……。実際これからミュエルは、ミュエル・ディアスになるのだからそう呼ばれるのは相応しくないのだが。とも思ったフィン・ディアスだったが、まあそれ程気にする事も無いかと思い直し、控え室を後にした。新郎の控え室に戻ると、総司令をその従者が待ち構えていた。
「ディアス様。ミュエルはどうでしたか?」
こちらも相応に着飾ったケネスが関心ありげに問いかけた。それに対しディアスは苦笑しつつ応じた。
「そんなに気になるなら、お前も見てくれば良いじゃないか」
「それはそうなのですが、なんて声をかけたら良いのか……」
ミュエルにほのかな恋愛感情を抱いていたケネスである。すっぱりと諦めたとはいえ、やはりその心中は複雑だった。頭では、にこやかに笑って新婦の控え室に出向き、おめでとう、と一言言えばいい。それくらいは分かっている。
だがその、やってみればどうせ簡単に出来るのだろうと、自分でも思う事にケネスは躊躇していた。そこに新郎が幾分強い口調で命じた。
「いいから、行って来い。簡単な事だろ?」
「ですが……」
だが、ディアスの言葉にもケネスは煮え切らない。ディアスはため息をつくと、ケネスの傍に近寄りその肩を叩いた。
「頼む。行ってくれ。お前が行かないと、祝って貰えないと思ってミュエルが悲しむんだ。お前はミュエルの家族だろ?」
その言葉にケネスは、はっとした。ディアスのように、自分より相手の事を考えられる人間になりたいと思ったのではなかったのか。にもかかわらず結局自分の事しか考えていなかったのだ。
「すみません、僕自分の事ばかり考えて……。今すぐ行ってきます!」
大声で返事をし、急いで駆け出す少年の背を見送りながらディアスは思った。自分の方こそ自らの妻を優先に考え、ケネスの心中に配慮していないのだが、と。
ディアスは自他共に認める現実主義者だった。目的の為には手段を選ばない。だが現実主義者のその目的が、必ずしも理性的な物ばかりとは限らない。今の彼のその目的は、妻を幸せにする事だった。
彼の浅はかな軽い言葉から、愛する両親から引き離され、にもかかわらず妻として扱われず、自ら死を望ませてしまった少女。その彼女に対しての贖罪の気持ちがある事は否定はしない。だがそれ以上に、その素直で優しい少女は、幸せになるべきだと考えていた。そして自分はその少女を幸せにし得るのだ。
ミュエルは誰からも愛される少女だ。もちろんディアスからも。
ミュエルには娘に対するように愛情を注いでる。だが少女が花開くのは早い。それによって娘のように思う感情が消え去るものではないが、それでも、少女を女としてみる日もそう遠くはないだろう。
ケネスが帰ってきて、
「やっぱり行ってきて良かったです!」
と報告し、そのしばらく後に結婚式が行われた。
2人は神の前で誓いの言葉を述べた後、接吻をする事になっている。だが花嫁はなんと言っても12歳の少女なのだ。その誓いの口付けはお互いの頬にする事になっている。
予定通り式は進行し誓いの口付けをする段となった。12歳の少女の結婚式。珍しいが無い訳でもない。列席者も新婦が幼い時は誓いの口付けは頬にするもの。そう認識している。
このお人形のように美しい花嫁が、新郎から頬に口付けされ恥ずかしそうにはにかむ姿。なんと可愛らしい事か。それを予想してすでに笑みを浮かべ、人々は手を叩く姿勢でその時を待ち構えていた。
だが実際にそれが行われた時、人々は手を打ち合わせる事無く固まった。列席した老婦人は笑みを湛えたまま呼吸すら忘れたように微動だにせず、ケネスですら唖然とした。ミュエルの両親すらも。
少し横を向いて頬を差し出す美しい花嫁に、そこそこ見られる花婿の唇が触れようとしたその時、花嫁の顎に手を添えていた花婿がすっとその手を動かした。その為少女の可憐な唇は正面を向いた。公衆の面前で行われた35歳の男と、12歳の少女のまぎれも無い接吻に、人々の思考は停止したのだった。
花嫁自身も目を見開いて驚き、そしてディアスの唇が離れると自らの口元を両手で覆って頬を赤く染めた。そしてその時になってようやく我に返った1人の参列者が手を叩くと、その音で他の参列者達も我に返り手を叩く。式場に拍手の音が響き渡った。
「ディアス様! 手順と違います!」
披露宴の前に一旦奥に下がったミュエルは、あまりの恥ずかしさに珍しく大きな非難の声をあげた。剣幕をあげる妻に、怒った表情も可愛いものだと、余計怒らせそうな事を考えながらディアスは謝った。
「いや、すまない。私も始めは手順通りにしようと思ってたんだが……。なんて言ったらいいのかな。頬にするのは、正式なやり方じゃないと思ったら、つい……ね」
「つい、では、ありません!」
ディアスの言葉は、ミュエルとちゃんとした式をしたかった。と言う事でもあり、その意図を正確に察する事が出来ればミュエルとて頷いただろう。だが恥ずかしさのあまりそれを察する余裕の無い少女は、頬を羞恥で染めながら正式に夫となった男を再度非難した。珍しく怒声を上げる少女に、その姿も愛らしいと夫は思った。
しかし、そうは言ってもいずれ時が経てば「私は恥ずかしいから嫌だったのに、この人ったらみんなの前で私に口付けたんですよ」と、そう言ってミュエルは人々に惚気る事になるのだ。その時は、笑みを讃えながら幸せそうに、そして誇らしそうに。
だが、それも次のランリエルとの戦いの結果如何によっては「あの人はみんなの前で私に口付けたのですよ」と過去を懐かしみ、影を落とした顔でいう事にもなりかねない。
そうはさせる訳には行かない。彼の妻は、悲しむ為ではなく幸せになる為に彼の妻であるべきなのだ。以前より自ら戦う事を避けていたディアスであるが、改めて誓った。敵が来れば逃げる。たとえ誰に笑われようと。
もっとも彼をそこまで追い詰める事が出来る人間はそう居ない。だが残念な事に、次の敵はディアスを追い詰める事が出来る可能性を秘めているのだった。




