第338:真実の罪
「フィデリア様。何をおっしゃいますか! 無礼にもほどがありますぞ!」
アルベルドの副官が怒声を上げたが、フィデリアは平然としたのだ。その2人の様子に周囲にいる貴族や商人達らが騒めいている。
「フィデリア様は、いったい何をおっしゃっておいでなのか」
「まさか此度の敗戦の知らせに、お気でも触れになられたか……」
「何を言う。フィデリア様に限ってそのような事があるものか」
「それでは、アルベルド陛下へのあの物言いは、どういうことだ」
異様な雰囲気の中、フィデリアが言葉を続ける。
「重ねて申し上げますが、今そこに居る男に、礼を尽くそうとは思いません。今、私のお腹には子が居るのは、皆さんもご存じでしょう。この子がなぜ出来たのか。それを知れば、私の言う言葉の意味が分かるはずです」
「なぜも何も、貴女はアルベルド陛下の実質的な妻なのでしょう。夫婦ならばお子が出来てなんの問題がありましょうや」
確かに副官の言う通りだ。なんの問題もないはず。しかしフィデリアの言葉からは、何かしらの問題があるとしか思えない。周囲に居る者達も、固唾を飲んで2人のやり取りを見守っている。
その中でアルベルドは平静を装っているが、その内面は当然、平静では居られない。
あの女は一体何を言い出すのだ? まさか、俺がユーリを人質にして身体を奪ったと告発でもするつもりか? お腹の子は、無理やり身体を奪われた結果だと。だが、それを公表しては、あの女も無傷ではいられないはず。まさか刺し違える覚悟か。
「この男は、自分の権力を強める為、私を皇国の有力貴族に売り渡したのです。1人だけではなく幾人も……。このお腹の子も……アルベルド、その男の子ではありません。妊娠期間から、そう言い切れます。その時、アルベルドは皇都に居て、私の傍には居ませんでした」
女神フィデリアの思わぬ告白に、それを聞いていた貴族達どころか、アルベルドの護衛の騎士達までもが騒めく。そして女神を穢したというアルベルドに視線が集中する。
「い、いや違う! 嘘だ! 出鱈目を言うな。気でも触れたか」
アルベルドが思わず声を荒げて否定する。当然だ。アルベルドにしてみれば、まったく身に覚えのない話だ。アルベルドとしては、自分に取って都合の悪い’事実’を公表してくるのかと身構えて居たところに、全くの出鱈目な話を出るとは予想外だ。
しかし遺伝子鑑定どころか血液型の識別すらない時代。お腹の子の父親が誰かなど、女にしか分からない。妊娠何カ月などの判断も、この場に主治医が居ない以上、フィデリアの言葉がすべて。
フィデリアが、アルベルドの子では無いなず。と言えば、聞いている者達も信じるしかないのだ。尤も、お腹の子の父が誰なのかはフィデリア自身も分かっておらず、本当にアルベルドの可能性に僅かながらはある。
騒めきながらフィデリアに呆然とした顔を向ける者や、アルベルドに憎悪の視線を向ける者。その者達を前にフィデリアの告白が続く。
「しかもです。今回のランリエルとの戦いも、アルベルドはわざと負けたのです!」
「お前……一体何を言っている……。そんなことあるはずがないだろう」
アルベルドは有能な、いや天才的な政治家だ。論理的な非難なら、いくらでも反論できる。だが、あまりにも出鱈目だと、どうしてこんな事を言い出すのかと困惑し、論理的な反論の言葉が出ない。出鱈目な話には、出鱈目を言うな。以外のどんな言葉があるだろうか。
「考えても見て下さい。2倍もの兵がありながら負けるなど。どれだけ無能だというのでしょうか。しかし、事実として、この男は無能ではない。無能でなく負けたのなら、わざと負けた以外ないではないですか」
「貴様……」
今回負けても大丈夫。最終的には勝つ。それは間違いないが、今ここで、負けても大丈夫な状況を作った天才的手腕を語っても負け惜しみにしか聞こえないだろう。それに、確かに2倍の兵力で負けたのは事実だ。
しかし、わざと負けたのでは断じてない。では、無能だと認めるのか。それも出来ず、アルベルドに取っては痛いところを突かれた。
「アルベルドは、ランリエルと内通しているのです! 私はアルベルドの部屋で、ランリエルと連絡を取っている手紙を見つけたのです!」
「ふざけるな! そんな分かり切った嘘を、だったらその手紙とやらを見せてみろ!」
「お望みというなら、いくらでも見せます。これです!」
フィデリアは、そう言って傍に居たリンブルク騎士から紙片を受け取った。一応、それっぽいことを書いているが、勿論、内容も手紙の著名も偽物だ。しかし、こうも自信満々に出されては、みんなそれが本物だと信じてしまう。アルベルド以外はだ。
その場にいる多くの有力貴族や大商人達。彼らがそれを信じれば、全国民が信じたも同然。アルベルドの威信は地に落ちる。
「お前、いったい何を考えている!」
ここまで堂々とした態度で嘘を言い続けるフィデリアに、アルベルドは恐怖すら感じて声を荒げる。
フィデリアの告白は、嘘のオンパレードだ。しかし、今この場で手紙の鑑定など出来るものではなく、双方のどちらが信頼を得ているかの勝負になる。そして、いくらアルベルドが尊敬されていた為政者であっても、女神に勝てるはずがない。そして、そう演出していたのはアルベルド自身。ましてや、今はランリエルに敗北した直後。それもフィデリアには有利に働いた。
フィデリアは嘘の告白でアルベルドを追い詰める。今のフィデリアなら、女神と崇められる彼女なら、アルベルドによってユーリの命を盾に強引に身体を奪われた。そう真実を告白しても、十分、民衆を味方につけることは可能だったにも拘わらずだ。
だが、真実の告白などでアルベルドを破滅になどさせない。そんな真っ当な理由で死なせてなどなるものか。真実の罪で当然の死など、お前には勿体ない。真実の罪で断罪し、万一にも改心されて罪を認めて潔く死なれてはたまったものではない。
夫を偽りの罪で殺した罪。お前は夫から真実を奪った。その罪を償え。
出鱈目の理由で、理不尽に死ね。どうして死ななければならないのか、訳も分からぬまま死ね。そうでなければ、無実の罪で殺された我が夫ナサリオが浮かばれない。お前は我が夫より、下らない嘘で、くだらない理由で死ね。どう考えても納得できないまま死ね。
夫は、お前が作り上げた偽りの罪で死罪となった。それでも、妻子である私とユーリの姿を見た瞬間、夫の、父の最後の姿を見苦しいものにしないように堂々と死んでいった。
アルベルド。お前はどうだ。お前にそんなことは出来まい。お前は嘘の罪で断罪され、最後まで取り乱し、見苦しく死ね。それでこそ夫は浮かばれる。夫はお前などより、遥かに素晴らしい人間だった。
「さあ! 裏切り者のアルベルドを捕らえるのです!」
「何っ!」
いつの間にか、裏庭をリンブルク兵が取り囲んでいた。フィデリアの命令に、数百人のリンブルク兵が剣を抜き放つ。そしてアルベルドへと進む。
思わぬ事態に驚愕するアルベルド。フィデリアは、出鱈目な告白でアルベルドを捕らえようとしている。ならばこそ、交渉の余地などない。単純な武力で対抗するしかないが、アルベルドの護衛の数はリンブルク兵の10分の1。到底、対抗できない。
殊更ゆっくりと進むリンブルク兵にアルベルドの護衛達が動揺する。すぐに敵が押し寄せれば考える間もなく戦いが開始され、彼らは反射的に応戦し最後まで戦い抜くだろう。しかし、ゆっくり近寄ってくる敵に考える時間があることが、彼らを揺り動かせる。
どう考えても勝てる数ではない。降伏すれば命が助かるかもしれない。しかし主君を見捨てるなど騎士として出来るわけがない。
揺れ動くアルベルドに従うデル・レイ騎士にリンブルク騎士が更に揺さぶる。
「貴様ら、裏切り者を守って死ぬのか!」
た、確かにアルベルド陛下が、本当に裏切っているなら命を捨ててまで守る必要があるのか。裏切り者を守って死ぬなど、馬鹿々々しいのではないか。
揺れ動くデル・レイ騎士に更に畳みかける。
「フィデリア様の言うことを信じぬのか!」
そうだ。女神フィデリアが嘘を言うはずがない! ならば、やはりアルベルド陛下は。この男は裏切り者だ!
「こ、降伏、いや、フィデリア様にお味方いたす!」
降伏しても所詮は捕虜。しかし、フィデリアに味方をすれば裏切り者を倒した功労者だ。いや、そもそも裏切り者に味方するなど言語道断! 女神にお仕えするのが当然ではないか。デル・レイ騎士にも、当然、フィデリアを神格化して見る者は多い。そして、この状況を作り出したのはアルベルド自身。
生き延びる為、自己正当化に成功した騎士が旗色を変えた。そしてこの者の寝返りを合図に、寝返る者が続出する。しかし、そのような者ばかりではない。
「貴様! アルベルド陛下のご恩を忘れたか!」
「騎士の誇りはどうした!」
リンブルク騎士が切りかかるまでもなく、デル・レイ騎士同士で剣を抜き放った。その光景にフィデリアの口元に笑みが浮かべる。
これで護衛の騎士達が全員、アルベルドと共に戦ってくれれば、多少は最後を飾れたのだろうが、護衛の騎士同士で切りあうなど、こんなみっともない最後もないだろう。
勿論、このデル・レイ騎士達もアルベルドの巻き添えになるのには違いないが、軍人とはそういうものだ。命令とあらば他国を侵略し、時には無辜の民すら殺す。理不尽な命令で人を殺すことがあるなら、理不尽な命令で人に殺される事もある。
さすがのアルベルドもこの状況に対応できずにいた。彼は今まで常に状況を的確に判断し対応して来た。しかし、フィデリアから出るのは嘘のオンパレード。偽りの状況を的確に判断するのは困難だ。
それでも何とかこの場での最適解を導き出した。
「この数で迎え撃っては後がない。包囲を突破するのだ!」
今だ自分に従う騎士達を率いて、一番近い扉を目指した。問題はその扉が王宮の外へと繋がっている物ではなく、王宮の建物に入る物だということだ。ただ、建物に入れば廊下は狭く、部屋の中は大人数が展開できず、少人数でも抵抗できる利点はある。これだけの騒ぎが起これば、王宮の外の軍勢も異変に気付くはず。それまで持ち堪えるのだ。
一方面だけに限っての数の優位と少数故の必死さで包囲を突破したアルベルドと騎士達は、建物内の廊下を駆けた。
くそ、なぜこのような事になった。まさかフィデリアがあのような嘘を並べ立て糾弾して来るとは。一体何を考えている。ユーリを人質にし身体を奪ったのだ。恨まれてないはずはない。それは分かっている。しかしそれにしても命を奪いに来るとは。
人とは己の価値感からは逃れられぬものだ。特に男と女では貞操観念の重要さが違う。確かに男にも愛する女性の為に操を守る者は居る。だが、仮にその男が無理やり女性に貞操を奪われたとて、死を選ぶほどの絶望を感じるかと言えば稀だろう。だが、貞操を奪われた女性が死を選ぶのは珍しくない。
そして、死を選ぶほど追い詰められた者は、機会があれば、その手段があれば、相手を殺すという決断をしても不思議ではない。だが、アルベルドはそれに思い至らなかった。彼ほどの知者がとは、という話ではあるが、それには彼の生い立ちによる母以外の女性への軽視が関係していただろう。
「2階に上がれ! 上を取った方が守りやすい!」
逃げるなら階段を上がるなど愚策。しかし、今は時間稼ぎが重要だ。左右に手すりがある階段を駆け上がった彼らは、上って来る追手を迎え撃つべく向き直る。
「手摺を潰せ!」
「手摺で御座いますか?」
「そうだ。理由を説明している暇はない。早くしろ!」
階段自体を破壊できれば良いのだが、さすが皇国の衛星国家の王宮である。そう簡単に壊せるものではないが、手摺なら破壊できる。騎士達は、何の為なのかは分からないままアルベルドの言う通りにしたが、階段の上部部分の手摺を破壊し終わると、その後にやって来た追手との戦いが始まった。すると、すぐにアルベルドの意図を察した。
剣を振るには、ある程度の空間が必要だ。数にものを言わせ5列ほどになって階段に押し寄せたリンブルク兵だったが、手摺の無いところまで駆け上がったところで、まず端に居たリンブルク兵が階段の左右に落下した。
押し合いながら階段を上っていたところに、いきなり左右の手摺が無くなるのだ。押されるまま、踏みとどまることも出来ずに、後ろから来た者に押されて落下したのだ。そうして残り3列になったリンブルク兵だったが、剣を抜いて戦っているうちに、今度は中央の兵が右手で振る剣の邪魔にならないようにと意識しながら戦っていた右側の兵が落下したのである。
階段から下まで約3サイト(約2.4メートル)。思い甲冑を付けての落下は即死してもおかしくはなく、良くて戦闘不能だ。落下しないように戦うなら、階段で戦えるのはせいぜい2人。それをアルベルド達は階段の上で5人ほどで迎え撃つのだ。
しかも2人で戦うとはいえ、落下するかもと思い動きが制限され本来の力も発揮できない。あまりにも不利な状況に、さすがのリンブルク兵も攻撃を躊躇する。フィデリアに忠誠を誓い、彼女の為なら命も惜しくない彼らだが、効果の薄い攻撃をするのは軍人としての計算が押しとどめる。
「梯子を持って来い!」
と叫び、梯子が用意されるまで睨み合いが続く。これだけでも、時間稼ぎにはなった。
まだ外の者達は救援に来ないのか。梯子が来ればそこかしこから2階へと登り始める。そうなればこの人数で防ぎきるのは難しい。階段での防衛を放棄し、次はどこで防衛するか。
やはり、どこかの部屋に籠るしかないか。できれば、この人数が籠れる部屋が良いが……。兵を無駄にせずに済むのは勿論、外に兵を残して、その兵が押し込まれて敵もろとも部屋に突入してくれば、味方が邪魔で防ぎにくくなる。
そんな都合の良い部屋がどこかに有ったか……。
さすがのアルベルドも、王宮の部屋をすべて把握している訳ではない。答えが見つからないまま時間だけが過ぎ、苛立ち始めた時、女性の声が聞こえた。
「陛下! こちらで御座います!」
その声にアルベルドが振り返ると、そこにはとある部屋の扉から半身になるフレンシスの姿があった。




