第334:臨界
「バルベルデ殿、討ち死に! オルギン隊が押し返されました!」
前線からの報告に、アルベルドはため息をつき小さく首を振った。口ほどにも無いと愚痴を零したいところだが、感情に任せて口を開いて良いのは世捨て人のみ。感情に任せて口を開いて良くない立場にも拘わらず、感情に任せて口を開くのはただの阿呆である。そのどちらでもないアルベルドは言葉を選んだ。
「オルギンの失敗は残念ではあるが、彼を任じた私にも責任はある。とはいえこの状況を解決するのが先決だ。貴公らの意見を聞きたい」
己で言った通り、オルギンを任命したのは自分。そのオルギンが失敗したところで終わらせては、自分の責任で終わる。しかし、幕僚たちに事後策を任せれば、自分の失敗は過程でしかなくなり、最終的な責任は幕僚たちのものだ。幕僚たちはそれに気づかないし、成功すれば手柄になると我先にと発言する。
「確かにオルギン隊は押し返されましたが、ベルヴァースの状況ではこちらの戦線を超えてまでは追撃しますまい。そこで勢いは止まるはず。オルギンの攻撃でベルヴァースも少なからぬ被害が出ております。勢いが止まれば、後に残るのは被害を受けた軍という現実のみ。改めてこちらの新手を繰り出せば、ベルヴァースは対応できますまい」
「しかし、それでベルヴァースを突き崩せますかな」
「何もこれでベルヴァースを倒そうという話ではない。奴らの優勢で戦いを終わらせれば、勢い付かせる。我らの反撃で戦いの幕を引き、五分の状況に戻そうというのだ」
「なるほど……」
幕僚たちの意見は纏まり、アルベルドにも異論はない。こうして、ベルヴァースのオルギン隊追撃が収まってからの反撃の準備が行われた。そして予想通り、オルギン隊の攻勢当初の戦線まで押し返すとそこでベルヴァースの追撃が止まった。
「反撃だ! 攻勢に出てベルヴァースの被害が我が方と同数になれば引く! 奴らを勢い付かせるな!」
敗走するオルギン隊を収容し、追撃していたベルヴァース軍も踵を返す。ベルヴァース軍が背を向けた、その絶妙の瞬間をついた。一旦、背を向けた軍が更に反転するのは難しい。背を押し込まれるように押し込まれる。
「くそっ! 攻撃を諦めたんじゃなかったのかよ!」
不意を突かれたベルヴァース兵は戦線を立て直すことが出来ず、被害が増えていく。皇国軍の予想通りだ。しかし、ここからは彼らの予想に反した。
引き上げるベルヴァースの戦列には、当然、ルージ王子の姿もあった。皇国軍の反撃が、ルージ王子の元にまで届こうという時にベルヴァース兵が叫んだ。
「ルージ殿下が危ない!」
「皆の者! 殿下をお守りしろ!」
その言葉と共に皇国軍の反撃に浮足立っていたベルヴァース兵が再反撃に転じた。今まで崩れるベルヴァース兵を追いかけていた皇国軍だったが、突然の反撃に隊列が突き崩された。ベルヴァースに同数の被害どころか、さらに被害を増大させたのだった。
皇国軍総司令部では、反撃を進言した者が縮こまっていたが、アルベルドは彼を追及したりはしない。
「勝敗は世の常だ。気にするな。必ず成功する作戦などありはしないのだからな」
内心の苛立ちを抑えて慰めの言葉すらかけた。さらに
「皆も委縮する必要はない。それによって必要な進言がされなくなる方が害がある」
と周囲の者達にも声をかける。
アルベルドの寛大な対応に幕僚たちは感激したが、一番脆いと思われていたベルヴァースへの攻撃が失敗した事実は変わらない。アルベルドにしても、打開策が欲しいところだ。戦力比的にこのまま戦い続けても、いずれは勝利するはずだが、士気の面からも戦力が多いにも拘わらず受け身で居る訳にもいかない。
「今回のことは、もう良い。それより、別の策はないか?」
幕僚たちの中には腹案のある者も多かったが、いくらアルベルドから気にするなと言われたからと、では、と口は開きにくいものだ。誰か口火を切ってくれる者は居ないかと、お互い顔を見合わせている。
「どうした? 誰も意見はないのか?」
アルベルドが促すと、やっと1人の幕僚が進言する。
「思いの外、ベルヴァースが手強かったのは意外でしたが、それは事実として認めるしかありませぬ。ならばとコスティラに矛先を向けるのも良策とも思えません。やはり敵の主力はランリエル。早期に決着を付けるならば、ランリエル全線に向かって波状攻撃を仕掛けるのはどうでしょうか。こちらの損害も多くなるでしょうが、ランリエルの損害も増える。ベルヴァースもコスティラもランリエルに従うのみ。ランリエルが敗北すれば、彼らは抵抗せずに降るでしょう」
この雰囲気での発言の為か、面白みはないが堅実な策だ。逆に言えば否定するまでもない策とも言える。今までも攻勢を続けていたが、それをランリエルにだけ集中しようということだ。ベルヴァース、コスティラには、足止め程度の攻撃で良いだろう。
「分かった。その策。採用しよう。作戦開始は、そうだな。3日後としようか。それまでに各隊は準備を整えておけ。今までの損害で、指揮系統に支障をきたしている戦線もあるだろう」
「はっ!」
そして3日後。計画通り、ランリエルにのみに集中した攻勢が開始された。ベルヴァース、コスティラへ向けていた戦力まで投入した攻勢だ。むろん、全兵力が前線に展開できる訳ではないが、回転数が違う。少しでも被害を受けた部隊が、すぐに無傷の部隊と交代する。ランリエルとしては引く敵を追撃したいところだが、入れ替わりに立ちふさがる新手の皇国軍に阻まれそれもままならない。
皇国軍の被害も大きいが、ランリエルの被害も大きい。実数はともかく消耗率ではランリエルが劣勢だ。皇国軍も無理をしない為、ランリエルの戦線を崩壊させるような突進力は低いが、確実に戦力を削っていく。
消耗率がランリエルの方が高い状況が続けば、ランリエルはじり貧になる。ランリエル総司令部でもその危険に気づいた。
「このまま消耗が続けば、皇国軍より先に我が方の予備戦力が尽きまする。そうなれば戦線を維持することは出来ますまい」
ランリエル皇国軍の将軍ムウリは、総司令部での参謀たちとの協議の結果をサルヴァ王子に、そう報告した。
「皇国軍としては、手堅い策なのだろうな。私が奇策と呼ばれるものばかりを使うので、それを警戒して。と言えば、自惚れだろうか」
「いえ。そのようなことは。確かに皇国軍は陛下の奇策を警戒しております。本来、皇国軍ほどの戦力があれば、別動隊を組織しての迂回作戦など、いくらでも他にやりようがある。しかし、彼らはそれを行いません。前回の戦いで兵を分けたところを討たれたのを警戒しているのでしょう」
「まあ、確かに、こちらとしては何か仕掛けてくれた方が、やりやすくはあるな。数を頼んだ消耗戦はこちらの泣きどころではある」
「その代わりに、彼らの攻撃も深いものではありません。以前のように戦線が崩壊するほどの危機になる事もない。ただ日々兵が消耗していくのは堪えますが」
そう言ってムウリは困ったような表情を浮かべたが、その中には何か憐憫のようなものも含まれていた。
「ただ、まあそろそろ限界であろうな」
「はい」
その日も皇国軍の攻勢が続いた。ランリエルに猛攻し、被害を受ければ後ろの部隊と交代。その繰り返しだ。そしてランリエルに同じだけ、いや、元が2倍なのだから、半分以上の被害を与え続けさえすれば勝てる。それどころか、戦線に展開する戦力以外の予備兵力を先に無くさせれば良いというならば、もっと分が悪い比率の損害でも皇国軍が勝つ。
アルベルドと皇国軍首脳部は、そのような考えで攻勢を続けている。考え自体は間違っては居ない。計算上、確かにそうなる。その計算を崩す要素があるとすれば、サルヴァ王子が奇策によってこの状況を覆す事だが、ランリエルにその動きはない。
皇国軍の前線では指揮官が、ランリエルの戦線へと突撃すべく指揮を執っている。自分たちの前に戦っていた部隊が後退し、ランリエルがその後退の乗じて追撃を行わないために間髪入れずに突撃するのだ。
「槍構え!」
その命令の元、兵士たちが水平に槍を構える。突撃! の命令でランリエルの戦線へと駆ける。ランリエル側も皇国軍の仕掛けるパターンにも慣れてきて、彼らがランリエルの戦線に到達する前に、槍衾が奇麗に並んでいる。隙を突くことが出来ず互角の戦いだ。
皇国軍はある程度の戦い、ある程度の被害を受けると後退を開始し、次の部隊へと入れ替わるのだ。それに対しランリエル側は予備兵力の少なさから簡単には交代しない。1部隊ごとの被害は皇国軍を遥かに超える。
「サルヴァ陛下は、この戦い必ず勝つと申された。我らはそれを信じるのみ!」
「そうだ! これまでもサルヴァ陛下は勝利してきた。今回も間違いない!」
兵士たちはサルヴァ王子を信じ、死力を尽くしている。ぎりぎりの状況だが、それに対し皇国軍には余裕がある。
「被害を受ければ次の部隊と交代すればいい。無理をする事はないぞ」
「アルベルド陛下は、如何な状況からでも失地を回復してきた。我々はアルベルド陛下を信じれば良いだけだ!」
戦力にも余裕があり、それを束ねるアルベルドは、巧みな政治的手腕で戦いに勝とうが負けようが、大局的には自分の利益になるような魔術を披露する。それは今までの経緯から兵士たちすら知っている。アルベルドは、己の支持を強める為、積極的に宣伝していた。
サルヴァ王子を奉じるランリエル兵、アルベルドを奉じる皇国兵。双方、信じる心は同じだ。その力に違いはない。いや、アルベルドの方が信奉者たちの存在や、彼らの巧みな宣伝工作もあり兵達の支持は強いかもしれない。
その信じる者たち同士の戦いは続く。毎日変わり映えのない様子に、兵達もこれが永遠に続くのではと考えてしまうほどだ。そうなると精神的にも負担になって来る。
戦いはそれでも続く。ランリエル兵の被害が増えていく。皇国兵の被害はそれを超えるが、1部隊ごとの被害はランリエル側より少なく余裕がある。そのような日々が続く。
そのランリエル兵の様子は、サルヴァ王子の元へも伝えられた。攻撃事態は深追いはしてこないので戦線が崩壊するものではないが、確実に戦力が削られ、同じだけ兵達の精神も削られている。
しかしサルヴァ王子は、
「戦いはムウリに任せている」
という態度を崩さない
皇国軍ではアルベルドが報告を受けるが、こちらは順調にランリエルの戦力を削っているというものだ。実際、ランリエル兵より皇国兵の負担は少ないはずだ。
ゆえにアルベルドも
「このまま攻勢を続けよ」
という態度を崩さない。
こうして双方の首脳部の方針は変わらない。ランリエルの兵力は削られ、皇国は余裕があるまま戦いは続く。しかし、ついに兵士たちに限界が訪れた。コップに一滴一滴水が溜まり、ついにはコップの淵にまで達する。それでも表面張力で水は零れないが、最後には限界に達して水は溢れ出す。表面張力した分の水が一気に流れ出すのだ。
突如、総司令部に伝令が次々と飛び込んできた。
「ラレナ師団が後退します!」
「どうした!? 後退の命令を出したのか?」
「いえ。そのような命令は出しておりません! 意図したものではなく、戦線崩壊し敗走したものと思われます!」
「なんだと!」
それはラレナ師団だけではなかった。奇襲を受けたわけではないラレナ師団が限界だったということは、同じように戦っていた他の部隊も限界ということだ。
「マドリガル隊も敗走しました!」
「なに!!」
「モラレス、オリウエラ両師団も後退。戦線を支えきれないようです!」
次々と伝えられる敗走の報告。これでは全戦線崩壊ではないか。報告を受けた軍首脳部の全員の顔色は蒼白だ。そして、総責任者たる1人の人物に視線が集中する。しかし、彼の顔色も自分たちと同じ。
アルベルド・エルナデスの顔色は蒼白だった。
皇国軍の異変は、ランリエルの総司令部にも前線から伝令が届く。サルヴァ王子の元にもその報告は伝わる。
サルヴァ王子が天幕を出て前線に視線を向けると、幕僚達の多くも総司令部の天幕を出ていた。歓喜を上げる者もいた。
その歓声の中、サルヴァ王子が呟く。
「アルベルド副帝。貴方は、戦いというものを弄び過ぎた」




