第323:いい加減な人々(2)
リュシアンに言いつけられてタランラグラに向かった使者は、すぐに娘を寄越して来るとは思っていなかったのと、タランラグラの地理の不案内で到着に手間取り娘は出発してしまっていたのだ。そして、娘がもう出発したと聞いて驚き、帰りは全力で急いで戻った為に娘を追い抜いたようだ。
「どうしようかじゃない! まったく……。こうなっては仕方がない。断るにしても一度会ってからか……」
とはいえ、使者が娘を追い抜いたと言っても僅かな差。その翌日には族長の娘という者がやって来た。勿論、娘一人ではなくランリエルの役人が付き添い前もって到着を連絡するなど配慮は怠らなかったが、その結果、リュシアンの屋敷までの道中に人だかりが出来ていた。
ランリエルの役人は難色を示したが、彼女はタランラグラの婚礼の正装を纏ってきた。その衣装は、この大陸の女性の服装の常識とはかけ離れていた。
白い衣装なのだが、腕は肩までむき出し。足は前こそ膝上まであるが(それでも、こちらの常識ではありえない破廉恥だが)、横から見れば太もものほとんどがむき出しだ。しかも、上着の丈が短く腹部が露出し、首からぶら下げた色とりどりの大量の首飾りの隙間から臍まで見えている。
その衣装だけを見れば、この大陸の文化では下品極まりない姿なのだが、彼女は褐色の肌を持つ別世界の女性だ。民衆もどこからか彼女がタランラグラ人であると知り、どうやら彼女の国の正装であろうとは理解され、意外にも下品とは思われなかった。だが、やはり、露出が多い衣装なのには変わりなく男達は一目見ようと群がり、女達も異国の衣装を見ようと集まった。
自分が好奇の目で見られているのを感じた彼女だが、自分達の村に肌が白いランリエル人がやって来た時には自分達も珍しさから見物に言った事を思いだし、まあ、そういうものだろうと受け止めるだけの賢さが彼女にはあった。
人だかりに囲まれながらリュシアンの屋敷に到着すると、本当に黒いわ。とアレットが素直な感想を漏らした。傍らに立つリュシアンに目を向けると、彼は奇妙な表情を浮かべていた。一言で言うならば納得しがたい。という表情だろうか。アレットも、不味いかな? と思った。
「ノエーミアと言います。父より貴方の妻になるようにと言われて来ました」
異国の娘は丁重ではあるが、何の装飾もない戦闘民族らしい言葉だ。慎ましやかさ。という文化がないのか、この娘の性格なのかリュシアンの目を真っ直ぐに見つめている。表情も硬く気の弱い男ならば気圧されて目を逸らしただろう。
リュシアンも複雑な表情のまま、どうぞこちらへ。と、異国の娘を屋敷に招き入れた。アレットも後ろから付いて行ったが、娘を案内するリュシアンの様子に違和感を覚えた。
駄目っていう訳でも、なさそうなのかな?
そう思いながらも異国の娘を後ろから観察した。タランラグラ人は総じて手足が長い。彼女は頭も小さく俊敏な猫科の肉食獣を思わせる。だが、ブランのような虎ではなく豹。それは、虎と豹との違いはあれど多少の類似点はある。ということだ。
勿論、女性でもブランのような’ごつい’体格の者はいる。そういう意味でのブランと似た女性はこの大陸にも居るだろう。だが、ブランは単に体格が良いだけではなく虎を思わせる美しさがある。そして、この異国の女性もだ。女豹を思わせる美しさがあった。
だが、アレットは、いや、リュシアン以外の誰も彼女を美しいとは認識していなかった。彼女の長い手足もこちらの人種から見れば少し奇妙という印象だ。目の形もこちらに大抵の者よりも丸く瞳の色も濃い。頭の小さいのも、こちらの基準では別段、長所ではないのだ。つまり、異人さんだな。という印象しか持てない。
その中でリュシアンが彼女を美しいと感じたのは、まさにブランとの類似性を見出したからだ。そもそも彼はブランを美しい虎と認識していた。そこに現れた美しき女豹。
だが、ブランと似ているから彼女を美しいと感じたということに彼には抵抗があった。ブランに対し憧憬、憧れの感情を持つリュシアンだが、勿論、同性愛者ではない。ブランに似ているから美しいと感じた。というのを認めたくない心理が働き、それがアレットが感じたリュシアンの表情の正体だ。
「ようこそ、おいでになられた。遠くタランラグラからの旅路はお疲れになられたでしょう」
「いえ。疲れてはいません」
確かに疲れているような口調ではないが、何せ相手は’異人’だ。本当のところどうだか分からない。そもそも自分達は体調が悪くなれば顔が青くなるが、彼女はどうなのだろうか。
「……とりあえず、こちらへ」
「はい」
異国の女は頷き背を向けたリュシアンの後ろに付いて行く。
ブラン並みに片言だな。とはアレットの感想だが、激高した時のブランは意外にも饒舌だ。この娘も激高すれば饒舌になるのだろうか。
リュシアンとしては、アレットにも言った通り、彼女には帰って貰いたい。当然、穏便にだ。だが、どう言えば、その穏便が可能だろうか。彼女の風貌、衣装は完全に異国の物。彼女の思考も異国のものだ。
居間に彼女を通し長椅子に座るように勧めた。彼女は、勧められた通りに座ったが、思いの外、椅子が柔らかかったからなのか後ろに仰け反りかけ上体を起こした。少し無様な姿だが、それを恥ずかしがっているのかどうかは、彼女の表情からは分からない。それが素なのか気を張り詰めているのか硬い表情のままだ。
まずは小細工なしに正面からぶつかるか。とリュシアンは考えたが、ブランも不正直な態度を嫌うからなのか? と問われれば不快になったであろう。
「実は、間に入った者が、貴女の故郷であるタランラグラがどういう国か良く知らずに返事をしてしまったのです。貴女の国に思うところがあるわけではないが、文化があまりにも違うのも事実。貴女もこちらでは暮らし難いでしょう。申し訳ないが、今回の話はなかった事にして欲しい。勿論、貴女自身にはなんの落ち度もない話。大変、申し訳なく思う」
今まで真っ直ぐリュシアンを見つめていた女豹の瞳が変わった。リュシアンに対して今までは単に見ていただけとするならば、獲物を見る視線だ。獲物へと視線を変えられたリュシアン本人にもそれが伝わった。だが、今では文官としての名声が高いリュシアンだが、彼も戦場で死線を潜り抜けて来た男。彼女の視線に怯みはしない。とはいえ相手が不快に思っているようなら、それには対処しなくてはならない。
「お気に触ったなら申し訳ない。繰り返すが貴女の祖国に思うところがあるのではないのだ。勿論、貴女にもだ。全くのこちらの落ち度。この償いは必ずさせて頂く」
「違います」
間髪いれずに女豹が言った。リュシアンも思わず絶句したが、彼女がそれ以上口を開こうとしないので仕方なく言葉を再開した。
「違うとは? もしかすると、償いという言葉がお気に障ったか?」
「違います」
償うというのは、上からの言葉と受け止められたのかと思ったが、それも即座に否定された。やむなく、思い当たるところをいくつか述べても、全て
「違います」
で撃退された。
「それでは、何が気に入らないのですか?」
答えが見つからずやむを得ず彼女に問うた。初めから聞けば良かったのだが、自分で回答にたどり着こうとするのが知者と言われる者の業というものだ。賢者ベルトラムだったなら、他人がどう感じるかなど知るか。と、とっくの昔に問うていた。
「貴方が私を侮辱したからです」
「侮辱? いや、まさかとんでもない。そのようなつもりは毛頭ありませぬ」
「貴方にその気があるかどうかではありません。貴方は私を侮辱したのです」
確かに、その気がなくても。というのはある話だ。慎重に言葉を選んだつもりだが、それでも何かが彼女の気に障ったのだろう。そしてリュシアンとしては、言葉を選んだつもりなので、なおの事、何が悪いか分からない。今回は、初めから正解を当てるのを放棄した。
「確かに、その気はなくとも失言する事はある。失礼ですが、私の言葉の何がお気に障ったのですか? 考えても、思い当たるところがないのです」
ノエーミアは、しばらくリュシアンを見つめた後、口を開いた。彼女が口を開くのを待っていたリュシアンは、彼女の歯がとても白いのに気付いた。
「こちらでは暮らし難いでしょう。と」
そこか? そこの何が失言なのだ? 全然、暮らし難くないというのか? しかし、間違いなく生活習慣なども違うはず。それは、こちらでの生活を知らないから言えるのだ。それをこちらの失言と言われても困る。
リュシアンが困惑の表情を浮かべていると彼女は、説明の追加が必要と判断したのが再度、口を開いた。
「こちらでの暮らしが私達の暮らしと全く違うのは分かっています」
「ならばなぜ? それでもこちらの暮らしは問題ないと?」
彼女の丸い目が少し細くなった。睨んだというより何か呆れた表情だ。リュシアンも馬鹿にされているのか? と感じた。
「問題がないなど思ってはいません。問題があるに決まっています」
「だったら何がいけないのです?」
自分は、こちらでは暮らし難いでしょうと言った。そして、彼女もそれは認めている。ならば、それで不快がられる言われはないはずだ。
「暮らしに問題があるのは分かっています。その覚悟で来ました。覚悟を持って来た相手に覚悟がないだろうから帰れというのは侮辱です」
リュシアンが天を仰ぐように顔を上げた。確かに、そうも取れるか。とはいえ、それでも、反発するのではなく、その覚悟で来ました。と一言返せば済む話。どうやら彼女はかなり融通が利かない性格のようだ。ブラン並みに。
「確かに貴女のいう通りです。失礼した。ですが、今回はお断りさせて頂きたいというこちらの気持ちに変わりはありません」
「なぜ、断るのですか?」
「先ほどは貴女の所為にしてしまったが、実は、覚悟が無いのは私の方だ。文化が違う貴女と暮らす覚悟が私にない」
「覚悟がないのに私を呼び寄せたと?」
一旦は、矛を収めたかに見えたノエーミアの視線がまた激しくなる。彼女の濃い黒い瞳が僅かに赤く染まる。確かに、だったら初めから呼び寄せなければ良い話だ。
「あ、ごめんね。話を進めたのは私なんだ。あんたの国がどんなところかよく知らなくってさ。妾っていうか、正妻でなくても良いって聞いて、それであんたが良いかなって」
もう少し言葉を選べないのか。リュシアンがアレットへと鋭い視線を送ったが、当のノエーミアは気にした様子はない。ノエーミアには、下手に言い訳めいた事を言うより正直に話した方が彼女の気を害さないとアレットは見抜いていた。
ノエーミアがアレットに向きなおした。
「正妻の貴女が私を呼んだのなら、貴女からも説得してください」
予想外の言葉に驚いたアレットが小さく口を開けながらも顔が笑っている。リュシアンが、アレットを睨んだ。確かに、妻にも内緒の浮気相手。というのならば話は別だが、正式に囲っている妾の管理をするのは正妻の役目だ。
「あ。ごめん。私、この人の奥さんじゃないんだ。この人の親友の奥さんみたいなものなのよ。私の旦那はちょっと戦争に行ってて、今は、この人と暮らしているの」
「つまり、貴女は今はこの方の妻なのですね」
「いや、そうじゃなくてね。旦那が戦場に行く前は旦那も一緒に住んでたのよ。それが、うちの旦那だけ戦場に行ったってだけ」
奥さんみたいなものと言いながら、ブランを旦那みたいなものと言わずに旦那と言い切ったのは、途中で説明が面倒になったからだが、それはそうとして話が噛み合わずノエーミアは困惑気味だ。
「ですから、貴女は夫から、この方の世話になれと託されたのでしょう? だったら、その間は、この方の妻でしょう」
早速、文化の違い発生した。この大陸で、親友から戦場に行っている間に妻子の面倒を見てくれと頼まれれば、俺が居ない間、何かと気を配ってやって欲しいという程度の意味だが、タランラグラの生活は過酷であり、戦争どころか狩りに出たとしても生きて帰ってこないのは珍しくない。親友に対し、俺は行くので(そもそも戻って来るとも言わない)妻子を任せたと言えば、夫代わりになれという意味だ。そこには夜の営みも含まれる。もし生きて帰って来た時に、妻がその男の子供を妊娠していたとしても自分の子として育てるのだ。
「貴女が居るから、私は、その妾というものとして呼ばれたのですよね?」
ん? と、ノエーミアの言葉に違和感を覚えたリュシアンが首を傾げた。もしかすると、妾とは何かよく分かっていないのではないか。
「失礼だが、妾、というのをどういう意味と考えていらっしゃるのか?」
「2番目の奥さんですよね?」




