第322:いい加減な人々(1)
「ブランが居なくなって寂しいんじゃない?」
「それは、こちらの台詞だ」
アレットとリュシアンである。
ブランがバルバール王国軍に従軍して2ヶ月ほどした頃だ。ブランとの3人で暮らしていた屋敷に今は2人。勿論、使用人は別としてだが。
ブランをディアスに取られたリュシアンだが、当初はリュシアンもブランと共にバルバール王国軍に編入されると思われていた。しかし、彼は北ロタに残された。
北ロタの政治、軍事の実務責任者であるリュシアンが居なくなれば王国の運営が滞るという懸念もあったが、ディアスにしてみれば北ロタ王国の運営がどうなろうと知った事ではない。意味もなく意地悪で妨害はしないが、バルバールの益にならないなら躊躇しない男だ。今回、ディアスが彼を残したのは、その方がバルバールの益になるからだ。
あえてアルデシア王都で孤軍となったディアスだが、それでも世の中の全てには程度というものがある。アルデシアで孤立していても国境までどうにかしてたどり着ければ逃げられるのと、国境の先まで敵なのとでは全く状況が違う。北ロタが敵になればアルデシア国境を越えても逃げられず、兵の士気にも影響する。
ブランをバルバール王国軍に同行させれば重要な戦力として活用できると共にリュシアンに対しての人質の効果もある。リュシアンを残したのは、万一、北ロタが改めてグラノダロス皇国に寝返り返さない為の安全装置だ。その意味では愛妻ミュエルをサルヴァ王子に人質に取られても文句を言える立場ではなく、彼自身も文句を言う気などさらさらない。
実際、宿敵とも目されているバルバールに降伏したのを快く思わない者は北ロタには多い。それどころか我慢ならないという者も一定数存在する。いっその事、彼らを捕まえて処罰してしまえば後腐れないのだが、それをしては人心を失う。
「味方を処罰してまで降伏するとはリュシアン殿を見損なった!」
と言われる分には構わないと考えているリュシアンだが、
「叛乱を起こしてでも阻止してやる!」
となれば、王国の存続にかかわる。
彼らを宥めつつ、彼らに叛乱を起こさせないように、こちらが隙を作らないのが重要だ。何をするにも人には熱意というものが必要だが、どんな熱意も時が経てば醒めてくる。いつまでも叛乱を起こそうという熱意を持ち続ける者など極一部だ。少なくとも、この大戦が終っても醒めぬ者などほぼ居ない筈だ。
アレットも、戦いが終わり城下も平穏を取り戻しつつあるので酒場を再開した。ブランの内縁の妻と黙されている彼女だが、経済的に頼る気はない。尤も、日々、屋敷で出される食事や、その他もろもろの費用はブランなりリュシアンが出しているが、それは気にしないようだ。
彼女にとっての経済的自立とは、もし今すぐに男と別れても食うに困らない。という事だ。男にはビタ一文出させないという神経質さはない。
ディアスやグレイスが言うところの青臭いところがあるブランとリュシアンは、融通が利かない頑なさがある。その頑なさを包み込む包容力が彼女にはあった。
アレットは男がかぶった事がないので自身を身持ちが硬いと自分では考えてるが、他者からは所詮は商売女。と見られている。事実、男がかぶった事はないが、男が途絶えた事もない。男と別れたと思えば1、2ヶ月後には新しい男が居るとの噂があり、それは事実だ。
アレットとブランが別れたという話は聞かないが、ブランの長期不在は無責任な第三者の想像を掻き立てるには十分だ。何せ一つ屋根の下に男女が暮らしているのである。噂が立って当然であるが、2人にとって。特にリュシアンには甚だ放置し難い状況である。
とはいえ
「だったら女でも作ったら?」
というアレットの台詞は自身とリュシアンとの噂が理由ではなくブランが好きな同性愛者でないのなら。という意味だ。尤も、これも冗談であり、本気で言っているのではない。
彼女自身は、リュシアンは自分に惚れていると考えているが、勿論、それはリュシアン本人にしか分からないし、時に、人は自分自身の本心も分からないものなので確かめるのは困難だ。ただ、彼女の勘は良く当たる。
なので、彼女の言葉の真意は、私の事は諦めて他の女を見つけなさい。だ。
確かに美人の部類に入る容姿を持つ彼女だが、美人にも段階がある。女神フィデリアやアルベルティーナは別格としても、次席グループに属するミュエル、ナターニヤは勿論、フレンシスやルキノの妻であるクリスティーネにも及ばない。実際、後10歳若ければ、という条件を付けてもランリエル後宮最下位と言われていたアリシア・バオリスにも劣る。
しかし、男も容姿だけで女性に惹かれるものではない。サルヴァ王子は、幼い頃より金をかけて容姿を磨いてきた令嬢達よりアリシアを選んだし、ルキノがリンブルク王となってから群がってきた令嬢達にはクリスティーネより容姿が優れていた者も多かったが、ルキノは彼女達に一瞥もしなかった。
「今は、その気になれん。色々と忙しいからな」
「でも、彼方此方から声がかかってるんでしょ? 話を聞くだけ聞いて見たら?」
北ロタの実質的な運営者のリュシアンである。確かに北ロタは小国だが、それでも一国を担う逸材との縁談を望む貴族は多い。北ロタ建国時に男爵位を授与されてもいる。尤も、現在では更に爵位が上がって准伯爵となっている。
准伯爵とは下位の伯爵という意味だが、他国には存在しない。通常は、公爵、侯爵、伯爵、男爵、子爵の5つだ。北ロタではそれぞれに「准」が存在し10段階となっている。
「褒美を与えようにも領土も金もないんだ。功績ある者にも爵位くらいしか与えるものがない。一番下から始めても、普通だったら5回爵位を与えれば公爵になってしまうが、これならば5回与えても、まだ准伯爵だ」
とは当の准伯爵であるリュシアンの弁である。
「その話を聞く時間も惜しいくらい忙しいんだ。その気になったら考えるから、いらぬ世話を焼くな」
「そりゃ忙しいのは分かっているんだけどさ。だからって、それを理由に断ってたら、いつまで経ってもやらないよ。忙しいなら忙しいなりに無理矢理にでも時間を作らないと」
彼女のいう事は尤もなのだが、その無理矢理時間を作るというのも熱意が必要だ。その気がないという男に無理矢理にでも時間を作れというのは矛盾している。だが、実際の生活とはそこまでロジカルではなく、人は矛盾の中で生きている。曲がった筒に真っ直ぐな棒は通らない。矛盾ある世界には矛盾の対応が必要なのだ。
「分かった。だが、何人にも会う時間は作れない。1人だけだ。そこまで言うのなら、その1人をお前が選んでくれ」
返答に給したリュシアンが彼女への反撃にそう答えた。話を持ってくるのは、それなりの貴族ばかり。しかも、北ロタだけではなくバルバールやコスティラなどのランリエル陣営の国々からばかりか、なんと皇国の衛星国家の貴族からも話がある。もし娘をリュシアンに嫁がせて、北ロタを再度、皇国側に寝返らせられれば手柄になるとの目論見だろう。
衛星国家の貴族からしてみれば、皇国に逆らうなど正気ではない。自分の娘の婿になればリュシアンの身の安全は保障できると持ちかければ、十分に勝算がある。と計算しているのだ。
だが、当然、アレットにはそんな政治の事など分からない。つまりアレットには選べない筈。精々、困って頭を悩ませろ。きっとすぐに根を上げるに違いない。なので
「あ。うん。いいよ」
という彼女の軽い返事も、まだ事態が分かっていない為と甘く見ていた。
そして数日後、リュシアンも多忙の中、そんな話があったと忘れた頃にアレットから話があった。
「この前の話なんだけどね」
「この前の話? なんだ?」
リュシアンは本気で忘れていたが、アレットは話を続けた。
「だから、あんたのお嫁さんを探すって話よ」
話を進めるとしても結婚する気などさらさらないリュシアンだが、相手の貴族にしてみれば、娘を嫁にする気満々だ。選べといわれた以上、アレットもその気である。流石にリュシアンも反論できない。
「1人決めたから、ちゃんと会いなさいよ」
「ほう。どこのご令嬢だ?」
散々、会うのを渋っていたリュシアンだが、彼も男である。いざ、女性と会うとなると現金なもので美人だと良いな。と頭の片隅に浮かぶ。
「なんかね。タランラグラとかいう国の族長とかいうのの娘さんなんだって」
リュシアンが、ん? と一言発して眉を潜めて首を傾げた。記憶を手繰りタランラグラの情報を引き出そうとしているようだ。
「タランラグラって、あのドゥムヤータの東にあるという他の大陸から来た者達が住むという、あのタランラグラか?」
「え。そうなんだ?」
とても自分が選んだとは思えないアレットの返答である。
「それくらい調べろ!」
「いや、だってなんか条件が良かったからさ」
「なんだ。その条件って」
タランラグラの産業と言えば塩の生産しかないはずだ。塩を山盛りくれるとでもいうのだろうか。
「奥さんじゃなくて、お妾さんでも良いんだって。お妾さんでも良いんだったら、断る理由もないでしょ」
「そういう問題じゃないだろ」
くそ。まさか。ここまで斜め下の答えが返って来るとは。貴族社会の事など分かっていないから困るだろうと考えていたが、まさか、分からなさ過ぎて悩みすらせず、それどころか、適当に突き進むとは。彼女を甘く見すぎていた。
「とにかく断れ。訳が分からなさ過ぎる。そもそも、どうしてタランラグラの族長というのが、俺に娘を嫁がそうというのかも分からん」
その族長は、タランラグラの中でも「開明派」と呼ばれる人物でランリエルと友好な関係を築いてからは、他の国とも積極的に関係を持っていこうという考えの持ち主だった。タランラグラ人の体質なのか子沢山で娘も多い。他の国と婚姻関係を結ぶのにも積極的だ。だが、多くの国に打診はしているものの、その熱意に反して他国に嫁がせられた娘はまだ居ない。完全に無視されるのがほとんどで、唯一反応があったのが北ロタのリュシアン准伯爵だけだったのだ。
北ロタは、この大陸で最も新しく小さい国だ。その族長からみてみ「手ごろ」であり、期待は大きい。尤も、タランラグラ人が北ロタまで申し込みに来たのではなかった。タランラグラの塩の生産を管理するランリエルの役人に相談して伝手を頼り、北ロタ駐在の外交官経由で打診して来たのだ。
しかし、そんな事情までは手紙に記載されていない。我が娘をぜひ聡明なるリュシアン・リシュール伯爵のお傍にというだけの内容だ。ちなみにリュシアンは前記の通り実際は准伯爵だ。リシュール伯爵となっているのは手紙を代筆したランリエル役人の認識違いである。
そして、その手紙すら自分では読んでいないリュシアンからすれば、確かにタランラグラの族長が娘を自分に嫁がせようなど意味が分からないのは仕方がない。
「いや、あんたに言ったら、なんだかんだ言って話をうやむやになりそうだったから、もう、会うって返事しちゃったよ」
「勝手な事をするな!」
「だって、あんたが私に選べって言ったんじゃない。私が選んだ1人と会うんでしょ?」
「話を聞くと言ったんだ。会うとは言っていない!」
「いや、会うって言ったって」
これ以上言い合っても水掛け論だ。だいたい、実はリュシアン自身も以前の会話を思い出しており、確かに1人だけなら会うと言ったと分かっているのだが、彼女の言う通り、うやむやにしようとしているだけだ。相手が折れないのなら、部が悪いのは分かっている。
「分かった。だが、とにかく断れ」
「えー。せっかく会うって返事したのに」
「いや、お前はまだ分かっていないだろ。タランラグラ人は、我が国とは人種が違うのだ」
「違うたって同じ人間なんでしょ? コスティラ人とも会った事あるけど、確かにでかい人達だったけど、良い人だったよ」
「そういう次元ではないのだ!」
アレットは渋ったが、リュシアンのいうタランラグラ人との違いとはコスティラ人との違い程度ではなく、もう肌の色(コスティラ人は他の人種と比べて肌は白いがそういう次元ではなく)から全く違い、文化も当然、全く違う。北ロタに来ても馴染めないだろうと説得され、渋々ながらお断りの手紙を改めて出した。そして、3週間後に返事が来た。
「あ。なんか、もうこっちに向かって来ているらしいよ。どうしよっか」




