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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
416/443

第320:妻

「ゴルシュタットが王国連邦へと政体を変更したとの事で御座います」

「王国連邦?」


 皇宮の執務室で対ランリエルの調査報告を受けていたアルベルド・エルナデスは、聞きなれぬ単語に問い返した。信奉者からの報告により、ランリエル勢の動向はサルヴァ王子よりも把握していると言っても過言ではない彼だ。決戦に向け、その時が迫っているのは感じている。


 サルヴァ王子は、まさにランリエルの頭脳だが、身体を流れる血液の流れまでは指示していない。だが、ランリエル軍の血液たる補給部隊の動きを知るアルベルドは、それを把握している。サルヴァ王子は準備が整えば決戦と考えているが、アルベルドには、いつその準備が整うかが予測できた。


 しかし、逆に血液は頭脳が何を思考しているのかは分からない。ゴルシュタットを味方に付け、軍勢を動かそうとするのは分かっても、どういう理由で動かすのかは別の手段で知るしかない。別経由で調査させた報告で「王国連邦」という聞きなれぬ単語を耳にしたのだ。


「なんだそれは?」

「は。それが、彼らがそう称しているので……。どうやら、ゴルシュタットは小王国群に分裂し、それを纏めて一国にするというようなものなのですが……」


 報告書を読み上げる男の額に汗が浮かぶ。微塵も要領の得ない報告にアルベルドの視線も厳しくなるが、報告者は恐縮しながらも未知のものなど分かりようがないと理不尽さも感じていた。


 その様子にアルベルドが小さく首を振った。男に呆れたのではなく諦めの為だ。彼は厳しい指導者ではあるが理不尽な指導者ではない。確かに未知なものは未知であり、説明は難しいだろう。


「まあいい。下がれ。ただし、その王国連邦制とやらがどのようなものなのか。詳細に調べ報告書を纏めておけ」

「は。直ちに」


 男は内心、安著の溜息をつき深々と頭を下げた。下げ終わりでは実際に小さく溜息をつく。とにかくこれで開放されたと扉へ向かう足取りは僅かながら早かった。


 政体がどうであれ、ゴルシュタットがランリエルに付いたのに変りあるまい。今はそれが重要なのだ。ゴルシュタット本隊を補足していたコスティラ、ベルヴァース両王国軍への物資の輸送経路が南下しているとの報告とも一致する。


 しかし、欲を言えばもう少し長引いて欲しかった。


 戦時体制が続く方が皇国での己の立場が強くなるというのがアルベルドの計算だが、更にランリエルの弱体化をサルヴァ王子以上にアルベルドは把握していた。


 如何にサルヴァ王子とて経験がないものを、その知性だけで予測するには限界がある。元々、東方では大国であったランリエルだが、その東方を統一し西方にまで勢力を広げ、皇帝にまでになった自身の権力、権威は自身であるからこそ見えないものだ。


 その皇帝の権力、権威を恐れるあまり、官僚達が失敗を隠そうとする事までは見抜けていない。官僚が失敗を隠そうとするなど王国時代からもあったが皇国になってからは別次元。


 必死で軍資金をかき集めて戦っていると認識しているサルヴァ王子だが、実際は、既に金が尽きかけている。一部の商人からは対価が払えないなら商品は卸せないと拒否運動まで起こっているが、官僚が皇国の武力を背景に押さえつけているのである。官僚達に言わせれば、最終的にランリエルが勝てば問題ない。という事なのだが、商人達の不満は日々、その水位を高めている。いつ決壊してもおかしくはなかった。


 血液が止まれば身体は壊死を始めるように、補給が途絶えた軍隊も衰弱していく。飢えで力が出ないのは勿論、遠く異国まで遠征に出た兵士達にとって物資の途絶えは不安を増大させ、軍隊秩序の崩壊となって現れる。尤も、武器、防具を消耗すれば戦いようがないのだが。


 ただ、ランリエルの官僚達にとって幸運な事に、このまま進めば、その崩壊までに決戦の準備は整い、無理を押し付けられた商人達もランリエルが勝てば口を閉ざし、負ければ訴えるべきサルヴァ王子の命はない。サルヴァ王子が官僚達の失態に気付く事はないのだ。


 単に戦いに勝つ事だけを目指すならば、ランリエルが決戦を挑んで来てもこちらは守りを固め続ければいい。それでランリエルは力尽きる。だが、勝利を目指すだけならば、これまでも勝てる機会はいくらでもあった。それをしなかったのは、この戦いを政略に利用せんが為。


 戦いを長引かせる事により、戦時体制を長期化させ権力の固定化を目論んでいた。副帝たる自分が戦時という事で制限なしに軍隊を動かし法を発効する。それが当たり前と感じるようにだ。それと同じように弱小のランリエルが決戦を挑み、強大な皇国がそれを避ければ、皇国軍を統括する自分の権威に傷がつく。


 まあいい。こちらはランリエルの動向を完全に掴んでいるのだ。長躯、戦場を迂回してこちらの背後に出るような軍勢は存在しないと断言できる。前回のように皇国本隊と衛星国家の軍勢が切り離されるような策を警戒すれば、戦力的にはほぼ2倍になる。


 ランリエルが決戦の準備を整える前に戦力がものをいう平地に布陣して待ち構える。兵の質でも決してランリエル兵は高くはなく皇国軍に負ける要素はない。強兵でなるコスティラ兵も参戦してくるが、それもランリエル軍全体で考えれば極一部。2倍の兵力差を覆せるものではない。


 万一。億一負けても、今までも敗戦を政治的魔術で、むしろ権力の強化に利用してきたアルベルドだ。決戦の地のセルミア王都西北はデル・レイ王国に近い。デル・レイはユーリが現国王だが、自分の権力基盤の血でもある。負ければ、そこでランリエルを食い止める。


 デル・レイは兵士どころか老人、女、子供までも全国民が自分を聖王と讃えている。信奉者をも使い、更に妄信的にアルベルドを讃えるように教育を続けている。ランリエルが侵攻すれば全国民が農具や料理包丁、木の棒までも武器にして戦うだろう。元々、国力が限界のランリエルが皇国との決戦に万一勝利しても戦闘継続能力は限界だ。勝利の余勢という興奮状態が過ぎれば現実が待っている。ランリエルは勝った。という名分だけを得て引くしかないのだ。


 彼らがその名分を額縁に入れ眺めて悦に入っている間に国力を蓄え直した皇国が侵攻するならば、今回の戦いの為に領民に重税までかけて挑んだ彼らには、もはや戦う力はない。


 確かに負ければ、一時は権威も失墜し、反逆者も出るだろう。だが、その逆境に屈して権力の座から降りるようなアルベルドではない。権力の座に居座り続ける。前回の戦いでナサリオがランリエルに敗北してるのもアルベルドに有利に働く。皇国史上、唯一の敗北ではないのだ。そして、次にランリエルを倒せば苦難を乗り越えてランリエルを打ち破った優れた指導者。その名声に辿り着く。


 アルベルドが、鈴を鳴らすと従者が飛んできた。命令書を発行するので武官を呼ぶように命じると、また飛ぶように部屋から出て行く。武官はすぐにやって来た。落ち着き払っているように見えるが、額に汗が浮かんでいる。扉の前まで駆けてきたようだ。


 アルベルドは、その武官に

「前線に、戦線の整頓を行うように」

 との指示を出した。


 現在、ランリエル本隊に攻勢を仕掛けている皇国軍は、ランリエル勢の後ろに回り込もうと北へ北へと戦線を伸ばし、それをさせまいとランリエル側も北へ北へと防衛戦を伸ばしている。他の戦線も損害を受けた部隊の交代と補充後の戦線復帰の繰り返しで、乱雑となっている。本来、中央軍の指揮下にあるべき部隊が、最右翼に布陣していたりもするのだ。


 決戦を前には戦線の整頓は必要だ。特に軍勢が多ければ多いほど重要となる。それをしなければ如何な大軍でも烏合の衆と化す。


 アルベルドからの指示に武官も引き締まる。勘の良い者ならば、それが何を意味するか理解できる。どうやら、この武官は勘の良い者らしい。退出する男の背を見ながら、もう少し力を発揮できる部署に配置転換してやろうかと考えた。


 私怨により皇国を支配せんとするアルベルドだが、その動機はどうであれ主君として有能なのは紛れもない事実。感情や私欲に任せて部下を処罰したり、財を蓄える趣味はない。


 武官が去った後に1人になったアルベルドは椅子に深く持たれて大きく息を吐いた。副官や従者も用があれば呼ぶからと下がらせている。彼は聖王としての名声が権力基盤だが、常にその振る舞いをするのは気疲れする。たとえ副官や従者といえど傍に人が居るのは煩わしい。


 まさかフィデリアが、あのような事を言い出すとは。


 自分にも、命を捨ててでも身体を許さないと毅然と抵抗したフィデリアだ。自分に屈したのは息子ユーリを守る為。ただ、それだけのはず。それが、今になって正妻にしろとは。女とは子供が出来れば、それほど変るものなのか。


 本来、フィデリアは夫以外の男に絶対に身体を委ねるような女性ではない。それこそ犯されるくらいならば自ら舌を噛み命を絶つ事を選択する女性なのだ。それが、ユーリの為に死ぬ事を選択できなかった。だが、夫以外の男に身体を委ねるならば死なねばならない。


 その矛盾を解決する為に彼女の精神が選んだ方法は、倫理観の自殺。男に抱かれるなど食事をするほどに当たり前。お腹が空けば食事をするのは当たり前。毎日するのも当然である。多少、親しい人物と食事をするように。知人と食事をするように。ちょっと用事を頼みたい人物と、ちょっと食事でも。というようにだ。そう思わなければ彼女の精神はとっくの昔に崩壊している。


 しかし、アルベルドは自分が彼女をそこまで追い込んだとは気付いていない。それは、彼女がアルベルドに弱みを見せないと平静を装っているからでもあるが、それ以上に、アルベルド自身の彼女への憧れからだ。あの女神が身体を、今では述べ人数で5桁の男が通り過ぎているとは夢にも思わない。


 だが、その人数の多さこそが、本来の彼女の倫理観の強さだ。夫以外の男に抱かれるという事を、そこまで徹底してどうでも良い事だと考えなければ、精神が崩壊するほどの精錬さだったのだ。


 そのフィデリアが、最近、自分の腹心や皇国の大臣、官僚達と頻繁に会っているらしい。間違いなく、自分を正妻にするようにと俺へ口添えして欲しいと頼んでいるのだろう。実際、そう言ってくる者達が増えた。


 そのアルベルドの予想は当たっていた。だが、その者達にフィデリアがどうお願いしているまでは予測できていない。当然、全員と寝ている。女が男に頻繁に会えば、少しは情事を疑いそうなものだが、誰もが、あの女神に限ってと思う。アルベルドも例外ではなく、露ほどにも疑っていない。


 ましてや、腹の子供がおそらく自分の子ではないと知る由もないアルベルドには、子供が出来れば女は変るものだとしか思えない。


「俺が父親か……」


 念の為、宮廷の名医にも診断させたが、彼女が妊娠しているのは間違いない。ならば自分の子なのだろう。そう思い無意識に呟いた。



 もし、フィデリアが、この呟きを耳にしたならば、その滑稽さに女神の品位を投げ捨て笑い転げるだろう。可能性はゼロではないが、ほぼ間違いなくアルベルドの子ではない。どこぞの誰とも分からぬ男の子だ。


「副帝などと言っている男が、どこぞの男の種の子を自分の子ですって」


 そういって、馬鹿な男だと狂ったように女神は笑い転げるはずだ。それとも、既に狂っているのか。


 自分に父親は居ないとアルベルドは考えていた。血縁上の父親はいる。グラノダロス皇国皇帝。だが、その男を父親と思ったことなど一度もない。自分には母しか居なかった。


 その母も殺された。その復讐に生きた。フレンシスと結婚しデル=レイ王となったのも権力を得んが為。子の親になるという意識はなかった。フィデリアを抱いたのも子供時代の憧れ。そして、フィデリアの夫ナサリオへの復讐。ナサリオだけではなくパトリシオもフィデリアには執着していたが、皇帝は衛星国家の王女を妃にしないという不文律の為に諦めたと言われている。


 父性を知らずに育ち、権力を握る為と復讐の為に女を手に入れてきた自分が子の親になるという。全く想像できず、産まれた子にどう接して良いか以前に、子に接している自分の姿が想像出来ない。


 このアルベルドの思案をフィデリアが知れば、立ち上がれないほど笑い転げるだろう。どこぞの男の子なのに、自分の父親としての資質に悩んでいるのである。アルベルドが深刻に考えれば考えるほど、フィデリアには滑稽だ。しかも、アルベルドは人生をかけて皇帝になろうとしているが、産まれてくるどこの男の種か分からぬ子供が男児ならば、その後を継ぐ。


「まあ、産まれてくれば自覚も沸いてくるか……」


 フィデリアが女神と称される気品を打ち捨て笑い七転八倒しそうな台詞を呟くとアルベルドは執務室を後にして寝室へと向かった。決して上手く行っているとは言えぬ夫婦だが、寝室は同じだ。対外的には仲睦まじい夫婦と宣伝しているので別には出来ない。これも聖王の名を保つには必要なのだ。


 フィデリアとの関係はフレンシスとの結婚前からという事になっているし、フィデリアの息子ユーリをフレンシスの養子としている事で夫婦の間に問題はないと思われていた。尤も、今回のフィデリアの妊娠でその風向きも変わってきているが。


 寝室の扉を開けるとフレンシスは既にベッドに横になっていたが眠りについては居なかった。


「もう、お仕事は終りましたの?」

 と上体を起こす。アルベルドは返事をせずベッドに潜り込んだ。背を向けて妻への拒絶の意を表す。


 フレンシスは、しばらく躊躇した後、意を決したように夫の背に語りかけた。


「私には、どうして貴方の子が出来ないのでしょうか」


 フィデリアとは出来たのに。とは言うまでもない。夫婦の営みはある。愛情に包まれたという表現には程遠く、夫の欲望のはけ口にされるような情事だが、それでも回数は人並み。あるいは多い方かも知れない。なのに自分には出来ずフィデリアとは子が出来た。


 フィデリアはアルベルドとだけ関係を持っているのではなく、そこかしこの男から何万回と精を受けているのだから妊娠しない方がおかしいのだが、それを知らないフレンシスからすれば、夫の愛情がフィデリアに向き、自分に向いていないからと思ってしまう。


「そんな事、俺に聞かれても分かる訳があるまい」


 夫が冷たく言い放った。確かにそうだ。誰にも分からない。しかし、愛情ある夫婦の夫ならば、たとえ同じ意味の言葉でも、もっといたわりのある言い回しを選ぶのではないだろうか。


 夫から、ここまで冷遇されているにも関わらず夫に尽くす。傍から見れば、どうしてそんな割りに合わない理不尽な事と思われるだろう。フレンシス自身、それは分かっている。しかし、人に心とは理屈ではない。


 自分は夫から必要とされている。そう信じている。根拠は全くない。しかし、信じるのに根拠が必要だろか。夫から必要とされていると知っているのではない。分かっているのでもないのだ。知るも分かるも根拠があればこそ。しかし、信じるのには根拠は不要だ。人は根拠があっても信じたくないものは信じない。結局、人は信じたいものを信じ、信じたくないものは信じないのだ。


 自分は夫について行くと決めた。フィデリアが自分を正妻にと言ってきた。夫の部下達にも口添えを頼んでいるとも聞いている。それでもだ。夫はフィデリアを正妻にしていない。私がこの人の妻。


 夫は自分にだけは冷淡が姿を見せる。それは自分にだけは素直な姿を見せているのか、屈折した姿を見せているのかは分からない。分からないが、分からないままそれを受け止める。


 なぜならば、私はこの人の妻だからだ

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