第305:極常識的な話
皇国軍はゴルシュタットに牽制として2万。ランリエル本隊へも10万の増援を派遣した。特にランリエル本隊への増援はサルヴァ王子に激戦を予想させたが、戦力差は考えれば、各方面で最も苦戦を強いられているのはアルデシア王都に拠り15万の皇国軍を相手にするバルバール王国軍だ。
ランリエル本隊は3倍近い軍勢を相手にするが、バルバール王国軍は当初4万であったが相次ぐ激戦により3万5千を割り込み、実に4倍を超える敵を相手にする。しかも、ランリエル本隊と違って退路がなく、負ければ全滅するしかないのである。
「さて。我らが全滅する前にサルヴァ陛下は皇国を倒せるのか。それとも、こちらに援軍に来るのか。それが悩みどころだね」
バルバール王国軍総司令フィン・ディアスである。日は暮れ、すでに深夜に近い。机の上には従者に用意させた葡萄酒があり、小腹がすいた時の為にパンとチーズもある。城の防衛戦は特別危機にならない限り、指揮は部署単位の士官で事足りる。最近では深夜まで思案し昼間は寝ている事が多い。勿論、諸将もそれは分かっていて非難の声はない。
サルヴァ王子のように奇策を弄すると思われる事もあるディアスだが、少なくとも本人に奇策を使っている意識はない。彼にとっては極当たり前の常識的な事を徹底的に行っているだけである。他者からは非常識に見えるほどにだ。
ランリエルとの戦いではランリエル、カルデイの民衆を攻めるという行動に出た彼だが、誰だって他国の民より自国の民が大事なのは当然である。今、他国の民を攻めなければ自国の民が蹂躙されるので他国の民を攻めた。というに過ぎない。
そして他国の兵より自国の兵が大事なのも当然だし、自国の兵を温存して国が敗れれば軍勢の存在価値はないと損害を覚悟で戦うのも当然である。勿論、それは必要な損害を躊躇しないという事であり、将兵を無駄に殺しているのではない。
その彼にして現在の状況を打破する策はない。兵法にも、負けない態勢を作る事は出来るが、勝てるかどうかは相手次第なので必ず勝てるとはいえない。とある。ましてや敵はこちらの4倍。勝ちたいからと言って勝てる状況ではないのだ。
しかし、多くのバルバール兵は全滅する気はなく、自分達の総司令には、それを打開する策があると信じている。
「だが、間違いなくサルヴァ陛下は救援に来ない。セルミア王都方面を空には出来ない以上、こちらに回せる兵は多くはないからね。我らを囲む15万の敵を上回るはずもなく兵を無駄に損なうだけだ。我らが生き残るには我らが全滅する前に、この戦いが決着する必要がある」
そう。決着すれば良いのだ。何もランリエルが勝つ必要はない。負けてもディアスは構わない。アルベルド・エルナディスは、その真の姿はともかく政治的に聖王たらんとしている。それをディアスは見抜いた。勢力的にはデル=レイの旧国王でしかない彼は、聖王という名声が権力基盤。その意味でのアルベルドを信頼もしている。
「滅ぼされるのはランリエルのみ。他の国は、おそらく聖王の英断により許されるはずだ。だったら、とっととランリエルを裏切れば良さそうなものだが、そうもいかない」
語りかけるように話し続けるディアスだが、実は部屋に彼1人である。いつもならば従弟のケネスを相手に軍略を語るものだが、如何に信頼する従弟にでも打ち明けられない話もあるのだ。自分達が滅びかねないという話をケネスが漏らすとは思えないが、その事実の重圧を思えば打ち明けるのに躊躇する。
では、1人喋り続けるディアスこそが、重圧に病んでいるのかといえばそうではない。口に出す。というのも頭を整理するのには必要だ。
以前はケネスを相手に語る事で頭を整理していたのだ。感覚的に把握し、それで間違いないと思っていた事でも人に説明するとなると理路整然と話を組み立てる必要があり、それによって実は辻褄が合っていないと気付く事もある。また感覚的にあちらに進めば良いと把握していたものが、もっと良い道筋を見つけたりもする。
「理解しているって事は説明出来るって事だよ。人に説明出来ないなら、それは理解出来ていないのさ」
ケネスにそう言った事があるし、覚えるべき書物の内容を把握させる為にそれを書き写させた時も
「内容を変えずに表現は少しでも変えるように。他の誰かが読んで、元の書物よりも理解できるように書き写すんだ」
と指示した。
表現を変えても内容を変えないようにするには、その内容を理解していなければならない。単に読み込んで暗記するよりはも遥かに内容が頭に入るものだ。
遥か昔、とある兵法書をとある名将と呼ばれる男が注釈本。つまり解説書を書いたというが、その兵法書を理解できていたから書けたのではなく、理解する為に書いたに違いない。
とにかく傍から見れば病んでいるように見えるディアスの独り言が部屋に響き続けた。
「ランリエルが皇国に負ければ、現在のランリエル王朝は滅ぶだろう。ランリエルという国名も大陸から消え去る。しかし、消えないものもある。ランリエル人という民族だ。聖王アルベルドの慈悲の心によりバルバールは滅ぼされないが、同じように慈悲の心でランリエル人は生き続ける。もし、そのランリエル王朝の滅亡がバルバールの裏切りによって決定付けられればどうなるか」
それが問題なのだ。それについてはディアスは、やられた。という意識が強い。サルヴァ王子がいつから意図していたのか分からない。しかし、バルバール自身の損得勘定はともかく、コスティラが妬んでいたように他者から見ればランリエルはバルバールを優遇。その傾向があった。
ロタ攻略時に海外貿易の利権を分配した時もバルバールは労少なくして益が多かった。現在は北ロタとセルミア王都になっているロタ北部の土地もバルバールが得た。そこまでランリエルに優遇されてきたバルバールの裏切りによりランリエルが滅ぶ。
ランリエル人は、いつまでも、その裏切りを忘れないだろう。現王朝が滅んでもランリエル人は残り、いずれはその恨みを晴らす者が出てくる。ランリエルの国力はバルバールを遥かに超えるのだ。
軍略においてはサルヴァ王子をも超えると称される事も多いディアスだが、政治的な分野までを含めると、やはり王子に一歩譲る。ディアスは、ランリエル艦隊と皇国艦隊の決戦の前、王子から偽りの降伏をするように命じられた時まで、それに気付かなかった。
あの作戦は、バルバールの裏切りが偽りでなかったらランリエルが敗北していたのは勿論、途中でバルバールの気が変って本当に裏切ってもランリエルが滅亡していた。それほど我らを信用して下さっているのですか? 何気に問うたディアスにサルヴァ王子は答えたのだ。
「もしバルバールの裏切りによりランリエルが滅びれば、バルバールこそが滅ぶぞ」と。
ランリエル王家と主要な名門貴族は滅ぼされるだろうが、ランリエル人の大半は聖王アルベルドの慈悲により生き残る。だが、その恨みをランリエル人は忘れない。このような時に恨まれるのは、直接戦った相手より味方であったのに裏切った者。優遇されていたにも関わらず裏切ればなおさらだ。その恨みの対象となったバルバール人は生き残れるだろうか。民族としての遺恨戦は、相手の民族を滅ぼすまでやりかねない時代だ。
「つまり、我がバルバールにはランリエルを裏切る権利はないって事さ。いや、今までランリエルに優遇されていた対価として、その権利を売ってしまったって事かな」
ディアス自身、名宰相と呼ばれるスオミとも協力しバルバールに利するように行動してきた。それ自体は間違いではないが、サルヴァ王子に巧く利用された。しかし、ディアスにも逆転の策はある。
「ランリエルの援軍はいらない。ランリエルの援軍が来なかった為にバルバール王国軍は全滅する。選王侯を篭絡しドゥムヤータとブランディッシュを皇国に向け、北ロタを降してアルデシア王都を落とした。ここまで働きランリエルに尽くした。にもかかわらず見捨てられて死ぬ。みんな死ぬ。誰が見てもランリエルに非がある。ランリエル人から見てもだ」
その時こそバルバールはランリエルを裏切る権利を得る。労働により裏切る権利を買い戻せるのだ。
「問題は、私達がここで持ち耐えている時にランリエル本隊が敗北し、バルバールへと敗走した時だが……」
ランリエル軍がそのままランリエル本国まで引いてくれれば、追撃して来た皇国軍にバルバールは降伏すればいい。ランリエル人も、それには不満を感じても滅ぼすほど恨む事はない。問題は、ランリエル軍がバルバールとコスティラとの国境の天嶮を利用して皇国軍を防ごうとした時だ。
バルバールとて軍勢の大半は出払っている。敗走したとはいえ元が大軍であるランリエルに歯向かう事が出来ずに、やむを得ず協力して皇国軍と戦うしかない。そして、いずれは負ける。そうなっても聖王アルベルドの慈悲の心は期待出来るのか。
バルバール王都には妻と息子、娘が居る。この戦いの直前に産まれた娘ライサも、もう自分で立ち上がれると妻から手紙あった。ランリエル本隊から別行動するまでは頻繁に手紙が届いていたが、ここに立て篭もってからは受け取るのは不可能となった。
「ライサが、ママと呼んでくれました」
その手紙が最後だ。中々喋らなかった息子オシァンと違い娘は早熟なようだ。結婚した時は幼かった妻は、成人した今でも小柄で年齢より幼く見える。息子を連れて散歩をしていれば姉弟と思われる事がほとんどで母子と見られた事がないほどである。娘を連れていれば姉妹と見られるのだろうか。
「無事に帰って来て下さい」
妻からの手紙は、常にそう締めくくられていた。その妻と子供達はバルバール王都でディアスの帰りを待っている。だが、いざともなれば王都を脱出する手筈は出来ていた。
総司令は、自分の妻子だけ逃げさせるのか。それを知れば多くの者が非難するだろう。ディアスにしてみれば、当たり前だろうとしか言えない。町が火事になり多くの者が犠牲になった時、自分の妻子は助けられるのに、他の家の奥さんと子供は焼け死んだのだからと見殺しにするのか。そんな奴が居るものか。
勿論、ディアスが、私は必ず祖国を守る。その証に我が妻子は最後まで王都に留まらせる。そう宣言すれば人々はディアスを真の愛国者。そう褒め称えるだろう。ディアスとて、妻と子が、自分の’物’ならばそうする。だが、ミュエルとオシァンとライサは、自分の物ではない。
「そういえば、貴公の奥方を付け狙っている者がいるようだ。あまりにもあからさま過ぎると部下から報告があったので、初めは、知り合いの悪ふざけかと思ったそうだが」
これもサルヴァ陛下が言った言葉だ。間違いなく妻子を脱出させる為に雇った男だ。いつでも脱出出来るように常に近くで監視させていた。それを陛下の部下が見破ったのだ。
「それは、わざわざお知らせ頂き、ありがとう御座います。妻にも気をつけるように伝えましょう」
その言葉の前半部分はディアスの本心だ。これは報復ではなく警告。それが分かれば十分だ。警告せずに裏切ったら殺すのはただの気晴らしに過ぎない。ディアスに裏切らせない事が重要なのだ。裏切ったら殺すと伝えてあるんだから裏切るな。だ。
王子が、自分が妻子を人質に取られれば言う事を聞く人間と思っているのかどうか。おそらく王子のその脅迫は念の為に過ぎない。やらないよりはマシ。その程度だろう。とディアスは予測した。
ランリエルを裏切るか裏切らないか。ディアスの判断の天秤が完全に均衡した時、その均衡を崩す僅かな重み。その僅かでディアスの妻子を脅迫に使う。そのような非道が許されるのか。許される。
正確には、許す許さないなどという資格が自分にあるとディアスは思っては居ない。戦いが起こった。多くの罪もない名もなき者達も犠牲になっている。ディアスとて、バルバールの民を守る為と他国の罪なき民を犠牲にしている。罪なきバルバールの民を罪なき他国の民より優先するのはバルバール王国軍総司令として当然だからだ。
その思想をサルヴァ王子に突きつけたのはディアスだ。バルバールとランリエルが戦い、サルヴァ王子、ディアス、そしてギリスとの会談の時。正々堂々と戦えというのは大国の傲慢。小国はどんな手を使ってでも生き延びなければならない。そして今、大グラノダロス皇国に対し、ランリエルはなりふり構っては居られない。
サルヴァ王子にとってディアスの妻子は他国の民。王子の立場ならばディアスの妻子より自国の民を優先させるのは当然。違いがあるとすれば名もなき民ではなく、偉い総司令様の妻子というだけだ。
総司令様の妻子を巻き込むのは非道で、名もなき民が犠牲になるのは戦争だから仕方がない。そんな戯言が通用するとはディアスも思ってはいない。だが、どんな者でも自分の妻子が助けられる状況ならば助ける。それも名もなき民と総司令様も同じだ。そして、理屈では分かっていても感情というものがある。
サルヴァ王子が、天秤が均衡した時の僅かな重石としてディアスの妻子の命を重石に使えば、自身の命も重石に使われるのも当然だ。
もし、ありうるならばサルヴァ王子を殺す。殺さない。ランリエルを滅ぼす。滅ぼさない。その選択の天秤が完全に釣り合った時、今回の事を理由にディアスはサルヴァ王子を殺す方に、ランリエルを滅ぼす方に重石を置く。ここで王子を助ければ、また妻子の命が危険になりかねないからだ。
サルヴァ王子もその覚悟でディアスの妻子を人質にした。人の妻子の命を交渉に使い、自分の命は優先して貰える。そんな甘い考えを持っているはずはない。
ディアスはバルバール王国軍総司令であり、全軍を統括する。サルヴァ王子はランリエルの全権を握っている。だが、それはそれらに対して責任を持つという事であって、好きにして良いというものではない。
ディアスもサルヴァ王子も、相手に対して友人として好意は持っている。しかし、篤い友情を理由に行動しない。友情を理由に相手の善意を期待しない。相手国の重要人物に好意を持っているから、兵を民を犠牲にしてまで助ける。それほど人の命を軽視しては居ないのだ。
「それでもやはり、サルヴァ陛下の思惑通りかも知れないね」
長い思考の後、ディアスがまた独り言を漏らした。如何に言葉にして思考を整理するにしても、万一誰かに聞き耳を立てられていたらと考えると、ランリエル皇帝を殺すだとかランリエルを滅ぼすとは口に出せなかった。
ランリエルを裏切る権利を買い戻す為にアルデシア王都でバルバール王国軍は全滅する。当然、その中には自身も含まれる。自己犠牲という奴だ。さて、自分は以前から総司令としての役目を果たそうとはしていたが、自己犠牲までする気があったか。今まで、そこまで追い詰められた事がなかったといえばそれまでだが、有ったとしてしていたかどうか。
自分が裏切らないように妻と子を王子は人質に取ったが、結果的には、妻と子が殺されたくないのならお前が死ね。という状況となった。勿論、ランリエル人に恨まれないように裏切るには、という命題でディアス自身が考えた末の行動であり、それを王子に誘導されたと取るのはディアスの考え過ぎかもしれない。
「しかし、あの人も悪人になったものだ」
誰かに聞き耳を立てられているかもという可能性がありながらも、ディアスは呟いた。これくらいは言っても良いはずだ。




