第304:決意
ダーミッシュの協力を得て、サルヴァ王子はゴルシュタット攻略に乗り出した。無論、グラノダロス皇国が手を拱いているとは思えない。
「ギリス総司令。カルデイ帝国の全軍を率い、リンブルクを超えゴルシュタット国境まで進出して頂きたい」
「皇国への牽制で御座いますか?」
読みの鋭い男は話が早くていい。カルデイ帝国軍は総勢4万。皇国も各地に軍勢を派遣しているが、それでも根本的な体力が違う。ゴルシュタット奥深くまで進出し皇国の軍勢にまともに立ちふさがっては勝負にならない。
ギリスはディアスに負けぬ優れた男ではあるが、ディアスも含めて魔法使いではない。圧倒的戦力の敵と正面から戦い絶対に負けぬなど妄想も甚だしい。皇国軍がゴルシュタットに進出すれば、その側面や退路を絶つ。その位置で牽制すべきである。
「これで、こちらは全ての持ち札を使い果たしたか」
ギリスが復命し姿を消した後、サルヴァ王子が傍らの副官代理のベルトーニにも届かないような小さな声で呟いた。
コスティラ、ベルヴァース両軍はケルディラ北西部でゴルシュタット王国軍本隊を釘付けにし、テッサーラ王国軍はリンブルクに駐留。バルバール王国軍は皇国の衛星国家アルデシア王国王都で皇国軍15万を引き付けている。サルヴァ王子に残されているのは自身が率いるランリエル皇国軍のみ。
問題は、皇国が、アルベルド・エルナデスがどう出るかだ。基本的に戦力は集中させるべきだ。その意味ではランリエルは戦力を分散し過ぎているように見える。だが、現実的に各地に手当てすべき箇所があるのだから仕方がない。ディアスを抜けば皇国軍15万が行動の自由を得る。ギリスを派遣しなければゴルシュタットが皇国の手に落ちる。
実質、テグネールが統括する状況になっているベルヴァース、コスティラ両軍を抜けばゴルシュタット本隊がリンブルクを突破し本国に帰還するだろう。現状、それをされてはゴルシュタット攻略に支障が出る。軍勢を釘付けにしている事も交渉材料だ。
国力に勝る皇国は、同じように各地に軍勢を派遣しても、まだ余裕がある。その余裕をランリエル本隊に向けるか。サルヴァ王子としては、その方がありがたい。
守りに徹していれば、相当な戦力差でもそう簡単には負けない。王子が恐れているのは、皇国がゴルシュタット方面に戦力を集中させる事だ。
それをされても状況的にランリエルはギリスを救援できない。現状、ランリエルに出来るのは皇国の攻撃を耐えるのみ。そして国力を考えれば戦争が長期化すれば干上がるのはこちらの方だ。どこかで攻勢に出なければならない。攻勢に出るにはゴルシュタットを味方に付ける必要があるのだ。
ゴルシュタットを味方に付け、ゴルシュタットに皇国北部を牽制させる。それでも、味方になったばかりの者に全くの手放しで任せる訳にはいかないのでカルデイ帝国軍を同行させねばならない。そして、ゴルシュタット本隊を釘付けにしているケルディラ、ベルヴァース両軍もリンブルク方面から皇国領を威圧するのだ。そうなれば、ランリエル本隊への圧力は弱まる。戦力差が覆るはずもないが勝負に出られるだけの状況にはなるのだ。
サルヴァ王子にとっての最善は皇国軍が現状から動かぬ事だが、次善は苦しくてもランリエル本隊に戦力を集中させる事だ。そして数日後、皇国本国と衛星国家から新たに軍勢が派遣されたとの報告が届いた。
「どの方面にだ?」
やはり、皇国が動かぬというのは甘い考えだったか。しかし、ゴルシュタット方面ならば、こちらのゴルシュタット攻略に支障が出るが、ランリエル本隊は楽になる。ランリエル本隊に来ればゴルシュタット攻略は容易くなるのだ。
「それが、2万程度がゴルシュタット方面に向かい、こちらには新たにおよそ10万が増員される様子であると報告が来ております」
「くっ」
サルヴァ王子にしてみれば、一番、嫌な手を打たれた。サルヴァ王子にしてみれば、どうせ軍勢を動員するならば苦しくてもランリエル本隊に攻撃が集中して欲しかった。皇国がゴルシュタットに軍勢を派遣しなければ、ゴルシュタットは皇国に見捨てられたとランリエルに組し易かった。それが2万でも軍勢が向かえば足かせとなる。戦力分散ではあるが、カルデイ帝国軍よりは数が少なく非効率とはいえない。逆に、こちらにくるのが12万ではなく10万となっても大差はない。
これでランリエル本隊に対する皇国軍は、こちらの3倍近くになる。皇国とて無限の財力がある訳ではなく、今までは戦力を温存していた。ランリエル本隊が手薄になったと見て勝負に出てきたか。しかも、それでもまだ余力を残している。そしてサルヴァ王子が今出来るのは耐えるのみ。
奇策を駆使し勝利して来たサルヴァ王子だが、実は、戦力で劣る戦況をその奇策で戦術レベルで覆した事はないのだ。王子が今まで行ってきた奇策は、相手より多い戦力を持った上で、てこずりそうな敵を奇策で短期間で破る。というものがほとんどである。職業軍人だけで構成されるこの大陸の戦いでは、少数による奇襲の効果が薄く戦術レベルでの劣勢を覆すのはほぼ不可能なのである。
ナサリオ率いる百万を号する皇国軍を破ったが、あれは皇国軍本隊と衛星国家の軍勢を戦略レベルで分散させ、カルデイやバルバールなどの軍勢をわざと敗走させてこちらに軍勢を集結させるという奇策で戦術レベルでの数的優位を得たのである。
サルヴァ王子の軍事思想は、少数で多数に対するという状況を放置し、少数で多数を倒すという奇跡を目指すのではなく、少数で多数に対するという状況を奇策で覆し、多数で少数を倒すという現実的な結論を目指すというものだ。
現在は、一時的に圧倒的多数を相手にする事になるが、それも前回の皇国軍侵攻時の決戦前にランリエル本隊だけで戦ったのと状況は似ている。前回との違いは最終的にも戦力の逆転は望めないが、それでも勝負になるだけの戦力差を望める。
「今、打てる手は、如何に早くゴルシュタットを手懐けられるかか……」
軍事的な圧力はギリス率いるカルデイ帝国軍が担うが、ギリスにはゴルシュタットを懐柔する政治的手腕はない。サルヴァ王子もここを動けず、王子の意を含めた人物を派遣しゴルシュタットを攻略しなければならない。
ルーベルトの部下から得たゴルシュタットの情報は不十分であったが、それをダーミッシュの一族からの情報が補った。一族にとってはゴルシュタットは庭どころか自分の家。そもそもベルトラムが国家間の争いに手を広げるまでは国内で権力を握るのに使っていた者達なのだから当然である。
王子は、ゴルシュタットは現国王以外の王族を貴族達がそれぞれを担ぎ小勢力が乱立すると予測していたが、どうやら更に事態は複雑らしい。サルヴァ王子とてゴルシュタットの情報は集めていたが、ランリエルとゴルシュタットはこの大陸のほぼ端と端。僅か数年前までは勢力範囲が接するとは夢にも思っていなかった相手だ。ゴルシュタットの国としての成り立ちという歴史についてまでは知識が及んでいなかった。
グラノダロス皇国皇祖エドゥアルドはゴルシュタット出身と言われているが、その当時のゴルシュタットと現在のゴルシュタットとでは、その領土は大きく異なる。現在のゴルシュタット王家はそもそもゴルディス地方と呼ばれる地域に割拠する小国家群の一つでしかなかった。それが統一され現在の形となったのは僅か150年ほど前だ。
この混乱に乗じ、その統一吸収された小国の旧王族達が祖国を復興した上で、今度は自身の王国でゴルディスを統一する。そう目論んでいるというのだ。
「とはいえ、その者達の手勢も今回の戦いで動員されケルディラで足止めされています。国内に残っているのは僅かな軍勢。目立った動きは控えているようです」
そう報告したのはダーミッシュの部下だ。ダーミッシュほどではないが無表情で、何か人形を相手に話している気になってくる。その傍らには目付けとしてカーサス伯爵の部下も控えている。
王子とダーミッシュの部下が直接やり取りすればカーサス伯爵の存在意義は失われ、かといって伯爵が先に報告を受け、それを王子に伝えるとなると情報の正確性が損なわれる。如何に優れた者でも人を介せば主観など雑音が混じるものだ。その為、伯爵の部下がダーミッシュの部下の目付けをする。そういう形に収まった。
「ケルディラで足止めをしている軍勢をゴルシュタットに帰国させては、すぐさま内乱が始まりかねん。という事か」
「最も多い軍勢を擁しているのは、やはり現国王で御座いますが、王都に兵を残し他を討伐出来るほどの余裕はありません。また、領主達も一枚岩ではなく領地を空にしては、他の者に領地を奪われましょう」
「確かに現在のゴルシュタットは、コスティラとの敗戦の損失を補う為、ぎりぎりまで兵を動員している。他領を攻める余裕はないか」
「はい」
勿論、今まで隣り合い交流もあった領主同士が国内が混乱したからと言って、いきなり襲ってくるものではないが、その危険がある。というだけで身動き出来ぬものだ。
「逆に言えば、いち早くケルディラから兵を引く事が出来た領主がゴルシュタットでの主導権を握る。つまり、それだけにランリエル、私の胸先三寸。か。ふむ。誘惑を感じるな」
足止めしているゴルシュタット本隊から、どこそこの領主の兵だけ帰国を許す。そう伝えればどうなるか。奴等だけ贔屓だ。と、他の領主が帰国を阻むだろうか。それをしては、ますます帰国出来なくなると思えば阻止も出来まい。誰にゴルシュタットの主導権を握らせるか。それを選ぶ権利はサルヴァ王子にある。主導権とは名ばかりでランリエルの傀儡なのは当然であるが、それでも、いずれは主権を回復できると一時の屈服を受け入れるだろう。
だが、誘惑。という言葉の通り、サルヴァ王子はこの状況に危惧も感じていた。思うが侭。という状況は自制心を要求されるもの。確かに状況的、理屈的には運命は王子の手の平の上。しかし、人は理屈のみで生きてはいない。その理屈を押し付けられた側にも感情というものがある。
サルヴァ王子の支援の元、ゴルシュタットを統一した者ですら
「確かにサルヴァ陛下のおかげでゴルシュタットの王になれた。しかし、だからと言ってランリエルの態度は如何にも傲慢ではないか」
対応を誤れば、そう反発を招く事も十分にありえる。それどころか、自分の立場が弱い。そう自覚している者ほど、穿ったものの見方をする。こちらの何気ない態度が過剰に反応し傲慢と受け取るのだ。
「一度使った手ではあるが……。いや、もう少し手を加えるか」
サルヴァ王子はそう呟くと、ダーミッシュの部下とカーサス伯爵の部下に何やら指示を与えた。更に全権大使として外交官を派遣したのである。
それらの手当てをするとサルヴァ王子は陣中に建設した屋敷へと向かった。長期対陣するとして建てさせた物だが、地方の名族の本宅など足元にも及ばぬ見事な作りである。
対陣の最中に贅沢とも思えるが、弁解するならば王子が命じたのではない。王子は屋敷を作れと命じたが、担当となった士官が、粗末な作りだとサルヴァ皇帝がお怒りになるだろうと無駄な気を回した結果である。
屋敷にはアリシアが待っていた。ナターニヤと共に王宮を抜け出して来て、いまだに滞在しているのだ。それこそ対陣中に妻を傍に置くとは、というものだが、帰らないのには彼女なりの理由があった。
「もし懐妊していたら馬車の揺れは、お腹の子に触ります」
そう言って帰国を拒否しているのだ。
確かに妊婦に振動は厳禁だ。やって来る時は間違いなく妊娠していなかったので平気だったが、到着してからはやる事はやっているので妊娠している可能性はある。ちなみにナターニヤは、夫であるウィルケスがサルヴァ王子の命令で軍勢を率いて出陣した後、妊娠の可能性があると輿に乗ってコスティラの実家に身を寄せている。
「アリシア。これからは皇国の攻勢が激しくなる。万一を考え、お前はここを離れるのだ」
「ですが、今までは大丈夫だったではないですか」
「皇国は10万の軍勢を増員する。今までと同じではないのだ」
「負けるかも知れない。というのですか? でしたら、私も」
一緒に死ぬ。そう決意の目を向ける妻。妻にはもう一人夫が居る。居た。正式な結婚はまだだったが、実質的には夫婦だった。その者は戦いで死んだ。自分が起こした戦いで亡くなったのだ。二度も戦いで夫を亡くし、一人残されるのはまっぴら。妻の目はそれを訴えていた。その妻にサルヴァ王子は微笑んだ。
「いや。負ければ逃げるさ。死にはしない。だが、お前が居ては、お前を守る為に踏み止まらなくてはならなくなる」
愛する男の笑みにアリシアも微笑んだ。
アリシアは頭が良いとは言えない女性だ。並み居る貴婦人達を押しのけサルヴァ王子の心を射止めた彼女だが、教養、知識、そして知性。そのどれをとっても貴婦人達に勝るものはなかった。外見すら、まあ美人の範疇に入るであろう彼女と幼少の頃から金と手間をかけ磨き上げてきた貴婦人達とでは勝負にならない。
しかし、それでも、その貴婦人達を押しのけサルヴァ王子の心を射止めた。人には縁というものがあり、その縁で王子と結ばれたともいえるが、アリシアが王子に愛されたのは、その内面だ。教養、知識、知性で貴婦人に劣ったが性格で勝った。それは賢さと言い換えても良く、ある意味、ベルトラムがその賢さから知者に勝ち得たのと近い。
確かに、逃げるならば自分は足手まといだ。ならば初めから居ない方が良いのは当然。しかし、夫は本当に逃げるのだろうか? これだけの兵を動かし戦い。負ければ逃げる。それが出来る人だろうか。逃げるとしても、ぎりぎりまで粘った挙句に逃げるのだろう。それは危険ではないと言えるのか。ならば、自分には何が出来るのか。
「そうですね。負ければ逃げれば良いですね。そうしましょう」
死ぬなら一緒に。その気持ちに変りはない。教養あり浪漫主義に浸った貴婦人達ならば、サルヴァ王子の足に縋ってでも自分の意思を通そうとしただろう。だが、彼女は引く事を知っている。自分の決意は伝えた。それでも夫が意思を変えないならば自分は夫の意思に従う。
「ですが、もしかして妊娠してるかも知れないので、やはり、ナターニヤのように輿を使いたいのですが、ランリエルまで輿で向かうのは難しそうなので、バルバールに屋敷を用意して頂きたいのですが宜しいですか?」
バルバールならばランリエル王都までより半分以下の旅程。万一ここが皇国に敗北しても、報告を受けてから、更にランリエルまで逃げる時間はある。
「いや。時間がかかっても良い。道中、休み休みでもランリエルまで戻ってくれ」
「ランリエルに……」
バルバールでは何か問題があるのだろうか? それとも負ければ王子はバルバールを捨て置いてランリエルまで戻る積もりなのだろうか。そう考えているアリシアをサルヴァ王子が抱きしめた。




