第302:偽りの結末
娘とそれをかばう男。ベルトラムが高々と剣を振り上げた。ルキノが身構える。
技量には圧倒的な差が有る。腕力にも圧倒的な差が有る。経験にも圧倒的な差がある。勝負勘にも圧倒的な差がある。精神論というものを排除した勝敗を決する全ての能力で勝てず、その精神論ですら勝てるかどうか。
勝機が見出せない。だが、戦わねばならぬ。勝たねばならぬのではない。戦わねばならぬだ。
決着を着ける。勝てるか。負けるか。それは問題ではない。決着を着ける。それこそが目的。死ぬなら死ぬで、それでいい。
ベルトラムが動いた。真上から切り下げる。だが、ルキノにはそれが読めた。意図した分けではない。ベルトラムが切りつける、その瞬間まで考えもしなかった。しかし、振り上げられたベルトラムの剣が動いた瞬間、騎士としての本能がそれを告げた。
能力の差ではない。精神論でもない。知っていた。クリスティーネは自分の斜め後ろ。ベルトラムが娘を傷つけるはずがない。娘を傷つける軌道はあり得ない。横に薙ぐのは論外。左右のどちらかから斜めに切り下げても、クリスティーネに当たる可能性がある。ならば彼女を傷つけないようにするには真上から切り下げる。それを無意識に知っていた。知っていると気付く前に身体が動いた。
隙だらけのベルトラムの胴を切りつけた。当たった。初めての攻撃がベルトラムの胴をとらえた。平服のベルトラムと甲冑姿のルキノ。条件には差があったが、それ以上の圧倒的な技量の差でベルトラムが圧勝。誰もがそう見ていた。
ルキノの剣は、クリスティーネが剣を刺したところとほぼ同じ場所。その剣が、クリスティーネが与えた傷を上書いた。クリスティーネより遥かに強い斬撃。
「ベルトラム様……」
最後には主人が勝つに決まっている。そう見ていたゴルシュタット騎士達が信じられない光景に呻いたが、衝撃の強さから動く事が出来ない。
ベルトラムが傷口に手をやった。今度は出血が多い。すでに足元まで血が流れ落ちている。しかし、その足は少しも揺るがない。平然と立ち。腹から血が流れていなければ、誰も彼が負傷してるとは思わないだろう。
「クリスティーネ。その男は、父を殺そうというのだぞ。それでも、その男を許せるのか」
父を殺す。その言葉の身体が一瞬、ぴくりと動いた。そして、一瞬の躊躇い。だが、その躊躇いは答えを得る事への躊躇いではない。答えははっきりしている。それを父に伝えるのに躊躇ったにすぎない。声を震わせながらもはっきりとした口調で言った。
「はい。この方を愛しております」
この方。ベルトラムは、娘があの男の名前を呼んでいないのに改めて気付いた。娘と結婚したラルフ・レンツという男は、この世には存在しない。同姓同名の貴族は居たらしいが全くの別人。しかし、それでも娘は、その男を愛しているという。名前など、どうでも良いのだ。
血に濡れた手を娘へとかざした。
「この傷を見よ。臓物まで達している。わしは死ぬのだぞ」
死ぬ。その言葉に彼の部下達が改めて動揺した。ベルトラムの毅然とした姿からは、全くそのようには見えないが、この期に及んで、戯言をいう男ではない。
「それでも、その男を愛するというのか。父を殺した男を許せるというのか」
自分が死ぬという事実を平然と語る。
「私は」
父の目を真っ直ぐに見つめて娘が言った。
「この方のする事は、すべて許します」
すべて許す。妻が言った言葉だ。権力を得る為にいかなる手段も用いて来た。妻は俺がどんな事をしていたか詳しくは知るまい。しかし、薄々は分かっていたはずだ。妻は、その自分を許すと言った。その言葉を娘が別の男へと向けている。
不意に、ベルトラムの目の前の風景が変った。何も変ってはいない。目の前には娘とその男。周りにはゴルシュタット騎士とリンブルク騎士。そして大臣達。何も変りはしないがベルトラムには何かが違って見えた。
なぜ自分は王位を望んだのか。王位よりさらに上を望み二重統治者となった。ゴルシュタット宰相であった時にリンブルク分割をアルベルドから示唆された。その時、宰相より先がないと指摘され、その先がない事に絶望し、その先を目指した。
なぜ、先がないのに絶望したのか。虚無を恐れた。何もせず、このまま虚無に過ごすのを恐れた。上を目指す事によって、それを埋めようとした。
妻が病を得て亡くなり、それを権力を得ることによって埋めていた。妻が生きている時も権力を目指していたが、更に求めた。だが得た権力ではその隙間は埋まらず、娘を妻に重ね合わせても埋まりはしなかった。だが、かすかにまぎれた。渇きはいえず、だが、かすかに癒える。中途半端な癒え。それがさらに渇きを感じさせた。
目の前の風景が変ったのは、その娘すら失い真に虚無になったからなのか。あるいは、別のもので埋まったからなのか。埋まるべきものこそが無くなったからなのか。
「許せんな。わしは、わしを殺した男を許せんな。お前の亡き母も、その男を許すまい」
そういうベルトラムの顔は穏やかにすら見えた。娘の頬から涙が零れ落ちる。
「私は、許します。たとえお母様がお許しにならなくても、私は、この方を許します」
父と娘の最後の会話。それを邪魔するべきではない。ルキノは剣を下ろして見守っている。
娘に執着し己の死すら、まるで他人事のように娘に語る父。その異様な光景に口を挟む者は居ない。
だが、そのルキノとて、妻の幸せの為ならば、自分を諦めさせる為に妻の目の前で死んで見せるかとすら考えた男。クリスティーネへの執着という意味では、結局、ルキノとベルトラムは似ていたのかも知れない。もしかするとクリスティーネは、無意識に父に似た男を愛したのか。
人は、見たものの範囲でしか物事を判断出来ない。クリスティーナは、父が偉大な政治家、軍人であったとは知っているが、その権謀策術も剛腕も、屋敷で匿われるように育てられたクリスティーネには知らぬこと。知っているのは父の自分へのかかわり方。自分への絶対的な味方。それが父であり、そしてルキノなのだ。
ベルトラムが娘からルキノを遠ざけたいならば、ダーミッシュの一族を使えば事故に見せかけて殺す事も十分可能だった。しかし、殺さなかった。それは、自分以上に娘を愛している者など居ない。それを証明したかったのか。自分以上に娘を愛している事を証明させたかったのか。
ベルトラムは亡き妻の姿を娘に重ね合わせていた。しかし、それは妻への過剰な愛ゆえ。理性では父として娘への愛情があった。妻への愛。娘への愛。それが賢者ベルトラムにして曖昧な態度を取らせた。
「クリスティーネ。最後に、お前に一つ贈り物をしよう」
「贈り物……ですか?」
死ぬ。父が死ぬ。その父が今までとは何の関係もなさそうな言葉。戸惑う娘を余所にベルトラムが叫んだ。
「記録管! 居るか!」
「は、ははっ! ここに!」
謁見の間での会話は、すべて公式発言。それを記録する役人がいる。とはいえ、今までは想定外の出来事に呆然とし職務放棄をしていたが、ベルトラムに呼ばれ慌てて己の役職を思い出した。
「記録せよ。ベルトラム・シュレンドルフが、謁見の間で乱心し自ら命を絶ったと」
一騎打ちとはいえ、リンブルク王が二重統治者を殺したのと自ら命を絶ったのとでは対外的に天地の差。今後の混乱を考えれば、確かにこれ以上の贈り物はない。
「お、お父様!!」
「義父上。何を仰るか!」
娘とその夫が慌てて駆け寄るが、当のベルトラムは、今から死ぬ人間には思えぬ力強い声で応じた。
「貴様などに殺されたと記録されるなどまっぴらなだけだ。だいたい、自分でわしを切っておいて今更、何を慌てておる。わしが命を絶つと言って慌てるくらいならば、初めから切らねば良かろうが」
「……ぅ」
義父の指摘にルキノが小さく呻いた。確かに、そう言われればぐうの音も出ない。娘の前で、父の方が明らかに格上。それを示し満足なのかベルトラムの顔に笑みが浮かぶ。
すとん。そのような音が聞こえそうなほど、いきなりベルトラムが膝を付いた。膝が床に触れる前に心臓がその動きを止めた。そのまま倒れたが、傍に居たルキノもクリスティーネも心臓が止まっているのには気付かず、彼を抱き起こしたルキノも出血により気を失っただけと思っていた。しかし、抱き起こした義父の身体の力なさに、既に絶命しているのに気付いた。死ぬ。その直前までベルトラム。他の何者でもなくベルトラムだった。
「義父……上」
「お父さ……ま」
リンブルク王と二重統治者との一騎打ちを邪魔しないと剣を収めていたリンブルク騎士とゴルシュタット騎士が一斉に剣を抜いた。胸の前に剣を立て、偉大なるベルトラムへと敬意を表す。
ふっ。他愛もない奴らだ。
死んだ。誰もがそう思われた中。心臓すら止まった意識の中でベルトラム・シュレンドルフは苦笑を漏らした。誰も気付いていない。衝撃は全てを塗りつぶす。記憶すらだ。
二重統治者ベルトラム・シュレンドルフがリンブルク王宮で自刃した。多くの者がその公式発表を信じるだろう。だが、この場に居る者はリンブルク王から致命傷を受けたのを隠す為。それを知っている。知っている気になっている。この場を神の視点で見る者が居たとしても、それを知っていると答えるだろう。
その偽りの事実をだ。
父殺しは最大の罪悪。たとえどんな理由があろうとも罪は罪。そう考えられる時代。リンブルク女王クリスティーネ・シュレンドルフが父を刺し致命傷を負わせた。そのような事はあってはならないのだ。
ベルトラムは自刃した。しかし、それはリンブルク王からの致命傷を隠す為。それすら偽り。真実は、リンブルク王から受けた傷すら、娘であるリンブルク女王からの傷を隠す為。どこの誰がそれに気付くというのか。
この世は愚か者ばかりだ。誰も彼も……。
公式記録には、ベルトラム・シュレンドルフ。娘が帰ってきた事に心が乱れ、突如、剣を抜いて自刃。そう記された。
サルヴァ・アルディナ。アルベルド・エルナディス。それらを上回る理性と冷徹さを持つ梟雄。しかし、その男が最も強い愛情を持ち、その愛情、故に滅んだ。




