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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
396/443

第300:不具合

 ピキピキと音が聞こえそうなほどベルトラムの額に血管が太く浮かぶ。大臣達が思わず後ずさる。ハイトマン、ルーベルトの額に汗が浮かんだ。その威圧の対象者であるルキノが歯を食いしばって耐えた。妻の肩に置いた手が汗に濡れる。


「クリスティーネよ。なぜ、分からぬのだ。その男はお主を騙しておったのだぞ」


 重い、腹の底に圧し掛かるような声が謁見の間に響いた。威圧の対象者でない者達まで背筋が凍る。


「はい。この方は多くの事で私を騙しておりました」

「ならば。ならばなぜだ!」


 ベルトラムの精鋭達すら怯む怒声。だが、クリスティーネはそれを微笑みで迎え撃ち、夫へと視線を向けた。微笑みのまま父に向き直る。


「一番、大切なことは騙されてはおりません」

「戯言を……」


 ベルトラムが敗北した。ベルトラム自身が無意識にそれを察した。百戦錬磨の政治家でも武勇優れた武人でも、微塵も揺るがぬ心を崩すのは不可能。騙されていても揺るがぬ心をどのような言葉で崩せるのか。


 ベルトラムが一歩踏み出した。クリスティーネの左右に並んだリンブルク騎士が身構えた。ルーベルトが手で制すると、剣に伸ばしかけた腕を下ろす。


 リンブルク騎士達も戦場を生き抜いてきた猛者達であるが、ベルトラムの精鋭達は、その名の通り選りすぐりの騎士達であり、さらに戦歴でも彼らを凌駕する。ましてや諜報活動が主任務のルーベルトは彼らには歯が立たない。だが、今、その諜報活動の能力で彼らより優位に立った。


 情報を得るには心理戦。ベルトラムは怒気をはらみ女王の元に一歩一歩近づいている。部下に命令を出さずにだ。謁見の間で理由なく女王の近づくなど不敬罪に問われかねない。ベルトラムの精鋭達は命令なしに自分達まで女王に近づいて良いのかと躊躇している。騎士達の動揺を見て取ったルーベルトは、それ故に冷静となった。時を置かずしてハイトマンもそれを察する。


 こちらが剣を抜けば、いや、剣に手をかければベルトラムの精鋭達は主人の危機を察し、己の使命を果たさんと女王の御前だろうと駆けつける。だが、リンブルク騎士がベルトラムの行く手を遮らなければベルトラムは1人進む。女王の前まで来たところを一斉にかかればベルトラムを討ち取れる。


 リンブルク騎士達の視線がハイトマンに集まった。合図なしに一斉に切りかかるのは困難。まず1人が動き、それに合わせて他の者も動く。だが、先頭の者は命がけだ。


 リンブルク側で最強なのは、おそらくルキノだが、リンブルク王に特攻をさせる訳にはいかない。ならば、その次に強いであろうと目されるハイトマンが先頭を切るという暗黙の了解が出来ていた。


 誰かが先頭を切る必要があるならば、その先頭の一撃目で致命傷を負わせるに越したことはない。せめてベルトラムの動きを止めるほどの傷を与えるのは必須だ。初めの一撃がかわされれば、ベルトラムは精鋭達の元まで逃げるだろう。最低限、ベルトラムの動きを止める。それがハイトマンに与えられた役目だ。


 切るか? 突くか? 緊張で乾ききった唇を無意識に舐めた。


 直刀である剣は鞘から真っ直ぐに引かないと抜けない。反りのある刀のように抜きざまに相手を切るのは難しい。切るにしても、突くにしても、まず抜くという動作が必要となる。騎士が持つ剣は1ケイトを超える長物だ。それを鞘から真っ直ぐに抜いて抜刀しながら走るのは困難。ベルトラムに突進しながら剣を抜くのは難しい。


 剣を抜くという動作でベルトラムは攻撃の意図を察するだろう。そこから身を翻して逃げられるまでに与えられるのは一撃のみ。しかし、その一撃で動きを止められればニ撃目、三撃目も可能。そこに仲間達が殺到して、一斉に剣を突きたて確実に殺せる。


 それを考えれば一撃目は致命傷を負わせる事より、動きを止める事を目的とすべき。ならば、突くより、足を薙ぐ。


 確実に殺すならば腹を刺すのが一番だ。首筋や心臓より的が大きく外し難い。この時代の医療技術ならば内臓を傷つければ十分に致命傷になるのだ。しかし、それでも足を狙うよりは避けられ易く、かすり傷程度ならば何の意味もない。足ならば、かすり傷程度でも動きは鈍り、二撃目が望める。腹は、その時に狙えば良いのだ。


 今、ベルトラムとクリスティーネとの距離は5ケイトほど。3ケイトまで近づけば剣を抜く。


 ベルトラムが一歩一歩近づいてくる。ハイトマンが視線を向けると、あれほど父に怯えていたクリスティーネが笑みを浮かべ迎え撃つ。ベルトラムはルキノの出現と娘の言葉で激高したが、クリスティーネも、この状況で父とは逆方向に豹変していた。


 愛の力っていうやつなのかね? クリスティーネの落ち着きが伝播したのか、ハイトマンも冷静さを取り戻し評した。いや、状況を評する事により冷静さを取り戻したというべきか。


 ベルトラムとクリスティーネとの距離が2ケイトに近づいた。


「女王陛下の御前であるぞ!」

 剣を抜きながら叫ぶ。


 冷静さを取り戻したハイトマンの機転。娘に近づくベルトラムを暗殺するのではない。女王に近づく不埒者を成敗するのだ。女王の護衛としては正当な言葉。ベルトラムの精鋭達すら、女王に元に駆け寄るなど確かに不敬なのかと動きが遅れた。


 リンブルク女王より二重統治者ベルトラムが格上。という不文律もあるが、リンブルク騎士のあふれる忠誠心は止められなかった。女王や国王の命令ではなくリンブルク騎士の暴走と対外的にも釈明が出来る。失敗するにしても成功するにしても、その方が都合がいい。


 ハイトマンがベルトラムに突進した。その後ろでは他のリンブルク騎士達が剣を抜き始めている。一撃目は必ず当てる。それが最低条件。逃げるベルトラムの足を薙ぐには、ベルトラムが現在いる位置より先に狙いをつけねばならず、深く踏み込む必要があった。


 ベルトラムが動いた。ベルトラムの身体がわずかに後ろに下がる。やはり、逃げるか。ハイトマンが、現在のベルトラムの位置より0.5ケイト先を狙って剣を振りかぶり、切りつけた。全身全霊を込めた一撃。


 突然、ハイトマンの身体が飛び込むような姿勢でベルトラムの脇を通り抜けた。ハイトマンの身体が床に叩きつけられるのと同時に、乾いた音を立てて剣が落ちる。


 ベルトラムが後ろに下がったのは逃げる為ではなかった。反動をつけて蹴る為に足を後ろに引いたのだ。蹴りは剣を持つハイトマンの手の甲を打った。ハイトマンが足元を狙ったのもベルトラムに利した。後ろに逃げると思って深く踏み込んだハイトマン。逃げずに逆に踏み込んだベルトラム。剣一本分の距離を詰めた。ハイトマンの身体は全身全霊を込めた一撃の力のまま、ベルトラムの蹴りによって止められた腕を支点として回転してすっ飛んだのである。


 甲冑に身を固めているとはいえ、床に叩きつけられたハイトマンが苦痛に呻いた。ベルトラムの蹴られた右の甲が折れている。その右手を支えに苦痛のうめき声を漏らし上半身を起こした。


 リンブルク騎士ではルキノに次ぐ実力者であるハイトマンが文字通り蹴散らされ、一瞬怯んだリンブルク騎士達だが、彼らも歴戦の勇者。すぐにベルトラムめがけて駆けた。その間にベルトラムが床に転がってハイトマンの剣を悠然と拾う。


「下がれ!」


 ルキノが一喝した。近寄ってくるベルトラムに一斉に切りかかる。その暗黙の了解が出来ていると信じていたリンブルク騎士達が思わずルキノを見返す。確かにルキノとて、その積もりであったが、瞬時に算段が崩れたと判断した。剣を手にした義父を彼の部下が助けに来るまでに討ち取るのは、如何に多数で取り囲んだとて困難。ルキノの一喝により双方の騎士達が足を止めた。


「義父上。失礼いたしました。しかし、それも、この者の我が妻への忠誠心の表れ。どうか、ご理解ください」


 確かに、ハイトマンが叫んだように謁見の間で、女王の言葉を得ずに近づくのは(ベルトラムが女王の父であり、父としても格上であることを考慮しなければ)不敬であり、護衛の騎士が、それを阻もうとするのは当然なのだ。


 しかし、ルキノの、この発言の真意は別にあった。真の目的は冷静さを失っているベルトラムへの更なる挑発だ。ベルトラムの突然の激高で、サルヴァ王子のベルトラムへの指摘が正しいと確信した。我が妻、という第三者から見れば当たり前の言葉が、今のベルトラムには許せない。


「我が娘を騙しておきながら何が我が妻だ。サルヴァ・アルディナの副官ならば副官らしく主人の元に戻って尻尾を振っておれ」


 剣をルキノへ向け、ベルトラムが言い放った。


 義父に冷静に対応されれば自分に勝ち目はない。だが、激高すればどう行動するか分からないのがベルトラムだ。出たとこ勝負となるが、分かり切った敗北になるくらいなら、どうなるか分からない未来に賭けるしかない。


「お父様。どうしても、この方を我が夫と認めては下さらないのですか」

「当たり前だ! 娘を騙している男を娘の夫と認める者がいるものか」


 父親の言い分としては、もっともだ。その上、娘への異常な偏愛。しかし、娘も父と同じくルキノへの異常な偏愛がある。


「分かりました。お父様が、どうしても認めて下さらないのなら、私は夫と共にランリエルへと向かい、かの国で暮らします」

「馬鹿を申すな! お主は、わしと共に居るのだ!」


 どうも、いつものベルトラム様ではない。彼の精鋭達も、常とは違う主人の様子に戸惑った。そう。これでは反抗期の娘と言い争う、どこにでもいるただの父親だ。


 ルキノの出現はベルトラムにしても想定外。しかし、その想定外に対応する為の精鋭達だ。ルキノ達の人数を考えても十分過ぎるほどの備え。想定外でも、備えの範疇なのには変わりない。だが、その備えも、ただの父親と化したベルトラムには機能していなかった。


 ベルトラムが、ここまで取り乱したのはリンブルク騎士達に取っても予想外だが、彼らには、この状況を冷静に利用できるルーベルトが居る。そして、サルヴァ王子の言葉と、今までの義父との関わりからベルトラムの娘への異常なまでの偏愛を知っていたルキノ。この2人の存在の差は大きい。


「クリスティーネ。義父上は分かって下さらぬようだ。また、日を改めよう」


 妻の肩に手を置いたまま語りかけるように顔を寄せた。義父に反対されているが仲睦まじい夫婦。という風景だ。今のベルトラムにはそれが挑発となる。


「娘から離れぬか。馬鹿者が!」


 ベルトラムが吼えた。ここが勝負か。ルーベルトが一歩前に進み出た。


「ベルトラム閣下は取り乱しておられる。閣下には、お引取りいただけ!」


 ベルトラムの精鋭達に向けた。お前達の主人は取り乱しているので、お前達の手で下がらせろ。というのだ。この状況ならば、おかしい話ではない。しかし、これは賭け。一度、引けばベルトラムも冷静さを取り戻すだろう。そうなれば、二度とこのようなチャンスはない。


 ルーベルトに命令される筋合いはないベルトラムの精鋭達だが、彼らの中にも、主人を下がらせた方が良いのではと考えていた者も居る。その者達が主人に駆け寄ろうとすると、当の主人からの怒声。


「誰が来いと命じた。下がれ!」


 しかし、ルーベルトが畳み掛ける。


「何をしている! 貴公らの主人は乱心しておるのだ。取り押さえぬか!」


 その言葉に騎士達は動揺し、またベルトラムに近寄りかけるが

「動くなと言うておる。俺が良いというまで、そこを一歩も動くな!」

 と、主人の言葉に慌てて引き下がる。


 勝った! ルーベルトが能面のように感情を殺した顔の裏で歓声を上げた。勿論、ベルトラムにはまだ勝っては居ない。だが、取りあえず賭けには勝った。これで、ベルトラムの部下達の動きは制限される。


 結果的に、ベルトラムに剣を献上しただけに終わったハイトマンも、すでに立ち上がり怪我の痛みを堪えて何食わぬ顔でリンブルク騎士の列に並んでいた。その表情は複雑だ。敵に武器を与えてしまったのは失態と言えるが、それがこちらに利するかも知れない状況である。


「やはり、義父上にはお分かりいただけぬのだ。さあ、行こう」


 ルキノがベルトラムを無視してクリスティーネを立ち去らせようと手を差し出した。クリスティーネも素直に応じ、腰を浮かす。目の前で娘が父の言葉に従わず、他の男に従う。


「貴様!!」


 ベルトラムが剣を手にしたまま詰め寄った。ルキノも腰の剣に手を伸ばすが、まだ抜かない。


「義父上。剣で、私を止めようというのですか」

「知れたこと!」


 ベルトラムが剣をルキノに向けた。国王に剣を向けたのだ。非は、明らかにベルトラムにある。豪胆と野蛮は同義語ではない。普段のベルトラムからは考えられぬ粗野な行動。娘の婿への嫉妬に狂ったただの父親だ。


 ベルトラムは知者を超える賢者。だが、賢者の賢者たる所以は、冷静な状況判断能力。サルヴァ王子、アルベルドにも勝る賢人ベルトラム。その賢人が機能不全を起こし、ただの父親と化している


 しかし、そこらにいるただの父親とは決定的に違うところがある。そこらにいる父親は、これほど強くはない。

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