第295:死地
この大陸の戦闘は、奇襲はほとんど行われない。基本的に職業軍人だけで構成されるこの大陸の軍隊は、少数の兵で奇襲されても崩れず逆に撃退してしまうのだ。
そして、大兵力での奇襲は、そもそも隠密行動が困難で奇襲が成立し難い。それどころか、こちらは敵に見つからないように索敵すら控えて行軍した挙句、敵には捕捉され、気付かぬまま敵の包囲下に自ら飛び込みかねない。
だが、ディアスは数万の大兵力による奇襲。それを成功させた。少数の兵を囮として残し、大部分の兵を率い後退した。
あれだけ犠牲を払ったティエールを抜け、サンセーニュ川を逆に渡り、南西方向へと駆け抜けたのである。その方面から再度サンセーニュ川を渡ってアルデシア王国王都ヴェルトロンを目指した。敵の注意を他方面に引き付ける。その為だけに自軍将兵7千の損害をかけた奇襲。
皇国の衛星国家の常として、ランリエル皇都などのように長大な城壁では囲まれていない。城壁とは攻めてくる敵を防ぐものだ。どこの愚か者が皇国の衛星国家を攻めるというのか。それを傲慢と受け取るか当然と見るかは別として、事実、王都ヴェルトロンは急進したバルバール王国軍によって瞬く間に陥落したのである。
しかし、本来、いかに不意を突こうとも、いかに急進しようとも、王都を直撃して落とすのは現実的ではない。落とせないのではなく落とさないのだ。
攻める者が居ないと豪語する皇国の衛星国家といえど、常識的な範囲の防衛体制は整えられている。国境や王都周辺の要衝には城や砦が築かれ敵を防ぐ。ディアスは、それらの城や砦を全て無視してアルデシア王都を目指したのである。
アルデシアは、皇国の要請により主力は各方面に派兵しており国内は手薄であった。そこに数万のバルバール王国軍が攻め寄せ、アルデシア国王が逃げやすいようにあえて逃げ道を作って落ち延びさせた。国王が逃げ兵士の戦意は低く瞬く王都は間に陥落したのだ。
だが、そのようにして城を占拠した当然の結果が待っていた。
「ディアス総司令! 敵が我が軍の退路を遮断いたしました!」
「なに、それは覚悟の上さ」
副官のトルスティが顔色を変えて報告したが、ディアスは落ち着いたものだ。
王都周辺の城や砦には敵の守備兵が丸々残っている。確かに一ヶ所一ヶ所の兵力は少なく、バルバールの大軍に野戦を挑んでも自殺行為でしかない。出陣せずに縮こまっていたが、王都が落とされた後には各地の諸将らが連携し、王都周辺の街道などを封鎖したのである。
「それに、食糧は十分にある。1年くらいは大丈夫じゃないかな」
急進したとはいえ補給物資は十分に運んでいる。だが、流石に数万の軍勢の1年分の食糧には足りない。どうしたかと言えば、アルデシア王宮に蓄えられていた分は勿論、城下の民からも略奪したのである。
兵法では、敵地で略奪する食糧の価値は自国から輸送する食糧の10倍の価値がある。とも言われる。輸送するにはその人員も必要であり、その者とて飯は食う。かつて、大遠征を行った大国が膨大な食料を輸送したが、戦場に到着した時には輸送する人員が食料を食べつくしてしまい、現地の軍隊が飢えた。という話すらある。敵軍の食糧を減らすという意味もある。
ディアスには、敵国の領民を哀れんで略奪せずに自国将兵を飢えさせる。という考えは無い。あえて領民を殺そうとは考えないが、殺されたくなければ食糧を出せ、とは言うのである。なぜそのような事が出来るのかと言えば、この時代の戦いとはこういうものだからだ。敵がやるものを、こちらだけ人道的になる必要は無い。
国土の広さで言えばランリエル側と同程度の皇国側との総兵力が倍ほども差がある理由は、その人口の多さである。アルデシア王都の人口も多く、彼らから略奪した食糧も膨大な量だ。
「しかし、いずれ敵は街道などを封鎖しただけではなく、ランリエルへと向けているアルデシア本隊や皇国本土からの援軍を得て、この城を囲みましょう。そうなれば守るのは難しくなるのでは」
援軍なき籠城は自殺行為。そう、したり顔で言われる事もあるが、現実的に逃げられず、野戦でも勝算がないなら篭城するしかない。そもそも、この援軍なき籠城は自殺行為という台詞も、野戦で勝つ算段がある者が籠城派を説得する時の枕詞として使われるのがほとんどだ。本当に勝算が無いのに籠城を否定して野戦を主張するのはただの阿呆である。
だが、今回ディアスは、その阿呆以下だ。勝算以前に、自ら援軍を望めぬ城を落として籠城したのである。
「防衛の拠点となりそうな貴族や商人の屋敷は補強し、他の家は全て潰してしまうんだ。足元に瓦礫が積み重なっていては敵も攻めあぐねるだろう。それと各所に柵を築け。敵を防ぐのではなく、敵が直進するのを邪魔するように築くんだ」
道を塞ぐように柵を築けば、敵はそれを突破する。しかし、避けるだけで先に進めるのならば柵に沿って進む。だが、そのように蛇行して進んでは軍勢は大渋滞を起こす。そこを弓矢で狙いすます作戦だ。先頭の者達は防衛拠点に到達するだろうが、後続を絶てば防ぐのは難しくない。
トルスティがディアスの命令書を携え部屋から姿を消すと、今まで大人しくしていたケネスが口を開いた。
「そういえばグレイス将軍のお怪我はどうなんですか? 左腕を……失ったという事ですけど」
「今は義手をつけて手綱を操る訓練をしているよ。慣れれば戦場にも出ると言っていたな」
「それは良かったですね」
片腕を失ったにもかかわらず不謹慎かも知れないがケネスの正直な気持ちだ。生死を賭けた決闘。それに敗れれば死ぬ。そう覚悟をしていたが、敗れたグレイスも片腕を失ったが命は保った。最悪の事態は免れたのだ。
「ブランの怪我も、全く支障はないとは言えないが、癒えれば戦場に出られる。それにグレイスに勝ったという評価で、敵への脅威も増すからね。多少の支障を補うには十分だよ」
武芸において、全く訓練していない者よりはマシ。という程度のディアスだ。計算だけでそう判断したが、仮定として、グレイスと決闘する前と今の傷が癒えたブランが戦ったとすれば後者が勝つ。強敵に打ち勝つ事で一皮剥ける。というのが現実に起こりえるのである。
「兎に角、我が軍は、2人の傷が癒えればグレイスとブランの二枚看板だ。これで作戦の幅が広がる。ありがたい話さ」
「まさか、ディアス総司令は、初めからこうなるとお考えだったのですか?」
ディアスは、肯定するかのように薄く笑みを浮かべたが、繰り返すがディアスに武芸の才はない。グレイスとブランとの戦いがどう決着するかなど分かるはずもない。そもそも、ブランがグレイスに止めを刺すか刺さないかなど、武芸の達人ならば読めるというものでもない。いつも通り、自分を尊敬する従弟に話を盛っただけに過ぎない。
「ところでリュシアンは連れてこなくても良かったのですか? ディアス総司令には及ばなくても、ブランディッシュを翻弄した、なかなかの策士とお聞きしましたけど」
「奴は要らない。というのは冗談だけどね。確かに、彼の発想は私にはないものだ。彼の意見を聞いて私が作戦を考えるのも悪くはない。しかし、彼は北ロタに残しておく必要があるのさ」
「どうしてなんですか? ブランが人質になって北ロタが裏切らないなら、リュシアンも連れて来た方が確実なのでは」
「停戦と言っても、実質は降伏だからね。北ロタにも、それを不満に思う者は大勢いるさ。その中にはブランを捨ててでもと主張する奴等もいる。それを抑えているのがリュシアンさ。彼まで抜けば、その者達が暴走する」
そのようにして北ロタを抑えたバルバール王国軍は、アルデシア王都の防衛強化を続けた。多くの家が破壊され、美しかった大通りは攻め手が動きにくいように瓦礫が散乱している。
防衛拠点となりそうな貴族の屋敷は補強され、優美な白壁は先の尖った逆木が取り囲んだ。上品なブラウンの瓦屋根には、攻め手を上から攻撃する為の石や丸太が積み上げられ、瓦は兵士達に踏み砕かれている。
戦いが終わり住民が戻ってくれば、その変わりように嘆き悲しむだろう。しかも、ディアスは、逃げた住民達が持ち出せずに残した財産を略奪するのを兵士達に許している。
「どうせ大半の家は潰すんだ。破壊するくらいだったら兵士達の士気も高まる分、その方が得さ」
というのがディアスの言い分だが、そうでなくとも兵士達による略奪は一般的な行為だ。アルデシア王都の民も、帰って来た時に財産が残っていれば驚愕するに違いない。
そして、そのように迎え撃つ準備をしている中、各地に放っていた索敵部隊から遂に皇国軍がやって来たとの早馬が到着した。
その情報を持ってトルスティがディアスの部屋の扉を叩いた。影が薄く、ディアスの客達の中でも、居ないと思っていたら居て驚いた。という者が多い。社交界では手軽な笑い話として使い勝手がよく、影が薄い事が有名という奇妙な男だ。その影が薄い男は敵襲の報に顔色まで白く薄くなっている。
「それで、どの方面から来たんだ?」
「北のセルミア王都を包囲している皇国軍から6万。西の皇国本国から9万です」
「合計15万か。随分と我々を高く評価してくれたものだね」
サンセーニュ川、ティエールの激戦で自軍は多くの損害を出した。傷が癒えて復帰した兵を含めても3万5千に届かない。敵は4倍以上、アルデシア王都に城壁が無いとはいえ、アルデシア王宮は純然たる城。華麗さを重視し防衛力が高いとは言えない城だが、城は城。平地で迎え撃つのとは雲泥の差だ。城下町を改造し迎え撃つ準備もしている。瞬く間に落とされるような事はない。
「南。バンブーナからの援軍はないんだな?」
「はい。今のところ、そのような報告は来ておりません」
「どうやら、ドゥムヤータは上手くやっているようだね」
ブランディッシュと共に南方バンブーナ方面に進軍したドゥムヤータへの最大限の期待は、バンブーナ王国を制圧し皇国本国を背後から突く事だが、それは過剰な望みだとはディアスもサルヴァ王子も認識している。次善の要望としてバンブーナの兵力を釘付けにしておけば十分だ。
「はい。ドゥムヤータからは定期的に連絡を受けていますが、特に戦闘らしい戦闘もなく、対峙しているだけのようです」
「ああ。そのようだね」
ディアスは頷いたが、口元に微かに笑みが浮かんだのにトルスティは気付かなかった。ディアスは、他人を無条件で信用するほどお人好しではない。ドゥムヤータからの連絡を待つだけではなく、独自に人を使って密かに監視させていた。
その者達の報告によると、戦闘をしていないどころか友好的な雰囲気すらあるらしいのだ。
まずシルヴェストル公爵が、バンブーナ王国国王チュエカへ対陣する挨拶代わりにという奇妙な名目でドゥムヤータ胡桃の家具一式を送ったのだ。
「バンブーナ王国国王チュエカ陛下には、戦場にて御不自由しておりましょう。せめて、我が国で産するドゥムヤータ胡桃の家具をお送りいたします。荒涼とした戦陣の慰めになれば幸いで御座います」
そうすると次にチュエカが返礼した。
「これはご配慮痛み入る。選王侯の方々も、本来ならば戦場に立つ方々ではありますまい。着慣れぬ鎧を身に着け難儀なさっておりましょう。我が国には良き鎧を作る職員が多い。そちらに向かわせましょう」
そのようなやり取りがあったと報告があった。全身を覆う鎧とは身に着ける者の体格を採寸して作る。特に選王侯達のような大貴族となれば特注品を身に着けるのが当然。それに勝る鎧を作らせるとなれば、いかに優れた職人でもかなりの日数を要する。
そうなれば職人がドゥムヤータ王国軍に滞在している間は戦いを控えるのが礼儀。しかも、この場に来ているのはシルヴェストル公爵とリファール伯爵だけだが、他の5人の鎧も作成するという。作るに手間のかかる特注の鎧が7領ともなれば年単位の作業だ。こうして、前代未聞の鎧待ち。という理由で戦いが避けられているのだ。
しかも、最近ではチュエカがシルヴェストル公爵を極秘に招いて晩餐まで共にしたという情報までディアスは得ていた。
「まあ、あちらは安心して良いだろう。勿論、警戒は怠らないがね。とにかく、将軍達を招集してくれ、既に防衛計画は彼らと練っているが、最終確認がしたい」
「は。かしこまりました」
トルスティが諸将を呼び寄せ、その中には左腕に義手を着けたグレイスと左手を包帯で巻いたブランの姿もある。2人共、特に言葉は交わさず他の者達は2人と目を合わせず微妙な雰囲気だ。グレイスから左腕を奪ったブランに思うところがあるのは勿論だが、左腕を失ったグレイスに対しても、言葉をかけるのが躊躇われる。
「以前からの計画通り、皆は持ち場を死守してくれ。劣勢になれば、こちらが適切に援軍を向かわせるので、その点は安心してくれて構わない。グレイス将軍とブラン将軍は、王宮で待機だ。ここぞという時に働いて貰う」
ブランが無言で頷き、グレイスも「了解しました」と短く答える。その時も諸将はちらりと視線を向けただけだ。
特にブランと諸将との連携が不安視される状況だが、ディアスは、その点は楽観視していた。ブランは下された命令は遵守する男と見ている。命令を守るならば、後はディアスの使いようの問題だ。
「これで我が軍は自軍の4倍の敵を引き付けた。ドゥムヤータもバンブーナを抑えている。後は北。ゴルシュタットを打ち破り、北からも圧迫すれば、皇国はそちらにも兵を割かざるを得ない。自然、ランリエル本隊に向く皇国の軍勢は少なくなる。そうなれば、サルヴァ陛下が負けるはずは無い」
誰々だから負けるはずはない。根拠希薄のようだが、決戦主義の時代には当然とも考えられた評価方法だ。輸送能力が発達しない時代の戦争では、一戦の勝敗が戦争全体の勝敗に直結し、自然、指揮する将の能力の比重が高まるのだ。将の能力より国力の差が戦争の勝敗に直結するのは、輸送能力が発達して戦術的敗北が兵員、物資の輸送で容易に補えるようになってからだ。そしてサルヴァ王子は、彼等が信頼するディアスにも勝利した男である。
全部将に命令を伝達し、皆が下がった後、トルスティ、ケネスすら下がらせディアスは1人。部屋に残った。
打てる手は全て打った。野戦で勝てぬならば籠城は当然。しかし、援軍が無ければ奇跡でも起こらなければ、いずれは落とされるのも現実。この状況から皇国軍を打ち破る策も、今のところはない。
バルバール王国軍の命運は、城が落ちる前にサルヴァ王子が皇国軍に打ち勝つかに掛かっている。しかし、その前に城が落ちればどうなるか。
「まあ、後はアルベルド陛下を信頼するしかないかな」




