第292:浪漫
屈強な男が2人。それぞれの武器を手に対峙していた。1人は瘤のような突起が付いた戦棍。もう1人は柄の先に大刀を付けた所謂、青龍刀と呼ばれるものだが、当人は虎牙槍と称した。この武器の発祥の国では龍は蛇のように細長く美しい姿だが、この大陸の龍はずんぐりした胴体を持つ。その違いを知らぬ為、この美しい武器に龍という名は相応しくないと虎の牙と名付けたのだ。
馬上以外で戦うのは初めてか。今更のようにブランは思った。
戦棍。虎牙槍。共に下から薙ぎ上げる技があるが、馬上で行うのと徒歩とでは出処が違う。振り下ろしでも同じだ。馬上ならば足下にも余裕があり振り抜いても問題はないが、徒歩では武器を地面に叩き付けてしまう。虎牙槍なら刃が潰れ戦棍は衝撃で柄が折れる。
鎧を着ていないのは少し不利か。グレイスは、そう計算した。
戦場とは違い、軽装の2人だ。鎧で身を守っていない為、一撃で勝負が決しかねない。ならば技巧に優れたグレイスが先に当てると予想するのが順当だが、鎧がなくても、強い打撃でなければ致命傷にはならない戦棍と、軽くでも当たりさえすれば致命傷になりうる虎牙槍ではブランが有利だ。長い柄の先にある刃物というものは、遠心力により軽い一撃でも骨を断つ。
戦棍を中段に構えるグレイスは攻防一体の体勢。ブランは右上段に虎牙槍を構え攻撃重視だ。そのまま微動だにしない。
臆病とは程遠い2人だが、勇敢と無謀は意味を等しくしない。攻防一体の構えのグレイスは勿論、攻撃重視のブランとて、その嗅覚で敵の攻撃を察知し後の先を取る。一撃で勝敗が決しかねない状況では、様子見で手を出すのも危険だ。
「どうした! 日が暮れちまうぞ!」
痺れを切らした兵士が野次を飛ばした。その途端、周りの者達が無言で引きずり倒し黙らせた。世紀の決闘を邪魔するなど言語道断だ。多くの者はそれには目もくれず両雄に視線を向けている。
戦棍を中段に構えていたグレイスが下段に変化した。上半身ががら空きだが、ブランは瞬きすらせず彫像のように動かない。
まあ、こんなんで手を出して来るとは思っちゃいねえが、そこまで無視する事もねえだろう。グレイスは胸中で悪態を付いた。
野生的な男は気が短いと考えられがちだが、大抵の場合、その正体は野生的なのではなく、ただ短気なだけの男だ。本物の獣は気が長い。獲物が間合いに入ってくるまで微動だにせず待ち続け、射程内に入れば一気に喉元に食らい付く。それが獣。
ブランが虎牙槍を振り下ろせば、受け流し胴を突く。グレイスはそれを狙っているがブランは動かない。グレイスが半歩。間合いを詰め--虎牙槍が風を切り振り下ろされた。グレイスが後ろに跳びかわす。対峙。
これが奴の間合いか。グレイスの記憶にあるより僅かに広い。あの地点から虎牙槍を受け流して突きに行くのも可能だが、その僅かな距離によってブランは突きをかわす。かわされた戦棍を引いてもう一度突くより、流された虎牙槍が反転してくる方が早い。
だが、グレイスの見るところ虎牙槍の柄が以前より長くなった様子はない。
鎧を着ていないのを計算に入れているって事かよ。
見た目の印象とは違い意外とブランは計算高い。いや、本人には計算した意識すらない。今はこれと直感した。思案すら不要なのだ。
技巧に優れたグレイスと獣気を漂わせるブラン。一見、ブランの方が力任せの荒い戦法と思われがちだが、実は天才肌なのはブランなのだ。論理的に考えた末に結論に辿り着く秀才型の天才ではなく、回答が頭に閃く天才型の天才だ。
もし彼にどうして長く構えるのかと問えば、返答に窮するだろう。1足す1が、なぜ2なのかと真顔で聞かれれば誰しも咄嗟には言葉が出ない。鎧にははじかれる当たりの浅い一撃でも、今ならば致命傷になるので長く浅く握っている。ブランに取っては問われるのが不思議なほど当然なのだ。
だが、意外にも動じないと見えたブランは、内心、葛藤していた。グレイスが動くのを待つだけではなく、こちらからも仕掛けるべきか。それは焦りからではなく矜持。ある意味、ディアスがいうところの青臭さからでもあった。
奴が間合いに入ってくるのを待てば勝つ。
ブランが一歩踏み込んだ。振り下ろす。グレイスが戦棍で斜めに受け流し突く。ブランの一撃は予想より重く、切り替えしが遅れたグレイスの戦棍をブランがかわす。待てば勝てる。その有利を捨てブランが攻撃に出たのだ。
一方的に待つのは卑怯。とは考えぬ。不利を承知で手を出したグレイスに、こちらも不利を返したのだ。
どうもいけねえな。グレイスは無意識に浮かんだ思考を打ち消した。
今のブランの攻撃で、こちらが一度手を出せば、奴の方からも一度手を出す。暗黙の了解が成立した。それを認識した瞬間、見せ掛けの攻撃を仕掛ければ、余裕を持ってブランの反撃をかわす事が可能。万全の態勢で反撃が出来る。その策が頭に浮かんだのだ。
それは、グレイスの武将としての条件反射。ブランが反射的に攻撃の最適解が頭に浮かぶのと似ているが、違いはブランが天性の才でそれを成しているのと違い、グレイスは長年の経験からの反射だ。だが、その策を捨てた。
やっぱり、俺も青臭いかもしんねえな。
かつて、どうしてブランとの決着に拘るのかとディアスに問われ、奴等のように青臭いのではなく浪漫なのだ。と答えた。だが、あえて有利を捨てようとする自身の思考を浪漫で説明するのは不合理だ。
グレイスが大きく踏み込んだ。瞬間、機械かのように思考の間を感じさせぬブランの一撃。真横から薙いだ。グレイスは流せず柄で受ける。
折れる! 認識する前に足を浮かせていた。踏ん張りが消え、グレイスの身体が横に吹き飛ばされたが衝撃も緩和される。柄は折れず、2ケイトほど吹き飛ばされた。
次は、ブランが踏み込む番だ。
グレイスが踏み込んだ。ほぼ同時にブランも踏み込む。獣の勘ではなく技術の読み。グレイスがブランの先手を打った。グレイスが突く。心の臓。横から薙ぐブランが虎牙槍から左手を離す。身体をねじった。戦棍が衣服と肉を切り裂く。左手を離した分、右が延びる。虎牙槍は、刃の内側に踏み込んだグレイスの左腕を柄で打った。
特攻か。ブランはグレイスの攻撃を評した。
繰り返すが現実の獣は理性的だ。いや、合理的というべきか。一般的に考えなしに行動する男を野生的と評する事もあるが、それは獣に失礼というものだ。
獣はじっとチャンスを伺う。ましてや命を捨てるような特攻はしない。稀に飛び道具を持つ猟師に飛び掛って返り討ちにあう獣がいるが、それは飛び道具に対する知識がないからだ。その怖さを知る獣は飛び道具を使わせない知恵を働かせ、その上で襲う。生物の本能として、命を捨てて掛かる特攻を否定する。
本能に打ち勝つのは理性である。生存本能を否定する特攻は理性の産物なのだ。時に信仰などにより、本能と理性の両方を麻痺させた者が特攻を行う事があるが、グレイスに、ましてやブランには当てはまらない。
ブランが踏み込んだ。深く。虎牙槍を振り下ろす。グレイスが横跳びにかわした。グレイスが体勢を崩し戦棍を繰り出す余裕はない。だが、かわしざま攻撃を受ける可能性もあった。危険を承知の特攻。
うわ。泣きそう。傍らで見ているアレットが目に涙を浮かぶのを堪えた。
やっぱり、ブランは優しいな。愛する男が命を賭けて戦う光景に耐え切れずに涙を滲ませたのではない。そのあまりにもの優しさにだ。
ブランは徹底的にグレイスに合わせている。武芸の事など微塵も理解しないアレットがそれを察した。見物する者達の中には一角の者が大勢いる。その者達すら気付かなかったが、アレットは気付いた。なぜかと問われれば、彼を愛しているからとしか言いようがない。
でも、それじゃ負けるよ。
アレットにすら、グレイスとブランが、だいたい同じくらい強い。というのは分かる。ならば、相手に合わせた方が不利だ。
ふと、傍らに立つ男の気配に気付いた。
「なんだ。あんた居たの?」
「当たり前だ」
リュシアンである。言葉を返しながらも視線は死闘を演じる2人に向けている。声は冷静だが、胸の前に組む腕は強く握り締められ、衣服には深い皺が浮かんでいる。
ブランをバルバール王国軍に迎え入れる。ディアスのその申し出に驚愕したリュシアンだが、すぐにその意図を察した。いつ決闘を行っても不思議ではない2人をディアスの提案で接触させるなら、決闘をしても、その責はディアスが負う。
勿論、ディアスに2人を決闘させる為に総司令を辞任する考えは毛頭ない。自分はどうあっても罷免されないという客観的事実からの判断だ。そしてバルバール王国軍将校である2人への処罰も総司令ディアスの胸先三寸。
表面的には女を巡っての私闘。という不名誉な事件として処理される。その場合、両成敗というのが不文律だ。たとえ片方が死んでもである。ある程度の期間の謹慎。という処罰が妥当だが、今は戦時だ。戦いが行われるのに謹慎中だから不参戦とは笑い話。むしろ、罰として過酷な戦場を任されるのが常。つまり先鋒を任されるのが妥当だ。
リュシアンとしては、女を巡っての私闘ではなく、北ロタとバルバールの将軍として堂々と一騎打ちを行って欲しいと考えていたが、贅沢は言えない。そもそも、ブランもグレイスも、そんな事に拘ってはいないだろう。
アレットとリュシアンが言葉を交わす間も戦いは続いている。
お互い特攻。そう言えるほどの深い踏み込み。ギリギリのところでかわし致命傷はないものの、双方、多くの傷を負っている。突きに出るグレイスをブランは紙一重でかわすが、身体のあちこちの肉が削られ満身創痍。それに対しグレイスは無傷にすら見える。観戦している者達もグレイスが優勢と見ているが、実際はそうではない。
ブランの渾身の一撃を戦棍で受けてから攻撃に転じるグレイスの腕には大きな負荷がかかっている。身体に傷がなくとも、武器を操る腕が使い物にならなくなれば、そこで勝敗は決する。むしろグレイスが劣勢とも言えた。
本来のグレイスは勝ち方を知る者の戦法だ。一見、当たり前のようだが、そう簡単な話ではない。グレイスは自分より腕力や技量が上回る者との戦いにも、戦術により勝利してきたのだ。それを捨てている。
そして、ブランも命を捨てる特攻は彼の本来の戦法ではない。獣の勘というべき天才。天性の才能で戦う彼に生存本能を捨てる特攻戦法はないのだ。グレイスもブランも本来の自分を捨てていた。
ブランが自身の戦法を捨てているのが、その優しさ故であるならば、グレイスが自身の戦法を捨てるのは、彼の言うところの浪漫が故だ。彼はかつてランリエルの虎将ララディと戦った。そして技量では全く叶わなかった。しかし、勝った。
彼がララディに勝利したのは、ララディの乗馬を狙ったからだ。如何に屈強な騎士でも、鎧を身に着けた重量で落馬すれば、全身打撲で動けなくなる。しかし、ララディに技量ではまったく叶わなかった事が、彼の心に棘となって刺さっていた。
戦場では結果がすべて。それも戦術。それは分かっている。戦場で将が討たれれば多くの将兵が命を落とす。それどころか、ララディを倒した事により、その名声は一段と高まり、今ではバルバール王国軍を背負う猛将。自身の敗北はバルバール王国軍全体の士気にも影響を与える。
奇妙なようだが、現在の状況。この’負けても誰の迷惑にはならない’という奇妙な状況が、彼を浪漫に走らせていた。
グレイスが攻めた。ブランも攻める。交互に攻める。という暗黙の了解は、いまだ成立しているが、グレイスの攻撃にブランが合わせ、ブランの攻撃にグレイスが合わせる。他者からはほぼ同時に攻勢に出ていると見えた。
グレイスは無傷だが、ブランの身体は徐々に削られている。取り巻くバルバール兵は、グレイスの勝利を確信し拳を突き上げ歓声があがる。
アレット、リュシアンもグレイスが優勢に見えた。アレットの表情は硬く、リュシアンは思案げな表情だ。万一、ブランが負けた場合には、どうすればブランを生かせるかを考え始めていた。負けても生きながらえる。それをブランが望んでいなくてもだ。
その情勢の中で、このまま戦いが推移すれば間違いなく勝てる。そう判断したのはブランだった。
確かに多くの傷は負った。しかし、どれも致命傷には程遠く、戦いに高揚している精神状態の今、痛みすら感じず戦闘には支障が無い。出血も、朦朧とし判断力の低下を招くほどではない。表面を削られる代わりに、グレイスの利き腕に確実にダメージを与え続けているのだ。その流れが出来ている。
そして、それはグレイスも認識していた。流れを変える必要がある。
やるしかねえか。グレイスが深く息を吸い。吐いた。
グレイスが踏み込んだ。ブランが応じる。虎牙槍を薙いだ。グレイスが受け流し、攻撃に転じる。何度も繰り返された攻防。虎牙槍が流されグレイスが、戦棍を突く。ブランがかわした。首の肉が削られる。今までと同じだ。
「おおぉぉ!」
群集から大きな声が上がった。石畳に大量の血が飛び散った。今までと同じ攻防。だが、今までとは違う箇所からの鮮血。虎牙槍が、グレイスの胸を大きく切り裂いていた。




