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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
380/443

第285:夫婦

 その時、サルヴァ王子は奇妙な顔をしていた。後に、アリシアはナターニヤにそう語った。


 ランリエル本陣の手前で留め置かれていたアリシアはサルヴァ王子の許しを得て本陣に入ったが、勿論、歓迎されているという体裁は取られなかった。


 現在のアリシアの身分を考えれば豪華な馬車に乗り換え、将軍達に出迎えられながら皇帝の前に案内されるのが妥当だ。だが、あえてここまで乗ってきた貧相な馬車のまま裏手から地味に入陣した。その様子を将兵が遠巻きに眺めた。


 完全な外野から見れば、追い返されずに済んだのならば実質的に同じではないか。そう思えるが、この世界の庶民に取っては王族とは別人種であるかのような生物だ。その権限は下々の者達からすれば無謬に等しい。しかも、ランリエル皇帝は、この大陸を2分する勢力の首領である。その実質、妃が、粗末な馬車でやって来た。というだけで驚愕した。


「あれでは、俺の村の村長の馬車の方が上等だぞ」

「俺の村に娘が嫁いだ時に乗っていた馬車の方がよっぽど立派だったもんだ」


 アリシアが乗ってきた馬車は粗末に見せているだけで、その内装は彼等のいう馬車を100台は買える代物なのだが、表面しか見ない彼等は、その表面をなぞるような感想を漏らした。


「皇帝陛下は、このままアリシア様を妃の座から落とされる気なのかもしんねえな」

「いや、そもそも正式な妃ですらねえ。沢山居る後宮の寵姫の1人だ。この程度の扱いが当たり前だったんだ」


 当初、アリシアが来るという話を聞いた兵士達は、賢婦人の険路行の再来と絶賛したものだが、見事なまでに手の平を返した。将兵。特に騎士階級でない兵士達にこの傾向が強い。彼女の産んだ子が女児であり、サルヴァ王子の後継者でない事も影響している。


 血筋を残すのを至上とする考えは王族、貴族にこそ強いのだが、跡継ぎを産まぬ女は追い出されるに違いない。という考えは、庶民にこそ強い。女房1人しか養えぬ彼等には、愛する女性と跡継ぎを産む女性は別なのもあり得る。という貴族社会の構造を理解し難いのだ。


 しかし、セレーナの場合(サルヴァ王子が生死不明だった)との違いから、同じように都を抜け出してきても問題視されかねなかったアリシアは、その非難を免れた。物事には全て機運というものがある。ここを乗り越えれば、後から多少の難癖が付けられる事があっても大きな問題にはなり難い。


 このような状況が熟してからサルヴァ王子との対面にやっと辿り着いたが、それでも目立たぬように王子の私室に向かった。尤も、彼女に取ってはその方が有り難い。妻が夫の部屋を訪ねるのにわざわざ公表する方が馬鹿げている。


 だが、従者、副官どころか警護の騎士さえ遠ざけて久しぶりに妻と顔を合わせた王子は、表情の選択にその知性を発揮出来なかった。


 どうやら、怒ろうとはしているようではあるのだけど……。アリシアは、夫の表情をそう判断した。


 彼女自身、かなり子供っぽいところを残している女性だが、実は、サルヴァ王子よりは精神年齢が高い。サルヴァ王子は間違いなく天才なのだが、早熟型の天才の常として人間的成熟には至らない場合が多い。大抵の物事を直感的に合理的解決をしてしまう為、人間関係のような合理のみでは解決不能な問題は、思考の迷路を彷徨うのだ。


 実際、サルヴァ王子の合理は、他への示しもあり、怒るべきだと顔面の神経に指令を送っていたが、思考の迷宮を彷徨っている感性の部分がそれを不十分なものにしていた。


 そして、それに対する彼女の態度は、確かにサルヴァ王子よりも遥かに大人だった。


「お久し振りです陛下。お元気そうで何よりです。ジュリーもお父様に会いたがっていたのですが、流石に連れて来る事は出来ませんでしたわ。勿論、私も陛下にお会いしたく……」


 笑みを浮かべて言った。サルヴァ王子の態度を気にした素振りは全く見せなかった。王子が明確に怒りの表情を浮かべ心の城門を閉ざしていれば、その攻略に頭を悩ませるところだが、王子に迷いがあると察した彼女は、その迷いに乗じて揺さぶりをかけたのだ。


「あ、ああ。俺もお前と――」

「嬉しい!!」


 怒りの感情が不十分だった王子の心が隙を見せ、城門から僅かに頭を除かせたところを一気に突入した。王子は、胸に飛び込んできた妻を反射的に抱きしめた。顔を上げた妻の瞳が涙で濡れている。ここで、その妻を引き離せる夫が居るはずもない。


「アリシア……」


 愛する妻の名を呼び熱く口付けた。お互いの両手が相手の背中に回される。


 アリシアも熱い感情が押し寄せ更に激しく唇を重ね合わせた。その一方で、脳裏の冷静な部分がこう呟いた。ちょろいわ。


 ナターニヤから散々、王子とするなと言われていたが、人を遠ざけているんだからばれる訳ないし。そもそも、人を遠ざけて2人きりで会えば、どうせやってると思う人は、やっていると思うんだろうし。と、ナターニヤとの約束を守る気は毛頭ない。


 王子も心の城門が打ち破られ、もはやこれまでとその気になったのか妻を強く抱きしめ傍らの長椅子に彼女を押し倒した。やや乱暴気味に彼女の衣装を剥いでいく。王子の手が白い素肌を弄る。王子の耳元で熱い吐息が漏れた。


 だが、王子との行為が進むにつれ、彼女はある違和感を覚えた。これは、愛する者を求める愛撫ではない。そう感じた。


 王子は彼女を激しく求めている。しかし、その心に彼女はいない。正確には、ほぼ彼女が占めているが、僅かに満たされてはいない。アリシアは、その僅かを察したのだ。


 他の女。ではない。他の女が居れば、これ程に激しく求められはしない。王子の心を僅かに占めるそれは、むしろ、普段は王子の心の大部分を占めているのだろう。それが、彼女と再会し抱きしめる事で、僅か、にまで減少した。そして、その僅かすらも打ち消そうと激しく彼女を求めているのだ。


「へい……サルヴァ愛しているわ」


 王子の耳元で囁いた。王子の名を初めて敬称を付けずに呼んだ。今までサルヴァ殿下や陛下と呼んでいたのだ。王子も、それに気付いたのか、更に激しく彼女を求めた。


 王子は何か深い悩みを抱えている。その悩みを自分という存在が、一時でも忘れさせる事が出来る。それが彼女の心を満たした。以前ならば、そこまでの考えを持つに至っただろうか。自分を抱きながら自分に集中していない。それに憤りすら感じたのではないだろうか。


 私は、この人の妻になったのだな。と、アリシアは思った。


 何か、お悩みになる事があるのですか?


 事が終わった後、アリシアはあえてその言葉を口に出すのを控えた。男は、弱音を吐くのを潔しとせぬ事もある。プライドが邪魔をして、問われると反射的に否定し、それによって口に出す機会を逸するというのもよくある話だ。


 王子からの言葉を待った。だが、王子はろくに口を開こうとしない。元々、甘い睦言など言わぬ男だ。それでも、久しぶりに妻と愛し合った後にしては無口過ぎた。


「必ず勝つ。心配するな」


 熱いお茶が冷たくさめるほどの時間が経過した後、情事の後の愛の語らいにはそぐわない台詞を王子が発した。愛する妻に悩みを打ち明けようか。打ち明けまいか。打ち明けるとしても弱音を吐いたとは思われたくない。その言葉選びをしぬいた末の台詞だ。


「はい。貴方を信じております」


 その返答に極ありふれた言葉を選んだ。現状は、王子の言葉とは反対に負ける可能性が高いとは分かっている。そうであればこその王子の言葉だからだ。


 もし、自分達の家族だけの問題ならば、負けても良いではないですか。そういう言葉もあり得たかも知れない。一緒に逃げましょう。という選択肢もあった。だが、夫は多くの者達に責任を持つ身だ。夫が負ければ、逃げれば多くの者の命が失われる。


 ならば、そもそも戦わなければ良かったのか。ランリエルから仕掛けた戦いだ。だが、こちらから仕掛けなければ万全の準備を整えた皇国から侵攻があるのは火を見るより明らかだった。戦いとは主導権を握った方が有利。敵が態勢を整える前に戦端を開くのも有利。その判断からサルヴァ王子は開戦に踏み切った。


 その思惑が外れたのだ。


 こちらが主導権を握った積りが、連携を取っていたゴルシュタットが裏切り、いや、初めから皇国側だった。その為、主導権を失った。敵が態勢を整える前に戦端を開いたにもかかわらず、これもゴルシュタットの思わぬ動きにより帳消しとなった。今、陸海、各方面の奮闘により戦況は好転しているかに見える。


 特に北ロタ、ドゥムヤータなどの南部戦線は主導権を握っている。一見、そう見える。それに比べ皇国の動きこそ受動的だ。こちらの動きに処置的な手を打つだけでしかない。だからこそ勝てないのだ。


 皇国が積極的に動けば、情勢の動きが早くなる。財政的に短期決戦を望むランリエルの思う壺だ。積極的に動く事こそが主導権を握る。短絡的に考える者は、ランリエルに主導権があると見ているが、ランリエルが望まぬ長期戦になりつつある情勢を見れば、その長期戦へと向かわせている皇国こそが主導権を握っているのである。皇国は、このまま勝利という結果が転がり込むのを待てば良いのだ。


 勿論、アリシアにはそのような知識は無い。だが、ランリエルが不利だというのは夫の言葉から分かる。そして、自分に出来るのは夫を信じる。それしかなく、ならばそれを行う。貫く。揺ぎ無く。


 サルヴァ王子の鍛えられた逞しい胸板が激しい営みの為に汗で濡れている。その濡れた胸に顔を埋めた。汗で、胸板に頬が張り付く。


 アリシアは、そのまま目を閉じた。全てを夫に委ねる。夫に身を、運命を委ねるのに何の不安も無い。それを示すかのように、暫くすると静かに寝息を立て始めた。


 自分の胸の中で静かに眠る妻の頬を、王子は妻を起こさぬように気を付けながら優しく撫でた。激しい営みに妻の頬も汗で濡れている。


 妻を、家族を守る。


 逃げる事は出来ない。我が家族のみの安全を求めて逃げたとしても、皇国は必ずや草の根を分けても探し出す。それはこの大陸全土の兵、民を敵に回すという事だ。王子が逃げ出せばランリエル勢は総崩れ。カルデイやコスティラ、ドゥムヤータなど、全ての勢力が雪崩をうって皇国に靡く。ランリエル本国とて、王子の責任を攻め立て反乱が起こる。


 ランリエル王朝は、何もアルディナ家が悠久の昔から担ってきたのではなく、あくまで現在の王朝、皇家というだけなのだ。王子が逃げ出し皇国に負けたとなれば、万一ランリエルという国が存続できたとしても、ランリエル王家は皇国に従順な貴族の中から選ばれるか、皇国貴族が任命されるかするだろう。


 引き分け。それも望めぬ。戦いが続けば経済力で皇国が勝つ。多少、ランリエルが有利な程度では皇国が和睦に応じるはずもない。皇国が和睦を求めるほどランリエルが有利ならば、それこそこちらから和睦を申し入れる理由は無い。結局、勝つ。それしかないのだ。


 だから勝つ。必ず勝つのだ。


 勝たねばならぬ。サルヴァ王子は、日々、その重圧に押しつぶされそうになっていた。だが、必ず勝つ。勝てないかも知れないとは考えない。精神論だ。だが、妻を家族を守る。勝てないかもとは考えない。勝てねばならぬ以上、勝利のみを考える。


 なぜならば、自分は彼女の夫なのだ。

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