第278:皮肉な結果
数名の騎士達が森の中で何か作業をしていた。近くの木には人数分の馬が繋がれている。1人の男が背中の包袋を下ろし、中身を地面にぶちまけた。一見すると乾燥した黒い土のようだが、男達はそれを素手で触るのが嫌なのか広がった分を足で掻き集め山盛りにした。
火種を起こしてそれに投げ入れると煙が濛々と上がる。別の男2人がその上で麻布を広げ、煙を遮ったかと思うと麻布をのける。煙の塊が天に上り、また煙を遮る。時には長く遮り、時には短く。
「よし行くぞ!」
1人の男が叫ぶと、麻布を放り出した。濛々と煙を出していた物を蹴飛ばし火を消す。すぐさま全員が騎乗した。馬の腹を蹴り駆ける。城に自分達の健在を伝える狼煙を上げ、敵がやって来る前に自身は煙のように消え失せる。ブラン騎兵隊の者達である。
ブランの騎兵隊は、北ロタ王都周辺を転々としながら、バルバール軍の手薄なところを狙い遊撃していた。最近では、バルバール軍の警戒も強くなり迂闊には手を出せなくなったが、それだけでもバルバール軍には負担となり現地調達の妨害となっている。
しかも、機動力の高いブラン騎兵隊にバルバール軍の主力を成す歩兵は着いていけず、深追いしては本隊と離れてしまい思わぬ反撃にあう。
海軍軍略には存在する艦隊という思想がある。艦隊が居る、というだけで敵の制海権を妨害し補給などに負担を強いるというものだが、この場合、存在する騎兵でもってバルバール軍の制地権を妨害しているといえた。
問題は補給だ。いくら騎兵隊の機動力が高くとも、足の遅い補給部隊を率いてはその速度に制限される。その為、前もって王都近くの山中の各所に物資を隠した。ブランらはそれらを活用し、補給部隊なしの機動力を得ているのだ。とはいえ3千騎というのは少ない数ではなく食いつぶした集積所も多く、バルバール軍に見つかったところもある。いつまでも続けられるものではない。
狼煙を上げた者達が合流すると、ブラン達騎兵本隊も移動を開始した。バルバール軍が囲む王都から北東の位置にいた彼らだが、一旦東に進んでから南、そして西と移動した。最短距離を行くなら初めの位置から南下すれば良いだけなのだが、敵の目をくらます為にあえて迂回する。
勿論、その間も十分な偵察を出している。もしバルバール軍が南に先回りしていれば東に進んでから北上するし、それが少数ならば撃破する。とはいえ、バルバール軍も慎重だ。初めは短慮な将軍が何度か引っかかったが、今では少数で追いかける愚策はない。それ故にブラン達を見失う事も多くなる。
ブラン騎兵隊では、ほとんど軍議というものを行わない。ブランのカリスマ性が高く他の者達はブランの決定に初めから意を唱える気がない為だが、それにはリュシアンによる演出もあった。
ブランは己の勘によって動き、ほぼそれが外れないという嗅覚の持ち主だが、それは超能力のようなものではない。リュシアンの考えでは、豪勇が取り柄で知能は低いと見る者が多いブランだが、実は相当、知能は高い。その知能が戦闘というものに偏っているのだ。
そもそも勘というものは知識と経験の蓄積による反射的な回答であり、荒唐無稽な実体のないものではない。計算能力に優れた者が複雑な計算を途中の演算を飛ばして答えだけが頭に浮かぶように。熟練の彫刻家が図面も引かずに一本の丸太から美しい女性を掘り出すように、ブランは軍事において途中経過を飛ばして答えが頭に浮かぶのだ。
逆に言えば、常人では見逃すような微かな情報から答えを導き出すブランの勘といえど、全くのゼロからは勘を働かす余地はない。その為、リュシアンは自分が居ない時の為に非公式の情報参謀をブランに付けている。
そのリュシアンがブランに付けた参謀はジラールといった。従者という事にしているのでいつも傍に居て不自然ではない。ブランの幕僚達には気の良い武辺者が多く、軍人としては(実際は軍人ではないので)貧弱な彼に対し、もっと鍛えろよ、とか、稽古をつけてやろう。という有難迷惑な申し出を断るのに辟易もしていた。
「総攻撃は行われておらず城は無事のようですが、攻城は継続的に行われており、城兵の被害は広がっているようです。このままでは我らは無事で城は落ちる。という事にもなりかねません」
ジラールには、更に部下が着いておりその者達が情報を集めている。ジラールは集めた情報から’状況’をブランに伝える。どうすべきかはブランの勘が告げる事だ。
「分かった」
ブランが呟くように言い頷いた。その後も、ジラールが調査したバルバール軍の位置情報などを耳に入れた。その位置情報も今までの報告を蓄積し、いざ戦いとなれば、相手の現在位置すら無意識に想定して、どう動けば良いかだけが頭に浮かぶのだ。相性的には奇策が多く、策が当たれば効果が大きいが見破られれば隙の多いサルヴァ王子の天敵になりうる男。しかし、不幸な事に彼の相手はディアスだ。
ディアスは、前提条件となる思想が常人とは異なり(本人的には常識的に考えているのだが)、その為、サルヴァ王子のように奇策を駆使しているとも見えるが、実際には、その戦略、戦術は手堅い。初対決ではその手堅さを逆手に取り一泡吹かせる事に成功したが、それが通用しない今、ブランの勘によって危険を回避する事は出来ても、ディアスへの攻撃の決定打とはなりにくいのだ。
報告を受け終わったブランは、騎乗し1人で出かけた。部隊に彼が不在時に敵襲があればと危惧する者は1人もいない。ブランが間違うはずがないと考えているのだ。
馬を責め近くの山を目指した。王都が望める高地まで一気に駆け上がった。とはいえ、遥か彼方に建造物があると分かる程度しか見えない。
奴との決着は付けられるのか。
先日の戦いでは本隊がバルバール軍に囲まれ、その救援に向かうと奴の方から戦いを挑んできた。救援を臆させる為の挑発だと分かりきっていたので戦いは避けたが、勝負を受けたい衝動に駆られていた。
通常、武将同士の一騎打ちなど滅多にあるものではない。ブランとグレイスは戦うたびに一騎打ちをしているが、それは双方がその気があったからだ。歩兵が多いバルバールにも2千の騎兵はあるのだから、それをグレイスに率いさせてブランと対決させれば勝負を賭けられない事もない。戦力差はあるが、グレイスとブランとならば今までの経緯もあり、兵士達の間でも暗黙の了解というものがある。この戦いで、今度こそ決着がつくと考える将兵は多く、一騎打ちとなれば邪魔をする者は少ないに違いない。
だが、今では仲間が増えた。組織上の部下が増えたというだけではない。心から自分を慕う者も多い。リュシアンと2人きりだった昔とは違う。自分の気が済めば他の者がどうなっても良いとは考えてはいない。
ブランを本能のみで動いているように考える者は多い。確かに直感的ではある。そして、己の感情に忠実だともいえた。だが、感情に忠実なのと自儘に振舞うのとは違う。
ブランは虎だ。孤高の虎だ。群れを従える獅子は百獣の王だが、一対一で戦えば虎が勝つ。だが、その孤高の虎に仲間が出来た。強者であるが故に、自分の一挙手一投足で仲間の運命が決まる。
アレットは、強い者こそが優しい者だと言った。そして、確かにブランは優しい。己の強さを知る故に武威を誇る必要がなく、自然と他者に優しくなる。だが、そのブランの優しさに気づかない者も多い。
アレットはそのブランの優しさに気づく女だ。そのアレットと別れた。人は死ねば終わりだ。死ぬかも知れぬ戦いを前に自分が安心できるからと女を待たせた挙句、帰って来なければ女を悲しませるだけだ。すべての戦いに、そこまでの覚悟が必要では無い。今回はそれだけの覚悟が必要な戦いだ。
それも、あの男と一騎打ちをするかどうかにかかっている。自惚れではなく、この大陸で自分と五分に戦える者は少ない。あの男はその一人だ。初めに戦った時は大きな差があったが、今ではほぼ互角。
奴に勝つ事が、バルバール軍に勝つ事に繋がる。そういう機会があれば、躊躇なく一騎打ちを挑む。今は駄目だ。やはりディアスが温存しようと考えているのか表に出てこない。無理にバルバール軍陣中に突撃して挑めば部隊が壊滅する。
不意に、遥か彼方に見える王都が揺らいだ。視覚ではなく、ブランの勘がそう告げた。目には見えぬはずの戦況をブランは感じる事が出来た。このままではいずれ王都は落ちる。今でも、その一角を占める王城を維持しているだけで、城下町はバルバール軍で溢れているのだ。
城には王が居る。王を救う為に敗北を覚悟で敵兵で埋まっている城下に突入する。大義名分としては申し分ない。それで滅んでも、後世の人々は真の忠臣と褒め称えるだろう。馬鹿な話だ。
忠誠。誇り。矜持。生き様。男はそれを追い求める。そのすべてをただの自己満足であろうと断言するのは簡単だ。そして確かにそうだ。自己満足だ。しかし、こうとも言える。自己の満足を追い求めない生物は居ない。
獣が狩りをするのですら。虫が葉っぱを食い荒らすのすら食事という自己の満足を得る為だ。忠誠。誇りというものを自己満足だと冷笑し、好き勝手に振舞う者も、自己の満足を満たす為だ。人々に献身的に尽くす聖女すら、そうしなければ己の心が痛み、人々の笑顔を欲する満足を得る為と言える。何に満足するかが人によって違うだけであり、どうしてお前は忠誠などというものに拘り、自分の欲望に忠実に生きないのかという指摘は、俺の好物はこれなのに、どうしてお前は同じものが好物ではないのだというほど無意味だ。
しかし、人の好物も時を経れば変わる事もある。同じほどに好きなものがある場合も多い。
仕えた王を守る騎士としての忠誠。強者と武勇を競う戦士としての矜持。だが、仲間を守ろうとする心は、なんと名づければ良いのか。その言葉をブランは知らなかった。
ブランが部隊に戻ると、隊長達がその帰りを待ち詫びて駆け寄ってきた。偵察に出した騎兵が南ロタから大規模な補給部隊が移動しているのを発見したと言うのだ。
「最近では、敵も警戒し輸送は控えていたようですが、ついに耐えきれなくなったと思われます」
「バルバール本隊からも兵を出し、多くの兵で護衛しておりますが、やはり、ほとんどが歩兵。我らの騎兵で襲撃するのは難しくないかと」
「数は?」
「およそ5千」
ブランの瞳が鋭く光った。輸送部隊の護衛としては、多大な数だ。現在の北ロタ全軍にも匹敵する。
その輸送している物資が偽物だという可能性は低い。ディアスは紛れもなくこの大陸屈指の知将だが、どのような知略を駆使しようとも兵士の胃袋を騙す事は出来ない。数万の軍勢を現地調達だけで賄うのも無理がある。それが出来るくらいなら補給という概念は必要ない。
この大陸で数万の人口を誇る町など、それぞれの国家の首都を含めても数えるほどだ。農業をするにも大量の水源が必要であり、それを求め人々は各地に散って細々と暮らしている。
必ずや補給は必要であり、少数の護衛では敵の襲撃を受ける以上、多数の護衛を必要とし、多数の護衛を付けるのならば、僅かな物資を運ぶだけでは非効率。これだけの兵を動員して、それが虚構という罠を仕掛ける余裕もないだろう。
その代わりに、敵襲を想定し、偵察なども多数だす。奇襲を狙うのは困難であり、先ほど隊長の1人が襲撃するのは難しくないと勇ましく言ったが、現実、多数の兵が陣を固め槍衾が並んでいるところに騎兵で突撃するのは被害が大きい。
騎兵の運用は、まず歩兵や弓兵で敵の隊列を崩した後に突撃をするか、敵が備える前に攻撃する電撃戦が主となる。強力な騎兵隊が突撃するところ敵陣は真っ二つ。というのは演劇などではあるかも知れないが、現実的ではない。ブランらは今まで、その電撃戦を繰り返しバルバール軍に出血を強いていたが、バルバールの方でもそれに備えてきた。というのが現在の戦況である。
「出陣だ」
奇襲は難しい。だが、戦況が膠着している今、動きが必要だ。敵の補給部隊がこちらの出撃を察知し兵を固めるならば、その歩みは止まるが、いつまでも動かぬ訳には行かぬ以上、付け入る隙はあるはずだ。
ブラン達が補給部隊に近づくと、予想通り、既に物資を中心に円陣を組み槍衾が周囲を囲んでいた。
「如何なさいますか?」
血気盛んな隊長の1人がブランに問いかけた。その口調には、突撃しますよね? という、期待が込められていた。槍衾に突撃すれば被害は大きいが、最初の一撃で馬体と共にその槍衾を押しつぶせれば、確かに後続は敵陣に突入できる。肉を切らせて骨を断つ、どころではなく、骨を断たせて命を切るほどの覚悟があればだ。
「いや、引き上げる」
「ここまで来て、引き上げるですと?!」
男は驚きのあまり甲高い声を上げたが、ブランは無言で馬首を返した。他の者もそれに続き、慌てて男もそれに続いたのだった。
そして、ブランの行動に呆気にとられたのはバルバール軍の補給部隊も同じだった。偵察を出したが、確かに周囲1ケイト以内に敵の影はない。
「どうする?」
「敵が居なくなったのなら物資を運ばなくてはなるまい」
「だが、我らが備えを解くのを待ち構えているのやも知れぬ」
「それはそうかも知れぬが、いつまでもここに留まっている訳にもいくまい。今まで通り、偵察を出し警戒しながら進めば良いだろう」
しかし、1ケイト進もうが2ケイト進もうが、敵兵の姿は影も形も見えない。そうこうしている間に、北ロタ王都を囲むバルバール本陣にかなり近づいてきた。
「なんだ。結局、敵襲は無しか。奴らは何しに来たんだ?」
「襲撃が可能なら襲撃する積りで来たが、我らの備えが万全なので諦めて帰った。という事ではないか?」
補給部隊の隊長達は他に考えようがないと、警戒しつつそのまま進んだが、目指す北ロタ王都より、更に遠方に狼煙が上がるのが見えた。
「我が軍の形式ではないようだが、ならば北ロタか」
狼煙での情報伝達は、基本的に敵味方の両方から丸見えだ。それ故に敵に情報が伝わらないように、その規則性は各軍によって違う。
「奴らは時々ああやって狼煙を上げているのです。どうやら城外に居る者達が、自分達の無事を城内に伝える為らしいのですが」
バルバール本隊からの増援部隊の隊長が言った。本隊にいた彼にとっては、見慣れた光景だ。
「なるほど。しかし、そうなると奴らは今、あのあたりに居ると言う事か」
「ええ。尤も、奴らも馬鹿じゃありません。我らもあの狼煙を目印に何度か出撃したのですが、狼煙を上げた後はすぐに移動しているらしく、いつも、狼煙を上げた後が残っているばかりでした」
補給部隊の隊長達は頷いた。敵が近くに居るかもと緊張しながらの行軍だったが、その敵が遠くに居ると気が緩んだ。それに本隊ともあと少しで合流できる。それでも警戒は怠らず偵察は出しているが、僅かに危険に対し鈍くなっているのも事実。そして、その僅かが命取りとなるのが戦場。特に、その僅かを嗅ぎ分ける嗅覚を持つ者が相手の場合は。
「行くか」
狼煙の上げる数名のみを派遣して、騎兵隊の大部分はバルバールの補給部隊の索敵範囲の外側で追尾していたのだ。補給部隊の目的地がバルバール本陣とは分かり切っている。索敵範囲外からの追尾も困難ではない。
良馬に乗った数十騎を先行させ、敵の偵察を始末させた。敵の偵察も懸命に逃げたが、選りすぐった騎兵にそれも叶わず殲滅された。その後に3千の騎兵が続く。
敵の偵察も騎兵なら、ブラン達も全員騎兵。だが、数が多くなればそれだけ駄馬も多くなり、遅い者に速度を合わせねばならぬ故、全体の行軍速度も落ちる。偵察の帰りが遅くなれば異変に気付くはずだが、気のゆるみが、その異変に気付くのを僅かに遅らせた。そして、その僅かに間に合う程度には、ブラン達の騎兵は迅速だった。
バルバールは、この大陸では珍しい徴兵制のある国だが、それでも長年にわたる大国コスティラとの戦いを経て訓練は行き届いている。とはいえ襲撃に備えはしたが、万全ではない。ブラン達は敵兵に攻撃を仕掛ける体勢を見せつつ、隙を見ては輜重を焼いた。火を着けながら戦う事を想定し役割分担がなされているブラン達と、それを想定していなかったバルバール軍とでは動きにも雲泥の差だ。
火を消そうとする部隊が居れば、それを徹底的に殲滅する作戦をブラン達はとった。バルバール軍に統一した動きが出来れば、状況も変わったであろうが、一部の部隊だけ消化に務めても、まさに焼け石に水。各隊は自衛が精一杯で、その結果、人的被害は多くはなかったが、物資の大半は燃え尽きたのだった。
その報告を受けたディアスは、額に手をやり首を振った。
「物資が焼かれたか……」
「どうしましょう。近くの領民達も皆、逃げてしまって現地調達も出来ませんし……」
傍にいた従弟のケネスが心配そうに声をかけた。せっかくここまで来て、引き返さざるを得ないのだろうか。あまりにもやるせない結末である。
「ああ。こうなったら、仕方がないな」
「仕方がないって、どうするんですか?」
やはり、撤退するのだろうか。後、もう少し。本当に後もう少しなのだ。
「決まっているだろ? これ以上時間稼ぎは出来ない。とっとと、北ロタを落としてしまおう」




