第273:当然の事象
ゴルシュタット王国軍総司令ヒューメルは、計画通りマガスク川に沿って布陣し、ベヴゼンコ率いるコスティラ王国軍を防いだ。ベヴゼンコとて、ここを防御線にしてくるとは考えていたが、予想外の苦戦を強いられていた。
「第三次突撃隊、壊滅致しました!」
前線からの伝令が跪き、悲痛な叫びをあげた。渡河中の敵を討つ兵法の常識は、ベヴゼンコ自身も弁えていたが、仕掛ける側がそれを知っているからと控えれば、攻める手がなくなる。
強引に突破出来ると踏んでいたが、甘すぎたか。
奥歯がギリギリとなった。
ベヴゼンコは己の判断の甘さを責めたが、今までのコスティラ軍の実績から判断すれば、客観的にもそれほど無理な計画ではなかった。ならばなぜ上陸作戦が成功しないかと言えば、ヒューメルが有能。の一言に尽きる。
浅瀬を選んだ渡河作戦は、現在、第三次までの突撃隊が壊滅し、被害が拡大していた。突撃隊を投入した後、彼らが作った橋頭保から全軍を渡河させる。その計画だったが、ゴルシュタットはコスティラ兵の暴圧に耐え、落ち着いて対処した。突撃隊が上陸すると川上から大量の丸太を流したのだ。
いかな怪力を誇るコスティラ兵とて、胸まで水に浸かる中、流れてくる丸太と格闘は出来ない。前進が阻まれ、突撃隊は後続の支援を受けられぬまま、包囲され各個撃破されていったのだ。
「次だ……」
「は?」
伝令が去った後、命じると、副官は間の抜けた声を出した。
「次の突撃隊を出せ」
「ですが、いくら突撃隊を出しても、同じように壊滅するだけなのでは」
流石に被害が大き過ぎる。しかも、このまま続けても状況を打破する手立てがないのだ。
「いいから出せ!」
一括すると副官は目の前から転がり去った。
第四次突撃隊1千が渡河を開始した。ヒューメルは、今までと同じように矢の雨を降らせ損害を与えはするが、積極的に妨害はしない。
「そろそろ手を変えてくるかと思ったが、馬鹿の一つ覚えか」
ヒューメルは大笑し、幕僚達も追うように笑った。コスティラの巨人達を威圧に緊張していた兵士達も、今までの作戦の成功とヒューメルらの態度に更に余裕が生まれる。
まあ、そんな訳はないだろうがな。大笑いの裏でヒューメルは思案した。優れた指揮官には、時に演技力も求められる。兵士達に余裕を持たせる為にベヴゼンコを嘲笑にしたが、本心では敵の総司令がそのような愚か者でないとは分かっている。
ここまでが一緒ならば、その後が今までと違うはずだ。それにどう対応するかだが……。
その対応にも、兵士達に余裕がある方が上手く行く。とにかく相手が何をしようがこちらの想定通り。そう信じれば兵士達も命令通り、豪胆に動けるのだ。
「敵。後続部隊も渡河を開始しました。予定通り、丸太を流して妨害いたします」
「良きに計らえ!」
ヒューメルが、少しおどけるように言った。普段は厳格な総司令のしゃれっ気に幕僚達がどっと笑う。兵士達もつられて笑った。
上流から丸太が流され、コスティラの巨人達もそれ以上進むのに二の足を踏む。それでも突破しようとする者は、ある者は丸太と衝突し流され、何とか掻い潜った僅かな者はゴルシュタット兵の矢に倒れていく。それでも何人かは川岸まで到達し、盾をかざして屋の雨に耐えているが、後続が続かねばいずれ包囲されて打ち取られる未来しかない。
ここまでも同じか。まさか、本当に同じ愚行を繰り返す積りか? もしかすると、ここまでと見極め、次から変えてくる算段だったか。
現在、渡河には成功した突撃隊はゴルシュタット軍が構築した陣柵を越えんと奮闘しているが、後続が渡河を諦めれば、消耗し殲滅されるしかないのだ。
だが、しばらくすると、ヒューメルはその異常に気付いた。コスティラ兵が倒れても倒れても向かってくるのだ。用意した川上から流す丸太が尽きるかと心配になるほどだ。
なぜ、被害が出るのが分かってて渡河を諦めない? 敵将ベヴゼンコが死んでも渡河しろと厳命したのか?
だが、命令ならば死を覚悟して戦う。というのが通用するならば、この世に敗走する軍隊など存在しない。どれほど訓練された兵でも、命が惜しければ命令に反して逃げ出すのだ。
被害を出しながらも、渡河に成功する者も僅かながら増えていた。初めは数名でしかなかったが、今では数十。いや百名を超えるか。盾をかざしながら陣形らしきものも整え始めた。ヒューメルはそれに気づき、その瞬間、ある事にも気づいた。間違いない。
「ベヴゼンコだ! 総司令のベヴゼンコが、渡河地点に居るぞ! 討ち取れ!」
幕僚達は驚愕し、顔を見合わせた後、改めて戦場に目を向けた。マガスク川では流れ来る丸太を掻い潜り、コスティラ兵が懸命に対岸に向けて駆けている。
「矢では無理だ。こちらからも兵を出し、ベヴゼンコを討ち取れ。長引くと奴らは死兵となって強引に渡って来るぞ」
後続を途絶えさせてから出撃する予定だったゴルシュタット兵が槍を並べ動き出した。数千の兵が百ばかりのコスティラ渡河部隊に向かう。
「ちっ。気づきやがったか」
総司令自らが軍勢の先頭に立ち、兵士達は総司令に負けてなるものかと奮闘する。それによってコスティラ兵の豪勇は更に威力を増すのだ。それがベヴゼンコの戦い方である。そして、この渡河作戦でも自ら先頭に立った。しかも、突撃部隊ではなく、後続部隊でだ。
総司令自ら流れ来る丸太を掻い潜り押しのけ進んだ。対岸に辿り着いたベヴゼンコに我も続け、総司令を死なせてなるものかと兵士達は、倒れても倒れても進んでいたのだ。だが、その者達に数十倍のゴルシュタット兵が殺到する。
「まだ動くな。十分に引き付けろ」
ゴルシュタット兵は突進しつつ、その後ろからはまだ矢が飛んで来る。ベヴゼンコ達は盾で矢を防ぎ、その隙間から数千の軍勢に目を向けている。
100サイト。50サイト。まだ、矢の雨はやまない。10サイト。矢がやんだ。5サイト。まだ盾をかざし続ける。3サイト――。
「圧せ!!」
盾をかざしたまま突進した。数十人のゴルシュタット兵が吹き飛ばされた。そのまま盾をかざし敵兵の中を突き進む。盾を捨て、武器を手にし振りかざす。一瞬にして、乱戦となった。
戦いの呼吸。圧倒的な数を背景に縮こまる敵を殲滅する。ゴルシュタット兵はそうなると考えていた。最前列でない兵士は、すぐに自分の出番になるとは考えてはいなかった。それがコスティラ兵の突進で、いきなりほとんどの兵が参加する乱戦となった。コスティラ兵の豪勇に戦う心構えになってなかったゴルシュタット兵が尻込みする。
兵士の動揺は伝播するものだ。心構えが出来ていた最前列の兵士すら、味方の腰が引けているのを見ると、自分の腰も引ける。一旦こうなると、圧倒的な数なのも有利とはいえなくなる。自分が戦わなくとも、他の者が戦うだろうと考え、ますます逃げ腰となる。
ちっ。気勢が飲まれたか。ヒューメルは舌打ちしたが、兵を鼓舞するのも総司令の役目だ。
「怯むな! 敵将ベヴゼンコが居るのだぞ。奴を討ち取れば、褒美は思いのままだ!」
敵総司令を討ち取る。それは、将兵の物欲だけではなく名誉欲をも刺激した。自分が戦う必要がないと腰が引けていた者達も、我こそがと槍を構えなおした。改めてゴルシュタット兵が襲い掛かる。大勢を建て直せば、やはり数がものをいう。コスティラ兵が次々と倒れ、ベヴゼンコ自身も全身血まみれである。半分以上は敵からの返り血だが、自身も負傷しているのも事実だ。
「我こそは、コスティラ王国軍総司令ベヴゼンコ。俺を討ち取って名を成そうという者はいるか!」
あえて言った。ゴルシュタット兵がベヴゼンコに殺到する。あぶれた者が他のコスティラ兵に向かうが、その槍先は鈍った。可能ならば自分がベヴゼンコを討ち取りたいのだ。今ここで、名も無きコスティラ兵と戦い負傷でもすれば割に合わない。
コスティラ兵全体としては一息ついたが、その分、ベヴゼンコに敵が集中する。だが、ブランやグレイスが、平地にそびえたつ一個の高山ならば、豪勇ぞろいのコスティラ兵に囲まれたベヴゼンコは標高の高い山脈の中での一番高い山である。それ故に彼らほどは目立たないが、彼の武勇はブランやグレイスに劣るものではないのだ。群がるゴルシュタット兵を蹴散らしていく。
ゴルシュタット兵がベヴゼンコらに殺到したのは対岸のコスティラ軍にも見えた。
「ベヴゼンコ総司令をお守りしろ!」
「もはや構わぬ。全軍、突撃だ!」
後続の部隊を指揮する将軍達が叫んだ。
一斉に渡河を敢行しても、一斉に丸太に流されるだけ。そう考え、兵力を小出しにしていたのだが、こうなっては損害は度外視だ。
巨人達の群れが川に殺到した。自然界では、時折、数万の猛牛の群れが川を渡る光景が見られるが、コスティラ兵の突進はそれを連想させた。ゴルシュタット軍総司令ヒューメルもその光景に息を飲んだが、極めて平静を保ち、今まで通り落ち着いて迎撃するようにと命じた。
大量の丸太が流されてきた。1人のコスティラ兵が受け止めた。だが、それをあざ笑うかのように丸太は僅かにも止まらず、その兵士を押し流す。もう1人、丸太を抑えた。しかし、身体の半分以上が水に浸かっていては身体が浮き踏ん張りが利かない。やはり、流された。3人でも流され。4人目でやっと止まった。
しかし、その後からもう一本の丸太が流れてくると、その4人ですら流された。ならば5人。6人。止まった。だが、更に丸太。また流され、人を増やし、止まる。そのような光景が渡河するコスティラ軍の川上側の彼方此方で見られた。一瞬、丸太の動きが止まった。その隙をついて、川下側を進むコスティラ兵が、一気に渡った。その後ろを、支えきれず力尽きたコスティラ兵が流されていく。
千ほどのコスティラ兵が渡河に成功した。しかも、丸太を防いでいる者達も、何やらコツのようなものを掴んだのか、数名で2本ほどの丸太を止めると、流れてきた3本目と一緒に下流に流す。という事をやりはじめた。そうすると、断続的に流れて来るより格段にかわし易くなる。
「化け物共が」
ヒューメルが、呟いた。コスティラ兵が続々と渡河を成功させベヴゼンコに加勢し、ゴルシュタット兵を圧倒しつつあった。しかも、軍勢の一部が、ゴルシュタット軍が丸太を放流している川上に向かって動き出した。大した数ではないが、それでも切り込まれては丸太の放流どころではなくなる。
こうなっては渡河を阻止するのは諦めるしかない。問題は、このまま戦い続けて勝敗を決するか。一旦、後方まで下がって防御線を構築するかだ。
水中を歩くのは思いの外体力を消耗するもの。ましてや甲冑を身に着けていればなおさらだ。今、勢いはコスティラにあるが、その勢いが止まれば疲労が一気に出る。しかも、まだ敵の後詰のベルヴァース軍が戦場に到着していない。
後退し、防御線を構築してもベルヴァース軍が参戦しては数で劣り、敗北する可能性は高い。まだベルヴァース軍が参戦していない内に、コスティラ軍を叩くべきだ。
「全軍。コスティラ兵に迎え!」
「はっ」
渡河作戦に対応する為にマガスク川に沿って布陣していたゴルシュタット兵が、改めて隊列を組みコスティラ兵と対峙した。しかし、コスティラ側も、敵の妨害がなくなり、すべての部隊が一気に渡河する。
「ベヴゼンコ総司令。ご無事ですか!」
誰の物だか分からぬ血液で真っ赤に染まったベヴゼンコに、兵士達が駆けよる。ベヴゼンコは手にした武器を放り投げ、どかりと腰を下ろした。
「か、閣下!」
「大丈夫だ。それより、とっとと蹴散らせ」
「ウラーー!!」
両軍がぶつかった。組織と豪勇の戦いだ。先ほどのように一気に乱戦に持ち込まれなければ、軍人の鏡とも呼ばれるゴルシュタット兵は指揮官の命令の元一糸乱れず動き、コスティラ兵の豪勇を相手に一歩も引けを取らない。戦いは互角だ。そこに、コスティラ軍から赤い狼煙が上がった。
何かの合図か? それとも、何かあると思わせ、こちらの動揺を誘う策略か?
ヒューメルは即座に思案したが、とはいえ、そのどちらかを判断するのは困難。
「何かあるかも知れん。警戒せよ」
と、斥候を周囲に放つしか、取り合えず手立てはない。
戦いは互角のまましばらく続いた。だが、戦いが長引けば、渡河作戦で疲労が蓄積しているコスティラ兵が不利となっていくはず。そこに、対岸にベルヴァース軍旗が上がった。戦いの当初から近くにまでは来ていたのだ。狼煙の合図で急行したのである。
「全軍。撤退!」
ヒューメルの決断は早かった。今でも互角。それが、ベルヴァース軍まで参戦しては、勝敗は明らか。ベルヴァース軍が渡河する前に撤退するしかない。とはいえ、ここまでまともにぶつかった軍勢が撤退するのは困難。撤退するゴルシュタット軍は、徐々に秩序を失い、ついには敗走した。
「お前らも行って来い」
座り込んだままのベヴゼンコが、直属の騎士達に言った。
「よろしいのですか? 深追いは危険ですが」
「この状況で、伏兵なんかある訳ねえだろ。手柄の立て放題だ。行って来い」
「はっ!」
そして、従者にすら、お前も行けと追った。ベヴゼンコが1人残された。普通は、行けと言われても総司令を1人で残したりしないものだが、それをするのがコスティラ人というものだ。
ベヴゼンコは全身血まみれだ。その多くの血は敵からの返り血である。だが、返り血だけにしては、彼が座る地面にこぼれる血が、いつまでも止まらないのに何人が気づいただろうか。
この戦いに命を賭けていたのではない。いつも通りだ。いつも通り総司令自ら突撃した。いつか死んで当然の戦い方だ。たまたまだ。たまたま今だった。
「なあ、アリサ。だから言っただろう。俺は長生きしねえってな」
呟き、目を閉じた。




