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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
367/443

第272:挽回

 サルヴァ・アルディナの前に、大きな男が座っていた。その巨体が少しでも身じろぎする度に頑丈なはずの樫の椅子から悲鳴が上がる。太い腕を組み、王子にじろりと視線を向けていた。この大陸を二分する大国の主を前に臆した様子はない。コスティラ王国軍総司令ベヴゼンコである。


「ですから、先ほどからこうやって頼んでおる」


 頼んでいる態度には見えぬが……。王子はその言葉を飲み込んだ。しかも、リンブルク王がルキノだと知れた事件から、言葉遣いも荒くなったように感じる。覇気に富み剣術にも優れた王子だ。いきなり飛びかかってくるような理性のない相手ではないのも確実だ。だが、目の前の男の威圧は理性より感性に訴える。とはいえ、言うべき言葉まで飲み込むほど、サルヴァ王子も臆病ではない。


「何度言われても同じだ。先の戦いで多くの被害を出し、しかも内通者が出る危険のあるコスティラ軍に任せる訳には行かぬのだ」


 ゴルシュタットとの戦いで裏切者や内通者が発生したコスティラ軍は敗退し、ケルディラ占領地の過半を失った。現在はケルディラ東部をかろうじて保持しているだけだが、コスティラの威信とケルディラとの統一の悲願を賭けて失地を取り戻さなくてはならないのだ。


「それは対策を考えている。次の戦いでは裏切者も内通者も出さぬ」

「口では言うのは簡単だが、具体的にどうする気なのだ? それを聞かずしては判断が出来ぬ」


「知れた事。裏切りそうな奴や内通しそうな者は連れて行かぬ」


 口で言うのは簡単だな。という言葉を王子は飲み込んだ。この男はいったい、頭が良いのか悪いのか。いや、皇国との前哨戦で見せた軍略やリンブルク王がルキノと露見した時の総司令達を集めた会議での発言を見れば、粗暴な態度の裏に優れた知性を隠しているのは確実。


 だが、その知性は物事の本質を掴み一刀両断にするもので、細かい事を処理するのには向いていないようだ。その意味では今回の発言も、大雑把とはいえ本質的には確かにそうだ。ともいえる。


 まあ、その選別は気の回る部下に任せるという事だろう。サルヴァ王子は、取り合えず好意的に解釈した。


「して、信用出来る者達だけを率いるとして、どの程度の数を動かせるのだ? 出陣を望むなら、ある程度は把握しているのであろう」

「3万。というところでしょうな」


 巨人ぞろいのコスティラ兵は1人で他国の3人の兵に相当する。それが常識のように語られるが、軍人が本当にその計算を元に作戦を立てては噴飯ものだ。リンブルクを支配下に置いたゴルシュタットは10万近い兵を動かせる。その全軍を相手にする訳ではないとしても、頷ける話ではない。


「豪勇でなるコスティラ兵とて、3万では少なかろう」

「こちらで掴んだ情報では、ゴルシュタットでは今、デル・レイに降伏したリンブルク兵の扱いで揺れておる。ゴルシュタットがケルディラを抑えるにはリンブルクはその要。そのリンブルクが不安定では、こちらに多くの兵は割けまい」

「ほう」


 作戦を立てるのに情報が重要だ。総司令たるベヴゼンコがそれを弁えているのも当然と言えば当然。それでも、王子は感嘆の声を漏らした。それが、その方面での情報収集では他に抜きんでているはずの自分が掴んだばかりの情報だったからだ。


 カーサス伯爵の部下どころか、ルキノらも派遣し、リンブルク女王クリスティーネを救い出した。その後は、リンブルク女王の名の元にリンブルク国内でも行動を起こす。とはいえ、その計画はまだ発動していない。


 リンブルクを動揺させて、ついにはゴルシュタットから独立させる。それによってデル・レイ国内に閉じ込められていたリンブルク兵を助ける。というのがルキノとの計画だったが、肝心のリンブルク兵がデル・レイに降ってしまったのだ。そのリンブルク兵の扱いで、皇国とゴルシュタットが揉めていた。


 リンブルク兵をデル・レイ国内で消滅させ、リンブルク王国を併呑しようと画策していたゴルシュタットにしてみれば、リンブルク兵は帰って来て欲しくない。だが、ゴルシュタットは皇国に着く。と宣言したのも事実。そのリンブルク兵が、皇国の実権を握るアルベルドの内縁の妻。フィデリアの親衛隊になる、という異常事態が発生した。


 それでも、リンブルク兵はランリエルに寝返ったのだから信用出来ぬと帰国を許さぬゴルシュタットと、リンブルク兵に聞き取り、そもそもリンブルク兵はランリエルに寝返ってなどいないと主張するデル・レイとで、外交問題にまで発展している。


 皇国に着けば、いざともなれば皇国から支援を受けられると計算したゴルシュタットだが、思わぬ計算違いが発生したのだ。リンブルク兵がデル・レイに降伏し、肩透かし状態となったと思われたルキノらのクリスティーネ救出作戦も、それ故にクリスティーネを救出したと発表を控えたまま対応を協議していたのが、結果的には思わぬ効果を上げたのだ。


 確かに、今がゴルシュタットを攻める千載一遇の機会。実は、カルデイやベルヴァースに要請し一攻めしようかとサルヴァ王子も考えていたところなのだ。しかし、当然、勝つ事が目的だ。コスティラがそれを承りたいと言えば、カルデイやベルヴァースは喜ぶだろうが、それで負けては元も子もない。


 とはいえ、自ら進んで戦いたいという者を断る必要もないか。状況も把握しているようだし、無謀な事もすまい。


「なるほど。情報を集め、準備をした上で3万で足りると言うのだな?」

「左様」


「分かった。だが、やはり、兵力を考えればコスティラ一国で、という訳には行かぬ。ベルヴァースに後詰を任せよう」

「ほう。テグネール殿ですか」


 豪快なベヴゼンコと実直なテグネールは、意外と馬が合うようで頻繁に酒を酌み交わす仲だ。かなりテグネールの方が年上だが、それが上手く付き合える要因ともいえる。もし同年代ならば、お互い反発したかもしれない。


 とはいえ、サルヴァ王子も仲良しだから任せるという気はない。所属する国に責任を持つ立場の者だからこそ、己の軍勢に被害が出るのを嫌がるものだ。その点、ギリスもテグネールも同じだが、サルヴァ王子の見るところ(というより誰が見ても)ギリスの方が計算高過ぎる。


「分かり申した。ベルヴァースに後詰をお願いいたす。だが、ベルヴァースには後方から敵に圧力をかけるだけで十分。手出しは無用とお伝え下され」

「分かった。伝えよう」


 酒を酌み交わすほどの仲ならば、己が直接言えば良いようなものだが、それは公私混同だ。それに、サルヴァ王子も承知していないと、万一ベルヴァースの支援不足でコスティラが劣勢になれば、後詰のベルヴァースの責任問題になってしまう。


 こうして、ケルディラ中部にまで進出したゴルシュタット王国軍を追い散らすべくコスティラ王国軍3万。ベルヴァース王国軍4万が、出陣したのだった。


 そしてその情報は、瞬く間にゴルシュタットにも伝わったが、ベヴゼンコが掴んだ情報通り、ゴルシュタットは大兵力を割けない状況にいた。


 フィデリアに降ったリンブルク兵が帰国を望み国境に押し寄せ、ゴルシュタット軍がそれを阻んでいる。とはいえ、数に勝るゴルシュタット軍に突撃するほどリンブルク兵は無謀ではなく、ゴルシュタットもデル・レイの後ろ盾を得たリンブルク兵に手を出しかねている。リンブルク、デル・レイ国境は膠着状態となっていた。


 ゴルシュタットは、本国も全く空には出来ぬし、リンブルクにも治安維持の兵が必要。デル・レイ方面の兵を引き上げれば、リンブルク兵が国境を越えてくる。勿論、ケルディラ西部も安心は出来ない。コスティラに避ける兵は5万というところだ。そしてベルトラムには他にも心を割かねばならぬ事案がある。


「まだ、娘の居場所は分からぬか?」

「は。四方を探っておるのですが、いまだ。おそらくは、既に国外に逃げたのかと」


 ベルトラムの問いにダーミッシュが答えた。ベルトラムの執務室でダーミッシュが跪いている。が、相変わらずその表情からは感情は読み取れない。


 ベルトラムも冷静になった今、ダーミッシュの部下の腕を切り落とした、あの一件が、世間では’凶行’の類であるとは、勿論、分かっている。ダーミッシュとて、鍛えに鍛えた部下を不具者にされ心穏やかではないはずなのだが……。


 さて、表情からは読み取れぬか。


 常から何を考えているのか読み取れぬ男だが、全く、感情を表さないかと言うと、そうでもない。極々稀に感情を浮かべる事もある。だが、この男の事だ。それすら計算の内かも知れぬ。それに、常人とて本当に隠したい時は思わぬ演技力を発揮する。この男ならば猶更だ。


 ならば、気にしても仕方がない。


 ベルトラムはばっさりと切り捨てた。そこまで隠そうと決めたならば、問うても意味のない事だ。無理に問いただせば余計な軋轢を生む。


 ゴルシュタットとリンブルクを行き来して二重統治の執務を行っていたベルトラムだが、現在では、リンブルクに腰を落ち着かせていた。無論、娘の探索に都合が良いからだ。


「それで、何か掴んではいるのか?」

「はっ。御息女が連れ去られた後、昼夜、休息もせずケルディラ方面に急ぐ馬車が居たとの情報は得ております。その先のコスティラでも、同じ物と思われる馬車を見たという者がおります」


「ケルディラ、コスティラと向かうとなると、その先はランリエルか?」

「素直に考えれば。ですが、そうと見せかけ迂回して戻る。という手も考えられます」


 ならば皇国。そのどちらかだ。


 物的証拠は残っていない。だが、状況証拠。いや、情勢証拠と言うべきか。あの警備態勢の中、ダーミッシュの部下が守る屋敷を襲撃し娘を拉致して逃げおおせる組織力を持つ者が、ただの野盗であるはずがない。現在、この大陸は大きく皇国とランリエルに二分される。ゴルシュタットですら、現状は皇国側と色分けされているのだ。


 南ロタ、北ロタは勿論、ドゥムヤータやブランディッシュ、タランラグラですら、そのどちらかの大木の枝葉に過ぎず、そもそも、クリスティーネをさらう理由がない。もし、彼らの手の者だとしても、それは、皇国かランリエルかの要請で動いているはずで、結局は、そのどちらかに行きつくのだ。


 そして、その判断を賢人ベルトラムが付けかねていた。もし、フィデリアの動きがなければ、その手際の良さからランリエルと断定していただろう。あの手際の良さは、ダーミッシュの部下の能力を知っていたからこその対応と言える。今まで彼らにランリエル側の隠密の者共が煮え湯を飲まされていたからこそと推測できるのだ。


 だが、そのクリスティーネの件とリンブルク兵の件が、ほぼ同時に起こったという偶然が、賢人ベルトラムを悩また。尤も、リンブルク兵を助ける為にクリスティーネを救出しようとした動きと、リンブルク兵を助ける為に降伏させようとした動きが同時期に起こっても当然ともいえるが、それを見極められるとすれば、それは神の視点を持った者だけだ。


「やむを得ぬ。その馬車の足取りを追いつつ、ランリエルと皇国の内部を探れ。それと、あの男がどこに居るかもだ」

「ルキノ・グランドーニですな」


「そうだ」


 デル・レイからはルキノは単身、どこかに落ち延びた。と発表されていた。ルキノ本人だけならば、ランリエルに向かったと公表しても問題はないのだが、ハイトマンらも同行している。それを発表しては、リンブルク兵はやっぱりランリエルに寝返っているのだ! という、ゴルシュタット側の言い分を援護してしまうのだ。


「確かに、ルキノ・グランドーニが居るところに御息女もいる可能性が高う御座いますな」

「ランリエルに落ち延びたと考えるのが順当だが、アルベルドも曲者だ。そう言って拉致しているかも知れぬ」

「はっ」


 その後、ダーミッシュが姿を消すと、次に、ゴルシュタット王国軍総司令のヒューメルを呼んだ。黒い髪を短く切り揃え精悍な顔立ちだ。見事な体格で、その軍服姿はほれぼれとするほどだ。そして姿だけではなく実際の指揮にも優れている。


 直接、軍勢を率いる事も多いベルトラムの陰に隠れ影は薄いが、その戦いを間近で学んだ愛弟子であり、その手腕は疑似ベルトラムと言えた。前回のコスティラとの戦いで、アルベルドの信奉者の協力を得たとはいえベヴゼンコを破ったのも彼である。


「御召しにより参上いたしました」

「うむ。コスティラ軍がまたも出張ってきたらしいな」


「前回の失策を回復しようというのでしょう。コスティラとベルヴァース。併せて7万がこちらに向かって来ております」

「奴らも必死だ。まともに戦う必要はない。ケルディラ東部と中部を分けるマガスク川で迎え撃ち、持久戦の構えを取れ。奴らは戦いを長引かせるのを望まぬはずだ」


 コスティラ軍は前回に出た内通者を警戒し人員を厳選したが、長引けば長引くほど将兵らの不安は増し、いつ味方から裏切り者が出るかと思えば攻めも鈍くなる。それを嫌って短期決戦を望めば、どうしても攻めが強引になる。


「はっ。敵が川を渡るならば、その中頃を打つ。のが兵法の常道。奴らが強引に渡河するならば、後続を断ち、頭を討ちまする」


 コスティラ軍の強みは、その豪勇だ。コスティラ人が巨体を揺らし、大地を揺るがし攻めるところ、相手はその威圧に撃たれ戦う前に浮足立つ。ロタの虎将ブランは、その獣圧で敵を怯ませ味方の力を何倍にも増すが、コスティラ人の突撃もそれに近く、巨人達の突進は、実力以上の力を発揮するのだ。


 だが、ベルトラムの豪胆を受け継ぐヒューメルに、その威圧は効果が薄い。指揮官が落ち着けば将兵も落ち着くものだ。その意味ではベヴゼンコとは相性がいいと言える。


「必ずや、勝利してごらんに入れましょう」


 ヒューメルの声には、確信の響きがあった。

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