第271:現実
北ロタ王国軍は、台地の斜面部分でバルバール軍の包囲下に置かれた。前から飛んできた矢に盾をかざし防いでいると、その背が射られ倒れた。すべての方角から矢の雨が降り、北ロタ兵の血で大地が赤く染まる。
「日さえ落ちれば闇に紛れて逃げられるものを」
「もう少しだ! もう少し耐えきれば日が落ちる! 包囲を突破しさえすればどうにか逃げられるはずだ」
算を乱しての撤退など、通常ならば被害を増やすだけだが、包囲下に置かれたまま消滅するよりは遥かにマシだ。確かにバルバール軍も地形を調査して地図には起こし作戦立案には不足はないのだろうが、兵士一人一人に染みついた漠然とした地理的感覚は北ロタ兵士に一日の長がある。辺りが見えぬ暗闇では、反射的、無意識的な動きが大きな差となるのだ。
だが、既に日は沈もうとしているが、まだ、暗闇というには程遠い。それまでに何人が生き残っているか。兵士達は落ちた盾を拾って正面にかざし、屍となった味方を背負って矢を防いでいる。
「ちくしょう!」
「このままでは、我らはなぶり殺しだぞ!」
バルバール軍は槍衾を作り敵の突破を防いで矢を射かけてくるだけだ。包囲戦になってからは一方的な虐殺となっている。戦闘とは、お互い陣形を保ち戦えば数刻戦っても被害は思いの他少ない。だが、今は、草を大鉈で薙ぐように兵士の命が瞬く間に刈り取られていく。理不尽、ではない。その機会があれば、北ロタ兵がバルバール兵を同じ目に合わせるはずだ。
「やはり、俺はディアスには及ばぬか」
分かっていた。それは口に出すまでもなく分かっていた。所詮自分は、初対決の時にディアスが知りえぬ要素を利用し、一泡吹かせるのに成功しただけ。その時も最終的には敗北し、しかも、二度と同じ手は使えない。
背後にいたヴァレスがいつの間にか真後ろまで近づいていた。リュシアンの肩を叩き振り向かせる。
「リュシアン殿。敵は我らが防ぐ。包囲を突破し逃げられよ。おっと、止めるでないぞ。どうせ誰かがせねばならぬ事だ。わしを止めて、誰にやらせるというのだ。やると言う者にやらせておけば後腐れもなかろう」
「で、ですが、貴方は総司令です。総司令自ら殿など……」
偉い人が下々の者を助ける為に命をかける。美談ではあるが、無責任とも言える。言うまでもなく総司令はその軍の大将。討たれては全兵の士気は奈落の底まで落ち、指揮系統も崩壊する。被害は更に広がるはずだ。普通ならば。
「全軍、兎に角逃げるという状況で、総司令を失ったとて何の不都合があろう。殿とは如何に多くの敵を引き受けるかだ。この首以上の餌はあるまい」
「ヴァレス総司令……」
リュシアンが目を閉じ項垂れた。この作戦を考えたのは自分。本来なら殿を引き受けるのは自分だ。だが、現実として無官だが参謀という曖昧な地位のリュシアンは手勢を持たない。殿を務めるなら、結局は他の将軍を任命し、自分も残る! というしかないが、それでは何の意味もなくただの犬死だ。
「分かりました。お任せします」
だが、それも日が暮れ包囲を突破した後の話。殿部隊となるヴァレスの直属兵は、今は中央に置き温存しているが、日暮れまで持ち堪えられるだろうか。下手をすれば、いざ撤退という時に殿部隊しか残っていないという状況にもなりかねない。
その戦場から3000サイトほど離れたところで、一人の兵士が木に登り戦場に視線を向けていた。特に目が良い者を選んだが、流石に詳細までは分からぬようだ。
「戦場が大地の斜面辺りに移動しているようですが、まだ、こちらに来る気配はありません」
「分かった! 引き続き見張っていてくれ!」
ずんぐりとしたやぼったい印象の士官が答え、ブランに視線を向けた。
「予定では、日が暮れてから敗走してくるという事でしたので、もうしばらくでしょう」
皇国の手前、わざと敗戦を行う。という作戦をブランが嫌うだろうと考えたリュシアンやヴァレスは、偽りの敗走で敵をおびき寄せ、ブランが率いる伏兵で敵を奇襲する作戦だとブランには説明している。伏兵は文字通り伏し敵から兵を隠していなければならない。それ故、戦場から離れた地点で味方が敗走してくるのを待っていた。
しかも、あくまで本心は敗走したまま王都に逃げ込む事であって、本当にブランに伏兵をさせる気はない。リュシアンがあえてその伏兵の位置を遠目に指定し、戦況も掴み辛くなっていた。
ブランが不意に動いて木に登り始めた。猫科の肉食獣が木に登るように、まるで爪でもあるかのように音もなく難なく登り切った。一瞬、台地に視線を向けただけで飛び降りる。
「出るぞ」
ずんぐりした士官に言った。
「は。はい。出撃だ!」
どうやら、この男が副官のようだが、やはりリュシアンのようにブランの短い言葉を翻訳出来る能力ない。その代わりにブランへの信頼が特に篤い者を選んだ。意味が分からないなりに反論しないだけでも時間を無駄にしなくていい。
ブランが騎乗し駆けだした。他の騎士達もそれに続く。命令と同時の出陣に遅れる者も多かったが、徐々に追い付いてきた。ブランを先頭に3千騎が台地を目指した。
左前方に、嫌な気配をブランは感じた。ただの勘だ。だが、俺の勘は当たる。
右に進路を修正した。一直線に台地に向かっていたが、若干、迂回する。後続にも油断するなと伝令を飛ばした。気配を感じた地点を通り過ぎると、千ほどの騎兵が飛び出してきた。敵こそがこちらの伏兵に、更に伏兵を置いていた。だが、距離を置き注意も促し、混乱はない。そして、ブランは確信した。更に速度を上げる。こちらの伏兵が読まれていたなら、偽りの敗走も読まれている。
奇襲が失敗した敵騎兵は、こちらに突っ込まず、なんとブランを追いかけ並走しだした。
「おい。顔見知りに会ったってのに素通りはないだろ」
グレイスが、まるで友人に話しかけるように声をかけてきた。右手に持った戦棍を肩に背負っている。数千の馬蹄が響く中、重く響く彼の声はブランの耳に届いた。
「今は、相手に出来ぬ」
ブランは呟いたが、グレイスまでは届かない。だが、律儀な副官の耳には届いたようだ。
「今は、相手に出来ぬと仰っておる!」
面白れえ奴らだな。グレイスは苦笑したが、その言葉を意外にも思った。
俺の顔を見せれば食いついて来ると思ったんだがな。
ブランが城の守兵とは別行動しているのは、バルバールも掴んでいた。包囲した北ロタ軍を殲滅するまで、ブランを引き付けておくのがグレイスの役目だ。だが、ブランはグレイスとの決着を付けるよりも味方を救うのを優先させた。
まあ、当たり前っちゃあ、当たり前なんだがな。
個人的な決着を優先させ、味方を見捨てては将失格である。だが、ブランは、その将失格をしてでも自分との決着を付けようとするのではないか。とも思っていた。
こういう時は、先に動いた方が格下って事になっちまうんだがな。ま、仕方ねえか。
元々、騎兵の少ないバルバールは、グレイスに千騎しか与えなかった。2千の騎兵を要するバルバール軍だが、2千でも3千のブランの騎兵隊には劣勢。ならば、千で一撃を加えた後、小回り良くブランを引き回す方が効率が良いと思われたのだ。
だが、初めの奇襲が失敗しては、単に千と3千の戦いでしかない。敵に突っ込めば、いくらブランがグレイスを無視しようとしても、戦わざるを得ないが、それではこちらの被害が大き過ぎる。
グレイスが馬をブランに寄せた。率いる両将の騎兵も近づいていく。両軍の騎兵の槍先が相手に向いている。グレイスはブランに顔を向け、相変わらず肩に戦根を載せている。ブランは虎牙槍を手にしているものの顔は正面に向けたままだ。
敵軍の騎兵同士が並走するという奇妙な態勢のまま、北ロタ軍が包囲されている地点の手前まで進んだ。グレイスが手綱を右に引き一気に距離を詰めた。後続もそれに続く。だが、ほぼ同時にブランは手綱を左に引いていた。
戦根の柄を最大限に長く持ち遠心力も加えた一撃。ブランが柄の中頃で受ける。痺れた腕で、切り返す。受け流された。虎牙槍が戦根の柄を削り不快な音が鳴った。
その一撃で両者は離れた。後続の者達もぶつかり合い、数で勝るブランの騎兵隊がバルバール騎兵をはじき返した。だが、バルバール騎兵が執拗に追う。追いすがられブラン達の速度が落ちた。その前に、新手のバルバール兵が立ち塞がった。
ここまで台地に近づけば、他のバルバール兵の加勢を望めると計算してのグレイスの突撃だ。だが――。
「やはり、この程度では止まらんか」
グレイスが憮然と、だが、どこか楽し気に呟いた。バルバールの将としては面白くない状況だ。だが、騎士の心が強敵の活躍に称賛を送っていた。
確かに速度は落ちた。だが、止まらない。ブランを先頭にバルバール兵を蹴散らし進んだ。日は、既にほとんど落ちている。包囲されていた北ロタ軍も最後の力を振り絞り脱出を試みる。ブランはその地点を正確に見極め外からもこじ開けた。四方から攻撃されていた北ロタ兵は、絞り出されるようにその一点から噴き出した。その勢いで退路を広げていく。
「ディアス総司令。包囲を突破されました」
副官の報告にディアスが頷いた。
「戦果は十分だ。追撃は台地の峰まででいい。後は、包囲に取り残された者を確実に打ち取れ」
「はっ。降伏する者は、如何致しましょうか?」
ディアスは少し考え答えた。
「勿論、降伏は受け入れるように」
峰から駆け下りた後の最後尾はブランが引き受けたが、敵の追撃はなかった。だが、グレイスがバルバール騎兵を率いて先回りして北ロタ本隊とブランの騎兵隊との間に割って入った為、ブランは入城する事が出来なかった。戦えば蹴散らす事も可能だったが、バルバール軍は自重し追撃はしないとしながらも、松明を手に慎重にこちらに向かっては来ている。ここで手間取れば、今度はブランが敵に包囲されてしまう。
しかも、一旦は通り過ぎる動きを見せたバルバール軍が、そのまま王都を囲んでしまったのだ。やむを得ず、ブランらは、当初の予定通り、場外でバルバール軍を牽制する事となったのである。
状況としては、当初の計画に落ち着いたが、計画通りでない部分もある。
「城の戻れたのが3千……だと?」
あまりの被害の大きさにリュシアンは愕然とした。
「はい。それも、負傷兵を入れてです。半数以上の兵が城に戻れませんでした」
余程の大惨敗でも、兵の半数が死ぬ事などない。おそらく、ほとんどの者は捕虜になるか、恐れをなして城にも入らずどこかに逃げ散ったかだ。それでも、多くの者が命を失ったのには違いなく、戦力として見た場合、その違いはない。
「3千……」
絶望のつぶやきを漏らした。口に出す度に、その現実がリュシアンの両肩に重くのしかかる。
ディアスは、初めからこちらに打撃を与えてから攻城を始める気だったのか。いや、おそらく二段構え。俺達が追いかけねば、そのまま皇国軍の背後に回っただろう。出てくれば叩けばいい。どう転んでも奴の手の平の内だったのだ。
軍略は魔法ではない。無から有を作り出す事は出来ない。出来るのは、手品のようにそうと見せかけるだけだ。だが、物理的に城を防御するには5千の兵が必要なのだ。見せかけではなく、実体としての5千。
「3千……」
再度、呟いた。




