第262:投資
その日、シルヴェストル公爵は、新たに建設する商業都市予定地の視察を行っていた。騎士としての修練は積んでいない彼だが、乗馬は貴族の必須技能。まだ整備されていない草地を危なげなく進んだ。
傍らに居るのは公爵の軍事顧問で、公爵と同名のジル・エヴラールだ。警護を兼ねる彼は公爵の左後ろで周囲に目を光らせている。無論、護衛が彼1人という訳ではなく、多くの者が遠巻きに周囲を警戒している。公爵の右側には、工事責任者のペルグランが馬を寄せ計画を説明していた。
「サノス山を削り、馬車3台が並べる大街道をこのドレードまで延ばし、ラマソンからサンケルクに流れている物の流れをこちらに引き寄せます。更にトロス渓谷に40サイト(約34メートル)の吊り橋をかけます。それより、ルブールからの物もこちらに流れるでしょう」
「うむ」
公爵の計画は、今まで分散していた物流を一ヶ所に集めて地域を発展させる。いわば一極集中主義だ。無論、ドゥムヤータ全土の物流を一ヶ所に集めるのではな。ドゥムヤータを幾つかの地域に分け、それぞれに地方都市を建設するのだ。物が集まれば人も集まる。各地域は、その都市を中心に発展するだろう。
「しかし、このような政策を行えば民も集中します。農村部に若い働き手がなくなるのではないですか?」
一通り説明が終わり、更に馬を進めていると、思い切ったという表情でペルグランが問うた。計画を任せられている彼だが、突き詰めて考えるほどに疑問が首をもたげて来たのだ。
「なに。地方との街道も整備する。そうすれば移動も容易になり地方も潤うだろう」
「その整備の金はどうするのですか?」
公爵に直訴するだけあってペルグランの憂慮は深い。公爵の返答も彼の不安を払拭するには足りなかった。
「勿論、この都市で稼いだ金でだ。その地域で得た利益で、その地域を潤す。理にかなった話ではないか」
「ですが、永遠に街道を作り続ける訳にも参りませぬ。いずれ頭打ちになるのではないでしょうか」
勿論、街道を作るだけが政策ではない。ペルグランもそれが分かっていての発言だ。どんな開発にも限界はある。
「そうだな。80年ほどで頭打ちになるだろうと私も予測している。その時には大問題になっているかも知れぬな」
「な、ならばなぜ!? 破綻すると分かっている政策をなぜ進めるのですか」
「破綻というほどでもなかろう。そこで行き詰るという話だ。それに80年先というのも、このまま何事も起こらず平和が続けばだ。50年後に大乱が起きるかも知れず、その時に手を打てるだけの力を蓄えておくべきだ。80年後に問題が起こるからと細々と暮らしていては、いざという時に何も出来ぬ」
とはいえ、既にランリエルと皇国との戦いは始まっている。その状況で、大乱が起こるかも知れず。とは暢気なものとも取れるが、ランリエルへの加担を取り止め中立を守ると決めたドゥムヤータに取っては他国の戦争だ。それに、この計画はそれより前から進められていたもの。
事業というものは始めるのも大変だが、止めるのも簡単ではなく、再開するのも労がある。この期間は仕事があるとして集めた人員を不要となったからと放り投げ、やはり必要になったからと、もう一度声をかければひょこひょことやって来る。そんな簡単な話ではなく、余程でなければ中断するものではない。
「ですが、平和が続けば問題になるのも事実です。その時になって、やらなければ良かったと悔やむかも知れません」
「いかなる隆盛極めた産業も時が来れば廃れ、また新たな産業が興る。5年、10年の話をしているのではない。80年あれば、別の産業が興り状況も変わり得る。そしてその責任まで、私は負う積りはない。私の次やその次の世代が負う責任だ」
「そ、それは、まあ……」
ペルグランは頷きつつも納得しかねるようだ。永遠に有効な政策など夢物語。どんな政策も寿命がある。だが、永遠に続くはずがない。と、破綻するのが分かっている。は、別ではないのか。
「なに。私も、何も手を打っていない訳じゃない。ただ、まだ形になっていないので計算に入れていないだけだ」
この国にはドゥムヤータ胡桃という特産品があるが、それで国全体が潤うものではない。公爵は、他の大陸からも様々な作物の苗や種を仕入れ、各地で試験的に栽培を行わせている。その栽培に成功し、金になれば農村部にも人は集まるものだ。
それで地方にも雇用が産まれれば、80年先の破綻が100年先になるかも知れず、更に産業を興せば120年先。130年先になる。公爵の次やその次の世代の為政者も、怠らずそれを続ければ結果的に破綻せずに済むのだ。
その夜、シルヴェストル公爵は付近の町の有力者の屋敷に泊まった。街道が開通すれば町は大いに潤う。いや、既に土地の値段はうなぎ登りだ。計画が発表される前は水の手もなく痩せた畑で細々と暮らしていた貧しい農夫が、その乾燥した土地が蔵を建てるのに適していると高値で売れ、今では悠々自適の生活をしているという。
町の有力者となれば、それよりも遥かに莫大な利益を得る。そして町長ともなれば更にだ。彼は次期町長の座を狙ってた。そして、シルヴェストル公爵もあえて現町長からの招きを断り、彼の屋敷に泊まったのだ。
町長よりも、町長にしてやった男の方が扱いやすいのは自明の理。しかも、さほど労を要する訳でもない。ただ彼の屋敷に泊まる。というだけで彼は公爵の後ろ盾があると認識され、公爵に逆らってはこの程度の町は簡単に吹き飛ぶと民が勝手に恐れて彼を町長に推戴するのだ。
晩餐では、屋敷の娘も同席した。黒髪の中々の美女ではあるが、社交界であまたの美女の誘いを受け目の肥えた公爵には、町で5、6番目の容姿を財力で高価な化粧品を使って町一番の美女に押し上げた。というのが透けて見えた。
娘は父に促され、盛んに公爵に話しかけたり世話を焼こうとし、公爵も毎度の事と社交辞令として愛想よく受け答えた。そして、夜になれば公爵の寝所に忍んで来る。かと思えば、意外にも公爵の部屋ではなくジル・エヴラールの部屋に現れる事が多い。
「実は、父から公爵様のところへ行けと申し付けられたのですが、貴方様に恋焦がれ、思わず貴方様の元へと足が向いてしまいました」
とやってくるのだ。
初めは娘の気持ちを素直に喜んでいたジルだが、こういう事が何度も続くと彼も察してくる。
いくら隠しても公爵の態度が素っ気ないと感じるのか、それとも、公爵が町の有力者の娘など相手にしないと向こうも分かっているのか、狙いを公爵の有力な部下であるジルに標的を変えてくるのだ。そして事実、公爵の部屋に向かった娘は残らず追い返されていた。
公爵も聖人君子ではなく一夜の戯れで済めば良いが、万一娘が懐妊などすれば後々面倒だ。たとえ男子を産んだとしても田舎の有力者の娘など正妻には出来ないが、無碍にも出来ないのも事実。初めから面倒の種を撒かないのが正解だ。
夜が明け朝食になると、また娘が同席したが、やはり何かと公爵に接触するのだが、時折、ちらりとジルに目線を送る。公爵が思わず苦笑を浮かべジルに顔を向けると、彼も苦笑を浮かべていた。
父の命令で公爵様のお傍に侍っておりますが、心はジル様にあるのです。という演出のようなのだが、彼等に取っては毎度の事なので苦笑するしかないのだ。
尤も、若い女性の中には、武官、というものに憧れる者も少なからず存在し、本当に父の命令に逆らってジルの部屋に向かった女性も今までに何人かいた。それを彼等が見抜けず、今回の娘は中々迫真の演技だったな。と、彼等が評論したとしても、それを責めるのは酷だろう。
今回の娘は、少し演技が下手だった。ジルに焦がれているにしては公爵に媚びを売り過ぎていた。父親にジルの方に行けと言われてそれには従ったものの、やはり公爵に見初められたいという気持ちがあったのだろう。
その後、屋敷を辞した公爵一行は、せっかくだからと予定を変更して作業現場を遠望できる場所を通る為に少し遠回りしてドゥムヤータ王都を目指した。視察の時は公爵の神経を散らさないように遠巻きにしていた護衛の兵士達も、この時は公爵の周囲を固めている。
「作業は順調のようだな」
「はい。計画より2000サイト(約1.7キロ)は、進んでいるようです」
その後、改めて王都を目指す一行の後ろから声が聞こえた。何事かと思いながら進んでいると、公爵様! と叫んでいるのに気付いて一行は足を止めた。暫くすると人馬共に汗だくとなった男が公爵の前で馬を降りて跪いた。
「お探ししました。聞いていた帰路に向かったのですが、公爵様と出会えぬままお泊りであった屋敷に到着してしまい、公爵様が予定を変更したとお聞きして急いで追ってきたのです」
「それは、すまなかったな。しかし、それほど急ぐとは、いったいどうしたのだ?」
「はっ。ランリエル王国沖にて皇国艦隊とランリエル艦隊が決戦。ランリエル艦隊が勝利したとの事です」
「な……に? バルバールに裏切られたランリエルは、コスティラ艦隊らも参戦できず、皇国艦隊の半数以下という話ではなかったのか?」
「それが……。バルバール艦隊とコスティラ艦隊が戦場に現れ、ランリエルに助勢したらしいとの事で御座います」
選王侯らも情報収集には力を入れているが、情報の伝達手段が発達していない時代だ。第三国の者が情報を得るのは並大抵の事ではない。ましてや、海上の戦いに報告は正確性を欠いた。
「バルバールが……」
それが本当ならば、バルバールが裏切ったというのはサルヴァ王子とフィン・ディアスの策略なのか。それとも、結局は裏切ったバルバールがランリエルに帰参したというのか。
「お主から見て、戦局はどうなる?」
公爵は同名の軍事顧問に意見を求めた。付き合いも長く親しい間柄ではあるが、自分と同じ名を呼ぶ気にはなれず、公爵がジルの名を口にする事はあまりない。
「経緯はともかく現時点で分かっているのは、今はバルバールはランリエルと共にある。という事と、テチス海の制海権はランリエルが握った。という事です。ですが、テチス海の制海権は、皇国が取ればランリエルに致命的でしたが、ランリエルが得ても、それはランリエルの安全が確保されたに過ぎず、皇国にとって脅威ではありません。勝敗は、やはり陸戦にかかっていますが、前回の戦いとは違い戦線が拡大している。戦いは長期戦になると思われます」
前回は戦力を集中しての決戦だった。しかし、今回はコスティラ王国国境を双方の軍勢でびっしりと埋めるような陣地戦になっている。
そのような状況で、一部が敵の陣を食い破って突破して外部との連携が上手くいけば敵の全線崩壊の契機となるが、下手をすれば敵中に孤立して殲滅の憂いすらある。自然、慎重にならざるを得ないのだ。
その意味では、ドゥムヤータには考える時間が十分にある。シルヴェストル公爵は思案しつつ、必死で駆けて来た男が苛立つほど、ゆっくりとした足取りで王都を目指したのだった。
王都に到着した公爵を待ち構えていたようにフランセル侯爵からの使者がやって来た。公爵は旅塵を落とした後、すぐにフランセル侯爵の屋敷に向かうと、既に他の選王侯達も集まっていた。とはいえ、顔を揃えたのは公爵を含めて6人のみ。4万の軍勢を率いてブランディッシュに駐屯しているリファール伯爵の姿は見えない。
「シルヴェストル公爵に早馬を出した後にも情報を集めていたのですが、やはり、バルバールは初めからランリエルと一芝居打っていたようです」
「ほう」
公爵が思慮深げに頷いた。それは、単にバルバールとランリエルが皇国の裏をかいた。というだけに留まらない。一度これをやれば、今度は本当に裏切ります。は通じず、皇国に裏切るという目はほぼ無くなった。フィン・ディアスがランリエルの勝算高しと見ている証だ。
「その上で、我等はどう動くか。ですな」
リンブルク王が実はランリエルの士官であり、それが露見してゴルシュタットは皇国陣営へと流れた。その時点で、そのような秘事をこちらに連絡せずに手を組もうとしたのかとランリエルに抗議し、ドゥムヤータは中立を守っている。
「ゴルシュタットという要素をおして、なお、あの利に聡いフィン・ディアスがランリエルに付いた。これは、考慮すべき事案かと思われますが」
意見を求めるようにフランセル侯爵の視線が選王侯達を一巡した。
選王侯による合議制で運営するドゥムヤータの欠点は、全軍権を担う人材がいない事だ。国王という大権力者に任命されて総司令を置くのがこの大陸の通常の軍制だが、同格の7人では、その軍勢を誰の手の者が握るかが問題となり、結局は、国軍、貴族達を地域毎に7分割して、それぞれの選王侯が纏めている。今回、リファール伯爵が4万の軍勢を率いているが、それでも’軍の方針’は、選王侯達が協議した。
軍事顧問としてジル・エヴラールを傍に置くシルヴェストル公爵は、比較的軍事に重きを置いているといえるが、それでも参考にする程度で決定は自らが行う。それに、ジルの進言を己の得意なものに置き換え租借する知恵が公爵にはある。
「確かにバルバールの動きは無視できない。それによる皇国艦隊の壊滅もランリエル有利との印象を受ける。ですが、決定的。ではありません。判断するのに、もう一押し欲しいところです」
「そのように悠長に構えていられるものですかな?」
「今、皇国もランリエルも戦線を広げ、これは、お互い複数の商売で争っているようなもの。どこか一つで損失を出しても、他のところで補える。そう簡単に破産したりはしません。余程、大きな損失でなければね」
「その大きな損失が出るのを待つと?」
「そこまでは。ですが、その予兆は掴みたいですな」
日和見的な話だが、実際、彼等は当事者ではない。本来、中立で良いところをサルヴァ王子の誘いがあっただけの話だ。ランリエルに賭ければ利益があると投資話を持ち込まれたのであり、元本割れしそうならば投資を中止するのは当然である。
勿論、皇国将兵もランリエル将兵も命を賭けて戦う。それを金銭で勘定するのかと問われれば、そうだ、と答えるのがドゥムヤータだ。
「俺は命を賭けているんだ!」
と、今にも潰れそうな工場の主が、だから融資をしてくれと血走った目で訴えても、知るか馬鹿。と答える。こちらが依頼した仕事で大変だというのならまだしも、ランリエルに戦ってくれと依頼したのではないのだ。投資をして欲しいならば勝算を示すべきであり、それはランリエルの責である。
結局、シルヴェストル公爵の主張通り、もう暫く情報収集をしながら様子を見る事となった。選王侯達は、それぞれの馬車に乗り帰路に着いたのだった。
だが、シルヴェストル公爵のいう、ランリエルの一押しは思わぬところからやって来た。しかも、皇国にではなく彼等を直接押しに来たのだ。
選王侯の会議から数日後、ドゥムヤータ王国王都ジョバールの東方、13ケイト(約110キロ)の距離にフィン・ディアス率いるバルバール王国軍が現れたのである。




