第255:更なる怒り
ランリエル海軍提督ガルヴァーニは苦悩していた。
バルバール艦隊約110隻。40隻余のランリエル艦艇が徴集されたとすれば、合わせて150隻。ランリエル、カルデイ艦隊288隻とは倍近い差だが、率いるのは名将ライティラ。油断は出来ぬ相手だ。そして、西にバルバール艦隊があれば、東からは皇国艦隊700隻。
陸戦でも側面、背後からの攻撃には弱いが、海戦では、それが更に顕著だ。巨大な軍艦は即座には方向転換出来ない上に、攻撃手段たる衝角は船首にある。全速力で逃げるところに後ろからぶつけられても一撃で転覆するほどの被害はないが、一方的に攻撃されるのも事実であり、何度もぶつけられては流石に船体に穴が開く。
更に後ろだけではなく前方も押さえられれば、挟まれた艦艇は進退窮まり右往左往するしかなく、その混乱がますます被害を大きくする。
ランリエル側が、その挟み撃ちを回避する為に艦隊を東西に分けるとしても、唯でさえ劣勢な皇国艦隊に対して、更に数量的不利を招く。ならば取るべき道は一つ。
「皇国艦隊が拠点を構築している間にバルバール艦隊を叩く!」
ガルヴァーニは決断した。
かつて、その実戦経験の差からランリエル艦隊は、バルバール艦隊の1.5倍の数を揃えてやっと互角。そう言われていた。外部からだけではなくランリエル側でも、それだけの差があると自覚していた。しかし、ランリエル艦隊もそれから実戦と訓練を重ねている。現在では、そこまでの差はないはずだ。それに、バルバール海軍は、コスティラ艦隊を内海に閉じ込める為に戦力を割かねばならない。更に差は広がり、十分に勝算はある。
数が倍ならば、万一、バルバール海軍が奮戦しランリエル艦隊と互角に戦いえたとしても、お互いに3分の1づつ被害を出せば、その時点での戦力比はほぼ2倍となる。
戦いとは最後の一兵まで戦意を失わず戦えるものではなく、そこまでの差が開けばバルバール艦隊は総崩れとなるだろう。多く見積もっても3分の1の被害でバルバール艦隊を叩ける計算である。そして、反転して皇国艦隊と対決する。
問題は、200隻程度にまで減ったランリエル艦隊で、皇国艦隊に勝ち得るだろうか。という事だ。
無理だ。どう考えても200隻で700隻に戦いを挑むなど無謀ともいえない。だが、守勢に徹すれば……。
港の出入り口を固めて要塞化し艦隊を温存する。艦隊さえ残せば、敵の上陸作戦への牽制になる。勝てぬ海戦を挑み全滅するよりはマシだ。消極的なようだが、現実的な作戦である。
ガルヴァーニは、その作戦を協議すべくカルデイ海軍提督ハルフテルを招いた。カルデイ海軍を統括する人物であり、階級的には同格だが、ランリエル皇帝に就く前のサルヴァ王子が肩書きとしてはランリエル王国軍総司令でしかないにもかかわらず、ランリエル派諸国の総司令達を統括していたように、実質的にガルヴァーニが彼の上に立つ。
とはいえ、サルヴァ王子と違い、ガルヴァーニにそこまでの権勢はない。ハルフテルに対しても、少し上程度の立場としての礼節を守っている。部屋に入って来たハルフテルへ親しげに右手を差し出した。
ハルフテルはガルヴァーニより僅かに背が低く、横にはかなり太い。とはいえ、肥満しているのではなく逞しいと称すべき類のものだ。潮風に焼かれて茶色くなった髪を短く切りそろえ、日に焼けた外見まで逞しい印象を与える。応じて差し出した右手も指の先まで太く逞しい。
「わざわざ、御足労、申し訳ないハルフテル提督。作戦が決定しましたので、お伝えしようとお招きしました」
「おお。作戦が決まりましたか。勿論、バルバール艦隊を討つのでしょうな」
ハルフテルがガルヴァーニの右手を力強く握りながら言った。言葉は一応丁寧だが、ガルヴァーニより10ほども年上な事もあってか遠慮ない態度だ。
ガルヴァーニがいう前に作戦を言い当てたハルフテルだが、これを持ってハルフテルがガルヴァーニより有能とは断言出来ない。彼も、有能であり理性的に物事を判断出来る能力はあるのだが、その選択の比重が僅差でAに傾きそうな場合、時に感情という重石をBに乗せて判断を逆転させる事があるのだ。尤も、繰り返すが僅差での事であり、感情に任せて無茶な選択をする訳ではない。
「いずれ奴らは裏切ると思っておったのです。前後から挟撃されては溜まったものではありませんからな。この機会に徹底的に叩きましょう」
ガルヴァーニが話す前にハルフテルが全て話してしまった感がある。どうやら少しせっかちな性格でもあるようだ。
「勿論、バルバール艦隊を叩きます。そして後顧の憂いを無くした後、皇国艦隊に対しては、決戦を避け、皇国軍の上陸作戦の阻止に戦力を集中します」
「聞きましたぞ。ガルヴァーニ提督の御友人達もバルバールの手にかかったとか。心中お察ししますぞ」
ガルヴァーニは内心ギクリとした。ガルヴァーニ自身には私情を挟んだ積りはなく、冷静に計算しての結果だ。だが、傍から見れば私怨を持って戦いを挑もうとしているように見えるのだろうか。
青臭い者ほど、言いたい者には言わせておけ。分かる者には分かるはず。と、言い訳をするのを潔くないと言うが、実際、’分かる者’など世間には少なく、聞いた通り、或いは、理解したい通りに理解する者がほとんどだ。私怨を持って戦ったという方が話として面白い以上、そう理解する者が大半だ。ガルヴァーニは、やむを得ず弁解をせねばならなかった。
「決して、私情を挟んでの判断ではありません。あくまで戦局を見ての決断です」
「無論、分かっておりますとも」
何を分かっているのか。胸にもやもやしたものを感じながらも、ガルヴァーニはこの話を切り上げた。他に、話さなければならない事が山積みなのだ。
「それでは、バルバール艦隊との決戦の作戦についてですが、小細工はせず横列陣形での平押しで行こうかと思います」
「数の優位を前面に出した作戦ですな。ですが、相手はあの名将ライティラ。策無しで大丈夫ですかな」
やはり、ハルフテルも有能な男だ。バルバール憎しといえど、正当に評価をしている。
「名将ライティラが相手だからこそですよ。彼を相手に駆け引きをしようというのが間違っている」
大軍(この場合は大艦隊だが)に軍略なしという。数で大きく勝るならば、当たり前に戦えば勝つのだ。それに隠れる物もない海上での戦い。前面にいる相手の背後に密かに艦隊を迂回させるというのはほぼ不可能。下手に小細工しようとすれば、それこそ足元をすくわれる。
かつてのランリエル艦隊提督カロージオがライティラに敗れたのも、考え過ぎたからだとも言える。尤も、それは結果を知っているから言えるのであって、カロージオと立場を代えれば、ガルヴァーニは同じようにライティラに敗れ、カロージオは同じように、ガルヴァーニが考え過ぎたのだと断じるだろう。
「確かにそうですな」
ハルフテルが人の良さそうな笑みを浮かべ頷いた。
その後、陣形の担当部署なども決められ、カルデイ艦隊は右翼を任される事となった。とはいえカルデイ艦隊は精々20余隻。右翼と言っても、実際はランリエル艦隊右翼の更に右側に展開するに過ぎないのだ。
その後、ランリエル、カルデイ艦隊は、艦艇の整備などを準備を進めた。船底に船貝が張り付く為、定期的に落とさなければ船足が遅くなってしまう。皇国艦隊が近くまで来ているのにすぐに決戦を挑まないのも多数の輸送船団を連れている事もあるが、この整備が必要だという事情もある。
その意味では、皇国艦隊の整備が終わる前に戦いを挑んだ方が有利ともいえるが、いかんせんランリエル、カルデイ艦隊は300足らず。700隻を超える皇国艦隊との差を覆せるほどではなく、かといって皇国側とて勝てば損害は度外視というものではなく、万全の態勢で戦うべく準備を行っているのだ。
そして、皇国艦隊は数が多いだけにその整備に時間がかかる。その隙にバルバール艦隊を叩こうというのが今回の作戦だ。
数日後、艦隊の整備を終えたランリエル、カルデイ両艦隊は出港を待つだけとなった。後は、決戦の日を待つだけだ。戦うには相手の情報が必要。コスティラ艦隊をテルニエ海峡で封鎖しているので、その周辺で集結しているだろうとは予測しているが確実ではない。そう予測して全艦を率いて突進したところに各港に潜んでいたバルバール艦隊に後ろを取られる。となっては目も当てられないのだ。
足の速い小型船を十数隻放ちテルニエ海峡付近やバルバールの港を探らせている。とはいえ、流石にバルバール海軍の方が一枚上手。警戒が厳しく中々思うように情報が得られない。
そして報告を待つガルヴァーニの元に、放ったランリエルの小型艦からではなく、別の国籍の船がやって来たのだった。
「バルバールからの使者だと?」
「はっ。しかも、抗議の使者であると」
「何!?」
ガルヴァーニが目をむき驚いた。
「何を抗議するというのだ。使者は何だといっている?」
「それが、それについては閣下に直接お伝えしたいと申しております」
ガルヴァーニは舌打ちし、使者を司令部の一室に案内するように命じた。眼前に案内された使者は、少なくとも表面上は冷静に口上を述べた。
「現在、我がバルバールとランリエルとの間では、交渉がなされております。バルバール、コスティラ国境でも、バルバール、ランリエル国境でも、両軍は矢を番えず、剣を鞘に収め、戦闘はなされておりません。しかるに、ランリエル海軍は、我が領海に頻繁に船を出し、我が領海を侵しております。しかも、ランリエル艦隊の船首はバルバールに向いており、これは戦闘の意思ありとしか思えず、我が国と貴国との交渉を無視せんが行い。即刻、我が領海を侵すのを中止し、艦隊も解散して頂きたい」
使者の言い分には一理ある。道理的には正しい。だが、道理が通用するならば、そもそも戦争などしない。
「陸の者達も状況に困難を覚えているだろうが、それでも今日、明日が危機という訳ではない。だが、我が海軍の東からは、いつ皇国艦隊がやってくるかも分からぬ。その状況で、バルバール艦隊を放置すれば、いざ皇国艦隊がやって来た時にバルバール艦隊との挟撃を受けかねん。交渉中だからと悠長にしてはおれんな」
端的に言えば、敵対しそうだから倒す。という訳だが、そもそもバルバールが裏切ったから起こった事態であり、ランリエルに敵対するとの前提で行動するのも当然だ。
使者は、一瞬、困ったものだ。という表情を浮かべた。それが、ガルヴァーニの気に障る。
「実は、サルヴァ陛下からの書簡を預かっております」
「陛下から?」
「はい。如何にバルバールとランリエルとが争うのが、両国に不利益をもたらすかを述べられていると聞いております」
ガルヴァーニは意外に思い差し出された書簡を受け取った。今、ランリエル艦隊とバルバール艦隊が戦えば、交渉が決裂するので戦いを控えるように、という事であろうが、そんなものバルバールの時間稼ぎに決まっている。あの聡明な陛下が、それに気付かぬのであろうか。陸戦屋を自他共に認めるサルヴァ王子だ。陸の事情のみに目が行き、陸では皇国と対峙しつつバルバールとは戦えぬ以上、仕方がないのかも知れないが……。
「使者の前で拝見させて頂いてよろしいか?」
「はい。サルヴァ陛下の書簡をお読みになった上でのご返答を頂いてまいるように仰せつかっておりますれば、それは勿論で御座います」
ガルヴァーニは頷き、書簡の封を切った。読み進めると、どうしてバルバールと戦っては行けないかが事細かく書き連ねてあった。もしや、バルバールが偽造した書簡かとも疑ったが、最後にはサルヴァ王子の署名もあった。敵からの偽命令書が飛び交えば戦いどころではないので筆跡や署名の鑑定官は、軍隊には欠かせない。この場だけガルヴァーニを騙して言葉を引き出しても意味は無く、おそらく本物であろう。無論、念の為に後から鑑定はさせるが……。
だが、それにしてもこの内容は信じられぬものだった。ガルヴァーニが怒りの表情で耐えている。だが、命令は命令。ランリエル軍人として、どう行動すべきかは論じるまでもない。
「確かに……。陛下のお考えは承った。バルバールの領海に出している船を引き揚げさせよう。バルバール艦隊に対する戦闘行為も行わなぬ」
怒りの形相のまま、途中途中に歯軋りを交え答えた。冷静さを保っていた使者も、その様子に額に汗を滲ませた。
「そ、それは、よく御決断なされました。サルヴァ陛下も閣下の御決断をお喜びに成られる事で御座いましょう」
人は時に怒りに理性を忘れる。下手に刺激してサルヴァ王子の意思に反して交渉を決裂させ、使者を始末する事もありえる。それを恐れておもねった使者だったが、王子の名を出されガルヴァーニの眉間の皺が怒りで更に深く刻まれた。使者は更に額の汗の量を増やした。
「それでは、私はすぐに閣下の御言葉を一刻も早く、すぐに持ち帰らねばなりませぬので、私はこれで失礼致します」
使者は、奇妙な台詞を吐き逃げるように帰ったのだった。
使者が部屋から出ると、ガルヴァーニは人払いを命じ、もし、部屋の中から何か聞こえたとしても他言無用であるとも重ねて言い付けた。副官どころか従者まで部屋から追い出し一人になった。
「ふざけるのもいい加減にしろ!」
思いっきりテーブルを蹴り飛ばしたが、その蹴った足の痛みほどにテーブルに損傷を与えられず、割に合わないのが分かると、今度は椅子を振り上げテーブルに叩き付けた。足より堅い樫の椅子はテーブル板を割ったが、椅子自体も粉砕され破片を撒き散らした。
「軍略か何か知らぬが、人の心を踏み躙るのも大概にしろ!!」
バルバール海軍との演習に参加した40余隻のランリエル艦。ガルヴァーニの友人も数多く参加していた。ジョルジ、グラマツィオ、ラウリート。その者達の身を案じ、しかし、ランリエル艦隊提督として私情を挟まず心を押し殺し理性を持っての決断。それを嘲笑うかのようなサルヴァ王子からの書簡。
皇帝に言いつけられては即刻、不敬罪で処罰されるであろう罵詈雑言を撒き散らし部屋を破壊し続けた。人払いを命じられつつも、呼ばれれば駆けつけねばならぬ従者は近くの部屋に控えていたが、懸命に耳を塞いだ。
ガルヴァーニが部屋を出たのはそれから半刻(一時間)後であった。その部屋は完全に破壊しつくされ、瓦礫の山と化していた。




