第253:予想された状況
タランラグラの大地は、かつて海の底にあった。それが数百年前の地震で海底が隆起し姿を現した。その後、遠く離れた大陸から船を奪って逃れて来た奴隷達が流れ着いて住み着いた。その大地は起伏が少なく水はけが悪い上に、雨も少ないので海水の塩分が抜けず、塩を吹いた地面は白く輝き作物が育たない。
更に数百年の時を経れば少ない雨でも自然に塩分も抜けるかと思われるが、そこまで気長に待てる者は居ない。その為、石を台形に積んで、その上に他の土地から運んできた塩分を含まぬ土を敷いて畑を作っていた。作物は僅かしか採れないが、他に漁などもして彼らは細々と生きてきたのだ。
それが、ランリエルと皇国との戦いに巻き込まれた。地理的にテチス海を挟んでランリエルの対岸にあるタランラグラは、ランリエルにとって喉元に就き付けられた刃。皇国に取られれば死命を制せられるとランリエル軍が動き、それに気付いた皇国も動いた。
その争奪戦に勝利したランリエルとタランラグラは同盟を結び、貿易なども行っている。とはいえ、現実、国力でも文化的にも差があるのも事実。ランリエルがタランラグラに対し物資は勿論、農業、漁業技術なども指導し、その代わりにタランラグラ全土にランリエル軍の監視所が建てられている。無論、皇国の動きを見張る為だ。
タランラグラの主な輸出品は塩である。塩分を多量に含む作物の採れない大地を逆手にとり主力産業とした。
通常、塩を獲るには浜辺に海水を撒き蒸発して薄い塩の層が出来たところに再度海水を撒いて蒸発させる。それを幾度となく繰り返して厚い塩の層を作って、それをかき集めるというものだが、タランラグラの大地はそれをするまでもなく塩の層だ。とはいえ、人工的に管理された塩田ではないので不純物が多く、そのままでは食用として使えない。上から海水をかけて濃い塩水にしてろ過して不純物を取り除くのだ。
そして、その副産物として塩が抜かれた大量の土が発生した。ランリエルの農業技術者は、その土が増えていけば将来的にはタランラグラでも作物が採れるようになるだろうと予測した。
その為、将来を見据え塩を作るにも漠然と地面を掘り起こすのではなくランリエルの技術者の指導の元、計画的になされていた。一直線に深く掘り進み両側に塩を取り除いた土を山のように盛る。雨が降ると塩分の抜けた土を更に雨が洗い流し、しかもそれが地中に溜まらず溝に流れ落ちるので塩分が抜けるのが早まるのだ。
だが、問題がない訳でもない。ランリエルに近いタランラグラ北部の沿岸で始まった塩の生産事業だが、一直線に南に掘り進んでいるので、港を建設した沿岸からは遠ざかる。生産した塩を運搬する労力が増加していったのだ。草木も生えぬタランラグラで労力となる牛や馬は飼えない。全て人力で成すには大変な作業だ。だが、やらねばならない。
人力で大量の物資を運ぶ手段といえば船舶である。掘って作った溝を海と繋げ水路とした。屈強なタランラグラ人が掘った溝は30サイト(約26メートル)に達し、筏程度ならばすれ違う事も可能だ。塩分を抜く為の溝に海水を満たせては塩抜きの効率が悪くなりそうではあるが、全てを満足させる解決策は望めない。ある程度の妥協は必要だ。
そのタランラグラ南部の海にバンブーナの港を拠点としていた皇国の大艦隊が姿を現した。細長い艦影を持つ軍艦700余隻。その後ろにそれを上回る数のずんぐりとした輸送船団が続く。
タランラグラ最南端の監視所に詰めていたランリエル兵は、その光景に度肝を抜かれしばらく呆然とした。
は、早く本国に知らせなければ!
そう思い立ったのは、皇国艦隊の多くが眼前を通り過ぎてからだった。実に四半刻(30分)も呆然としていたのだ。タランラグラの白い大地と同化するように偽装された監視所の中に居なければ皇国艦隊に見つかり、上陸した皇国兵に切り殺されていただろう。
早く行ってしまえ!
茫然自失から復帰すると、今度は逆に時間が流れるのが遅く感じた。更に半刻が過ぎ、やっと皇国艦隊が通り過ぎると、このタランラグラでは人間の食料より貴重な飼葉を与えられ肥え太った馬に跨った。
見渡す限り同じような風景が続くタランラグラだが、現在では一直線に並んだ塩田が目印となる。それに沿って進み、途中の番屋で馬を乗り換え更に駆ける。タランラグラ北端の港に到着した彼は、港を管理する総督に皇国艦隊の来訪を伝えてランリエル本国にも連絡して貰い、自身は更にサルヴァ王子がいるコスティラへと向かったのだ。
遂に来たか!
それを予想していたサルヴァ王子にも緊張が奔る。
皇国に大艦隊が存在するのは以前から分かっていた。倉庫にしまえるものではなく隠しようがないものだ。ある程度の数は誤魔化し得ても大艦隊は大艦隊。それに実際より少なく見せるという考えは皇国にはない。このような大艦隊を持つ皇国に逆らう勇気があるか! と、恫喝するのが皇国。
それに対し、こちらはランリエル海軍は勿論、バルバール海軍、コスティラ海軍、小規模なカルデイ海軍まで含めても戦艦の数は500に満たず、数的劣勢は免れない。救いがあるとすれば、こちらには実勢経験豊富なバルバール、コスティラ両艦隊がいる事と、地の利がある事だ。
とにかく諸将を集め対策を取らねばならない。サルヴァ王子が各国の軍首脳を招集すると、すぐにそれぞれの総司令以下幕僚達が集まったが、コスティラ軍総司令ベヴゼンコの姿が欠けている。彼は、コスティラ西部で敗残兵を収容して軍を再編し、ゴルシュタット軍の進行に備えていた。
サルヴァ王子としては、ランリエル陣営の全艦隊を総督する事となるバルバール王国海軍提督ライティラの意見も聞きたいところだったが、現在、彼は北ロタを海上から牽制する為に招集出来なかった。
現在、皇国の艦隊はどこまで到達しているのか?
軍議が始まると、まずそれが確認された。それを説明するのは陸戦屋を自認するサルヴァ王子に助言する為に配属された海軍将校だ。背の高い顔の黒い若い士官が書類を読み上げるが、雲の上の人物達を前に声に緊張がある。
「早くてタランラグラの最東端に達しているかどうかと推測されます」
「その根拠は? 船足を考えれば、もう少し進んでも良さそうなものと思われるが」
情報の確度に拘るのはギリスだ。読みに長けた彼だけに、その元となる情報は正しくあらねばならない。
「我が方の軍艦が全速力で航行し続けたとしても更に十数ケイト先に進めるのですが、今回、敵は多くの艦艇を動かしています。衝突の危険を考えれば、自然、速度は制限せざるを得ません。また、タランラグラの最東端を越えてこちらに近づいて来ても、多数の輸送船を伴っていると考えれば、タランラグラ北部、おそらく東北部のどこかに拠点を建設し、一旦、態勢を整えるものと思われます」
「なるほど」
ギリスが頷いたが、そこにテグネールが手を上げ、促されて発言した。参加者中、最年長にもかかわらず言葉は丁寧だ。
「どうして皇国艦隊は拠点を建設すると予測でき、しかも北部ではなく東北部なのですかな?」
「はい。まず、拠点を建設するであろうという予測についてですが、軍艦の数に勝る輸送船との報告ですので、その輸送船に満載されているのが上陸作戦の兵員であれ、長期戦用の膨大な食料であれ、来るべき我らが艦隊との決戦時には戦闘に参加しません。そして、万一の暴風雨などの危険を考えれば、何処かに停泊するはずです。そして、それだけの輸送船を設備のない海岸に付けるのは困難ですので、何処かに拠点を構築するはずです」
「なるほど」
「次に、なぜタランラグラ北部ではなく東北部なのかですが、タランラグラ北部には我がランリエルの拠点があります。その攻略に手間取れば我らの艦隊に輸送船団が狙われる危険があります」
そして、ランリエルの拠点からの妨害も避けるとすれば、ある程度、東よりになるはずだ。無論、皇国艦隊がその危険に気付かず北部のランリエル拠点を攻めるならば、こちらはその隙に輸送船団を狙う作戦を現実のものとすればいい。
テグネールが再度、なるほど、と頷き、ギリスも小さく頷いた。彼にとっては聞くまでもなく推測出来るものであったが、それでも推測通りであったと満足したようだ。
皆の頭に状況が染み込んだと判断したサルヴァ王子が口を開いた。
「皇国がその拠点を築く前に攻めたいところだが、我が方の状況を考えれば叶わぬ望みだ。皇国が拠点を建設している間に各国の艦隊を集結し、これに当たる」
「はっ」
各国の総司令、幕僚達が頷いた。
「各国の提督達は、指揮下の艦隊を率いてバルバール王国海軍のライティラ提督の指揮下に入る」
各国の艦隊が連合し連合艦隊となり、ライティラは連合艦隊司令官という訳だ。
「短期決戦か、長期戦かはライティラ殿に一任したいところであるが、現実、我らの立場からすれば短期決戦が望ましい。ライティラ殿にも、そう伝える」
皇国艦隊がテチス海に存在する。それだけで脅威となる。テチス海にはランリエルは勿論、カルデイ、バルバールが長大な海岸線を持つ。皇国艦隊の上陸兵に備えるには、その海岸線に膨大な兵力を貼り付けざるを得ないのだ。
当然、皇国艦隊が存在するなら、こちらには連合艦隊が存在する。そう簡単には皇国兵を上陸させないが、その危険がある。というだけで、多大な負担となるのだ。皇国艦隊を撃破し、後方の安全が確保されないとコスティラ国境で皇国軍と対峙する兵士達の士気にもかかわる。
ライティラに短期決戦を命じ、勝てれば良いが負ければどうするのか。参加者の中には、そう考える幕僚達も居たが、それを問うのは控えた。総司令級の者達が発言を控えている為、自分程度の者がと気後れしたのだ。
総司令達にも同じような懸念を持つ者は居たが、総司令の責務を担う者だからこそ、ライティラに自由な裁量を任せるほど各戦線に余裕がないのも理解している。
多くの者が発言を控える中、バルバール王国軍総司令フィン・ディアスが手を上げた。
「現在、ロタ沖には我が軍が海上より北ロタを牽制しておりますが、艦艇を引き上げるならば彼等も引き上げさせて頂きたい。島に取り残されては指揮を執るカーニックも進退窮まります」
陸戦兵力は輸送船で上陸するが、小国北ロタとて、軍艦は皆無ではない。船舶無しに島に兵員を置き捨てられては、補給を断たれ干上がってしまう。
「勿論だ。カーニック殿にも、ご苦労だったと伝えてくれ」
「はっ。必ずや私の口から陛下のお言葉をカーニックに伝えまする」
ディアスが深々と一礼した。社交辞令を大真面目に受け取るとはと、幾人かが奇異の視線を向ける。
「それでは、任務に戻ってくれ。ご苦労だった」
サルヴァ王子が言うと全員が起立し一礼した。王子は座ったままそれに応じると立ち上がって退席した。緊張していた者も多かったのか、出席者達から幾つかの弛緩の溜息が漏れた。
皇国艦隊の出現は、確かに大いなる脅威だが、実際、コスティラ方面で皇国軍と対峙する彼らの任務とは係わりがない。今日の軍議も、事前に決められていた内容の告知でしかなく、各国の海軍に向けてこういう命令を出す。という報告会と言える。
彼らは無責任でも楽観論者の集団でもないが、各部署に戻っても昨日までと何が変わるものではなく、配下の将兵を監督し皇国軍との対峙を続けるのだ。いつもと同じ毎日を送ればいい。今日も明日もその先も。戦局が動くまではだ。
だが、その中でいつもと違う行動をする者がいた。軍議から数日後、ランリエルの陣を騎士の一団が駆け抜けようとした。数名の騎士が1人の男を取り囲んでいるので、真ん中の男が最高位のようだが、身に付ける甲冑は極ありふれた物で、外見だけを見れば男を取り囲んでいる騎士達の方が身分が上に見えるほどだ。
とはいえ、好きに陣を通過出来るものではない。陣門を抜ける時に門番から誰何を受けた。身分が高そうな相手に当直の兵士も対応が丁寧だ。
「これも役目で御座いますので、どうか御気分を害さぬように。所属と氏名。陣を離れる理由をお聞かせ願いたい」
「バルバール王国軍総司令フィン・ディアスと申す。サルヴァ陛下の命で、我が軍の将であるカーニックに陛下からのお言葉を伝えに参るところだ」
「フィ、フィン・ディアス閣下、御直々にで、御座いますか!?」
門番は目の前の男が高名なバルバール王国軍総司令と知り驚いたが、その総司令が伝令のような真似をするのに更に驚いた。
「陛下から、そう命じられたのだ。何ならお主の上官に問い合わせて頂いて構わぬ。先日の軍議に出席された方ならご存知だろう」
「はっ。で、では」
とはいえ門番の上官程度が高級士官だけが参加する軍議に出ているはずもない。結局、その上の上の、更に上の上まで問い合わせた。そうは言っても待たせているのはフィン・ディアスだ。兵士は全力で走り回り、その上の上の、更に上の上まで問い合わせたとは思えぬほど短時間で帰って来た。
ディアスの周りには、駈けずり回る兵士から話を聞いた上官達が、この機会に高名なフィン・ディアスの既知を得ようと取り囲んでいる。兵士の苦労も知らず、媚びるような笑みを浮かべてディアスに話しかけていた。
「お、お待たせいたし、申し訳御座いません」
兵士は汗だくである。
「遅いぞ! ディアス殿を待たせるとは何たる事だ!」
と上司が怒鳴る。
「も、申し訳御座いません。確かに、軍議にて、そのような話があったとの事で御座いました」
「そうであろう。ディアス殿。お手間を取らせて申し訳御座らぬ」
「いや。確かに私が伝令のような役目で陣を離れるのは異例。不審があれば確認するのが任務。たとえ相手が他国の総司令であろうとも、その任務を疎かにせぬは称賛に値しましょう。バルディ殿は、良き部下をお持ちだ」
「は、ははっ。勿体なきお言葉で御座います」
兵士は感激し、その上官も、名前を覚えて貰い上機嫌だ。
「では、先を急ぎますので」
ディアス等はそういうと馬に跨り、馬上で更に手を振ると颯爽と駆けた。その後ろでは、彼等の姿が見えなくなるまで兵士が手を振っていた。
だが、ランリエルの陣から姿を消したのはディアスだけでは無かった。彼が率いるバルバール軍は、コスティラ国境でも海岸線に近いところに布陣していたのだが、その軍勢が忽然と姿を消したのだ。
「どういう事だ!?」
各国の士官達は騒然となった。数万の軍勢が煙のように消え失せるなどあり得ざる事だ。無論、目の前で瞬間的に消えたのではない。各国の軍勢がコスティラ国境を固めているといっても、実際は、途切れなく陣柵が連なっているという訳ではない。必要があれば伝令が行きかう事もあるが、お互い軍勢の姿を見ぬ日もある。だが、それでも持ち場から動けば目立つはずだ。バルバール方面に撤退するなら、どうしても後方に陣を張るランリエル軍の目に触れる。ディアスとて、それで門番に止められたのだ。
事情の説明を受けに使者がバルバールへと奔った。だが、使者は事情を問いただすどころかバルバール国内に入る事すら出来なかった。コスティラとバルバールを隔てる険峻な山脈にバルバール軍旗が無数にはためき行く手を阻んだのである。




