第251:取捨選択
コスティラ軍敗退の報がランリエル本陣に伝えられると、多くの者は我が耳を疑った。物事に冷静なディアスやギリスですら、間違いないのか? と、問うたほどである。
サルヴァ王子やディアス、ギリスらも将兵からの信頼は篤いが、負けるところが想像出来ない、という感覚的な雰囲気をベヴゼンコは纏っていた。
サルヴァ王子やディアス、ギリスとて、もし彼と戦っても負けるとは考えていないが、それでも正面決戦は避けたいところだ。じわりじわりと戦略的に追い詰め、地味に戦力を削っていくしかないと考えていた。
それが、その前の駆け引きがあったとはいえ一戦で多くの被害を出し敗退したのである。彼らが報告を疑ったのも無理はない。だが、その詳細を知ると、それでは敗退もやむ無しと思うと共に自身に置き換え戦慄した。
さっそく諸将を収集し軍議が開かれ、参加者達は口を開いたが、その多くは悲観的だった。
「味方だと思っていた者が突如裏切るなど、手の打ちようがないぞ」
「しかも、その後に分かった事では、そのケルディラ独立派の者達ばかりではなく、ケルディラ貴族の私兵。それどころか、少数ながらもコスティラ軍内にも裏切った者が居たとか」
「味方だと思っていた者どころか、味方が裏切るか」
アルベルドの信奉者は、一時莫大に増えていたが、アルベルドが副帝に就くとその勢いも収まった感があった。我が身を犠牲にし他国を救う聖王という評価だったが、副帝となり、やはり自身の栄達が目的なのかと見る者も増えたのだ。皇国の民はともかく他国者はそう見る。
確かにそれによってアルベルドに見切りをつけ、酔いから醒めたかのように正気に戻る者も多かったが、それでもアルベルドを信奉し続ける者は、もはや麻薬中毒者のようなものだ。アルベルドに有利な情報だけを耳に入れ、不利となる情報は出鱈目だと拒絶する。
その結果、蒸留酒のようにその濃度は増した。主君から今まで受けた恩を忘れ、それどころか、アルベルドの為ならば親兄弟すらその手にかける狂信者と化していた。
「緘口令を敷いておりますので、コスティラ軍敗退についての詳細は高級士官以外の者達は知りませぬが、もし漏れれば動揺は大きいでしょう」
その報告にサルヴァ王子は無意識に頷いたが、それでも表情には納得したがたいものが浮かんでいる。
「こちらの情報は筒抜け。戦えば、いつ軍内で反乱が起きるか分からない。それを知れば……な」
如何に作戦が優れていても士気が低くては戦う事が出来ない。兵法にも、優れた将とは兵士の士気を上手く使う者だという言葉があるが、これでは、それ以前の問題だ。
「しかし……。アルベルドの影響が我が将兵にまで食い込んでいたとはな」
王子が深刻に呟き、冷静さに定評のあるディアスも事態に憮然とした。かなりの臨機応変さを持つディアスだが、それでも、戦闘の最中に陣中で火の手が上がれば手の打ちようがない。戦闘中に味方が裏切らないか警戒するのに兵を割くのも馬鹿げた話だ。それどころか警戒させている兵が裏切らないとも限らない。
「報告では、やはり皇国領に近く、しかも、現状に不満のある者にその傾向があるように見受けられます。ランリエル本隊には、影響が少ないかと思われますが」
ギリスが冷静に分析した。確かに、報告でも反乱を起こした者はケルディラ独立派に多く、次にケルディラ貴族の私兵。一番少ないのはコスティラ兵だった。
ちなみにケルディラ独立派の者達も全員が裏切った訳ではない。首領格の者達は本心からコスティラ軍にコスティラ軍に協力しようと考えていたが、その実、彼等の後ろ盾となって資金提供している商人達はベルトラムの手の者。抵抗勢力の根絶は不可能と考え、ならば自分達で管理しようというベルトラムの策略だ。その商人達が独立派内のアルベルドの信奉者と連絡を取っていたのだ。
「そうかも知れんな」
それが的を得ているならば、ある程度の対策が立てられる。喜ばしい分析のはずだが、サルヴァ王子の声には僅かながらも不満の色があった。
ランリエル陣営の中で、皇国から離れ、更に現状に最も不満がない兵士達と言えば、東方の覇者ランリエル兵だ。反乱を恐れるならばランリエル兵だけで戦えという話になってしまうのだ。
「確かに、その意味ではランリエル兵には副帝アルベルドを支持する者は少なさそうですな」
ディアスが追い討ちをかけた。彼に向いたサルヴァ王子の視線が冷たいのはやむを得ない。受けたディアスは平然と微かに笑みを浮かべた。
「これはある種、副帝アルベルドを神とした宗教です。とはいえ、本当の宗教にように牧師が布教しているのではありません。アルベルド陛下の主張を伝え聞いた者達が自発的に支持しているのでしょう。それがランリエルで途絶えるならば、それより東になれば更に影響が小さいのではないでしょうか」
カルデイとベルヴァースも影響は薄いとの指摘。ギリスが鋭い視線をディアスに向けた。ベルヴァース王国軍総司令テグネールは静かに頷いた。名声は他の総司令に及ばず、実際、能力でも彼等に足りぬと自他共に認めるテグネールだが、有能過ぎる故に、その思案に軍事以外の不純物が混入する他の総司令と違い、軍人としては純粋である。
「バルバールの方々も、そう現状に不満があるとは見受けられませぬが」
ギリスが言った。ディアスが皮肉めいた笑みを浮かべる。
確かにバルバールもランリエルに攻められたが、最終的には自ら降伏し国民の被害も少ない。それどころか、ランリエルに協力し、長年の仇敵だったコスティラをも破った。不満どころか恩恵を受けているのだ。
誰しも内部に爆弾を抱えたまま戦いたくは無い。ギリスとしては状況を分析しただけの意図であったが、結果的には、それを切欠に負担の押し付け合いとなった。このままでは、名将揃いのはずのランリエル陣営が、烏合の衆と化す。
サルヴァ王子も、この状況に頭を抱えた。絶対的権力者の彼だが、力で抑え付ければ良いというものではない。英雄が一喝すれば、その威に打たれて諸将が平伏す。などという簡単な話ではないのだ。その根底に兵士達の動揺という現実がある以上、それを解決せずこの場だけを押さえつけるのは権力をかさにきた無能者のする事だ。
「やむを得ぬ。コスティラ国境まで引く。戦線を縮小し態勢を立て直す」
本来、国境とは川なり山なりの自然の障害物による生活圏の区切りだ。当初の国境線はなだらかで自然物的であったが、各国との戦争で寸刻みに領地を取り合い、それを長きに渡り繰り返した結果、現在では、人工的な国境線となっている。それでも、それなりの要害としての名残りはある。ちなみにバルバール以東の国々の国境線が中央の国々の国境線より幾分なだらかなのは、戦乱が少なかった証である。ランリエル、カルデイ、ベルヴァース。三ヶ国の長年の戦乱も、皇祖エドゥアルドがグラノダロス皇国を打ち立てる前の中央の戦乱に比べれば、かなり平和的だったといえる。
「セルミア王都は、どうなさるのですか?」
「備えは完成していないが、基礎工事は終わっている。数十万の大軍に囲まれてもそう簡単には落ちぬ」
広大な盆地をそのまま要塞にしたセルミア王都だ。大量の食糧を蓄え、更に内部には田畑や井戸もある。兵糧攻めで落とすのも難しく、精神的な揺さぶりにも強い。短期間に抜くのは不可能だ。
「王都内にアルベルド陛下に協力する者が居るかも知れませぬが」
確かにランリエルなどからの移民も多いが、元はロタ王国の領土。その危険は十分にある。
「宰相のヴィルガに伝え警戒させよう。それでも内通者が出て防ぎきれず陥落するというなら……見捨てる」
総司令達が無言で頷いた。
非情な決断だが、助けようがない者を助けんとして多大な被害を出すのは自己満足というものだ。それでなくとも皇国に比して過小な勢力なのである。ランリエルが敗北すればセルミア王都の滅亡も必至。だが、セルミア王都が滅んでも、ランリエルが敗北するとは限らない。ならば、セルミア王都を捨てランリエルを取る。ごく簡単なロジックである。
「それで、リンブルク兵は、如何なされますか?」
サルヴァ王子が答えに詰まった。
コスティラとゴルシュタットとの戦いが起こる前にランリエル本陣に到着したルキノとサルヴァ王子は会談した。その時の光景が王子の脳裏に浮かぶ。
ルキノ・グランドーニではなくリンブルク王ラルフ・レンツとして来たという元副官にサルヴァ王子もリンブルク王として遇した。
「では、リンブルク王として問おう。今日は如何な用件で参られたか」
リンブルク王となったとはいえ、今でもランリエル士官としての身分を捨てると明言せず、サルヴァ王子もルキノの身分を剥奪していない。状況的には、サルヴァ王子の部下がリンブルク王になったのであり、現在も組織上は部下である。それが部下ではなくリンブルク王として会いに来た。
しかもだ。皇帝と王。ランリエル陣営の国王達からすれば、1段上の存在だが、その範疇にないリンブルク王とは一国の最高位同士で、対等ともいえる。
「ランリエルと同盟を結びたく参上致しました」
「ほう。同盟と?」
「はい」
「それは、リンブルク国内の者達は知っているのか?」
ルキノが答えず、それをいぶかしんだ王子だったが、暫くして気付くと問い直した。
「失礼。リンブルク国内の者達も、承知しておられるのか?」
「現在、我が軍勢は国内に戻る事も出来ず、相談は出来ておりませぬ」
王子の目が鋭く光った。
サルヴァ王子も、デル・レイに進出したルキノが切り捨てられたのは知っている。それを知ったリンブルク兵達にルキノが殺されはしないかと身を案じてもいた。それが殺されもせず、リンブルク王としてこの場にいるだけでも王子の予想を外していた。そして、リンブルク王としてここに来た以上、理由はともかくリンブルク国内で許されたのかと思えば、それも違うようだ。
「何がどうなっているのか。それを知らぬ以上は手を組みかねる。少し、状況を説明していただけぬか」
ルキノは頷き、自分の正体が露見したのを知らぬままリンブルクへ撤退しようとしたところ、ゴルシュタット兵に国境が封鎖されていた事から現在までの状況を全て説明した。
「お主どころかリンブルク兵全てを裏切り者として始末し、リンブルクを手に入れようというのか」
その衝撃に、サルヴァ王子は、リンブルク王への礼節すら忘れた。ルキノもそれを咎めない。
「リンブルク兵は、罪無く滅ぼされようとしております」
「そのリンブルク兵を救いたいというのだな」
「はい」
サルヴァ王子が改めて己の元副官に視線を向けた。決意を固めた男の顔がある。自分の部下としてではなく、リンブルク王として兵士達を救う。その決意だ。ならば、自分の部下ではなく対等の者として対峙する。
「救って欲しいと仰るが、こちらにも利がなくば兵は動かせぬ。リンブルク兵1万を救う為に皇国の大軍と戦えばと、こちらの損害は1万を越えるやも知れぬ。そのような計算は出来ぬな」
「リンブルク兵が無事に国内に戻れば、国内の者達も、ゴルシュタットがリンブルク兵達に無実の罪を着せ皆殺しにせんとした事を知るでしょう。リンブルク一国をあげ、ランリエルに協力いたします」
「お主、いや、貴公をランリエル人と知ってなお、リンブルクの者達が貴公の命令を聞くとお思いか」
「ランリエルに命を救われた兵士達が説きましょう」
十分に問答を練っていたルキノは即答した。
国軍の大半が貴族の私兵で構成される以上、その部隊長には貴族の当主やその子弟が多い。彼らが説得すれば貴族達の支持も得られる。そうでなくとも万のリンブルク兵を殺そうとしたゴルシュタットとそれを救ったランリエルとではランリエルを取る。
「なるほど」
サルヴァ王子が頷いた。ルキノが安著の溜息を漏らす。だが、これで決まった訳ではない。サルヴァ王子がルキノの言い分を理解したというだけだ。それがランリエルが危険を冒すのが妥当かを見極めねばならない。
リンブルクがランリエルにつけば、ゴルシュタット軍のケルディラへの道が遮断される。現在(サルヴァ王子とルキノの会談時)、ベヴゼンコが率いるコスティラ軍とゴルシュタット軍はケルディラ西部で対峙しており、その勝敗も決するだろう。退路を絶たれ、補給もままならぬ軍勢は朽ち果てるしかない。戦わずして全面降伏。という目もある。
悪くはない話だが、これは最大限の楽観論。最大限の悲観論に立てば、リンブルク兵を救う為に出した軍勢が敗北し損失を出すだけだ。どちらに天秤が傾くかの判断材料が少ない。楽観論側に傾く重石が欲しいところだ。
「奥方は、ベルトラム殿のご息女と聞いているが、それでも貴公のお味方か?」
「味方で居てくれていると聞いていますが……。それが何か?」
「奥方に連絡を取って、先にリンブルク国内でゴルシュタットに抵抗して頂きたい」
それならば、リンブルク兵の救出が停滞しても、ケルディラ方面の戦いでこちらが有利に進められる。ゴルシュタットの統治から脱するのに、そのゴルシュタットの支配者の娘の命令を受けるのかとも思えるが、だからこそとも言える。この状況に不審を抱いているリンブルク人も多いと予測するのは容易であり、そこにベルトラムの娘までゴルシュタットからの離脱を宣言すれば影響は大きい。
「分かりました。妻と連絡を取ってみます」
とはいえ、ルキノには隠密働きをする部下はない。カーサス伯爵の手の者を借りる事となった。
サルヴァ王子とルキノとの会談はそのような結論となっていた。だが、状況が変わった。
ゴルシュタットと対峙するコスティラ軍の支援としてのリンブルクとの同盟だった。それが、その発動前にコスティラ軍は敗退し戦線を縮小させる必要が出て来た。ゴルシュタット軍はケルディラ西部をも超えて勢力を広げている状況で、その南にあるデル・レイに軍勢など派遣出来るものではない。リンブルク兵はどうするのか。それに王子は答えた。
「リンブルク兵は……見捨てる」
総司令達が頷いた。




