第247:放浪軍
デル・レイ軍の追撃を振り切ったリンブルク軍は、リンブルクへの国境へと向かった。その道中でも、鮮やかな撤退戦を見せたルキノに兵士達の称賛は留まるところを知らなかった。
「3万の敵から全く被害を出さず撤退するとは、我らの国王は無類の戦上手であられる」
「ケルディラでの戦でヴェルシニフ子爵を討ち取った時も、戦の呼吸を見極めた見事な采配であった。東方の覇者サルヴァ・アルディナをも超えるかも知れぬぞ」
ルキノも兵士達が自分を称賛しているのに気付いていたが、その1つ1つまでは把握していない。もし、これらがルキノの耳に入っていれば、背中がむず痒い事、この上ないだろう。
確かにルキノ自身も一軍の進退には、それなりの自負もあるが、大戦略の観点を持つサルヴァ王子と自分とでは、そもそも役割が違う。剣の使い手と剣。どちらが優れているかを論じるようなものだ。
だが、軍勢の撤退をリンブルクへと告げる為に先発させた者達からの報告に状況は一変した。追撃を振り切ったとはいえ、いまだ敵地。そこから来た軍勢はデル・レイ軍と勘違いされかねないので先触れを出したのだ。しかし、5騎を派遣したが戻って来たのは僅か2騎。その2人がルキノの前に跪いた。それぞれ腕と背中に矢を生やしている。
「ゴルシュタット軍数万が、国境を固めております」
「それどころか、我らに向け矢を放ち、他の者達は……」
同じ隊として親しくしていた者を失った悲しみに騎士達は泣き崩れた。
「まさか……。敵と誤認されたというのか?」
少しの油断で命を落とすのが戦場。例え味方の軍隊でも、近づく時には細心の注意が必要だ。味方に敵と誤認されて攻撃されても、余程の事がないかぎりこちらの不手際。しかも、初歩中の初歩であり、呆れるような類の失態だ。とはいえ、人死にが出ているのも事実。ルキノは呆れ顔も出来ず感情を表に出さない。
「決して! 決してそのような失態は! 矢の届かぬところで全員が立ち止まり、その後1騎のみが進み、リンブルク軍の伝令であると伝えました」
「そうです。それで、近づいて来るようにと指示があったので、全騎で近づいたところ、いきなり矢が……。間違いありません! ゴルシュタット軍は我らをリンブルク騎士と知って皆殺しにせんとしたのです!」
ルキノの背筋を得たいのしれないものが這うように’嫌な感覚’が渦巻いた。状況が分からない。ただ分からないのではない。深森で、動物なのか鳥なのかも分からない化け物’かも知れない’ものと出会った。化け物とはっきりしたら、それはそれですっきりするだろう。
話の辻褄が合わない。
ゴルシュタットは義父ベルトラムのカリスマによって完全にその制御下にある。ゴルシュタット軍の動きは即ち義父の意思だ。そして、あの義父が事を成そうとしてしくじるだろうか。
それにリンブルクの伝令を皆殺しにするなら簡単だ。なぜ逃がす。無論、義父の意に反し、実行者がしくじる事もある。だが、皆殺しにするには、中途半端に遠くから矢を放つのではなく、完全に近くに引き入れてから囲い込んで殺せば良いのであり、しくじる様な作業ではない。
初めから幾人かは生き残らせわざと逃がした。その可能性がある。ここまではルキノにも分かる。だが、なぜそれをするのかが分からない。
「もう一度。もう一度伝令を出せ」
「陛下! ゴルシュタット軍は、我らをリンブルク騎士と知って矢を放ったのですぞ! 新たな犠牲を出すだけで御座います!」
「もう一度、だけだ」
必死で訴える伝令の騎士を前に唸るように言った。だが、やはり、次の伝令も数を減らして戻って来たのだった。やむを得ず軍勢を留め、部屋に篭りルキノは思案した。本来ならば幕僚達と協議すべきなのだが、デル・レイとの密約など、幕僚達にすら公表出来ぬ要素が多すぎる。
どうする?
このまま軍勢を進ませるか? だが、ゴルシュタット軍は、おそらく我らに敵意を持っている。何故かは分からないが、状況的にそうとしか考えるしかない。軍勢が近づけば、大規模な戦闘になる可能性もある。
ならば、暫くここに留まり、状況を調べるか?
だが、この間にも後ろからはデル・レイ軍が迫ってくるかも知れない。敵はこちらの3倍だ。まともに戦えば勝ち目はない。我が軍が退却したと考えているデル・レイ軍は、一度軍勢を引き上げているはず。軍勢を動かすのもただではなく、逃げられた敵をいつまでも追いはしない。
とはいえ、この近隣の領主や住民から、リンブルク軍がいまだデル・レイ国内に留まっていると知らせが入れば話は別。改めて軍勢を向ける。
何故かは分からない。皇国の味方をすると思わせ皇国軍を釣り出す。その策略にアルベルドは乗った。ならば、デル・レイ軍とは戦わないで済むようにアルベルドが配慮してくれるはず。ゴルシュタットは言うまでもない。
戦う必要の無い両国の軍勢に前後を挟まれた。このままここに留まり時を無駄すれば、状況は刻一刻と悪化する。いずれ、後ろからデル・レイ軍が迫ってくる。
やはり、自分が素性を偽っているのがばれたのか? デル・レイ軍はそう叫んでいた。アルベルド陛下がそれを知り、自分との約束を信じられぬと敵に回った。あり得ぬ話ではない。
しかし、ゴルシュタット軍はどうなのだ? そもそも義父はそれを知っている。知っていてなお自分にこの大役を任せてくれたのではなかったのか。
「ラルフ陛下」
後ろからの声に、反射的に飛び退り剣を抜いた。いつの間にか兵士の甲冑を身に着けた男が跪いていた。
「ベルトラム様から手紙を預かって参りました」
そう言い恭しく両手で手紙を差し出した。その動作でも甲冑は鳴らない。鉄板を組み合わせる甲冑は、少しの動きでカチャカチャと鳴るものだ。外見では分からないが全ての鉄板同士の隙間に革や綿を挟み、音が鳴らないようにしていた。
義父の手の者か。手紙を受け取り一読したルキノの顔が苦痛に耐えるように歪んだ。
お前の正体が我が国で露見した。アルベルドがその情報を掴み広めたのだ。特にゴルシュタット軍部での反発が大きく私でも抑えきれず、軍勢を動かし国境を封鎖する将まで出て来た。命令無しの行動ゆえ罰する事も可能だが、如何にお前が我が娘婿でも、ランリエル士官と天秤にかけ我が軍の将を罰すれば更に反発は大きくなる。何とか宥めるが、暫く時が必要だ。お前はそれまで軍勢を纏めデル・レイ国内で待機せよ。
そのような事が書かれていたのだ。
軍勢を抑えられぬなど義父らしからぬ。とも思えるが、現在、表向きゴルシュタットとランリエルは休戦状態。つまり敵だ。実はランリエルとは手を組んでいる。という事を隠して不満を抑えるのは確かに困難だ。
「陛下。お読みになられましたでしょうか」
突然、跪いていた兵士が問うた
「あ、ああ」
ルキノに差別意識は薄いが、それでも一兵士(に扮した伝令)如きが、国王を急かすように問うのに戸惑い答えた。すると、男は更に驚くべき行動に移った。
「失礼致します」
そう言い、ルキノから手紙を引っ手繰ると近くにあったランプにくべ、燃やしてしまったのだ。
「貴様! 何をするか!」
「ベルトラム様から、読んだ後は証拠を残さぬように燃やせと仰せつかって参りました。用心深いお方なので、必ずお前の手で燃やすようにとのお言葉で御座いました」
豪胆。それが義父ベルトラムの特性。だが、それは万全の配慮をした上でである。頑丈な鎖で繋がれた獅子の爪が届くギリギリのところで眠れるのがベルトラムだ。自由に動き回る獅子がいる野原で昼寝をする者など、それは豪胆なのではなく、ただの阿呆である。
「う、うむ……。そうか。義父上、ベルトラム殿には承知したとお伝えしてくれ」
「はっ」
男は短く言い姿を消した。ルキノはすぐさま軍勢を動かし再度カリチェ山に向かった。
あまり国境に近くては、義父のいうところの反発派が動かした軍勢と衝突する危険がある。そうなれば、状況は更に悪化する。国境から離れなくてはならないが、防御力が高く水も確保出来る場所は限られるのだ。
問題は食糧だが、それは途上の村々から徴収した。無論、他国の民が大人しく出すわけも無く実質、略奪である。こうなった以上はデル・レイを含めた皇国は敵である。敵国の民が可哀想だからと、自軍将兵にお前達は飢え死にしてくれ。とは言えぬし、言う気もない。戦争とはそういうものであり’綺麗な戦争’などは、痴者の戯言である。
偵察をカリチェ山に放ったところ、幸いデル・レイ軍の姿は見えなかった。やはり、逃げ切られたと判断し軍を返したようだ。
再度、カリチェ山に登ったリンブルク軍は陣地を構築し、デル・レイ軍の来襲を警戒しつつ更に近隣の村々から食糧を集めた。とはいえ、1万の軍勢を長期間養うだけの食糧を蓄えるのは困難。早急にゴルシュタット内の問題が解決してくれる事を願うしかない。
暫くすると、やはりデル・レイ軍が再度襲来し麓を固めた。しかも、前回、取り逃がした屈辱を晴らさんとするのか、更なる動員をかけ退路まで絶った。リンブルク軍が窮鼠と化して戦いデル・レイ軍にも多くの被害を出してでも殲滅せんとの決意が見て取れる。
ちなみにアルベルドから付けられた軍監のセガルラは、貴公に責はない、とルキノが密かに逃がした。どうせ逃がしたところで戦局に影響のない男だ。殺しても後味が悪いだけで、気分が悪くなるだけ損である。
「これは不味い状況だな」
「ああ。だが、止むを得まい。しかし、何故ゴルシュタットがあのようなまねを……」
いまだ将兵は、ゴルシュタット内でルキノの正体が露見したのを知らない。何故かは分からないがゴルシュタット軍が敵対し、国境付近に居れば軍事衝突の危険があるので仕方なくデル・レイ国内で防御しやすいこの山に戻った。という発表を信じている。
とはいえ、あまりにも不自然な説明だ。将兵も釈然としない中、他に方策が無いので状況に流されているだけだ。以前にこの山に立て篭もっていた時にデル・レイ騎士が叫んだ言葉。あれとこの状況を関連付ける者が出始めるのも時間の問題。穴の開いた堤防がいつ完全崩壊するか。ルキノとしては、早急に義父が問題を解決してくれる事を、繰り返し願うしかなかった。
だが、堤防は思いの外、早く決壊した。しかも、思わぬ方向からだった。




