第246:知らぬが仏
その頃、デル・レイに進出したリンブルク軍は国境から10ケイト(約85キロ)の地点にあるカリチェ山に陣を構えていた。麓はデル・レイ軍3万で埋まっているが、山には小さいながらも川もあり、水を断たれる心配はなかった。しかし、他の心配はある。
「陛下。食糧が後10日ほどしか持ちませぬ」
糧秣を管理する士官は苦い顔だ。その報告にルキノが頷く。決して、この士官が無能なのではなく本人も自分の責任とは考えていない。状況をありのままに報告している態である。ルキノも彼を責める様子はなく、それどころかルキノ自身困惑していた。その困惑が小さく漏れる。
「デル・レイは難なく通過出来るはずだったのだが……」
呟きカチャリと甲冑を鳴らし腕を組んだ。戦場である為、甲冑を身につけているが、流石に兜は被っていない。
この陣中には、アルベルドの命令で皇国の軍監としてセガルラという者がこの陣中に居るが、皇国と手を結んでいるとは幕僚にも秘してある。その為、身分を偽り、新たに雇った従者として身近に置いていた。その者に問うても、私にも分からぬと困惑するばかり。余り強くも言えぬ相手の為、尋問も出来ぬが、嘘を付いている様子はなさそうだ。
「は。何か仰いましたか?」
「いや、何でもない。それよりも、やはり食糧は節約せねばなるまい。それと、敵が攻撃してくる気配もないし兵を派遣し山内で食糧を集めさせよ。勿論、十分警戒してな」
「は。早速、取り掛かります」
士官は一礼すると命令を実行する為、駆け足で立ち去った。計画通りに行かなかったのは彼の責任ではないが、命令を遂行出来なければ自身の責となる。
しかし、いったいどういう事だ?
計画では、デル・レイを素通り出来るはずだった。それも、アルベルドからの要請でだ。デル・レイが戦場になればデル・レイの民にも被害が出る。それを回避せんが為、リンブルク軍はセルミア王都に急行せよ。という計画だったのだ。
それが、デル・レイ軍によって足止めされている。
リンブルク軍がデル・レイを通過するのを黙って見逃せばデル・レイの沽券にかかわる。デル・レイも対応の軍は出さざるを得ず、アルベルドは尤もらしい理由を付けてデル・レイ軍の初動を遅らせるので、時間的には十分な余裕はある。という事だったはず。
こちらの動きが鈍かったという訳ではないはずだが……。
自分の手落ちだったかと思えば、戦場では勇者と呼ばれるこの男も胃が痛む思いだ。
「陛下! 陛下!」
突然、ガチャガチャと甲冑を鳴らし騎士が駆け付け叫んだ。初老に達しようという年齢だが、余程の事なのか初陣の若者のように急いている。しかし身体は若くは無く、国王を前にしてへたり込みそうなほど呼吸が乱れている。
「どうした?」
「デ、デル・レイの兵士共が何やら叫んでおるのですが、陛下……。陛下が、陛下でない……。などと申しておりまして……」
途切れ途切れの報告は要領を得ない。やむを得ず、男が落ち着くのを待った。息を整えた男が言うには、今まで動きを見せなかったデル・レイ軍から数名の将兵が進み出て来た。それを国王に報告しようと背を向けたところ、その者達が信じられぬ事を叫び始めた。というのだ。
「それで、奴らは何と言っているのだ?」
「そ、それが……。とても信じられぬ話で御座いまして、陛下のお耳に入れるようなものでは……」
それでは、何の為に駆け付けたのかというものだが、その判断をする前に反射的に駆け出してしまうほどの内容。とも言える。
「良いから話せ」
「は、はい。実は、陛下が、リンブルク人ラルフ・レンツというのは真っ赤か偽り。その正体は、ランリエル人であるなどと……」
人の身体にそのような機能があるのかと思うほど、一瞬で背中が汗でずぶ濡れとなった。下着は濡れて変色し、甲冑を見に付けていなければ、士官にもその変化は一目瞭然だったであろう。
だが、その一目瞭然は回避出来たものの、咄嗟に言葉が出ない。本来なら笑い飛ばすべきだ。しかし、この朴訥な男にその演技力はない。浮かべるべき感情の選択も出来ず、無表情に押し黙った。
「へ、陛下?」
士官も思わぬ反応に戸惑う。ルキノも不味いと気付いたが、やはり、咄嗟に上手い言葉が出ない。
「そこへ案内しろ」
「は。はは」
男は、ルキノに背を向け歩き出したが、その背からも動揺が見て取れる。その背を凝視しつつ後に続いた。今のルキノに微塵の余裕もない。何故、デル・レイ側がそれを暴露するのか。いや、そもそもそれを知るのは敵中にもアルベルドのみのはず。それらを思案する事すら全く頭に浮かばず、ただただ、今、この場をどう抑えるか。それのみが頭を満たした。
「リンブルク王の正体はランリエル人だ!」
「お前達は騙されているんだぞ!」
「ベルトラム殿はランリエルへの助勢など命じていない。偽王がお前達を騙し死地に飛び込ませようとしているのだ!」
確かに数名のデル・レイ騎士達が口々に叫んでいる。時おり味方から矢が放たれるが、彼らまでは届かない。デル・レイ軍は、遠くからでも届くように声の大きい者達を選んだようだ。
「戯言を! 俺が奴らを黙らせてくれる!」
「落ち着け。我らを誘き寄せようとの挑発に決まっているではないか」
飛び出そうとする兵士を士官達が抑えているが、懸命に兵士を宥めながらも内心、違和感を覚える者も多かった。
確かに、陣地に篭る敵を釣り出す為に罵詈雑言を浴びせるのは常套手段。珍しい事ではない。だが、ラルフ・レンツを侮辱するならば、元々低い身分だとか、女王を誑し込んだとか、それを突くのが普通だ。実際、それは事実でもあり、国王を誇る者達に取っては、触れられたくない事実ほど不愉快でもある。
ではなぜ、その事実を突かず、虚言を弄するのか。もしかすると……彼らが叫んでいるのは虚言ではなく、事実なのではないか。
「陛下!」
ルキノの姿を見つけた兵士が叫んだ。
「出撃のご命令を! すぐにあの口を黙らせて見せます!」
身分は低くとも先の戦いで活躍したルキノに兵士達の信頼は篤い。クリスティーネが女王となりゴルシュタット人に乗っ取られたリンブルク王家を、リンブルク人であるラルフ・レンツが取り戻したとも認識されている。
デル・レイ兵の口を封じるべきか。
だが、常道通り、追いかけた先に兵を伏せている可能性がある。その理性と奴らの口を封じなければという感情がせめぎ合う。本来なら出撃を禁じるべきこの場面で兵を出せば、それこそ敵の言葉を認めたようにもとられかねない。
とはいえ、彼も有能な軍人。兵の駆け引きという舞台に立てばサルヴァ王子に認められた名優。幾分、気持ちも落ち着き冷静になった。そして冷静になれば答えは明らかだ。
「言わせておけ。あのような明らかな挑発に乗る必要はない」
「ですが、挑発するにしても、何故あのような戯言を」
沸き上がる疑問に抗いきれなかったのか、士官の1人が問うた。
「女王を誑かしてなった国王。と叫ぶべきだろうと? まあ、本当の事だからな」
「い、いえ。決してそのような……」
「当たり前の事を言っても挑発に乗らぬと、我らがランリエルに助勢したのを逆手に取った積りなのであろう」
「なるほど……」
確かに話の筋は通り士官も納得したようだった。聞き耳を立てていた他の者達も国王を疑っていたのを恥じたのか俯く。ルキノはほっとしつつ、己の思わぬ演技力に自分自身、驚いていた。
騒ぎを鎮めるのに成功したルキノだが、急ごしらえの本陣に戻り、状況を冷静に考えると分からない事だらけだ。
ランリエル陣営でもサルヴァ王子など数名のみが知るその事実を、なぜデル・レイが知っているのか。
勿論、士官達に言った言葉が、偶然、的を射ていた。暗闇で気配を感じて放った矢がたまたま当たったように、ランリエルへの助勢という状況から言った出任せが当たった。という可能性もある。ならば、やはり、戯言と相手にせずデル・レイ軍と対峙を続けるべきか。
本来ならそうだ。だが、ルキノには何かが引っかかった。それは、軍人としての勘。或いは、真実を隠してる後ろめたさからの逃避。もしくは、その両方か。とにかく、ここに留まるのは危険だと感じた。
義父から大任を命ぜられ、それを完遂すれば愛する妻との仲を認められる。それが叶わぬ事となる。義父は怒り、妻は悲しむだろう。愛する妻の悲しげな顔が浮かぶ。
だが、待てよ?
とはいえ、このままデル・レイ軍に行く手を阻まれたままでも、義父の命令を完遂した事にはならない。いや、本来の目的は皇国に自分は味方と思わせ、ランリエルとの戦端を開かせる事。そして始まった戦いを拡大させる。その為に、ある程度の期間はアルベルド副帝の味方と思わせておく必要がある。(その味方と思わせる方法が、表面上はランリエルの味方をする事。という複雑な状況なのだが)
それを考えれば、ここで一旦引いても、予定と違いデル・レイを突破出来なかったので体勢を立て直す為に引いただけで、ランリエルへの助勢をやめた訳ではない。という体裁も取り得る。そう考えればルキノの心も軽くなった。
早速、秘書官のカミル少年に命じ幕僚達を呼び、リンブルク国境までの撤退を告げた。皇国の軍監セガルラは、その前に用事を言いつけて遠ざけた。彼の表向きの身分は従者である為、それは造作なかった。
「引き上げるですと? 何故なのですか」
「そうです。デル・レイ軍は我が方を囲むばかりで一向に攻撃を仕掛けて来ておりませぬ。それを、一戦も交えずして撤退するなど……」
「我らは戦略価値を認めてこの山を占拠したのではない。セルミア王都を目指し、途上で阻まれた故に防御力の高い、この山に立て篭もったに過ぎない。それに、先ほどの奴らの行動も気にかかる」
「先ほどのと言いますと、あの戯言で御座いますか?」
「そうだ」
その言葉に、あれを気にかけるなら、やはり事実なのではないか。そう頭に過ぎった幕僚達が顔を見合わせた。ルキノが微笑を浮かべる。
「今まで動きが無かった者に動きがあったなら、それは何かの前兆。攻勢をかける前に揺さぶりをかけて来たと見るべきだ。しかも、無茶を言ってくるならば、その攻勢も相応に強引なものだろう。先ほども言ったように、この地に戦略価値はない。敵が無理押しに来るのを死守する必要もあるまい」
「はっ」
どんな演技も事実には叶わない。演技力はなくとも軍略はあるルキノだ。それを自信満々に述べれば、名優が演じる以上の説得力があった。
「しかし、引き上げると言っても敵の追撃に合えば大きな被害が出ますぞ」
麓をデル・レイ軍が埋めていると言っても、まったく退路がない訳ではない。敵を完全に包囲すれば窮鼠を化した敵からの思わぬ反撃を受ける。特別な理由が無ければあえて完全には包囲しないものだ。それでも撤退時に追撃を受ければ圧倒的に不利な戦いを強いられる。
「殿ならば、私が受け賜りましょう。私が敵を防いでいる間に退却して下され」
最後まで残って敵と戦えば死ぬ確率は高い。その死に役に他の幕僚達が申し訳なさげな視線を送るが、代わりにと名乗り出る者はいない。ルキノもその者に視線を向けた。
「いや。殿は置かぬ。全軍で撤退する」
「置かぬ!? ですが、それでは敵の追撃を受け全軍崩壊致しまする」
味方が逃げる為に殿を置く。その者達の大半は死ぬ。一見酷い話だが、殿を置かず追撃を受け全軍敗走ともなれば、更に多くの人間が死ぬのだ。
「追撃を受ければ大きな損害が出るのは私も分かっている。だが、デル・レイ軍が我らの退路をあえて残すは、退却する我らを追撃せんが為。我らが退却するのを待ち構えている。殿を置く事も考慮した上での追撃戦を想定しているはずだ」
「確かにそうでありましょうが、だからと言って殿を置かねば、更に被害は増えます。それが戦というもので御座いましょう」
殿を置こうが置くまいが多くの者が死ぬ。だが、同じ’多い’でも、僅かでも少なくするのが軍略というものだ。
「分かっている。だが、私に考えがある」
リンブルク軍はカリチェ山から撤退した。この時のルキノの動きは、小サルヴァ王子と称すべきものだった。
まず、甲冑姿の人形を乗せた馬を後方の退路に向かって鞭を打って走らせた。敵が退却すれば追撃しようと手ぐすねを引いて待ち構えていたデル・レイ軍はそれに過敏に反応した。多くの兵を動かし追撃したが、それが偽物と気付いた頃に、リンブルク軍が前方の敵本陣に向かって突撃する気配を見せたのだ。手薄になっていた敵本陣は慌てて軍を引き返させたが、その間にリンブルク軍は、今度は本当に退却してしまったのである。
それに気付いたデル・レイ軍は地団駄を踏んで悔しがり再度追撃の軍勢を向かわせたが、既に疑心暗鬼になっている。ルキノがところどころ放置した甲冑人形を乗せた騎馬の一群に遭遇すると、その度に、やはり伏兵か! と敵は立ち止まり、リンブルク軍は追撃を振り切ったのだった。
結局、戦闘らしきものはほとんど発生せず、リンブルク軍が正面攻撃をする気配を見せた時に、牽制で軽く衝突して負傷者が幾人か出た程度だ。
アルベルド陛下には、今はまだ味方と思わせておかねばならない。その為にはデル・レイ軍と激しくぶつかる訳には行かないからな。己が置かれた状況を知らぬルキノは、この時はまだそう考えていた。




