表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
339/443

第244:腕

 思わぬ拒絶にグヴィナーは驚いた。


「何故と申されましても……。陛下は、国王がリンブルク人であるラルフ・レンツと信じご婚姻なされたのですから、それが実は全くの別人で、しかもランリエルの士官であったとなれば、それを解消なされるのが当然かと……」


「あの方が如何な者であろうとも、私はあの方を愛し、あの方がリンブルク王に相応しい事に変わりありません。何か間違っているでしょうか」


 確実に間違っている。少なくとも女王という立場としては。だが、女王は己の主張に固辞した。己の意見を言わぬのがグヴィナーの処世術だ。それはこの事態にも不滅だ。思わぬ女王の反撃に驚き慌てふためき、という態で部屋を飛び出し近くに居たとある大臣に泣き付いた。その大臣はグヴィナーの慌てぶりが伝染したかのように女王の部屋に向かって女王を説得しだした。ちなみに、その間にグヴィナーは姿を消し、その後はまるで部外者かのように振る舞い、この件に関わらなかった。


 グヴィナーに責任を押し付けられた大臣は、それに気付かぬまま熱心に女王への説得を試みた。だが、女王は頑として譲らず、この騒動を聞きつけた他の大臣達も集まって来た。


「女王陛下が、夫たるラル……国王陛下をお慕いしているのは承知しております。ですが、実は身分を偽っていた。しかもランリエルの士官であったとなれば、臣民共に国王として頂き続ける訳には参らぬのです」

「左様。婚姻の解消はともかく、せめて国王からの退位だけはして頂かなくてはなりませぬ」


 本来なら、敵対国家であるランリエルの士官を女王の夫とし続けるだけでも大問題。そこまで大臣達は妥協したが、それでも女王は首を縦に振らない。


「私はリンブルクの女王。その私がその身分を夫と分かつと言っているのです。ならば国王であるべきです」


 女王は譲らず、詰め寄る大臣達を寡黙な侍女達が押し返す場面も一度や二度ではない。彼女達は、夫以外の男には指一本、身体に触れさせないという女王を守るのを使命としている。


 大臣達は、やむを得ず一時戦術的撤退を行い。攻撃方法を協議したが、建設的な案はでず、出てくるのは愚痴ばかりだ。


「全く。あの頑固さはどうだ」

「女王になった当初は、しおらしくしておったものだが……」


「あれでは、国家を己の私物とでもいう物言いではないか」

「だから女に権力を与えてはならんのだ!」


 元来、この大陸には女王は存在しなかった。皇国の衛星国家バリドットのセレスティナ女王が誕生するまでは、クリスティーネがこの大陸唯一の女王だった。それ故、問題が起これば、旧例を良しとする者達からの反発は大きい。


「こうなっては、女王陛下にも退位して頂くしかあるまい」


 ベルトラムを恐れ一旦は引っ込めた案を掘り起こす者まで出たが、そこまでの強行を支持する者は少なかった。しかし、そうなっては、やはり手詰まり。


「ベルトラム殿のご判断を仰ぐべきであったのだ」

「今からでも、ご指示を仰ぐべきであろうか」


 ベルトラムがゴルシュタット、リンブルクの上に立つ。それが二重統治のあり方だが、国王(女王)の上に更に権力が存在する。という体制になじまず、しかも、事が大き過ぎる為に反射的に拙速に事を運んだのは軽率だった。それを遅ればせながら気付いた。


「しかし、それを言い出せば、こちらから乞わずともベルトラム殿からご指示あってしかるべきではないか」

「確かにな……」


 自ら重大発表をしながら、その影響を考慮しない。ベルトラムらしからぬ失策と言えるが、実はベルトラムは配慮はしていた。前もって使者に手紙を持たせ、発表後、間髪入れずにリンブルク王宮に駆け込む手筈だったのだ。しかし、その途上、思わぬ大雨にあい、氾濫した河川を迂回していた為、遅れに遅れていたのだ。


 サルヴァ王子すら手玉に取り無謬性すら感じさせるベルトラムだが、その彼にしても偶発的な事故には対処のしようがない。しかも、同じ行動でも適切な時期を失えば効果は激減する。すでに大臣達と対立してしまっているクリスティーネに今更手紙が届いても効果は薄い。尤も、今の女王の様子から判断すれば、ベルトラムからの手紙が予定通り届いていたとしても素直に従っていたかは疑わしいが。


 ベルトラムに弱点があるとすれば、それは娘クリスティーネ。優れた情報解釈能力と判断力。そして、物事の本質を見抜き、枝葉を綺麗さっぱり捨て去る豪胆。それによって、知においては己より優れた者達に勝利して来た。知はあくまで道具。どれ程優れていても所詮は道具。それをどう使うかが賢。知者に勝る賢者。それがベルトラム。それが娘が介入するとその判断力。豪胆に狂いが生じた。


 結局、遅れて来たベルトラムの手紙も効果はなく、大臣達は改めてベルトラムに状況を報告し、それを受けたベルトラムは馬車に身を預けリンブルクへと向かった。


 リンブルク王宮に到着したベルトラムと対面したクリスティーネの顔は既に蒼白だ。父からの手紙に対して反発したものの、実際、今まで父に逆らった事などないクリスティーネだ。その父を目の前に身体を震わせる。娘に厳しい視線を向けながら父が口を開いた。


「あの男はランリエルの手先だったのだ。お前を騙していたのだぞ。いつまで我が儘をいう積りだ!」


 厳格な父の一喝に、クリスティーネが身を縮こまらせた。早くも目には涙が浮かんでいる。


「で、ですが、あの方は私を助け――」

「それも、お前を騙す芝居だと分からぬか!」


 クリスティーネは更に身を小さくした。危険を救ったと見せて相手を騙す。誰でも思いつくよくある手だ。客観的に見れば確かにそうだ。だが、当事者たるクリスティーネには確信がある。


「私には、あの方が演技をしていたなど信じられません。私を助けて下さった時、あの人の腕には暴漢が放った沢山の矢が突き刺さっておりました。私はあの姿を信じます」


 そう言いながらも唇が震え、言葉も震えた。父に逆らう恐怖に震えながらも、夫のその血塗れの姿が忘れられない。


「父の言葉を良く聞くのだクリスティーネ。お前は軍人という者を分かっては居らぬ。忠実な軍人というものは、それぐらい平然とやってのけるのだ」


 一転して優しげな声。分かりやすい飴と鞭。一喝されひび割れた心の隙間に優しい声が染み込む。傍から見れば児戯のようなものだが、渦中にある当事者にはそれが分からない。


 それでも父に抵抗したが、その声は弱々しい。


「い、いえ。決してあの方は演技など……」

「父の言葉が信じられぬというか。私はあの男よりずっと前からお前を守って来たのだぞ」


 娘に信じて貰えぬ父は、悲しげな顔で首を振った。純粋過ぎる娘の胸に実感できるほどの痛みが疼く。


「お前には、まだ結婚というものは早過ぎたのだ。あの男など忘れ、昔のように父がお前を守ってやろう」

「いえ。早過ぎなど……。私はあの方を愛しているのです」


 クリスティーネの背中を冷たいものが奔った。しかし、それは彼女自身気付かぬほどの刹那。違和感を覚え父の顔を見直したが、父は駄々をこねる娘に慈愛の視線を向けている。


「まだ、そんな事を言っているのか。あの男はお前を騙していたのだ。名前を偽っておいて、騙していないなど戯言だぞ」

「確かに、確かにあの方は私を騙していたのでしょう。あの方は私に多くの嘘を付いていました。ですが、その中に真実もあったはずです。私は、それを信じます」


「何を言うか。名前も嘘。身分も嘘。生い立ちすら嘘ではないか。奴に何の真実がある。砂漠で1粒の砂をありがたがるようなものではないか」

「その一粒があれば、私はあの方を信じられるのです」


「お前は、私よりあの男を信じるというのか」


 その声には大陸に敢然たる大人物の重厚はなく、哀れさすら感じさせた。ベルトラムに取っては奥の手だ。常に強き父の弱々しい姿。彼が知る心優しい娘なら必ず折れる。


 そして確かに効果は絶大だった。

「分かっております。決して、お父様を信じてないのではありません」

 抵抗しつつもその声は苦しげで陥落寸前と思われた。


「しかし、父の言葉を信じてくれぬではないか」

「お父様を信じてないのではありません。あの方を信じているので――」


 ザワ。とクリスティーネは全身の毛が逆立つような、何か’怖い’ものを感じた。泣き出しそうですらあった父の顔は、目を見開き憤怒の形相だ。クリスティーネ自身は意図していなかったが、結局、父よりあの男を信じるという言葉。ベルトラムが切れた。自身すら意図せぬ精神の暴走。粘り強く叱り、宥め、最終的にはいう事を聞かせる自信があった。彼の手腕を持ってすれば確実に成功していた。だが、己の理性、知性を制御しきれる賢人ベルトラムが切れた。


「奴が、お前を助ける為に腕に矢をいくらか受けたぐらいで奴を信じるというなら、その程度の事、取るに足りぬと、お前に見せてやろう。ゲルバー。ゲルバーは居るか!」


 ベルトラムの腹心の部下ダーミッシュが、その連絡係として置いている者だ。この者が裏切ればダーミッシュは勿論、ベルトラムすら致命傷となりかねぬ為、選びに選んだ忠実な男だ。


 扉の前にでも居たのかと思うほどすぐに男が部屋に入って来た。ダーミッシュほどではないが、年齢不詳の無個性な顔立ち。もしかすると、ダーミッシュの血を引いているのかも知れない。


「お呼びでしょうか」


 跪く男にベルトラムは腰の剣を鞘ごと抜いて投げ付けた。男は危なげなく受け止める。

「それで、己の腕を切り落とせ」

 平然と言い放った。


「お、お父様。何を仰るのです!」

「軍人なら、腕の一本や二本。命令があれば何でもないというのをお前に見せてやろうというのだ。さあ、早くやれ」

「は」


 男は短く頷いたが、その顔色は青い。だが、剣を抜くその動作には澱みなく迷いが無いように見えた。


「止めて! 止めさせて下さい!」


 一瞬、男の動きが止まる。僅かにベルトラムへと視線が動く。


「何をしておる。早くやれ」

「は」


「馬鹿な事は。そんな馬鹿な事は止めて! そん――」


 男は跪いたまま右に持った剣を左腕に振り落とした。男は中々の手練れだったのか。その不自然な体勢でもしくじる事無く、左腕がどさりと地面に落ちた。傷口から血が噴き出るが、彼の落ちた己の腕を無表情に見つめている。彼が失ったのは腕だけではない。今まで、数年、数十年かけて身につけた技量の大半を失った。無表情の下で、その修練の日々が脳裏に浮かぶ。


「あ、ああ……」


 その光景にクリスティーネは後退り、ベルトラムは血の滴る腕を掴み挙げた。ゲルバーの視線は動かず、いまだそこに己の腕があるかのように一点を見つめている。


「どうだ。軍人にとって腕の一本や二本。どうというものではないのだ」


 身体から切り離された左腕の指先がクリスティーネに突き付けられた。


「いやーー。いやーーーー!」


 クリスティーネは更に後退り背中に冷たい物が触れる。反射的に振り返りそれが壁であると視線は捕らえたが、視覚はしても知覚はせず、壁に減り込もうとするかのように壁に背中を押し付ける。


「まだ分からぬか」


 ベルトラムが詰め寄り、クリスティーネは壁に背中を押し付け叫ぶばかりで発する言葉は意味をなさない。ベルトラムが苛立ったようにゲルバーに顔を向けた。


「残った腕も切り落とせ」


 無残に言い放った。無表情だったゲルバーの顔に絶望が浮かぶ。ゲルバーのその顔が見えないのかベルトラムは苛立ちゲルバーから剣をひったくった。瞬間、一閃。ゲルバーの唯一となった腕が飛んだ。


「見ろ。軍人なら腕を落とせと命ぜられれば従うのだ。あの男も命令に従ったに過ぎぬ」


 切り落とした腕には目もくれず娘に向き直った。手にした腕を娘の前に投げ捨てる。クリスティーネは現実の事とすら思えず、父が狂ったと考える余裕すらない。無意識に何も目に入らぬように頭を抱えて幼女のようにうずくまり、己の声で父の言葉を掻き消すように叫び続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ