第241:裏切り
皇国軍との前哨戦にコスティラ軍が勝利し士気上がるころ、ランリエル側の各国の軍勢も続々と集結した。兵馬が大地を埋め、そこかしこで軍馬の嘶きが聞こえる。あまりの兵の多さに全兵が一時に兵糧を使うのが不可能な為、時間をずらして飯を炊く為に昼夜を問わず炊煙がのぼり途切れる事はない。夜間に哨戒に立つ兵もおり、一日中、釜に火が入れられている。
ランリエル側、皇国側も続々と兵力を増員し、この地で史上最大規模の決戦が行われるだろう。
ランリエル側では、コスティラ軍に続いて到着したのはバルバール軍だ。全軍の配置では西側を担当するコスティラ軍に対し、バルバール軍は東側を担当するが、それはコスティラとバルバールとの仲が悪い事だけが理由ではない。
コスティラは、ランリエルと共にケルディラにも勢力を広げつつある。いざともなれば、ケルディラへ軍勢を向ける事も有り得、ケルディラに近い位置に布陣するのは自然だ。そして、海上から北ロタを牽制するのはテチス海最強であるバルバール海軍。北ロタ王国を圧迫し、皇国軍を東から包囲する役目をバルバール軍が担うのは当然だ。
ちなみに、カルデイ軍はコスティラ軍とベルヴァース軍との間に陣を構える。他部隊との連携に欠けると思われるコスティラ軍とベルヴァース軍とを臨機応変に対応できるギリス率いるカルデイ軍で繋げるのである。無論、ベルヴァース軍とバルバール軍との連携は、ディアスの役目だ。
それは、バルバール軍が到着して暫くした時の事だった。バルバールの哨戒部隊が、北ロタ王国からの使者を連れ戻って来たのだ。
使者が言うには、北ロタ王国にランリエルと争う意思はない。今回、皇国の命令で兵を出してはいるが、己の意思ではない。故に、ランリエル側も北ロタへの圧迫を停止して頂きたい。そして、その交渉について、以前、北ロタを統治していたバルバールにランリエルとの仲介を頼みたい。と、いうものだ。
それをディアスに伝えた副官も呆れ顔だ。ディアスも、苦笑を浮かべた後、馬鹿馬鹿しいというふうに額に手をやる。その瞳が僅かに光ったのを副官は気付かなかった。
「随分と虫のいい話だが、ランリエルへの使者を勝手に追い返す訳にもいかないだろう。そろそろランリエル軍も到着する頃だ。連れて行けというなら、案内くらいは付けてやるさ」
「はあ」
副官も気のない返事だ。
「だが、一応は仕事をしておこうか。その使者とやらをここに連れて来てくれ。念の為に尋問をしておこう」
「ディアス総司令、直々にで御座いますか?」
「ああ。面倒だが、万一何かあった時に我等が適切に対応しなかったからだと、こちらに責任を押し付けられてはたまらないからね」
「確かにそうですな」
何か企んでいるか? と、問われ、素直に答える馬鹿は居らず、万一サルヴァ王子の暗殺を企てているとしても、この場に刃物を持ち込むはずもないのだが、形式というものも重要だ。ディアス総司令が自ら尋問した。となれば、バルバールとしてはこれ以上の対応はなく、使者の身柄を引き渡した後は、すべてランリエル側の責任だ。
「そうだ。使者には1人だけ護衛をつけても構わないと伝えてくれ」
「よろしいのですか? もしかすると、サルヴァ皇帝ではなく、ディアス総司令を狙っているのかも知れませんよ?」
「なに。そんな事をしてもランリエルが軍勢を引き揚げる訳がない。北ロタへの圧力が強まるだけさ。私も殺しても、殺し損だよ」
「ですが、あえて危険を冒す必要はないと思うのですが」
「いいから。使者にはそう伝えてくれ」
自分の身を案じてくれているのは分かるが、食い下がる副官に強く言いつけた。無論、ディアスに取っては理由のある事だが、それが全て説明出来るものとは限らない。
副官は遅ればせながらそれに気付いたのか、慌てた様子で早足で部屋を後にし、すぐに使者を連れて来た。ディアスが言った通りに護衛の騎士1人を連れている。使者と騎士の顔を見て、2人とも覚えのない顔なのにディアスは内心、首を傾げた。
さて。当てが外れたかな? とはいえ、呼んでしまったのだから、形だけでも尋問するか。
「北ロタ王国に、我らに敵対する意思無し。との事だが、それは北ロタ王国国王ランベールの御意思で間違いないか?」
「はい。それは勿論で御座います」
まあ、そう答えるだろう。たとえ、本当は国王の許可を取っていなくともだ。
「しかし、実際、北ロタは兵を出し、セルミア王都包囲の一角をなしている。セルミアはランリエル皇帝が国王を兼ねる国だ。その王都を攻めて、ランリエルに敵意がないとは道理が通るまい」
「100万皇国軍に埋もれては、我が北ロタの軍勢など蝿のようなもの。別荘に蝿が一匹取り付いたとて、サルヴァ陛下は恐れますまい」
確かに皇国は将兵100万と称せられる。今回はそこまでの動員を行ってはいないが、この手の問答では誇張されるのが常だ。
「人は蝿一匹にむきになり追い掛け回す事もあるが、それは蝿を恐れている訳ではない。ただ、不快なだけだ」
「サルヴァ陛下は、ご寛大な方と存じております。蝿にもご慈悲をお与え下さいますでしょう」
蝿に寛大となり慈悲を与えるという、その言い回しにディアスは思わず苦笑を浮かべた。尤も、サルヴァ王子がどう考えるかなど、ディアスにも分かろうはずもない。
その後も中身のない問答が続き、切が良いところで仕舞おうかと考えていたが、どうも、使者がそわそわしているのに気付いた。初めは、敵の総司令を前にして緊張しているのかとも考えたが、どうやら自身が連れて来た護衛を煩わしく思っている雰囲気がある。
なるほど。どうやら私は、気を回し過ぎたようだ。この使者は、自分1人だけを呼んで欲しかったらしい。それを私が気を回し、護衛を連れて来て良いと言ったものだから焦っているのだ。
私が尋問しなくとも、ご挨拶だけでも、と、私と面会する計画だったのだろう。そして、通常は護衛など許されない。
以前のランリエルによるバルバール侵攻時には、サルヴァ王子と面会する為、使者に扮して自ら出向いたディアスだ。リュシアンも、何か仕掛けてくるなら、それくらいはするかと考えたのだ。だが、リュシアンは、以前にはブランとグレイスとの一騎打ちを仲裁したり、何かとバルバール軍でも顔が知られている。自ら乗り込むとしても、使者本人ではなく、護衛の騎士に扮するくらいはすると予測したのだ。
しかし、その予測は外れ、使者にディアス宛の手紙を持たせる程度の対応でしかなく、それを知らぬ護衛の前では手紙を渡しかねているのだ。
北ロタにとっての最上は、北ロタの働きでバルバールが裏切り皇国が勝利する事だが、次は、ランリエルとの停戦であり、更にその次を上げれば、バルバールと裏で密約し手心を加えて貰う事だ。
リュシアンが秘密裏に接触してくるならば、まず皇国に寝返ろ。という話だと推測するのが自然だが、それは相手に重大なリスクを負わせる。ならば、自身も相応のリスクを負うべきだ。外交も戦いであり、その武器は気迫と誠意だ。断られれば殺される可能性が高くとも自ら出向く。それが相手を動かす。
それを使者に手紙を持たせるだけで済ますとは。
あの男も知能は高く咄嗟の機転も優れているのだが、机上の策になりがちで、こういうところが素人くさいというのだ。
その後、ディアスは使者を持て成す為に酒宴を開くといい、使者の護衛の騎士に他の護衛の者達も呼んでくるように言いつけた。北ロタの騎士にディアスが命令するのは確実に越権行為。騎士は戸惑ったが、使者が頷いて見せたので仲間を呼びに行った。さらに、ディアスは副官にも酒宴の手配や様々な用事を言いつけ、使者と2人きりになる瞬間を作ると、予想通り、実はこれを預かって参りました。と使者は手紙を差し出したのだった。
酒宴は他の者に任せ、早々に引き揚げたディアスは、早速、受け取った手紙に目を通した。
如何に皇国が有利か。味方になれば利益になるか。それを、古今東西の事例を引用しつつ懇切丁寧に説き、裏切りを進める手紙としては満点。という物だ。おそらく100人中99人は、その気になるか。そうでなくとも、かなり気持ちが揺らぐだろう。だが、ディアスは残り1人の男だ。
いくら古今東西の事例を引用しても、幾万とあるその中から都合の良いものを選択したに過ぎず、探せば全く逆の結論になる事例も山ほどある。結局、重要なのは、今、この場で、どうすれば己の国に利するのか。であり、ディアスやサルヴァ王子ほどになると、それを冷静に判断出来る。
リュシアンからの手紙を、ランリエルを裏切れ、という以外の内容を頭から全て追い出し、バルバールの去就を思案した。
国力を比べればランリエルより皇国が勝る。それは、論じるまでもない。だが、いくら巨人でも、その手の長さは無限ではない。現実、ランリエルの隣国、というのがバルバールの地理条件だ。それを考慮すれば、単純な国力比較で判断するのは早計だ。
ランリエルから裏切った報酬としては、コスティラ全土の支配権という破格の条件を提示されているが、それも現実的とは言い難い。国力ではコスティラの半分ほどしかないバルバールだ。少数による多数の支配。幾ら皇国の後ろ盾があっても、そのような統治は長続きはしないものだ。
しかし、だからと言って、ランリエルの味方をするしかない。と断定するのも選択肢を狭める。
現在、ランリエルの影響下にありつつも上手く立ち回り、利益を拡大していると言われるバルバールだが、ディアス。そして宰相スオミとて、強欲な人間ではない。彼等の望みは、ただただバルバールの平穏であり、一見、強欲に見えるのも掛け金を増やしているに過ぎないのだ。
常人ならば、今までの苦労が水の泡になると執着するが、彼らにそのような欲はない。必要ならば
「バルバールは元の領地で十分。得た利益、領土は全て差し上げまする」
と、取引材料とする状況も想定している。
開き直って言えば、ランリエルと皇国のどちらが勝とうが、バルバールさえ無事ならば良いのだ。無論、ディアスにも好悪はある。心情としては、自分の話に乗り、コスティラを攻めてくれたサルヴァ王子の味方をしたいという気持ちは確かにある。カルデイ、ベルヴァース、そしてコスティラに対してすらも、共に皇国と戦った仲間意識も確かにある。
その個人の感情にバルバールの民を道連れにするほど気が狂ってはいない。それがディアスの考えだ。
皇国に付くのがバルバールの為ならば皇国に付き、ランリエルに付くのがバルバールの為ならばランリエルに付く。極めて単純な話だ。その選択肢を残すには、対話の機会を確保しておくにしくはない。
ディアスは、リュシアンへの返答をしたため、隙を見て使者に託した。手紙には今後のやり取りの方法なども記してある。
使者もリュシアンからの手紙を預かっては来たが、ランリエルとの停戦が重要な任務なのも事実だ。使者は、その後、ランリエル本隊へと向かうが、ディアスからの返答は別の者に託してリュシアンへと届けさせるはずだ。
その夜、バルバール軍からランリエル本隊のサルヴァ王子の元に早馬が駆けた。無論、皇国からの裏切りの誘いがあったと伝える為である。




