第239:それぞれの思惑
グラノダロス皇国とランリエル皇国が遂に衝突。
その激震に大陸全土が揺れた。
驚くべき事に、ランリエルに駐在する大使が放った早馬が到着するより早く国元ではそれが知れ渡っていた事例すらあった。先見の明ある商人が、重要な情報を得れば素早くそれを知るようにと伝書鳩を用意していたのだ。その商人は、他に知られる前に重要な物資を買占め莫大な利益を上げた。
ベルヴァースでは、軍勢3万の派遣を決めた。ランリエルの影響下にある国々の中でも最も国力の低い国の1つだが、ランリエルとの付き合いは長い。サルヴァ王子の弟であるルージ王子はベルヴァース王女アルベルティーナ・アシェルとも結婚し、その結束は磐石である。と、見られている。
しかし、その内情は決して熱い友情で結ばれているとは言いがたい。表面上はランリエルの要求に素直に従っているように見えるが、以前にはルージ王子の猛反対でランリエルからの出兵要請を断った。最近は素直に従っているが、それも万一ランリエルが皇国に敗れた場合の布石だ。
「どうせランリエルには逆らえぬのです。ならば、全く我らの意見を示さず諾々と従い、ランリエルが皇国に負けた時には、ランリエルに強制されて仕方がなかった。そう弁明する余地を残すべきで御座いましょう」
とは、ルージ王子の教育係マーティンソンの弁である。
検討の会議などを開けば、どうしてそこでランリエルに反対する意見が出なかったのだ。という話にもなる。検討すらしない。それがベルヴァースの処世術だ。
一度は、出兵を断った事があるのも有利に働く。あの通り、本心では反対だが、近年、ランリエルの重圧凄まじく、次に断れば滅ぼされかねず仕方がなかったのだ。と訴えられる。
そしてルージ王子は究極の愛妻家である。妻の安寧な日々を守る。それを自らの使命と定めている。そして妻の安穏な日々は、ベルヴァースの安穏な日々があってこそ。
人は祖国を想う時、それが祖国であるというだけで無条件に愛する事もある。だが、他国者がその国を愛するには、その国を愛するに値する何かが必要だ。それは、時に美しい風景であったり、その国で出会った優しい人々であったりする。そして、愛する者がいる。それも、理由の一つ。
「分かっているよ」
ルージ王子は、マーティンソンに頷いた。王子に取って、ベルヴァースへの愛は、即ちアルベルティーナへの愛と同義語だ。
そのベルヴァースと同じくランリエルと長い付き合いなのはカルデイ帝国である。しかも、カルデイ皇帝ベネガスはサルヴァ王子が国王を兼任するセルミア王国の宗主にあたる。つまり、サルヴァ王子はランリエル皇帝としてベネガスの上位である一方、セルミア王としては下位に位置する。絡み合う男女のような関係である。(サルヴァ王子とカルデイ皇帝が抱き合っている姿は想像したくはないが)
しかし、そのカルデイにも腹に一物を持つ者がいる。かつてサルヴァ王子をも破った事がある軍人。カルデイ帝国総司令エティエ・ギリスである。
カルデイ帝国はサルヴァ王子の統治政策により、ひき肉に混ぜる玉葱のように微塵切りにされた。多くのカルデイ貴族達は王子の政策によって(表向きは)やむを得ず独立し一国の主となった。現在、カルデイ国内には公国どころか、男(爵)国、子(爵)国すら存在する。そもそも領主はその土地の主だが、属する王国に出兵や賦役の義務を負う。その代わりに、他国に領地を脅かされた時や近隣領主との土地問題が生じた時には王家の助力が得られる契約だ。しかし、独立すれば、その義務はなくなる。カルデイ帝室の直轄領のいくつかがランリエルに摂取された事もあり、カルデイ帝国の軍事力は全盛期の半分以下となっている。
バルバールなど一部の国を除き、この大陸の軍勢は職業軍人ばかりで構成される。領民を招集して役に立つのは、武器や武芸、戦術が未発達で素人が兵となってもそれなりに活躍できた昔の話だ。高価な武防具に身を包み、集団戦の訓練を受けた職業軍人の群れに粗末な武器を手にした素人が混じっても邪魔になる。
戦いとは、どちらかが全滅するまで戦うなど稀。ほとんどが、片方が敗走して勝敗が決する。そこに、死ぬ覚悟のない素人集団を無理やり連れて来ても、毒を詰めた袋を口に含んで殴り合いをするようなものである。
尤も歴史は繰り返される。(この世界に火薬はないのだが)銃器が発明され、素人でも引き金を引けば達人を倒せるようになり(愛国心教育などにより逃げ出さないようにすれば)、また民を召集した兵も活躍出来るようになる。そして、それらの武器が素人では扱えないほど高度化すれば、また、職業軍人にしか用はなくなるのだ。
サルヴァ王子の政策によって、カルデイでは多くの軍人が職を失った。ギリスは、その彼らに新しい職場を与えた。サルヴァ王子に元カルデイ軍人を売り込み、カルデイ外人部隊として雇用させたのだ。だが、それも失業対策だけが狙いではない。
万一サルヴァ王子がカルデイの完全併呑を目論んだ時の手駒とする。それがギリスの狙いだ。
ランリエル軍に入り込んだ彼らに、その動向を探るのは易い。ランリエル軍にカルデイ帝国への出兵の兆し有れば、カルデイ外人部隊隊長レジェスがすぐさま早馬を放つ手筈だ。さらに、カルデイ征伐が発動されれば、彼らはランリエル軍内部で反乱を起こす。
とはいえ、サルヴァ王子も、そのような爆弾を抱えたまま戦は起こすまい。カルデイ討伐の前にカルデイ外人部隊を始末するはず。そして、それこそ出兵の紛れも無い前兆。
その’始末’の方法も解雇されるだけならば良いが、皆殺しにされる可能性もある。だが、そこまではレジェスに伝えていない。お前は試験紙だと言われて気分が良い者はいないのだ。
そして、カルデイ帝国もベルヴァースと同じく3万の兵を動員した。かつてはランリエルに匹敵する国力だったカルデイ帝国だが、今ではこれが精々なのだ。
軍勢を率いるのは、当然、カルデイ帝国軍総司令エティエ・ギリスである。彼は、ランリエル軍と合流した時、レジェスと面会した。同国人が久しぶりに近くに来たのだ。不審に思う者は居ない。だが、その時話された内容は物騒なものだった。
「ランリエルが皇国に敗れれば、先の戦いでランリエルに付いた我らも滅ぼされる可能性は高い。故に、ランリエルの勝利に全てを尽くす。だが……万に一つにもランリエルに勝機がないと見れば、お主はサルヴァ王子、いや、今はサルヴァ皇帝か。皇帝に近づき首を取れ。その首を持って皇国に降伏すれば、千に一つは許されるやも知れぬ」
ベルヴァース、カルデイ、共に裏では物騒な事を考えているが、表立って不穏な雰囲気を漂わせているのはバルバールである。
バルバールの軍事を掌握する総司令フィン・ディアスは、バルバールを守る為ならば他国などどうなってもよいと公言する男だ。その理屈ならばバルバールを守る為ならばランリエルとて平気で捨てるはずだが、面と向かってそれを問われれば、それを馬鹿正直に答えるほど愚かではない。
「ランリエルと共に歩むがバルバールを守る事に繋がる。私はそう信じておりますよ。それともランリエルが皇国に遅れをとるとでも?」
そう返されれば問うた方も次の言葉は無い。それが詭弁と分かっていても、ランリエルが負けるとは口が裂けても言えぬのだ。
とはいえベルヴァースやカルデイのように陰に篭らず、あからさまな分だけ卑怯ではない印象すらある。ここまであからさまにもかかわらず裏切られるなら、裏切られる方にも問題がある。人々はそのように見るものだ。それこそがディアスの狙いである。
そのバルバールは5万の軍勢を動員した。国内防衛を除いた全ての兵力だ。
「たまにはランリエルに尽くすところも見せて置かないとね」
とフィン・ディアスは妻ミュエルとの間に授かった第二子の娘ライサをあやしながら従弟のケネスに語った。
ディアスとて裏切りが好きな訳ではない。必要ならばやる。それだけだ。だが、必要ならば躊躇はない。後ろ指差されるなど露程も考えない。
「自分の名声の為にバルバールの民を危険に晒すほど、私は気が狂ってはいないよ」
聖人、善人ほど人を殺す。しかも、身内をだ。その者、個人でなら幾らでも自らを犠牲に人助けすればいい。誰も止めはしない。だが、多くの人々の運命を握る者が、その慈悲深い心で他の者を助ける時、本来守るべきその身内に負担をかける場合がままある。
「他国の貧しい人々を助けましょう」
と、食糧を援助するぐらいなら(それでも自国の民を飢えさせては本末転倒だが)まだいいが、
「他国の可哀想な人々が死なない為に、貴方達が死になさい」
となれば、もはや狂気の沙汰だ。だが、良い人たらんとする権力者は、得てしてこれをやる。表面的には違っても、結果的にやる。
「他国とはいえ無辜の民を攻めるなど持っての外」
と、敵の町を攻めずに勝機を逸し、戦いに負けて自国の民が敵に蹂躙される。なんと馬鹿げた話なのか。
ディアスは、動員した5万の内4万を率いてランリエル軍と合流する。残り1万は、命令が無ければ追撃すらしない命令厳守の男カーニックに預け、海軍提督ライティラの指揮下に置いた。内海の島々に駐屯させ海上からの遊軍とする。
近年の戦いの結果、ロタは南北に分断されている。南半分はドゥムヤータの保護下にあり、名目上は(実際はドゥムヤータはランリエル陣営なのだが)中立。北ロタは皇国陣営だ。
北ロタ軍は皇国軍と合流しセルミア王都へと向かっているが、国土は小さい北ロタだ。建国して間もなく国力の蓄積も少ない。眼前に広がる内海の島々に1万の軍勢が居れば、全軍を引き返させ海岸線に貼り付けせざるを得ない。
バルバール海軍の役目はそれだけではない。物資の輸送も担う。ランリエルは勿論、カルデイなどからも船舶で物資を輸送するのだ。ちなみに、ランリエル艦隊、コスティラ艦隊も戦時はライティラの指揮下に入る。内陸国であるベルヴァース、カルデイは海軍を持ってはいない。
ランリエル配下の国々の中で、一番ランリエルに忠実なのは、コスティラである。だが、多くの者がその事実に首を傾げる。
カルデイは、長年ランリエルと争い、敗れてその幕下に組みした。
ベルヴァースは、カルデイに攻められたところをランリエルに救われ、保護国となった。
バルバールは、ランリエルに攻められ、滅亡を免れる為に降伏した。
コスティラは、長年争っていたバルバールを救わんが為に出兵し、そのバルバールに裏切られてランリエルの軍門に降った。
カルデイは自業自得。ベルヴァースはランリエルに恩がある。バルバールは、自らの保身の為、コスティラを売った。コスティラは、強いて言えば判断の甘さがあったとはいえ、一番、理不尽な目にあっている。ならば、一番、不服従であるはず。だが、実際は、一番ランリエルに忠実に従っている。それは、その豪胆でからりとした国民性の故であった。
「負けたんだから、仕方あるまい」
それが彼らの思想だ。無論、負けたからと言って、未来永劫従う積りはない。いずれ、独立を果たさんとする気概はある。だが、それもからりとしたものだ。
「ランリエルの元を離れるなら、その時は正面からランリエルに戦いを挑んでくれる!」
真に好ましい国民性だが、損な性分でもある。そして、最近になってようやくその損に気付いた者がコスティラにも居た。彼らの頂点に立つコスティラ王ロジオン。以前は短慮であった彼も、バルバールの裏切りによる敗戦、そしてコスティラ王への即位を経て思慮深い人物に成長している。
如何に高度な政治的駆け引きをしているようでも、所詮は人の業。政治的技巧、高度な交渉術。それらの華美な装飾を脱ぎ去って、みれば、裸の赤ん坊と変わるところはない。
素直で聞き分けの良い子供より、我が儘一杯の子供の方が結局は優遇されるという現実に気付いたのだ。
「いつ裏切るか分からぬと言われているバルバールが、ロタから奪った貿易の利益の分け前を多く貰い、その後はロタ半国を得た。しかも、それをろくに守ろうともせずロタの旧王の残党などに大半を奪われ、しかも、何とか守った残りすらもランリエルに売り払って責任から逃げおおせた。馬鹿馬鹿しい話ではないか」
ロジオンが、宰相イリューシンに愚痴を零すと、信頼する宰相も頷く。とはいえ、彼も勇猛な元コスティラ軍人。王への追従ではなく本心からの言葉だ。
「しかも、我らはケルディラすらままなりませぬ。約束では、ケルディラは我が国に併呑されるはずで御座いました。それが、いまだなしの礫。ランリエルの統治下にあり、更にその西側はゴルシュタットに占領されたまま。扱いに差があり過ぎるようですな」
思慮深くなったとはいえ、生来の気性はそうは変わらない。多少は駄々をこねた方が得をする。裏表の少ないコスティラ人気質で目がくらんでいたその事実に遅ればせながらやっと気付いたのだ。それ故、近頃はランリエルへの要求も増えている。
ケルディラ西部を占領するゴルシュタットへの抗議文を送る事をランリエルに了承させ、更にサルヴァ王子とアルベルドとの会談には、サルヴァ王子の警護をコスティラ騎士に行わせるのに成功した。これにより、ランリエルとコスティラとの結びつきの強さを内外に示せた。更に、サルヴァ王子の命で新たに建国されたテッサーラ王国にはサルヴァ王子の寵姫ナターニヤの父。コンドラート・バルィシニコフ公爵が宰相として招かれた。
コスティラ人気質としては、負けた相手に従うのは仕方がないと考えるが強者に媚を売るのは良しとはしない。しかし、それでも可愛がって貰えるなら嬉しく思うのも人の情。そして、どうやら我が儘を言う方が、良い子でいるより可愛がって貰える。
「ケルディラへの出兵は、ランリエル本隊を除けば、我が国が一番多く兵を出した。今回は、2万程度に抑えるというのはどうだ?」
「よろしいかと」
イリューシンは即答した。
元軍人であるイリューシンに政治能力は皆無だ。にもかかわらず宰相に任じられているのは、国王からの信頼とイリューシン自身が己に政治能力が無いと認めているからだ。治安、財政など各業務をそれぞれの担当大臣に任せ、自らは彼らが仕事がしやすい環境を整える調整役に徹した。ある意味、宰相として王道とも言える。
それ故、国王からの指示には余程の間違いでなければ国王の判断に従う傾向がある。その後、王の意向に沿って担当大臣に大略を指示し、詳細は任せる。それが彼のやり方だ。
指示を受けた軍務大臣は、流石に2万は少な過ぎるのではと懸念を表したが、国王のご指示なのだ。と言われると、それ以上の言葉はなかった。
「俺達が一番少ねえじゃねえか」
とは、コスティラ王国軍総司令ベヴゼンコだ。
「皇国の大軍を相手にしようってのに、上は何を考えてるんでしょうかね」
部下達の口調は軽いが、僅かに内心の懸念が見て取れる。豪胆な彼らだが、それは無謀を意味しない。自分達1人で、皇国騎士など3人を蹴散らしてくれる! とは思っているが、4人だときついとは考えている。
「いざとなったら、すぐに増援を送るとは言っていたがな」
ベヴゼンコが、硬い顎鬚を撫でながら言った。
彼の戦術は突撃一辺倒と言っていい。だが、この大陸において最高水準の軍人の1人であるフィン・ディアスは、そのベヴゼンコを最も平地での戦いが上手い男と評している。
無論、’平地での’というのがみそだ。怪しい軍記小説のように、突撃する騎馬隊に大打撃を与えられるような落とし穴など、現実には難しい。見渡しの良い平地ならば奇襲の危険も無い。小細工が利かず、兵士の質が勝敗を左右しやすいのだ。戦いとは、勝てば良いのであり、実際、平地の戦いでは、突撃一辺倒で勝てるのだからしょうがない。
ベヴゼンコ自身、それが分かっていての突撃一辺倒だ。突撃では勝てぬところではしない思慮もある。総司令にもかかわらず突撃となれば真っ先に飛び出す彼だが、それも計算の内。他の騎士達は、総司令に負けてはならぬと懸命に駆け、結局、敵と衝突する時にはベヴゼンコを追い抜いている。その速度が突撃の威力を増す。
さて、ランリエルは皇国に勝てるか。
顎鬚を撫でながら、豪胆な総司令は思案を続けた。




