第237:暗愚
その時、リンブルク王ラルフ・レンツは、ケルディラ占領地に反乱があり、それを鎮圧するに軍勢を動員していた。反乱自体は小規模であったが、万一その鎮圧に失敗すれば反乱の火の手は他に飛び火する。例え小火でも初期消火が大事。それをしくじれば燃え広がり大火災となる。
反乱鎮圧には多すぎると思われる1万もの軍勢を率いた。如何な巨人揃いのケルディラ人とて、1人に数十倍もの相手に囲まれては手はない。瞬く間に鎮圧された。事態を見守り、もし反乱側が優勢だったら後に続こうと考えていた他の反乱勢力も戦意を挫かれ、少なくとも表面的には平静を取り戻しつつあった。そこに、皇国軍によるセルミア王都侵攻の報を受けたのだ。
「これこそ天佑である!」
ラルフ王はそう発し、デル・レイへと軍勢を向けたのだ。
不可解なり!
前線から駆けに駆けて来た埃だらけの情報士官から報告を受けたランリエル軍部の者達の多くはそう考えた。サルヴァ王子ですら例外ではない。しかし、不可解の方向は異とした。
現在、ゴルシュタット=リンブルクとはケルディラ西部の領有権を巡って争っている。皇国軍によるセルミア王都侵攻を天佑として軍勢を向けるならば、その方向はデル・レイのある南ではなく、東に進みケルディラ中部へと進むはずではないのか。軍部の者達は、そう考えたがサルヴァ王子は違う。
ゴルシュタット、ひいてはリンブルクとは裏で手を組んでいる。故に、軍勢をケルディラに向けないのは理解出来るのだ。だが、それでも現時点でランリエルへの助勢を宣言するのは理解出来ない。
「ラルフ王がデル・レイに軍勢を向けた、その名分は?」
サルヴァ王子が代表して皆の疑問をぶつける。
「はっ」
と、応じた情報士官が口を開いたが、その内容は、報告している当の本人も納得し難いのは表情から読み取れた。
「ランリエルとはケルディラを巡って問題を抱えているが、決して、我が方にランリエルと争う意思はなし。むしろ隣人として友好を求めている。その友人の危機を見捨ててはおけぬ。助けるのは当然であり、それによってランリエルも我らの真意を理解してくれるであろう。との事で御座います」
何人かの感激屋が顔を綻ばせたが、多くの者は呆れ顔だ。こちらにも友人を選ぶ権利がある。そのような押し付けがましい友情など無視をして、こちらは当初の予定通りに計画を進めるのみ。デル・レイに進出したリンブルク軍がどうなろうと知った事ではないのだ。
「して、この行動はゴルシュタットの承認を得ているものなのか?」
王子が問うた。呆れ顔の者達も、それは重要と表情を引き締める。
「それが……。ゴルシュタットでは、この行動はリンブルク王の独断であり、ゴルシュタットとしては皇国に弓引く意思は毛頭なし。と申しております」
「リンブルク王の独断だと! なんという体たらくよ。ベルトラムは娘婿の手綱すら操れぬのか」
将軍の1人が吐き、他の将軍も失笑を漏らす。
しかし、その中でサルヴァ王子は苦悩していた。
サルヴァ王子にしてみれば、軽率な! と、怒鳴りたいところだ。しかし、すでに参戦してしまっている現実は否定出来ない。ここでリンブルクを見捨てれば、当然、ゴルシュタットと手切れとなる。
リンブルク王の独断と言っているが、あのベルトラムがそのような稚拙なミスをするものか。間違いなくベルトラムの意図を汲んでいるはずだ。リンブルクを見捨てるのはゴルシュタットを見捨てるのと等しい。
1万人の命。決して小さくはないが、この大陸の全兵士からすればリンブルク兵1万など豆粒のようなものでしかない。だが、その豆粒が、この大陸の運命の天秤を傾ける重量を持っていた。
リンブルク兵は今どこまで進んでいるのか。いまだデル・レイ国内を通過中なのか。セルミア王都近くまで到達しているのか。流石にこの短期間でデル・レイ領内の状況までは掴めていない。だが、リンブルク王はルキノ。将来の軍幹部として目をかけて来た。ならば、皇国の大軍に僅か1万で突っ込む無謀はしない。無理をせず皇国軍に阻まれればそこで留まるだろう。
セルミア王都を救う為と入城を目論む事態は今回、考えなくてよい。裏でランリエルと手を組んでいる事実を公表せず、あくまで友誼の為と称している。これでは、セルミア王都の守備兵にも疑われて入城が許可されない事ぐらいはルキノも理解しているはずだ。
しかし、それでも残された時間は多くはない。リンブルク兵に大きな被害が出ては手遅れとなる。
「現時刻を持って、今まで検討していた全ての作戦を中止。大動員を発令する! カルデイ、ベルヴァースにも連絡し、最大動員を持って皇国軍を迎え撃つ!」
サルヴァ王子が宣言した。
「な、何ですと!?」
「リンブルク兵など捨て置けばよろしいではないですか。奴らが勝手にやった事に、どうして我らが付き合わねばならぬのです!」
驚愕の声が上がった。王子の鋭い視線が将軍達を一瞥すると押し黙る。
「我がランリエルは、カルデイからケルディラまで支配下の国は多い。だが、その結束は必ずしも磐石ではない。友誼を持って我がランリエルに助力せんとする者を見捨て、その結束が保てるか!」
何たる茶番!
大演説をうったサルヴァ王子自身、内心吐き捨てた。むしろ、その怒りの表情で将軍達を圧した。王子の視線の片隅に静かに首を振るムーリの白い頭が映る。
少ない動員で皇国軍の攻勢を凌ぎきる。その戦略は既に破綻した。何を思ったかリンブルクがランリエルに付くと表明してしまったのだ。ここでランリエルが大軍で皇国軍を引き付けなければ、皇国軍の矛先はリンブルク、ひいてはゴルシュタットに向く。そうなれば、ゴルシュタットはあっさりと皇国になびくだろう。
ベルトラムの狙いは、サルヴァ王子への踏み絵。リンブルク軍が、どうしてランリエルとの同盟を公表せず、友誼、などという子供だましの主張をするのか。その方が、皇国に寝返りやすいからだ。
ランリエルと手を組んでいたが、やはり皇国に付く。そう言うより、友誼によりランリエルに助勢しようとしたが、ランリエルはその友誼に応えようとしなかった。故に皇国に付く。そう言った方が皇国の心象も良い。ましてやリンブルクの独断と主張している。リンブルクを見捨てれば、ゴルシュタットは初めから皇国に付くと考えていた。とも主張できる。
サルヴァ王子は慎重な男だ。しかし、今はその慎重を発揮するだけの余裕がない。即決しなければならず、即決するならばリンブルクを助けるしか道はないのだ。
王子の眼光に圧された将軍達も納得しかねる様子だ。ムーリは目を瞑り俯いているが、他の将軍達より、そのムーリの俯きが王子にの神経をさかなでる。
サルヴァ王子が軍事の芸術家ならば、ムーリは職人。華やかな功も多く称賛を集めるのは王子だが、確実性に置いてはムーリが勝る。それは王子自身も認め、だからこそ信頼もしているが、今、この場においてはゴルシュタットとの事情を知りもせず。という理不尽な苛立ちを覚える。王子自身もやむを得ない選択であって、納得しているのではないのだ。
「各自、部署に戻り、直ちに出陣の準備をせよ!」
自身に言い聞かせるように言い放ち解散を命じた。
その後、サルヴァ王子は副官代理のベルトーニに命じ、カーサス伯爵を呼び寄せた。伯爵自身、予測していたのか王子の前に現れたのは、王子が予測していたより半刻ほども早い。
対ゴルシュタットの諜報戦では、大惨敗したカーサス伯爵だ。一時は自信喪失し、打ちひしがれていたが、今ではかなり立ち直っている。しかし王子の要請に青ざめた。
「ゴルシュタットへの情報収集で御座いますか」
大戦を前に、必ず自分の出番がある。そう考えていた伯爵だが、その舞台は皇国。そう予測していた。しかし、まさか、自分には鬼門とも言えるゴルシュタットとは。
青ざめる伯爵の様子は王子も察したが、それに気付かぬように話を続ける。
「皇国軍がセルミア王都へ向け軍勢を動かした、その時を同じくし、リンブルクも軍勢を動員してケルディラに駐屯していた。というのは出来過ぎ、とは思わぬか?」
「確かに……」
リンブルク王自身が’天佑’と、偶然である事を強調しているので、聞いた者の多くも、そうなのか、と流されてしまっているが、その言葉を廃して事象だけに目を向ければ、おのずと違う姿が見えてくる。
「ケルディラの占領地で反乱が起こったという事だが、まずは、それが事実なのかを調べて欲しい」
「反乱が事実であったとしても、それが間違いなくケルディラ人によるものなのか。ケルディラ人にしても、にわかな者であるか。も、ですな」
「その通りだ」
ゴルシュタット関連については、苦手意識どころか、負け癖まで付いているカーサス伯爵だ。緊張に声は硬いが、それだけに神経が研ぎ澄まされている。王子から見ても完璧な答えだ。
そして数日後、サルヴァ王子はカーサス伯爵からの報告を受けた。
「リンブルクでは間違いなく反乱が起きており、その首謀者もケルディラ人。そういう事だな?」
「は。ゴルシュタットによる占領直後から活動していた者達です。今回の鎮圧では首領格の者達も命を失い、ゴルシュタットからの命で動いていたとは認められません」
「うむ」
サルヴァ王子は確信を得て頷き、この件については、これ以後、疑問を持つ事はなかった。
しかし、サルヴァ王子が、ベルトラムとその腹心の部下ダーミッシュとの間でなされた次の会話を聞いていれば驚愕しただろう。
「ケルディラ人反乱勢力がラルフ陛下の鎮圧軍に敗れ、率いるバタノフも討ち取られました」
「死んだか。今まで良く働いてくれたが、奴は少々育ち過ぎた。ここらで刈り取る良い時期でもあった。最後まで、役に立ってくれたものよ。で、他の者はどうしておる」
「はい。他の反乱勢力も肝を冷やし、暫くは大人しくするでしょう。我らも、その間は資金提供を控えます」
「うむ。大陸全土を巻き込んでの大乱が起ころうというのだ。微々たる者どもにかかわっては居れぬ」
占領軍にとって頭を悩ますのは、各地に潜む敗残兵に寄るゲリラ活動だ。だが、その根絶は難しい。他国人に祖国が占領されたのだ。必ず反発する勢力は出来る。例え叩き潰しても、また、地の底から湧き出てくる。完全に殲滅するには、それこそ国民を根絶やしにするしかない。だが、それをしては領地を得る意味が無い。
ならば管理する。祖国が敗戦し、在野に下った名のある者にこちらから接触した。大陸全土に根を張るダーミッシュの一族だ。その中には、あらゆる国々の混血児もいる。当然、ケルディラ人との混血もいる。
「私は、商人として身を起こし財もなしました。商人といえど祖国を憂う気持ちは騎士にも負けません。しかし、口惜しいですが、祖国を救う武勇も人を集める名声もありませぬ。資金ならば幾らでもご用立て致しまする。どうか、祖国を憂う者達を率い、ゴルシュタット、リンブルクと言った者達から愛する祖国を取り戻して下さいませ」
そう言って名のある者に反乱の火の手をあげさせ、自分は顧問や参謀のような地位に付いた。リンブルク軍やゴルシュタット軍に対し、ある程度勝たせ、ある程度負けさせた。ダーミッシュの一族に軍才に秀でた者は少ないが、双方の情報が筒抜けなのだ。勝たせるのも負けさせるのも容易だった。
その中には勢力を拡大し、制御しきれぬほど巨大化しそうになる勢力もあった。それには内部分裂させ弱体化させたりもした。時には、反乱勢力同士の対立を煽り、反乱勢力同士で戦わせる事すらあったのだ。
この中で、一番目だった勢力を今回の作戦の餌としたのだ。所謂、ベルトラムが得意とする無作為の花園による花束だ。元々、今回の作戦の為に用意した者達ではなかった。故に、その根を手繰ろうとも今回の事象に辿りつかない。
サルヴァ王子は知者である。だが、それ故に、全てに意味を求める。全てに整合性を求める。それ故に、創造者すら初めは想定していなかった事象の寄せ集めを読むことは出来なかった。
更に言えば、ベルトラムは必ずしもサルヴァ王子を騙そうと考えていたのですらない。むしろ、サルヴァ王子がカーサス伯爵を使い、ここまで調査させた事を知れば、流石は東方の覇者よと称賛したであろう。だが、それも、大人が賢い子供を褒めるようなものだ。
そして、こうも言うだろう。
知者は、知者だからこそ、時にはその視野は狭くなる。




