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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
328/443

第236:大戦の足音

 大陸暦638年。秋。


 突如、デル・レイ王国軍がセルミア王都に向けて進軍を開始した。北ロタ王国軍とも合流し、セルミア王都南西部に軍勢を展開させたのだ。


「ヤハシ!!」


 その報に接し、サルヴァ王子はそう叫んだと言われる。思っていたより時期が早い。という事と推測されるが、その短い台詞すら全てを音声にする余裕がないほどの驚愕。それが伺える。


 しかし、その一方、すぐさま対応の指示を出すかといえば、そうではなかった。全大臣、軍首脳部の召集を命じ、自身は妻子が住まう王宮の居住区へと足を向けた。全員が集まった広間に姿を現したのは、2刻(4時間)ほど後の事だった。一番初めに駆けつけた者は1刻半。最後に到着した者すら半刻待たされた。救いなのは、会議という事で椅子に腰掛けられていた事だろう。


 皇国との決戦を前に、愛妾アリシアとの間に2人目を作ろうとしたのだろうという者も多いが、実際は、そのような浪漫的(或いは下品)な事情ではなく、気を落ち着かせる為に妻子の顔を見に行ったに過ぎない。しかも、それも1刻だけで、後の1刻は、現在のセルミア王都の兵力と物資の蓄積具合や、ランリエルがすぐに動員できる兵力などの情報収集の為だ。ちなみに2人目を作る行為は、その夜に行われた。


 待ちくたびれた顔をした者達も、サルヴァ王子の登場で表情を引き締めた。


「すでに耳にしているだろうが、皇国軍がセルミア王都に軍勢を向けた」


 王子の声は落ち着き、その表現も控えめなものだ。更に続ける。


「我が国はそれを迎え撃つ」


 大きくざわめいた。敵が攻めて来たから迎え撃つ。その当然すぎる当然に戦慄が奔る。多くの者がその戦慄に全身を蝕まれる中、軍人、文官の内でも僅かな者達は、次の思案が頭に浮かんだ。


 どう迎え撃つか。


 セルミア王都を守りきって良しとするか。皇国軍を撃破するか。それで良しとするか。更に皇国へ逆侵攻を仕掛けるか。


 様々な情報、状況、分析。それらから導くべき答え。それをまず定めなくてはならない。そうしなければ議論の主題が揺らぎ無駄に時間を浪費する。


 大国になれば税収は増えるが歳出も多い。特に、前回の皇国軍の侵攻はランリエルにとって防衛戦でしかなく、巨額の軍事費がかかった挙句、寸土の土地も得られなかった。この状況で最大動員をかけるならば民への増税しかなく、何度も出来るものではない。


 国力では圧倒するはずのランリエルが、ベルトラム率いるゴルシュタットに対し譲歩しなければならなかった理由は、何も裏では手を組むのを望んでいた、という為だけではないのだ。ゴルシュタットは、ランリエルと比べ小なりといえど易い相手ではなく、討ち果たすならば大動員をかけねばならない。そして、それをしては皇国と戦う余力を失ってしまうのだ。


 だからこそ、皇国との決戦は経済が安定するまで先延ばしにしたかった。今、最大動員をかければ、皇国の侵攻が本腰のもので無かったとしても後には引けない。


 故に、一見、守り切る。撃破する。逆侵攻をかける。その3択かと思われるこの問題も、実は選択肢は2つしかない。出費を最小限に留める為、最小限の動員で守り切るか。逆侵攻を駆けるかだ。1度しか山に登る体力がないところに、五合目まで登って引き返しては、二度と山頂には届かない。サルヴァ王子の最終目的が皇国との決戦である以上、皇国軍を撃破するなら逆侵攻までやりきる。


 サルヴァ王子が大方針を発表し、ここで改めて士官から状況説明がなされ、質疑応答が始まった。


「正確な数は算出出来ておりませんが、多くても10万は越えず、皇国の最大動員には程遠い数です。セルミア王都の守備兵は3万ほどですが、街全体を囲む城壁が建設途中とはいえ、セルミア王都は要害の地。それだけの兵力で落とすのは困難。敵がセルミア王都陥落を目指すならば、更なる増援があるものと思われます」


「敵は、なぜ兵を小出しにする?」


「我らが皇国軍の動きを察知できなかったのは、まさに、皇国軍にしては少ない動員であったからです。察知出来ていたならば、我らはセルミア王都に兵力の増員を行っておりました。それをさせんが為、まずセルミア王都を少数で囲んで我が方の増員を阻み、その後、大軍でもって本格的な攻略に移る。そのような手順かと想定しております」


 要害を攻めるには守兵の10倍の数が必要。聞き飽きるほどの兵法の常識だ。篭城側に兵1万が増員されれば、攻め手には10万の増員が必要となる。2万なら20万。


 尤も、以前の皇国は相手が1万を増援するならばこちらは20万を増員する。そのような思想だった。それこそが皇国。大地を埋め尽くす大軍で押しつぶす。今回、それをしなかったのは以前のような驕りを捨て、ランリエルを対等の敵と見たとも言える。


「ここは、最小限の動員で乗り切るべきと思われます」


 議論が開始されると、ある将軍が発言した。まだ若いが(といってもサルヴァ王子よりは年上だが)その用兵は手堅く王子も評価している男だ。ランリエルの宿将たるムーリは目を瞑り沈黙している。彼も同意見だが、彼は後進を育てる事を知っていた。若い者達に議論を任せ誤ればそれを正せばよく、議論が正しく進んでいるならば出しゃばる必要はない。


「いや、ここは大軍で迎え撃ち、皇国軍を完膚なきまで、叩き潰すべきである!」


 勇ましい反論がなされた。皆の視線の先に居たのは、意外にも線の細い文官だ。実際に戦わない者ほど勇ましいのも珍しくはない。むしろ、軍人たちの視線は冷ややかだ。


 武官の列から反論がなされた。ムーリはいまだ沈黙し、サルヴァ王子も是非の感情を表さない。


「言うは易しだ。前回の戦いでは我らが勝利したが、動員できる兵力は皇国に及ばぬのだ」

「それを成すのが貴方がた軍人の役目ではないのですかな。兵力が多い方が必ず勝つならば、前回の戦いとて我が方は負けていたはずです」


「必ずは勝てなくとも、多くは数が多い方が勝つのだ」

「ですが、サルヴァ陛下の知略で勝利したではないですか。今回もサルヴァ陛下の元、皇国軍を撃破する事間違いなし。何を恐れる必要があるのです」


 サルヴァ王子の威を借る文官の顔には、王子の名を出されて言い返せるものかとあざけりの表情さえ浮かぶ。


「分かったふうな口を利くな!」


 如何にも軍人、という髭面の男が椅子から身を起こし拳を机に叩きつけた。逞しい腕の下で机が悲鳴を上げる。サルヴァ王子の名には抗えぬだろうと高をくくっていた文官が途端に青ざめた。


 議論する相手を恫喝して口を封じては正常な議論が出来なくなるが、相手も王子の威をかっているのだ。それに、武官の恫喝を王子も黙認している。王子は確かに文官の言うとおり優れた軍人であるが、それだけに勝利が容易でないのを理解している。簡単に言ってくれる。という思いは王子も同じだ。


 怒鳴った男は腕組みし、憤慨の様子で浮かしかけた尻をどかりと椅子に乗せた。まるで打ち合わせていたかのように穏やかそうな初老の武官が後を受ける。


「貴公ら文官こそ、皇国を上回る動員が出来るだけの金を用立てるのが役目ではありませぬか。いや、今、それを言うてもせん無き事。お互い、今できる事を成すべきでしょう」


 穏やかそうな相手が出てきたと安著した文官達だが、王子の威を借りての暴言に効き目がないと諦め、以降は、双方、相手を侮辱せず議論は進んだ。


 多彩な提案がなされたが、全体としては、ここは最小限の動員で防ぎきる。という流れが出来つつあった。ムーリは勿論、サルヴァ王子の思案とも合う。その議論に耳を傾けつつ、自分も丸くなったものだと内心苦笑した。バルバール侵攻を決定していた当時の自分なら、間違いなく皇国との決戦を選択していただろう。


「では、大方針としては、今回の皇国軍侵攻には、守勢に徹し敵が退却するのを待つ。その方向で進める」


 王子が宣言し、その後は詳細が詰められた。


 計画では、皇国軍侵攻時には、まずは北ロタとの国境近くのサヴィニャック城にて敵を支え、その間にセルミア王都の篭城の準備を整える。その手筈だったが、今回、敵軍は、まず少数でセルミア王都を包囲し、その後、大軍を動員する手順と想定される。サヴィニャック城も無理して攻略しようとはせず、抑えの兵だけを置いて通過している。


 サヴィニャック城の守兵は敵の隙をついて、即刻、退去させるべき。という意見も出たが、それは却下された。セルミア王都で敵を支える方針となり優位な体制を作りたい。皇国の大軍が来る前に現在いる皇国軍に対応できるだけの兵を送り、包囲網の一角を崩せれば最良だ。サヴィニャック城の存在は、その大軍が来るのを遅らせるはずだ。


 無論、敵の大軍がセルミア王都に到達したならば、その時こそ皇国軍は、後顧の憂いを無くすためにサヴィニャック城の攻略に乗り出すだろう。守兵は全滅の危機に瀕する。戦争という非人道的な行為をしようというのだ。ここで、守兵が可哀想と善人面をしても仕方が無い。


 退却時には、敵の追撃を抑える為、殿しんがりという全滅覚悟の兵を置く。可哀想といって置かねば更に多くの被害が出る。が、それと守兵をまったく見捨てるかは別。その時になれば皇国軍へ牽制の兵を出し、守兵が脱出する隙を作らなければならない。そうでなければ、味方を見捨てるのかと全軍の士気にかかわるのだ。味方の為に犠牲になれといい、味方を見捨てるのかと助ける。傍から見ればまるで喜劇であるが、それが戦争というものだ。


 そのランリエル’勢’の内訳である。ランリエル皇国軍ではなく、ランリエル勢と称する場合、勢力下の国々の軍勢も含まれる。ランリエルの勢力は、東のカルデイから西のケルディラまでに及ぶ。


 今回は、早急に軍勢を派遣せねばならない。セルミア王都からランリエルより遠いカルデイ、ベルヴァースは対象外とし、バルバールとコスティラにそれぞれ1万の動員を命じる。その代わりにカルデイとベルヴァースには軍資金の提供を求めた。一夫多妻の夫には、妻達を平等に扱う公正さが求められるのだ。最近も、バルバールに甘い! と、コスティラが臍を曲げたところである。


 問題は、ケルディラへの対応だ。ランリエルの支配下に置いたとはいえ、つい最近だ。従順とは言いがたく、軍勢の動員を求めれば反発が大きく統治にも支障をきたしかねない。それどころか、皇国軍の侵攻をきっかけに離反しようとする可能性が高いほどだ。故に、皇国軍へ向ける軍勢とは別に1万の兵を動員し、ケルディラへ派遣する事とした。


 ケルディラ併呑を望むコスティラが、その軍勢を任せて欲しいと訴える事も予想されるが、近頃、中々食えないところもあるコスティラ王ロジオンだ。ケルディラへの支配を強め、ケルディラ併呑の既成事実としかねない。それに、ケルディラ北西部を占領するゴルシュタットと衝突する危険もある。ゴルシュタットとランリエルは裏で手を組んでいるのでそれは不味い。


 こうして、セルミア王都へはランリエル皇国軍5万5千。コスティラ王国軍1万。バルバール王国軍1万。ケルディラにはランリエルのみの1万を派遣する事と決まった。本隊を率いるのは宿将ムーリ。ケルディラ方面の軍勢は、テッサーラ王ウィルケス・バルレートが率いる。


 サルヴァ王子の副官に任じられる前に、少数部隊の指揮の経験しか無いウィルケスである。それが、いきなり万の軍勢を与えられたのだ。無論、経験豊かな将軍達が補佐につくが、それでも異例中の異例である。


「国王に任じた腹心の部下に箔を付けたいのであろう」


 多くの者がそう考え、事実、それも理由の一端ではあるが、それよりも大きな訳があった。しかし、それを言い当てられぬからと言って、それは彼らの知能が低いからではなかった。サルヴァ王子や当のウィルケスなど少数の者しか知らぬ事情がある為だ。


 ゴルシュタットとの同盟である。


 例えウィルケス以外の者に任せるとしても、皇国と事を構えているこの最中にゴルシュタットまで敵に回してはならない。サルヴァ王子はそう命じるだろうが、遠く離れた戦地では、必ずしも命令が厳守されるとは限らない。


 軍人達の中には、命令に反しても武功を挙げれば、命令違反は黙認されて手柄となるという考えまである。ゴルシュタットは敵ではなく、実は味方なのだ。という事実を知るウィルケスが適任なのだ。


 サルヴァ王子の副官が不在という事になるが、今回の任務終了後、ウィルケスが戻るまで副官代理を置く。ウィルケスも国王となった事だし、副官の任を解いては、という意見もあったが、将来の統治計画の為、一国の王をランリエル皇帝の副官とする。というサルヴァ王子の構想の為、それはなされなかった。


 それらが決定されたころには、既に日が落ち夜も深かった。これで全てが決まった訳ではなく、動員する部隊の選定、補給計画など細部の検討には数日の時が必要だが、取り合えずこの日は解散となった。


 サルヴァ王子が宮殿に戻り妻子の元に向かうと、娘のジュリーは既に眠りについていた。娘も既に1歳。先日、立ち上がりかけ尻餅をつき、もうすぐ完全に立つ日も近いだろう。尤も、アリシアには別の主張がある。


「立ち上がってから尻餅をついたんです」


 つまり、立ち上がりかけたのではなく、立った。というのだ。意外と娘に甘いサルヴァ王子だが、生真面目であり几帳面でもある。


「いや、足が伸びきっていなかったので、立ったとは……」


 そこまで言った時、アリシアが、あ? というふうに睨んだ。サルヴァ王子は、正しい事よりも大事な事がある事を改めて学んだ。


「これで、皇国軍が引いてくれれば良いが」


 ぐっすりと眠る娘の顔を覗き込みながら王子が呟く。平和に暮らしている者からすれば、幼い娘を抱きながら戦争の話などというのだろうが、当事者である彼にとっては娘の将来にもかかわる。アリシアも王子を非難せず、話を引き出すように相槌を打つ。


「皇国軍が引く? 少ない数しか兵を送らないのなら皇国が有利なのではないですか?」

「皇国とて、無限の国力がある訳ではない。我が軍のタランラグラ侵攻にバンブーナ一国で対応したのも資金不足が原因だ。我らが少ない兵力で対応すると知れば皇国も消耗を避けるはずだ」


「そうですわね」


 アリシアはそう答えたが、実は、サルヴァ王子の言葉を理解していない。彼女の知能は精々普通であり天才でなければ秀才でもないのだ。だが、多少は、賢くはあった。サルヴァ王子が、だから戦争にならないと言いたいのだとは理解していた。そして、それをサルヴァ王子は不器用にも(或いは天才故に自分が分かる事を他人が分からないのを理解出来ない故に)上手く表現できないだけなのだ。ならば納得して見せるのが妻の役目である。


 そして実際、サルヴァ王子の考えている通りになる公算も高い。ランリエルの動員が少なければ、もし大動員をかけセルミア王都を落としても、その後にランリエル本国が無傷で残っていては、後が続かない。


 確かに自分の国の王都が落とされてはサルヴァ王子の面目は潰れ、その威信に傷がつくが、その代償として、数年間は大動員がかけられぬほどの経済的負債を抱えては皇国も割りに合わない。


 いざともなればセルミア王都を見捨てる。会議の場では明らかにしなかったが、サルヴァ王子は最悪、そこまで想定しているのだ。


 しばらく娘の寝顔を堪能した後、サルヴァ王子は娘を小さなベッドに置き、代わりにアリシアを抱き寄せた。


 それから数日、出兵の準備が慌しく行われていた。会議の結論もバルバールなど各国がランリエル皇都に駐在させる外交官を介して通達され、彼らは急ぎ祖国に早馬を出した。本心では、ランリエルから直接、早馬を出したいところだが、彼らの面子も考えなくてはならない。実際、断られる事はないのだが、命令ではなく要請なのである。


 しかし、その最中、驚くべき情報がもたらされた。


 リンブルク軍の参戦である。

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