第235:欺瞞
「と、いう訳で、たまにお前を殺そうとするかも知れんが、そこは上手くやってくれ」
「簡単に言わないでくれる?」
ウィルケス・バルレートの戴冠式は慌しく行われた。サルヴァ王子が皇帝の冠を乗せたのと同じ広間で、その王子からテッサーラ王の王冠を頭に載せられたのだ。その後は盛大なる宴が用意されているが、その傍らに居るべきテッサーラ王妃の座は、いまだその主はいない。
国王以外の求婚は受けない。そう主張するナターニヤに求婚を受けさせる為、サルヴァ王子がウィルケスに王位を与える。少なくとも表向きはそうなっているので、最後までそれを通そうという事になった。戴冠式の後、ウィルケスはナターニヤ・バルィシニコフの元へと向かった。馬車すら使わなかったのも、無爵位の青年が突如、国王になったという’劇的’を強調する演出だ。
戴冠式。ナターニヤへの求婚。王妃の王冠を被ったナターニヤを連れて宴に登場。という段取りである。
貴族達のみならず、軍部の(王位を得ると決定してから劇的に増えた)友人達からも送り出されたウィルケスは、王妃の王冠を収めた宝石と真珠をちりばめた箱を脇に抱え扉を叩いた。
そして、ここまでくればナターニヤも悪あがきはしなかった。ランリエル王妃の座を狙う寵姫。その役割が終わり、むしろさばさばしたものだ。無論、そこにはウィルケスの手腕もある。
人は状況に流される。という事象がままある。それには、○○なのだから仕方がない。という精神的逃げ道が必要だ。
勢いに任せ、アリシア襲撃を後ろから糸を引いていた。それを暴露し弱みがあるナターニヤにウィルケスは、俺達は共犯なのだと、明らかな嘘を吐く一方、だから俺に従えと脅迫した。
共犯だという言葉で、ウィルケスが精神的に自分を救ってくれようとしたのはナターニヤにも分かっている。とはいえ、散々、自分の邪魔をしてきた男に素直に従うのは癪だ。しかし、脅迫されているのだから仕方がないのだ。それに、サルヴァ王子の妃という道が閉ざされた今、その腹心の国王の妃。というのは、実際、美味しい。
あの時、拒絶の言葉を吐く間を得られずウィルケスを逃したが、冷静に考えれば考えるほど、もはやあの男の妃になるのが最善の状況。もし、勢いででも拒絶の言葉を吐いていれば、後には引けなかったかも知れない。
2人きりの部屋で、しょうがないわね。とウィルケスの求婚を受け入れた。そして、将来の話をしていたのだが、そこでウィルケスが、アリシアの侍女、エレナとの関係を語ったのである。
「以前は、私を慕ってそうだったのに、急に態度を変えたと思ったら彼方の仕業だったのね」
「人聞きの悪い事を言うな。俺があの娘をそそのかしたんじゃなく、あの娘がお前を怪しいと言い出したんだ」
「あんな訳の分からない娘のいう事、信じないでよ」
「信じた訳じゃない。怪しいというから調べたら、真っ黒だっただけだ」
「誰が真っ黒よ。彼方こそ、人聞きの悪い事、言わないでよ。だいたい、彼方、あの侍女どうする積りよ」
ナターニヤは、腰に手をあて憤慨し、それに対しウィルケスは、侍女との関係を続けると宣言し、冒頭の台詞へと繋がる。
「このまま愛人として付き合っていくしかないだろうな。なに、俺があの娘と上手く行っている間は安全だ。むしろ、下手に切ろうとすれば、あの娘は何をしでかすか分からん」
もしエレナがナターニヤを害そうとすれば処刑となる。どんな理由があろうとも、人を殺そうとした者は殺されても文句は言えない。そう断じるウィルケスだが、その理由に自分が含まれているとなると話は別。人間の精神とは、それほど合理的には出来てはいない。普段、食している牛の肉が、牛を殺して得ていると当然知っている淑女は、それに罪悪感を感じないが、では、刃物を渡して牛を殺して見せろと言われれば、そんな可哀想な事は出来ないと涙を流すのだ。
「私に面倒を押し付けないでよ」
「分かっている。だが、ここまで引っ張ってしまった責任もあるしな」
「あら。お優しい事で」
求婚した直後の愛人宣言にも、ナターニヤはさばさばしたものだ。この男が、アリシア殺害未遂の原因の一端が自分にある事を知り、それをどうやら救ってくれたらしい事は分かっている。その事に付いては、一応は感謝の気持ちも少しはあるが、それがすぐに愛情に結びつくものではない。
そして、言葉にした通り、どうやら、一見、軽薄そうなこの男が(少なくとも女性には)優しいらしい事も、自分を助けようとした事から分かっている。幼く見えるあの頓珍漢な侍女も、何だかんだで何年も引っ張った挙句に結婚適齢期を過ぎている。今更、捨てても置けないのだろう。
「とにかく、私に迷惑がかからないようにしてよ」
「大丈夫だ。ただ」
「ただ、何よ」
「あの娘が俺の子を産むかも知れないから、出来れば、お前が先に産んでくれる方が面倒が無くていい」
「面倒、かかってるじゃないの!」
憤慨するナターニヤだが、実際、それは望むところでもあった。貴族の結婚とは跡継ぎを残す為のもの。この男と結婚すると決めた以上、この男の子を産むのも覚悟の上。もし、すぐに妊娠し、男子を産めばアリシアの娘より少し下になるが年齢は近い。もし、娘だったとしても、更にアリシアをけしかけ王子との子供をもう1人産ませて、それが男の子だったら、それと結婚させる手もある。
ランリエル皇祖の妃にはなれなかったが、次期ランリエル皇帝の皇母の座はまだ狙える。アリシアの子供は庶子ではあるが、可能性はゼロではないのだ。
サルヴァ王子の妃になるという役柄から解放されたナターニヤだが、そこは彼女も貴族である。その本能が、我が子の結婚相手には高い地位の者に狙いを付ける。家柄が違うと愛する者と引き裂かれたご令嬢が、いざ、自分が母親になれば、やはり自分の子には良い家柄の相手を望む。極、ありふれた話だ。
「あの娘とは愛人として関係を続け、懐妊すればサルヴァ陛下とアリシア様に打ち明け引き取る事になるだろうな。その子供にはテッサーラ王の庶子として爵位と領地を与える。あの娘もその生母だ。不自由はさせない」
何が幸せかは人それぞれ。エレナは、貴族社会に憧れ、劇的な恋愛を夢見る少女だった。その少女の精神のまま大人になった。それが無爵位の貴族の子弟から国王になった男と愛し合い、その子は爵位を得て自分はその母。ウィルケスが与えるその人生に、彼女は満足するはずだ。真実を知らずに天寿を全うすればだ。
一度騙したのなら、最後まで騙し続ける。それも優しさである。相手が傷付くと分かっている真実を告白するなど、騙している罪悪感から解放されたいだけか、さもなくば嘘を言わない自分が好きなのだろう。どちらにしろ自己愛に過ぎない。
新婚早々、愛人の処遇について話し合ったウィルケスとナターニヤは、その足で用意された宴へと足を運んだのだった。
「サルヴァ・アルディナの副官というのは、随分と役得があるものだな」
執務室に、重厚の中に嘲笑めいたものが混じった声が響く。その言葉を投げかけられた者は、返す言葉がなく居心地悪そうに沈黙している。
サルヴァ王子の副官といえば、現在はウィルケス・バルレート。その前はルキノ・グランドーニ。それぞれがテッサーラ王、リンブルク王。しかし、そのリンブルク王の正体を知る者は少ない。
その数少ない者の1人。ベルトラム・シュレンドルフが、ルキノが正式に戴冠を行ったとの情報を得て、そう評したのだ。ちなみに、現在、ゴルシュタットとランリエルは、ケルディラ西部の領有権問題で対立している為、戴冠式へ大使を派遣していない。
「しかも、1人は女王を妻として国王となり、もう1人は、妻を得る為に国王に任じされるとは」
つくづく女頼みか。とまでは言わないが、ルキノは敏感にそれを感じ取った。
「如何な経緯であろうと、国王となったからには、その責に恥じぬようにありたいと考えております」
ルキノは胸を張ったが、その顔に緊張の色は隠せない。己では、これで大丈夫、問題ない。そう考えていても、思わぬところを指摘される。格上の義父との対決では常にそれを警戒せずにはいられないのだ。
「うむ。その心構えを忘れるでないぞ」
「は、はい」
思わぬ言葉にルキノが一瞬、どもったほどだ。
「お主を認めようと決めた以上、お主には早く娘を託す男になって貰わねばならぬのだからな」
「は、はい」
今度のどもりは、感激のあまりだ。今まで義父に認められて来なかった。それが、最近は義父の態度が軟化し妻との関係を認める発言も増えた。今まで険しい道のりであったからこそ、道が穏やかになり、更にその先には、妻が待つ花園がおぼろげながらに姿を現しているのだ。
「とにかく、アルベルド陛下との交渉、ご苦労だった」
「ありがとう御座います」
「引き続き開戦時期の交渉に当たれ。こちらの準備は勿論、各国の情勢にも注視しろ。物事は全て相対的だ。こちらが万全でも相手も万全なら優位は得られぬが、我らが準備不足でも、相手が更に不足しているなら優位は得られるものだ」
更に言えば、自らを万全にしようと時間をかけている間に、相手が先に万全となれば、こちらこそ不利となる。兵は拙速を尊ぶ。とも言われる所以だ。
「相手に無理をさせねばならない。その時を狙うのだ。セルミア王都の遷都などランリエルは着々と準備を整えている。行動は早い方が良かろうな。奴らが、まさか、と思う時を狙うのだ」
焦りは判断を誤らせる。軍隊が組織化され、主将の誤りを参謀達が正す事が多くなったこの時代ですら、それは皆無ではない。焦りから集団的に思考が近視眼化すれば、判断の質が低下するのは当然である。裏の裏まで考慮して動けていた集団が、裏を読むのが精々となる。
「肝に命じます。アルベルド陛下との交渉と平行し、こちらの準備も急ぎ進めます」
「うむ。だが、それをランリエルに悟られてはならぬ」
「は……? 悟られてはならぬので御座いますか?」
頷きかけたルキノだが、ふと、気付いて戸惑い問うた。
「当たり前だ」
「で、ですが……」
確かに今、ルキノはアルベルドと手を組みランリエルを攻撃する交渉を任されている。しかし、その実、それは欺瞞であり、本当はランリエルとこそ手を組み皇国を倒そうとしているのではないのか。それを、皇国軍の挙兵を知りながらランリエルに伝えないというのか。
「お主が招いた事ではないか」
「私が……で御座いますか?」
義父の冷ややかな視線にルキノの額に汗が浮かぶ。
「当初の予定通り、我らがデル・レイを攻める。それならば、その時期をランリエルに伝えるに何の不都合もなかった。しかし、お主の交渉で、まず、皇国軍がセルミア王都を攻めると決まった。その時期を、我らがランリエルに漏らしたと露見すれば計画が破綻しよう。それでは、結局、ランリエルと共に皇国を討つ。その確約を守れぬ」
故に、皇国に疑われぬように、ランリエルを倒す最適な時期に挙兵する。ランリエルの為にだ。
「で、ですが、それで、万一ランリエルが破れれば、いかがなさせるのですか」
「それも、面白い話だな」
「義父上。お、面白いとは、いかが意味で御座いますか!」
流石にルキノも声を荒げるが、ベルトラムは笑みすら浮かべ余裕の表情だ。
「取り乱すな。この程度の冗談で取り乱しては、いざという時、冷静に思案出来ぬぞ」
「し、しかし……」
「ランリエルが窮地に陥る。それを我らの奮闘で勝利する。それでこそ、我が国に利するのではないか。言うまでもないが、もはや、我らが皇国と交渉している事すらランリエルに伝える必要はないぞ。将来に置いてもだ」
ルキノは絶句し、額の汗がその量を増やす。
「我らが交渉しランリエルに取って不利な時に挙兵させる。そのような事、わざわざ伝えて何になる。どうせ現実は変わらぬのだ。我らが不利になり、ランリエルが不快になるだけではないか」
「しかし、それでは信義に悖るのではないのですか」
ベルトラムの瞳が鋭く光り、ルキノを貫いた。
「ならば、娘にも、自分は本当はランリエル軍士官で、ラルフ・レンツなどという者ではないと伝えてみるか。皇国軍がセルミア王都を攻めると交渉したのはお主だ。全て、お主が招いた。お主が、娘を騙している事もな」
やっと義父が認めてくれた。そう思っていたこの時に強烈な一撃。それを伝えたところで、妻が悲しむだけで状況が好転する訳ではない。ルキノ自身、そう考え告白出来ずにいる。しかし、妻を裏切っているという罪悪感が消えるものではなく、その傷口をえぐられ、身体の中心に冷たい棒を差し込まれたかのように青ざめた。
「責めているのではない。そうせざるを得ない事があると、理解すれば良いのだ」
視線はまだ鋭いものの、一転、矛を収めた。
ルキノも、力に屈し信条を曲げる男ではないが、公私にわたる立場、理屈の正しさ。全てにおいて絶対強者の義父には敵しえない。案著し
「申し訳ありません。思慮が足りませんでした」
と、頭を下げる。
傍から見れば分かりやすいほどの飴と鞭。だが、当事者故に、それに気付かなかった。




