第234:格
一見、ルキノの言葉にアルベルドが納得したようだが、やはりその顔に浮かんだ笑みが気にかかる。論理的な話ではない。しかし、その笑みが浮かんでいる限り、アルベルドの掌の上。そう感じる。
「しかし、今は息子に王位を譲ったとはいえ、デル・レイの民衆は我が民。リンブルク軍がデル・レイを攻めるとなれば、民にも被害が出よう。それを座視する事は出来ぬな」
「も、勿論、軍規が厳格にし、今回の出兵は軍事施設のみ。それも命令無しには攻撃不可であると将兵には徹底致します」
そうは言っても、痛いところを突かれた。他国に攻め込めば略奪など当たり前の時代だ。時には、防衛戦にもかかわらず、敵軍の所為に見せかけ自国の民を略奪する兵士すら居る。軍規を徹底する。で、安心出来る問題ではない。
「戦端を開くならば、我が軍がセルミア王都を攻めよう」
「セルミア王都……」
セルミア王都は、元ロタ東北部。現在、サルヴァ王子により街ごと要塞化が進んでいる。相応の兵が置かれ、要塞化が完了していない現在でも守りやすい地形で、それを攻めるとなれば多くの軍勢が必要だ。
尤も、元々サルヴァ王子も、セルミア王都は対皇国戦の囮と想定している。その意味では、アルベルドはサルヴァ王子の術中に嵌った事になるのだが、アルベルド自身、それと分かっていても、そうせざるを得ないのだ。
皇国がゴルシュタットでもドゥムヤータでもなく、ランリエルを攻める。となった場合、どのようなルートで攻めるにしても、セルミア王都を無視できない。ゴルシュタットやドゥムヤータを懐柔してリンブルク或いはドゥムヤータ経由でランリエルに進むとしても、セルミアに駐屯する軍勢に退路を断たれる。
絶大なる権限を持つ1人が全てを決める。太古の軍隊ならばそうであったが、軍勢が組織的になるにつれて、そのような事も無くなって来た。軍隊は組織であり、駆け引きにより主将が騙されても、配下の武将、参謀が参加する軍議でそれが正される事も多い。時には、主将は纏め役、現場の指揮に徹し、作戦自体は参謀が立てていたりもするのだ。
それ故に、相手の失敗を期待すべきではない。分かってはいても、そうせざるを得ない。そのような状況に敵を誘い込む。それが最上の戦略である。
「貴国の軍勢は、ランリエルに助勢すると称し、デル・レイを素通りしてセルミア王都に急行して頂く。民を略奪する暇も無いほどにな」
自称、聖人、人格者は、他国とはいえ民を害するとは、というだろうが、他国の民が可哀想だからと、その結果、自国の民に害を及ぼすなど、どれ程’いい人の自分’が可愛いのか。そのような者は、自身の家族を蔑ろにし、他人に施す外面の良い父親のようなものだ。他人からは称賛されるだろうが、家族に取っては酷い父親でしかない。良い父とは家族を守る父である。
「分かりました。ベルトラム殿にも、そのように伝えます」
ルキノはアルベルドの提案に素直に頷いた。一見、アルベルドのなすがままのようだが、ここは下手に逆らわぬのが正解。作戦についてアルベルドから提案して来たのなら、自分達と手を組むのに前向きという事だ。それを拒絶すべきではない。
「それよりも、リンブルクの方はどうなのだ? 貴公はリンブルクの王なのであろう?」
「え。ええ。勿論です。それが何か」
「先ほどの話では、皇国と組めばゴルシュタット本国は無事という事だが、リンブルクについては、どうお考えか」
アルベルドの顔から笑みが消え、視線が鋭くなる。だが、アルベルドが主導権を握っているのに変わりは無い。
先の戦いで名声を得、リンブルク国内でも支持されつつあるラルフ・レンツことルキノだが、実際、信頼できる部下1人持てぬ身。最高権力者には程遠く、所詮、ベルトラムを頂点としたゴルシュタット主導体制の一員でしかない。その意味ではリンブルクよりゴルシュタット。そう考えるのは自然なのだが、改めてリンブルク王としての立場を問われれば言葉に詰まる。
「もしや、自分はベルトラム殿の娘婿なので、いざともなればリンブルクなど捨て、ゴルシュタットに逃げ帰る。そう考えているのではあるまいな」
アルベルドが追い討ちをかける。痛いところを突かれルキノが慌てて反論する。
「私とてリンブルク人として、祖国を想う心はあります。決して、リンブルクを軽んじる積りはありませぬ。ただ、戦略単位として見た場合、ゴルシュタットが主体とならざるを得ないのが現実なのです」
反射的に、ラルフ・レンツとしての’設定’を思い出した。ラルフがリンブルク人だというのは忘れがちになっているが、それを今思い出したのは僥倖だ。
「なるほど。そのような事もあるかも知れぬな。だが、リンブルク王なのであれば、暗闇に手探りで玉石を探すようにしてでもリンブルクを守らんとする手立てを探し抜くべきではないか」
奇妙な状況だ。皇国の副帝が、リンブルク王に対し、リンブルクを守るべきと説いているのだ。ルキノ自身、痛いところを突かれているとは思いながらも、違和感を覚えた。
「守るべきものを守らぬ者との誓約など、信用出来ぬのだラルフ王」
言葉がルキノの胸を貫いた。如何に誓約書を交わそうと、最後の最後にそれを守るかは、その者の’性根’による。それは、誓約は守らなくてはならないという健全な精神を持っているか。誓約が大切なものだと考えているのかにかかっている。守るべき大切なものを、理由があるからと切り捨てられる者は、誓約をも理由があれば破るのではないか。そう思われても仕方がない。
そしてそれは、騎士として恥ずかしくない男を目指して来たルキノには、己に尊厳を問われるのと違いなかった。
「決して、そのような事はありません」
「分かっている」
ルキノが呻くように答え、即座にアルベルドが応じた。
「ゴルシュタット、ベルトラム殿との関係に板挟みとなり、貴公が苦しい立場である事もな。だが、ベルトラム殿を責めるべきではない。ベルトラム殿にとって、ゴルシュタットこそが守るべきもの。それも当然。そして、それ故に、リンブルク王である貴公がリンブルクを守らねば、誰も守ってはくれぬ。勿論、私も守らぬ。ただではな。もし、皇国にリンブルクへの助力を乞うならば、貴公が示す条件次第だ。それはお分かりであろうな」
「も、勿論です」
格が違う。ルキノはそれを思い知った。この男を前に、どうして交渉を有利に進められるというのか。義父ベルトラムが豪腕の交渉とすれば、アルベルドは道理。その道理が示す道に従って進めば、アルベルドが望む目的地に導かれる。そして、それ以上に恐ろしいのが、ルキノ自身、その道理を正しく思えてしまう事だ。
交渉の主導権を握らなくては、と考えながらも、アルベルドが示す’王道’を進むしかない。まさに、最上の戦略のように、分かってはいても術中に落ちざるを得ないのだ。
もし、義父が自分の立場ならば、リンブルクなど、どうなっても構わぬ。そう言い切るのではないか。その上でアルベルド陛下と互角に渡り合うのではないのか。そのような考えが頭を過ぎるが、ルキノには出来ぬ事だ。
そして、なお悪い事に、ルキノにはアルベルドが言うところの、リンブルクを守る条件が考えつかぬのだ。ランリエルを撃破したあかつきには、リンブルクは皇国の庇護下になる。などという条件は論外。朝貢するのすら、義父との相談なしには交渉出来ない。そして、間違いなく義父は、そのような条件を突っぱねるだろう。
この時、無意識にベルトラムの言葉がルキノを縛っていた。皇国と手を組みランリエルを倒す。それを、己自身、信じ切り交渉に当たれ。と、言われたが、その実、ランリエルと組み皇国を倒すのだ。どうせ、今ここでアルベルドとどのような約束をしても、それは全て反故するのだ。その意味では、精々もったいぶり、苦渋の選択をしたふうに見せ、リンブルクは、ゴルシュタットと皇国との両属。それくらい申し出ても良かった。
それには、皇国と同盟を本気で信じる自分。それを少し離れたところで冷静に見つめる己。その2つの人格を使い分ける高度な視点が必要なのだが、愚直さがとりえとも言えるルキノには、出来ぬ芸当だった。
故に、ルキノには、ルキノのとりえである愚直で挑むしかなかった。
「アルベルド陛下の仰ること、一々尤もで、非才な私には言葉がありませぬ。更に、もはや恥を捨てて申し上げるが、皇国に示すべき条件も、非才な私には思案がありませぬ。アルベルド陛下の、お考えをお聞かせ頂けませぬか」
無策はあえて明らかにした。ルキノには、それしか手立てがない。
「貴公と、リンブルク兵の命を頂きたい」
「命……ですと?」
「左様。命だ」
本気ならば、死んで見せよ。とでも言うのか。まさかそんな……。私の命だけならともかく、兵の命まで。それを望んでも私が承知するはずがないのは、アルベルド陛下も分かっているはず。
アルベルドの真意を計りかね、ルキノの思考が混乱する。だが、それこそがアルベルドの狙い。混乱させ、思考を停止させる為に、意図的に回りくどく、衝撃的な言葉を投げた。ルキノにそれを察する余裕はない。ただただ、アルベルドの掌の上で踊る。
「リンブルクの軍勢に、我が方の軍監を派遣させて頂く。貴公の軍勢の動静が我が方に筒抜けとなり、それを率いる貴公と将兵の命運を我らが握る事になるが、そうでなくては我らも安心出来ぬ。何せ、その気になれば、リンブルクの軍勢は、デル・レイを侵したい放題なのだからな。これだけは譲れぬ」
ルキノは、思わず小さな溜息をついた。どれほどの無理難題かと思えば、アルベルドの立場なら、その心配も分かる。とはいえ、軍監とは監視役のようなもの。本来は配下、属国の軍勢への処遇。理屈ではなくプライドの問題として、色を成して激怒し拒否するところだ。交渉の初歩の初歩。初めに無理難題を押し付け、その後でそれよりも軽い要求をすれば、本来なら断るような要求でも頷いてしまう。その手に、まんまと嵌った。
「分かりました。それでよろしいのなら」
と、快諾してしまったのだ。
とはいえ、ルキノにとっても目的が達成されたのには違いない。義父からの使命は全うできたとすべきだ。戦略の手順は多少変わったが、それも対応可能な範囲だ。
「私も、リンブルクの民など、どうなっても良いと考えているのではない。それよりも、我が民が大事。そう言っているのだ。共に繁栄出来る道があるならば、望むところ。手を取り、協力しようではないか」
「は。ありがとう御座います」
結局、最後までアルベルドの掌の上。それは、ルキノとて認めざるを得ない。だが、ここまで格が違うとそれもやむを得ない。とも、考えてしまう。むしろ、無理に自らが主導権を握ろうとすれば、上手く行かなかっただろう。
「それはそうと、先ほども言った通り私にとって皇国、そしてデル・レイが何よりも大事だ。しかし、こうやって手を結び盟友となったリンブルクも、出来る限りの事はしたいと考えている。ランリエルとの手前、表立っては難しいが、私に出来る事があれば遠慮なく申して欲しい」
「勿体なき、お言葉」
「なに、リンブルクを助けるのは、皇国にとっても益になる事だ。このたびのランリエルの台頭には、我も自らを鑑みる事が多かった。確かに皇国は強大。それ故に、慢心があった。他国など、皇国軍が動けばいつでも潰せる。少し脅せば這い蹲り許しを請う。そう考えていた。しかし、そうでない事が分かった。皇国も、近隣諸国との友好というものを考えていかねばなるまい。その為にも、リンブルクがその範となってくれればありがたい」
「アルベルド陛下……」
自分は、サルヴァ王子を敬愛し忠誠を誓っている。その心に偽りはないが、目の前のアルベルドも、その王子に劣らぬ人物。
サルヴァ王子とアルベルド陛下が争わず、お互い手を取り合って頂ければ……。ルキノの胸にその想いが強くなる。
しかし、それが叶わぬ事とも分かっている。良い、悪いの問題ではない。2人が置かれた状況がそれを許さぬのだ。そして、義父ベルトラムの思惑もある。
アルベルドが’正義’という概念を持って、他国を侵略するのを悪として多くの賛同を得ているが、この時代の常識として、力を持つ国が他国の領土を攻め取るのは決して悪ではない。そもそも、古来より続く国などすでになく、現存する国とその版図は、力によって奪ったものだ。
戦争が絶対悪と言われるようになるのは、経済が発達し、戦争により領土を得るより、その経済が阻害される損失が大きく、戦争が大国にとってこそ都合が悪くなった時代以降だ。ましてや、いまだ、王としてより、騎士としての意識が強いルキノだ。騎士にとって戦いこそが存在意義。他国の領土を攻め取るという事に後ろめたさはない。
それぞれが、己の知略、武力を駆使して勢力を拡大させる。その結果、衝突も起こる。それは必然という意識があった。故に、サルヴァ王子とアルベルドが衝突するのも2人の状況がなせる必然。そして、義父ベルトラムを含めた大きな戦いのうねりの中に、小さいながらも一方の勢力の首相としてルキノも戦いに参加する事となった。
役者不足どころか、騎士の役柄で参加していたはずが、いつの間にか王様の衣装を着せられてしまったルキノだ。舞台に立ちながらも、他の役者の顔色を見る余裕すらない。とはいえ、一応、この演目は演じきったと安著した。
その後、皇国とリンブルクとの将来について、アルベルドと語った後、ルキノはアルベルドの屋敷を辞した。
「他愛もない男だ」
ルキノが姿を消して暫く経ち、その呟きが執務室に響いた。
奇しくも、それはベルトラムがルキノを評した言葉と同じだった。




